9.絵里香の人生
私は、絵里香 シュナイダー。
十五歳になり、月夜見さまの侍女になることが決まりました。
今から十年前、五歳になったある夜、私は夢を見たのです。
その夢は私たち家族に弟が生まれ、お爺さまから呼ばれて別の国へ移り住み、私はその国の王立学校に通うことになるのです。
まだ五歳だった私は弟ができることは嬉しかったけど、お爺さまの存在は知らなかったし学校のこともピンと来なかった。ただの夢だと思いそんな夢を見たことすら忘れていました。
それから四年が経ち、お母さまから赤ちゃんができたことを聞かされると、何故か夢のことを鮮明に思い出しました。もし、生まれてくる子が男の子だったら他所の国へ行き、学校に通うことになるのだろうか。そう考えたら気になりお母さまに聞いてみたのです。
「お母さま。私には外国に住むお爺さまが居るのですか?」
「どうしてそれを?」
「本当に居るのですか。前に私が十歳になる時に弟ができて、お爺さまの居る国へ移り住む夢を見たのです。それで私はその国の学校に通うことになるのです」
「え?どうしてそんな夢を?国の名前は?」
「国の名前は分かりません」
「でも確かに絵里香が十歳になる時にこの子は産まれますね・・・」
お母さまはお腹を擦りながら考え込んでいました。
それから本当に男の子が生まれました。お母さまは私の夢の話があったからかどうかは分からなかったけど、お爺さまへ手紙を書いて男の子の誕生を知らせたそうです。
その手紙を受け取ったお爺さまはすぐに家へやって来ました。
初めて会ったお爺さまは私の顔を見ると一瞬言葉に詰まりました。小さいながらに「あぁ、この瞳と髪の色だから仕方がないな」と諦めました。
でも、お爺さまはその様なことには触れずに穏やかに話をしてくれました。
大人の話には入れず、お爺さまとお母さま達で、いつの間にか引越すことが決まっていました。引越したネモフィラ王国には私たちの新しい家が用意されていたのです。
今までは自分の部屋などなかったのですが、今度の家には私やアントンの部屋もあり、広くてきれいな食堂もありました。
そしてネモフィラの王立学校に通うことが決まったのです。学費は全てお爺さまが負担してくれるそうです。私は初めて学校に足を踏み入れた時、「あぁ、これは夢で見た学校に間違いない」そう確信しました。夢は全て現実となったのです。
そして十歳になったある夜、また夢を見ました。
私の姿はまだ幼さもあるが大人でした。でも見たこともない変わった服装をしていました。それはネモフィラの花の色のワンピースに白い上着だった。私は長い黒髪を後ろの両側で結って降ろしている。
仕事をしている様子を見ると、広くてきれいな部屋で掃除やお茶を出したりしている。どうやら侍女になっている様でした。
そのご主人たる人が想像を絶する美しさだったのです。これは夫婦なのだろうか?まだ幼さも残る男性はプラチナシルバーの透き通る様な美しい髪が背中まで伸び、青く宝石の様に輝く瞳、長いまつ毛、鼻筋が通っていて薄く綺麗な唇、そして白い肌。こんな儚くも美しい男性が居るのだと強く印象に残ったのでした。
女性も若く、やはり絵に描いたように美しい女性だった。でもよく見ると、先程の男性ととても良く似ていることが分かりました。もしかすると親子なのかも知れないと感じました。
私はこんなに美しく尊い方たちに侍女として仕えているのだ。そう感動した途端に目が覚めました。
私は見たばかりの夢の話をお母さまへ話しました。
「お母さま。また未来の夢をみたのです」
「まぁ!どんな夢だったのですか?」
「はい。私は見たこともない衣装を着て、信じられない程に美しい主の下で侍女をしていました」
「信じられない程に美しい主?ですか。あなたはその方の侍女となるのですね?」
「はい。その様です」
「でも、アントンはシュナイダー家の世継ぎになることが決まりましたが、あなたは平民のままですからね。残念ですがその様な高貴なお方の侍女になれるとは思えませんね」
「えぇ、そうですね・・・仕方がありません。でも侍女になりたいと思い願うことは構いませんか?」
