29.精神的な不妊症
アナベル ロータス ハルトマンの骨折が完治し、ハルトマン夫婦の診察が始まった。
二人で神宮に来てもらって応接室で話を聞いた。月影姉さま、柚月姉さま、ステラリアと絵里香も同席している。
「サミュエル殿、まずはあなたの検査をしたいのですが良いでしょうか?」
「私のですか?どんな検査なのでしょうか?」
「この器に精液を出して持って来てください」
「精液?今、ここで?でございますか?」
「トイレか隣の応接室を使って頂いても構いませんよ。アナベルも手伝ってあげてください」
「は、はい・・・それでは、失礼致しまして・・・」
二人とも真っ赤な顔をして部屋を出て行った。まぁ、こんな体験はないだろうからね。
かなり時間が掛かった様だ。二十分くらいしてやっと戻って来た。
「お待たせしまして申し訳ございません。こういうことには慣れないもので」
「大丈夫です。慣れている人など居りませんから。では拝見しましょう」
僕は器の中の精液を透視して精子の数と動きを確認した。
「うん。サミュエル殿の精子には問題はない様です。数も十分ですし、動きにも問題はありません」
「では、やはり私の身体に問題があるのですね?」
「アナベル。あなたの身体にも特に問題はないのですよ」
「二人とも病気ではないのですね?では何故、子が授からないのでしょうか?」
「恐らくなのですが、アナベルの性格や性質に原因がありそうです」
「やはり病気なのですね?」
「無理に病名を付けようと思えば、付けられないことはありませんが、それ程のことではありません。酷いと生理が来なくなりますからね。生理は来ているのですよね?」
「はい。それは毎月、来ております」
「要するにアナベルは神経質なのですよ。気にし過ぎなのです」
「気にし過ぎ・・・ですか」
「えぇ、先妻たちに男の子が授からなかったから。と、その責任を一身に受け止めてしまっているのです。その責任の重さに心が悲鳴を上げているのです」
「人によって、その様な精神的負担にとても敏感な方が居るのです。毎月生理が来ていて、きちんと排卵し正しい知識で性交し、精子と卵子が出会い受精したとしても、子宮に着床しなければ妊娠はしません。精神的に安定していないと妊娠できないこともあるのです」
「月夜見さま。私は以前に月夜見さまから指導を受けた時にそのことは勉強させて頂きました。家族にもアナベルに対して、心ない発言は慎む様に徹底していたのでございます」
「えぇ、それはアナベルからその様に伺っていますよ。とても良い心掛けです。ですが妊娠するのはアナベルなのです。彼女自身が自分で自分を傷付けていれば、結果、妊娠できないのです」
「私が自分で自分を傷付けている・・・のですね?」
「えぇ、家族が気を遣って心ない発言をしない様にしていても、アナベルの方で「自分に子が授からないことで家族に気を遣わせてしまっている」そう思ってしまえば、自分で自分を追い込むことになるのです」
「また、子なんてできなくても大丈夫だから。と優しく言われたらどう思いますか?きっと、どうして私には授からないのだろう?私の何が悪いのだろう?そう考えてしまうのではありませんか?」
「えぇ。確かに。私はその様に考えてしまうと思います」
「そうですね。あなたは誰が何を言っても、また、言わなくても、結局は自分を責めるのです。自分で自分を追い込んで疲れていってしまう人なのですよ」
「で、ではアナベルは子を授かることができないのですか?」
「できない。とは申しません。ですがこのままでは難しいでしょう」
「月夜見さまは、男の子を授けることができるとお聞きしました。その方法は如何なのでしょうか?」
「えぇ、産み分けは可能ですよ。でも私ができる限りの知恵と技術を授けるとします。その時、アナベルはどう考えるでしょうか?きっと、月夜見さまにここまでして頂いて、それでも授からなかったらどうしよう。そう不安に陥るのではありませんか?」
「あ、あぁ・・・そうですね。そう思うかも知れません・・・」
「今のままでは、きっと何をしても同じ結果になりそうです」
「では、もうどうすることもできないのですね・・・」
「今は難しいでしょうね。一度、諦めるのですよ」
「諦める?子を授かることを諦めるのですか?」
「えぇ、ずっとではありませんよ。一旦です。今のアナベルは子を授かることだけが自分の使命となっていて、他のことを何も考えられない程、追い詰められてしまっているのです」
「だって、夜も眠れずに朦朧としたまま、馬に乗って出掛けてしまうのですよ。サミュエル殿。これを追い詰められていると言わずになんと言うのでしょう?」
「確かに。おっしゃる通りです。このままで子を授かるとは思えませんね・・・」
サミュエル殿もやっと理解できた様だ。
「一旦、子作りは小休止して、心を休める期間を作るのです。その期間中は子作りの話題に触れてはいけません。アナベルが好きなことだけをするのです。アナベルには何か好きなことはありますか?」
「そうですね・・・私は絵を描くのが好きでした」
「最近、絵を描きましたか?」
