【番外編】恋せよ妹、密やかに(結1)
「今日はありがとう。こんなことを言ったら怒るかもしれないけど」
前置きをしてから零は軽く頭を下げた。
「これからも琴音ちゃんをよろしくお願いします」
「今度うちの学校でヴァイオリン弾いてくれるなら、いいですよ」
涼には珍しく冗談めかした返答だった。悪戯を思いつた子供のように零は目を輝かす。
「みんなでクインテットでもやるか?」
「俺は楽器できませんよ」
「歌え。それくらいは教えた」
冗談ではない。授業中、涼の前で歌うことすら恥ずかしかったというのに。天下が口をヘの字にすると零が爽やかに笑った。
「じゃあお二人さん、仲良くなー」
「え、いや、そうではなくて……」
涼が否定するよりも早く、零は手を振って電車に飛び乗った。行動的で活発。幼い子供を彷彿とさせるが、悪い気はしなかった。零自身には。問題は、彼女達の関係だ。
「いいんですか」
駅のホームで電車を待つ間に天下は訊ねた。もう人目を憚ることもない。今さらなのだが、それでも醒時と琴音を置いて行ったことが気にかかった。
「何が?」
「あの二人。ただの兄妹に見えんのか」
「まあ、あんなのがうじゃうじゃ街中を平然と歩かれたら困った世の中になりそうだが」
「そうじゃねえよ。だから、」
言いかけて天下は言葉を探した。安易に口に出してはいけないような気がした。
「……琴音さん、なんか様子おかしかったし、兄貴なのに態度もよそよそしかったのに」
「六年ぶりの上に、あの兄だ。気圧されもするさ」
「ラーメン食ってる時、泣いてた」
擦り合わせていた涼の手が止まった。
「ずっと兄貴の方を見てた。なんか、すげえ必死そうに」
捨てられた子犬のようだった。待って、行かないでと願っているのに、鳴くことすらできない。縋りつくように切羽詰まった眼差し。引き留めたいのに、引き留める術を持たず途方に暮れている。
「結婚式な」
涼の吐いた息が白く映えた。
「本当は挙げる予定だったらしい。親族だけでこじんまりと」
主語が欠けていたが誰の事を指しているのかは明白だった。屋台で琴音と天下が交わした会話を涼は聞いていたようだ。
「なんで、やめたんですか」
「琴音が反対したから」
一番賛成しそうな人なのに。天下には意外に思えた。
「式を行うのを?」
「二人の結婚そのものに猛反対」
天下は二の句を繋げられなかった。溺愛しているとは思っていたが、まさかそこまで。なおさら醒時と琴音を二人きりにしては問題ではないか。
「君、絶対勘違いしてるだろ」
軽く笑みを含んで涼は言った。
「琴音はたしかにブラコンだよ。でも意味もなく人の幸せぶち壊すほど、自分勝手じゃない。あの二人はあくまでも兄妹だ」
吉良氏じゃない、と涼は首を横に振った。
「琴音は、零さんが好きだったんだ」
今度こそ、天下は言葉を失った。想像だにしていなかった。だって、口調こそ男性のようだが零は間違いなく女性で、琴音もそのはずだ。
「最初に零さんを見た印象は?」
「ちっせえ」
「その次」
「可愛い」
「男にしては、が前に付くだろ?」
涼の指摘通りだった。写真で見た時、目も大きく中性的な容姿をしているとは思った。吉良醒時と並ぶと余計に童顔と小柄さが際立って可愛いとも思った。が、全て男性を基準にしてのことだった。
「まさか――」
「そのまさかだよ」
琴音も同じことを思ったらしい。
「ああ見えても吉良氏と琴音は八年離れてるからな。初めて会ったのは琴音が小学生の時、愛しのお兄様とよく一緒にいる同性の友人だと信じて疑ってなかった。もともと吉良氏は滅多に実家には顔を出さなかったから、会う機会も少なかったんだ。琴音は勘違いをしたまま、お兄様のマンションに行く度に会える零さんに恋をした。吉良氏もまさか自分の妹がずっと勘違いをしているとは思わなくて数年過ぎた」
他人が見れば幸せな光景だったろう。当人にしてもそうだ。琴音からすれば愛するお兄様と密かに慕う人。醒時にしては自分の想い人を妹が慕っている。零にしてみれば好きな人の妹が自分を受け入れてくれている。それぞれに幸福な絵図を描いていた。
しかし、琴音の描くものだけが違っていたのだ。
次回の更新で休止となります。本日の昼頃(もう時間指定は控えます)を予定しております。夕方までには……なんとか。