「勿論です。折角、学校に通っているのですから、しっかり勉強しておきなさい。礼儀作法も身に付けるのです。そうして準備しておけば、そのうちに誰かに見初められる可能性だってあるのですからね」
「はい。夢を見るだけならば許されますよね・・・」
そして五年生になった春、とんでもない有名人が入学するという話を聞きました。何と、神さまが入学される。月夜見さまというお方だそうです。
月夜見さまと言えば、お爺さまから読んでおく様にと渡された本を作られた方だ。女性の味形であり、更に女性だけでなく、この世界の人間を正しい方向へ導く救世主と謳われたお方です。学校では連日、その噂で持ち切りでした。
でも私たち平民にはまさしく雲の上のお方。同じ学校に居ながら三階にいらっしゃる月夜見さまは、そのお姿を一目見ることさえ許されていなかったのです。
それからすぐ、月夜見さまは四年生に進学されたことを聞いた。やはり神さまだけあって知識も能力もあらゆることが人間を超越されていらっしゃるのだろうと思いました。
そしてその日は来ました。農業実習で全学年の生徒が集まる行事。田植えの日です。
私たち平民だけが水田に入り先生の指示に従って田植えをしていく。その姿を貴族の生徒たちは上から見下ろすだけでした。
これも毎年のことだからもう慣れました。私の様な黒い瞳や髪をした下賤な者が、下手にお貴族さまの顔を下から見上げようものなら何を言われるか分かりません。
私はいつもの様に周りを見ずに苗を左手に持ち、水面だけを見て苗を植えていきました。
そして全てを植え終わり、ふーっと息をして腰を伸ばした瞬間、足元に動く何かが見えました。緑色の小さいカエルが私の足に今にも触れそうになっていたのです。
「きゃーっ!」
私は思わず叫んで足をあげようとしましたが泥に足が嵌ってしまい、よろけてそのまま背中から倒れそうになったのです。
でも、自分ではどうすることもできず、身体がほぼ水平になった時、もう駄目だと諦めて目を閉じました。でも急に重力が消えたのです。
そして私は泥の中に身体を落とすことがなかった。そう、誰かに支えられたのです。閉じた目を開くと、隣に居た生徒に抱きとめられていることに気がつきました。
私はその人の顔を見て驚愕しました。あ!夢で見た私のご主人さまだ!
すると先にその人が声を掛けて来たのです。
「え?君は・・・」
何故かそのお方は、私の顔を見てとても驚いている様子でした。私も突然のご主人さまの登場に驚きの声を上げてしまったのです。
「あ!あなたさまは!・・・あ!すみません。ありがとうございます」
かろうじてお礼だけは述べることができたのですが貴族令嬢たちから凄まじい不満や怒り、非難の声を浴びました。そしてその方が月夜見さまであることを悟ったのです。
「あ!あぁ。良いのです。それよりも君は日本人なのかい?」
更にそのお方は訳の分からない質問をされました。にほんじんか?と聞かれたのです。
その後の会話は貴族令嬢の厳しい視線に晒されて、冷静に考えることができなくなっていましたので何を受け答えしたのかほとんど覚えていませんでした。
ただ最後の方に私の家に来る。お父さまに聞きたいことがある。とおっしゃったのだけはかろうじて覚えていました。
私は家に帰るとお母さまに今日のことを全て話しました。
「え?では、月夜見さまがこの家にいらっしゃると言うのですか?」
「えぇ、そうなのです。それだけではございません。五年前に見た私の夢。私が高貴なお方の侍女になっている夢です。そのお方は月夜見さまだったのです」
「まぁ!月夜見さまは神さまです。今現在はネモフィラ王城にお住まいだということですが、平民のあなたが月夜見さまの侍女になれる訳がないではありませんか!」
「えぇ、それは私にだって分かります。ただ、夢に見たお方は間違いなく月夜見さまだったのです。だって私、月夜見さまの腕に抱かれたのですよ!こんなに近くでお顔を拝見したのですから間違いようがありません」
私はお母さまの膝の上に背中を預け、お母さまと見つめ合いました。