「いえ、結婚してからは描いておりません」
「それならば絵を描けば良いのです。子作りのことは忘れて、美しい花や景色の絵を描くことに没頭するのですよ。初めに言っておきますが、実家に帰って好きにして来い。は絶対に駄目ですよ」
「アナベルをひとりにしてはいけません。サミュエル殿が付き添って、結婚した当初を思い出しながらふたりの楽しい時間を作るのです」
「それはいつまでそうすれば良いのでしょうか?」
「いつまでという期限は設けない方が良いですね。でも絵を描くならば、自分で気に入る作品が描けて満足できたならば、そこで一区切り付けても良いかも知れませんね」
「サミュエル殿とアナベルは今、何歳ですか?」
「私は三十三歳、アナベルは二十一歳です」
「それならば、まだ数年掛かっても問題ありませんよ」
「では、お気に入りの絵が描けたら、その時もう一度面談しましょうか。その時にもし、良い状態になっていたら、私が診察して産み分けに挑戦してみましょう」
「本当ですか!」
「えぇ、でも、早く絵を仕上げようなんて考えたら元も子もありませんからね」
「はい。アナベルを大切にして参ります」
「では、連絡を待っていますね」
「よろしくお願いいたします」
「アナベル。よいですか。のんびり構えることです。焦ってはいけませんよ」
「はい。月夜見さま。ありがとうございます」
のんびりしろと言われてもね。上手くできれば良いのだけれどね。
ふたりは笑顔で帰って行った。
「お兄さま。やはり、先日お兄さまがおっしゃっていた通りの様ですね」
「月影姉さま。その様でしたね。この世界では男性が少ないのです。特に貴族たちは世継ぎのことに執着しがちだと思うのですよ。そうなると女性の価値は世継ぎが産めるかどうかに懸かっていると言っても過言ではないでしょう」
「そう考えればアナベルの様な女性は、この世界にかなり居るのではないかと思いますね」
「私は大丈夫でしょうか?」
「絵里香。心配は要りませんよ。僕は子の人数や世継ぎなどに拘りませんから。だって僕には七人も弟が居るのですからね。誰かしらが男の子をひとりくらいは作るでしょう?」
「まぁ!お兄さまは自分の子を天照家の世継ぎにしたいとは思われないのですか?」
「柚月姉さま。何故、僕の子が天照家の世継ぎでなければならないと思うのですか?」
「え?だって、お兄さまの力はとてつもなく大きいではございませんか」
「力ですか?ではその力がこの世界の何かに役立っていますか?」
「え???そ、それは・・・」
「そうですよね。分からないですよね。目の前で瞬間移動とか物を引き寄せたりとかすると、何か素晴らしい様に目に映るかも知れませんね。でも、それらの力はこの世界の人々のためには何も役立ってはいません。僕や周りのごく一部の人が便利になっただけなのです」
「皆が僕のことを救世主だと思ったのは僕の能力ではなく、知識です。そして知識というものは蓄積されていくのです。私が作った女性や性の知識の本から始まり、今後更に知識が積み上げられていくでしょう。初めは僕だったかも知れませんが、今後は僕でなくても良いのですよ」
「お兄さま。何だか、お兄さまがどこか遠くへ行ってしまわれる様な気がしてしまったのですが・・・」
「月影姉さま。気のせいですよ!僕はそれくらい富や権力に興味がないのです。世継ぎのことは、天照家の家名が欲しい者が継げば良いというだけの話です」
「それでも、私はお兄さまに継いで頂きたいです。天照家のお世継ぎはこの世界の人間が崇める神なのです。お兄さまのそのお人柄が神に相応しいのです」
「私もお世継ぎは、お兄さましか考えられません。どんな人にも、いえ、人だけではございません。花や動物にも全ての生あるものに平等で慈悲深い愛を与えることのできるお方なのですから」
「そうですか。月影姉さま、柚月姉さま。その様に思って頂けることに感謝します」
ステラリア、絵里香と部屋へ戻った。お茶を飲みながらお母さんにハルトマン夫婦のことを報告した。
「では、ハルトマン公に世継ぎができるのはかなり先のことになりそうですね」
「それこそ、神のみぞ知る。というものですね」
「子を授かるということは簡単ではないのですね」
「えぇ、中々授からない夫婦にとってはそうですね。でも子を作る気がない夫婦の方ができ易かったりするのです。その様な精神的な負担がないですからね」
「皮肉なものですね・・・」
「お母さま。お母さまには前世の記憶があることが分かった訳ですが、その後能力が授かっているか確認してみましょうか?」
「どうすれば良いのですか?」
「まずは念話ですね。僕が念話で話し掛けますから、頭の中で僕の声が聞こえたら頭の中で考えて口に出さずに返答してください。では話しますよ」
「はい」
僕はお母さんに集中し、念話で話し掛けてみる。
『お母さま!お母さま!聞こえますか?』
『あら?これが念話なの?聞こえるわ!月夜見!頭の中にあなたの声が!』
『うわぁ、凄い!お母さまも念話ができるのですね!』
『えぇ、何だか嬉しいわ。これで月夜見と内緒でお話しできるのですね』
