【番外編】恋せよ妹、密やかに(転2)
ラーメン食べて談笑もしたし、さてそろそろお開きだ。駅構内の時計を見ると時刻は七時前を指していた。それぞれの内情はどうであれ琴音達は家族で積もる話もあるだろうし、必然的に涼と天下は二人で帰ることになる。二人きり、というシチュエーションに心が躍らなかったと言えば嘘になる。が、琴音の事が危惧されるのも事実だった。
「なあ醒時、今日は琴音ちゃんの部屋に泊めてもらったらどうだ?」
のほほんとした声で零が提案した。
「兄妹水入らずで一晩過ごすのも悪くないと思うんだが」
とんでもない発言に天下は顔が引きつるのを感じた。やめろ焼けボックイに火がつくぞ。その前に琴音の気持ちを十分の一でもいい、汲んでやれ。
首を横に振るかと思いきや、醒時は何も言わずに自分の妹を一瞥した。特に異論はないらしい。判断を委ねられた琴音は勢いよく手を横に振って後ずさった。
「いえ、それよりもお兄様は久しぶりの帰国でしょう? 夫婦水入らずでどうぞ」
「いやいやここは六年ぶりに兄妹の親睦を深めるべきだ。正直言うとこいつの顔は一晩見れば飽きる。もういい」
酷い言われようだ。しかし、醒時は微かに眉を寄せただけで言及はしなかった。
「いいえ、お気遣いなく。部屋も散らかっていますし、とてもお兄様をお迎えできるような」
「そう言えば今日、部屋の掃除してて遅れたんだっけ?」
さぞかし散らかっているだろうなあ、と涼が独り言を装って言った。余計なひと言に琴音は涼を恨みがましげに睨んだ。
「課題もありますし」
「忙しいみたいですよ、昨日も寝ていた私を電話で叩き起こした後、二時間も延々と明日はどうしようかと相談してくるくらいですから」
目元を抑えて涼は寝不足を主張した。後押しされるように零は満面の笑顔で確認した。
「じゃあいいよな」
「よくありません。いくら兄妹とはいえ、一つ屋根の下に殿方と女性が二人っきりなんて」
「その言い方、醒時にそっくりだ。やっぱり兄妹なんだな」
嬉しそうに言われて、琴音は口ごもった。途方に暮れた顔で俯く。何の苛めかと天下は思った。これでは琴音があまりにも可哀想だ。
部外者だが助け舟でも出そうかと口を開きかけた天下を、涼が手で止めた。
「いい加減にしろ」
黙って様子を見ていた醒時がため息をついた。
「オレの妹を困らせて何が面白い」
そして琴音の方を向いて「嫌か」と一言訊ねた。
「え?」
「オレと一晩過ごすのは嫌か」
「だ、だから嫌とかではなくて、あまりよろしくないかと……」
「嫌かどうかを訊いている」
責める口調ではなかった。しかし琴音は委縮して視線を彷徨わせた。
「だって、兄妹と言っても血も繋がっていませんし、ほとんど、絶縁状態……です、し」
言葉が尻すぼみになる。堪え切れなくなった琴音は両の手を握った。前髪に隠れて表情は伺えなかったが、細い肩は震えていた。
「……私、お兄様の妹なんかじゃありません」
絞り出すかのように発せられた声は、すぐさま喧騒に消えてしまうほど頼りなく、儚かった。こんなに弱い琴音を見たのは初めてだった。
「こんな、私……どうして、」
「姓が違う血も繋がっていない。それでもお前はオレのことを兄と呼ぶ。だからオレも真実お前の兄になりたいと願った」
嗚咽でまともに喋ることができない琴音の頭に、醒時は手を置いた。
「オレは、お前に呼ばれるに相応しい兄になれたか?」
身を屈めて覗き込む。その仕草は殊更丁寧で優しかった。絵画のような美しさとは無縁ではあったが、穏やかなものだった。立ち姿、演奏姿、これ以上ないくらい吉良醒時の玲瓏たる美貌を見てきたが、この時に比べれば全てが色褪せて見えた。
「そん、なこと……っ」
しゃくりあげる琴音。躊躇いがちに醒時の胸元に顔を埋める光景を見ていたら、肩を叩かれた。涼だ。
「帰ろう」
その隣では零が肩を竦めていた。手間のかかる子供に向けるような微笑を湛えた顔で。
遅れてすみません……。