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【番外編】恋せよ妹、密やかに(承2)


 無事集合してどこのレストランに入るのかと思いきや、いきなり三十分近く歩く羽目になった。行き先も説明されず、延々と。

 吉良醒時は寡黙だった。天下もまた饒舌な方ではないので、最初に挨拶をした程度で終わった。それを補うかのように零は気さくだった。義理の妹である琴音にも積極的に話しかけている。身長といい、態度といい。この二人は足して二で割ったら丁度良くなるのではないかと天下は失礼なことを考えた。

 前を歩く三人をしり目に、天下は涼に訊ねた。

「穴場の店ですか?」

「ラーメンだよ、毎週火曜日公園に来るんだってさ」

 天下は数秒、その意味を考えた。屋台のラーメン。世界的ピアニストと財閥のお嬢様の兄妹が六年ぶりに再会し、親睦を深めるために選んだ店が、寒風吹きすさぶ中公園に鎮座する屋台の、ラーメン。

「まさか三ツ星レストランで優雅に食事でもすると思ったのか? なら、まずは服装をなんとかするべきだね。ドレスコードに引っかかる」

「いや、でも、六年ぶりの再会ですよね?」

 そんなにラーメンが好きなのか。だとしても屋台はない。もっと相応しい店があるはずだ。しかし、涼は興味無さそうに後ろ首を掻いた。

「最後に会ったのは、うちの大学の創立記念演奏会で吉良氏がゲストとして招かれた時だから……まあ、だいたい六年になるね」

「ゲスト?」

「一曲演奏してくれって。日本人初のショパンコンクール優勝者が来ればそりゃあ盛り上がるものだ。吉良氏も本当は大学主催の演奏会なんてチマっこいものに出たかなかったろうけど、愛しの妹が世話になっている以上、無下にも出来ない」

「それじゃあまるで、私のせいでお兄様が客寄せパンダになったみたいじゃない」

 一行の真ん中を歩いていた琴音が振り返る。

「そこまでは言ってない。麗しい兄妹愛に感動しただけだ」

「嫌味にしか聞こえないんですけど」

 神経質そうに琴音は細い眉を跳ね上げた。いつになく不機嫌だ。普段の琴音ならば冗談で済ますはずのことに噛みついている。ブラコンだとしてもいき過ぎだ。

「だいたい、私が頼んだわけじゃ――」

 言いかけて琴音は口をつぐんだ。明らかにそれは失言だった。仮に優秀過ぎる兄にコンプレックスを抱いていたとしても、本人の前で言うべき言葉ではなかった。琴音もそれに気づいたので皆まで言わなかったが、既に遅かった。

 怒気こそ感じないものの、醒時からは威圧感が漂っており、肝心の表情からは内心が伺えなかった。なんとも名目し難い気まずさが後に残る。

 醒時の視線に耐えかねたように琴音は俯き、

「……ごめ」

「そうだ。こんなデカいくせに可愛くない奴が客寄せになるもんか。パンダを呼んだ方がまだマシだ」

 なんという喧嘩腰。これはにはさすがの醒時も絶句した。

「どういう意味だ、零」

「笹の葉でも食ってろという意味だ」

 剣呑な眼差しもなんのその。自分よりも三十センチ以上は高い醒時に対して零は一歩も退かなかった。

「まさか貴様、今朝のことをまだ根に持っているのか」

「子供扱いも大概にしろよ。名前を書いておいたゴディバの最後の一粒を食べられようが、留守録しておいた特番をまだ観てもいないのに消されようが、まあお前だから仕方ないかな、とか思ったりもする。オレ、じゃなくてワタクシはそこまでみみっちくはない」

 拳を振り上げ零は力説した。

「でもな、漬物樽からタッパーに移したばかりのタクアンを一つ残らず腹の中に納めておいて『漬かりが足りん。未熟者めが』はないだろ。オレだって食べたかったんだ! でももう一晩待った方がきっと美味しくなると思って……だから、我慢したのに……うぅ、あんまりだ」

 なにやら込み上げてくるものがあるらしく目頭を抑える。意外に庶民派らしい。

「お兄様、さすがにそれは酷いんじゃありません? ちゃんと謝ったの?」

 よしよし、と頭と背中を撫でさする琴音。どちらが義姉かわかったものではない。零は大きく鼻をすすった。

「今度やったら離婚してやる」

 高級チョコレートとテレビ番組とタクアンで離婚する夫婦ってどんなだ。天下は半開きにした口が塞がらなかった。

「わかった。何が望みだ。言え」

 呆れ返った口調で醒時は腕を組んだ。完全に諦めモードである。

「誠意ある謝罪を要求する」

「タクアン一つのために頭を下げろと言うのか」

「跪いて靴を舐めろと言いたいところだが、ここは日本だ。勘弁してやる」

 この男にこの妻あり、と言うべきか。世界的ピアニストと連れ添うだけあって零もなかなかの大物だった。醒時の愁眉が寄せられる。

「大して漬かってもいないタクアンを処理してやって悪かった」

 これほど尊大な謝罪も珍しかった。無論納得のいかない零が抗議しようと口を開く。が、声を発するよりも先に醒時は零の首根っこを掴んで引きずった。

「あれで、夫婦ですか」

「昔からあんな調子よ。傍から見たら男友達みたいでしょ?」

 琴音は苦笑した。剣呑な雰囲気はもうない。慌てて吉良夫妻を追いかける。それについて行こうとして天下は、不意に足を止めた。

 涼が小さくため息をついたからだ。

「どうかしたんですか?」

「いや」

 言いかけて、涼は困ったように微笑んだ。

「いい人だなって」

 誰を指しているのかは天下にはわからなかった。



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