(その五)話すだけで解決するとは限りません
「最近の高校生は暇なのか」
「後先考えずに教師と恋愛するくらいは暇なんじゃねえ?」
「困ったものだ」
「全くだな」
天下は腕を組み頷いた。その様子だと『困ったもの』の中に自分が含まれている事には気づいていないらしい。本当に困ったものだ。
「先生」
思っていたより近くに低音の声。振り返れば天下が『カノン』の楽譜を手に持っていた。
「楽譜、落ちてますよ」
いきなり改まった口調に戸惑いながらも涼は差し出された楽譜を受け取る。反射的に礼を口にしようとしたその折、音楽準備室に通じる扉が開いた。
「渡辺先生、フォーレの楽譜まだあります?」
声楽担当の百瀬恵理が顔を出す。涼の六つ上の先輩にあたる音楽教師だ。その差を感じさせないのは 気さくな恵理の性格と、小柄な身体と幼げな顔のせいだろう。
恵理は天下の姿を認めると小首をかしげた。
「通りかかったもので、少し手伝おうかと」
よくもまあ、そんな言い訳を臆面もなく言えるものだ。半ば感心しながらも涼は追随するように小さく頷いた。
「あら、悪いわね」
「どうせ暇ですから、お気遣いなく」
笑みさえ浮かべつつ如才なく応じる。そんな天下に違和感を抱くこともなく、恵理は頬を緩めた。
「よかったですね、先生。優しい生徒に好かれて」
優しい? 好かれてる? 誰が?
どれ一つも訊き返せなかった。恐ろしい答えが返ってきそうで。
「フォーレのレクイエムですよね? 先日お渡ししたので全部です」
「じゃあコピーするしかないか」
「必要以上にしないでくださいね」
恵理は了承のつもりかひらひらと手を振って準備室に引っ込む。扉の前から気配が消えるのを確認してから、涼は皮肉を込めて呟いた。
「似非優等生お疲れ様」
「いえいえ。たやすいことですよ」
天下は悪びれることもなく口端をつり上げた。
「なんなら、先生にも教えて差し上げましょうか」
「役に立つかな」
「佐久間先生と付き合っているように見せかけたいんですよね。役に立つと思いますよ」
やたらと食い下がる天下を涼は改めて見た。自分より少し高い位置に彼の頭がある。
成績優秀生徒と聞くと眼鏡をかけたがり勉君を想像してしまうのだが、天下は健康そうだった。手足がバランスよく長くて、細くはあったがしっかり筋肉がついていた。ざんばらの黒髪といい、少し日に焼けた肌といい、いかにも運動部に向いている。
そんな生徒が、貴重な昼休みを用もない器楽室で過ごす意味を涼ははかりかねた。