『あ、あの・・・アルメリアさま。私にも聞こえておりますが・・・』
『まぁ!絵里香!そうだったわね。あなたも念話ができるのでしたね。これでは内緒話には使えませんね・・・』
『お母さま、その場合は私にだけ集中するのです。後で詳しくお教えしますよ』
『まぁ!そうなのね?ありがとう』
「ステラリア。お母さまも念話ができたよ!」
「その様ですね。皆さんの表情を見ていれば分かります」
「あぁ、ごめん。ステラリア。君だけ念話ができないことになってしまったね」
「私は大丈夫です」
「ステラリアといっぱいキスしたら、ステラリアも念話ができる様にならないかな?」
「是非、お願い致します」
「まぁ!羨ましいこと」
「冗談はこのくらいにしておいて。お母さま、では念動力を試してみましょう。あの花瓶の花を一本持ち上げてみてください」
「一本だけですね。やってみます」
お母さんが真剣な表情でトルコギキョウの花を見つめている。こんな真剣な表情は見たことがないかも知れない。
すると一本の花がゆっくりと浮かび上がり、花瓶から抜けて宙に浮いた。
「できましたね。では僕のところまで運んでください」
「はい。分りました」
すすーっと一輪の花が宙を飛んで僕の胸元まで来て止まった。僕はその花を手に取り笑顔になった。
「お母さま。おめでとうございます!」
「ありがとう。できたのね」
「では、空中浮遊はできますかね?ここへ来て僕の横に立ってください」
「はい」
僕はお母さんと手を繋ぐと、その場で天井近くまで上がってゆっくりと着地した。
「お母さま。ひとりで浮かび上がってみてください」
「やってみるわね」
絵里香の時と同じくらいの高さまで浮かんで止まった。
「これ、できているのよね?」
「えぇ、できていますね。凄いな」
「アルメリアさま。素晴らしいです!」
「絵里香。今後は僕が学校に行っている間に、お母さまへ絵里香がやっていた訓練を教えてあげてくれるかな?」
「かしこまりました」
「お母さま、念話ができているので絵里香と同じ訓練を積んで行けば、お母さまも瞬間移動ができる様になると思います」
「まぁ!瞬間移動もできるの?それは楽しみね!」
「あ!お母さま!ソニアと話せるかも知れませんよ。今から厩へ行ってみませんか?」
「そうね!行きましょう!」
四人で厩へとやって来た。小白がもう既にお母さんに反応している。
「お母さま。小白が既にお母さまの異変に気付いている様ですよ」
「え?小白が?では話してみましょうか」
『小白!私の声が聞こえるかしら?』
『おまえ だれ?』
『私よ。アルメリアよ。小白の声が聞こえたわ!』
『おまえ あまみつつき』
『え?天満月?』
『え?小白。お母さまだよ。天満月に見えるのかい?』
『これ あまみつつき』
『おまえ つくよみ ふうふ』
『え?夫婦?小白、違うよ!僕たちは親子だよ』
『あまみつつき つくよみ ふうふ』
『お母さま。大変です。最早、お母さまは天満月という人に見える様です。しかも天満月と月夜見は夫婦という認識な様ですね』
『どういうことでしょう?それに何故、小白が天満月という人を知っていたのでしょう?』
『全く分かりません』
『月夜見さま。天満月という人は、やはり昔の神さまなのではありませんか?』
『それ程に高位な神さまということなのだろうか?』
『もしかすると、月夜見さまも大昔に存在した高位な神さまなのではありませんか?それで、天満月さまと夫婦だったのでしょう』
『そうなのかな?まぁ、考えても分からないよね。では、ソニアとお話ししてみましょうか?』
僕らは厩へ入って、ソニアの前に並んで立った。
『ソニア!私よ。私の声が聞こえるかしら?』
『あるめりあ こえ する』
『まぁ!私の声が分かるのね!ソニア。私、あなたとお話しできる様になったの!」
『あるめりあ でも あまみつつき』
『え?天満月?』
『あまみつつき こえ する あるめりあ おなじ』
ここからは声に出して話をする。ステラリアが分からないからね。
「あぁ、動物にはお母さまが変わったことが分るのだね」
「その様ですね。アルメリアさまと認識していながら、天満月さまとも感じ取っているのですね」
「月夜見。絵里香。では私はアルメリアであり、天満月なのですね」
「えぇ、既にお母さまの中に前世の天満月が入り込んでいる様です。だから、神の能力も発揮できるのでしょうね」
「もしかしたら、これから徐々に天満月さまの記憶が戻ってくるかも知れませんね」
「月夜見さまと天満月さまは、大昔に夫婦だったのですね」
「ステラリア。その様だね」
「それならば、アルメリアさまが月夜見さまと今世でも夫婦になることは必然だったのではありませんか?」
「まぁ!そうね。そういうことよね!」
お母さんが満面の笑みになった。
うーん。でもそれは魂の話だよね。身体の方はと言えば、僕はお母さんの身体から生まれたのだからな・・・夫婦になって子を作ったら問題はあると思うな・・・
なんだか、追い詰められてきている様な気がする・・・
お読みいただきまして、ありがとうございました!