「そ、そうですね。前の夢も全て絵里香の夢の通りになりましたね。でも今度はどうなのでしょうか?」
お母さまは目をパチクリとさせて私の顔を覗き込んだのでした。
そして月夜見さまは我が家を訪問されました。しかも信じられない程に美しい女性騎士を連れて。
月夜見さまは私たちの様な平民にも差別的な口の利き方をすることなく、優しく丁寧な口調でお話ししてくださいました。
初めは私たち家族や、アスチルベ王国の先住民のお話でしたが、私たちの漢字の名前をご存知で驚きました。そして弟のことをお話ししてもすぐに世継ぎのことかと察してくれ、ひとつお話するとその先まで見通してしまわれる様でした。更に私の様な者の将来の夢まで聞いてくださったのです。
私は意を決し、侍女になりたいことをお話ししました。でも夢には見たけれど自信がなかったので、自分で平民だから難しいなどとつい後ろ向きなことを言ってしまったのです。
そうしたら月夜見さまはおっしゃいました。
「では絵里香。来年から私付きの侍女になってください」
私だけでなく両親も慌てました。その様子を見るや、私たちを落ち着かせるためにご自分の前世のお話や精神年齢のことまでお話しくださいました。
でも何よりも、
「絵里香が私の侍女になって、いつも傍に居てくれたら心が落ち着くと思ったのです」
そう言ってくださったことが嬉しかったのです。私を必要としてくださる方が居る。それだけで私はこの方に一生ついて行こう。そう決心しました。
「お母さま。やはり私の見る夢は現実になる様です。どうしましょう?」
「本当にそうでしたね。私も驚いて平静ではいられませんでしたよ。でもこれであなたは神さまのお付になるのですね」
「絵里香。大変なことになってしまったな」
「はい。お父さま。でもこれは十年前から決まっていたことなのだと思います」
「え?十年前から?それは何故だい?」
「えぇ、十年前に見た夢で五年後にアントンが生まれ、ネモフィラに来て王立学校に通うことは見えていました。それに繋がって五年前に見た夢では月夜見さまの侍女になっていたのですから」
「そ、そんなことが・・・」
それからまたすぐに月夜見さまからお声掛け頂き、私が侍女になる日が半年も早まりました。更に王城へ登城するための衣装がないとお話ししたら、その場ですぐに服飾店へ連れて行ってくださったのです。
その服飾店では、あっという間に裸にされ、見たこともない美しい下着を付けられました。そして気付いた時には五年前に夢で見た時の衣装を着ていたのです。それはネモフィラの花の色のワンピースに白い上着でした。また夢の通りになったと思いました。
その衣装だけでなく毎日使う下着をひと揃え、他にも見たことがない異世界の衣装、それに白いワンピースに帽子やサンダルまで。これは夢に出て来なかったけれど、これも夢の様なお話でした。
そして夢で見た衣装を着て月夜見さまのお母さまである、王女さまへの謁見のため登城しました。
月夜見さまは家の前に忽然と現れると、突然私を抱きしめました。私はあまりにも驚いてしまって月夜見さまの耳元で叫んでしまいました。心臓が止まるかと思ったのです。
月夜見さまに抱かれて夢の様な一瞬でした。そして飛んだ先は月夜見さまのお部屋だったのです。ソファに座っていたご婦人は夢で見た通りの方、月夜見さまのお母さまでした。
本物は恐ろしい程の美しさでした。私は背筋が凍り付く様な寒気も感じ、震えながらやっとのことでお母さまから仕込まれた挨拶を形通りにすることができました。
私に仕事を教えてくれるというニナさまはとても優しそうで安心しました。挨拶が済んで帰る時、また月夜見さまに抱かれるのだと思うと緊張が頂点に達し、自分でも無我夢中で月夜見さまの首に腕を回してしまいました。
家に着くと月夜見さまも少し赤い顔をされて、首に腕を回すのは・・・とやんわり注意されてしまいました。これは失敗でした。次からは注意しないといけません。
その後、王家の皆さまとネモフィラの丘に連れて行って頂きました。王家の皆さんとひと時を過ごすなど、夢の世界でした。ただ、ロミー王女殿下からは月夜見さまとのことで釘を刺されてしまいましたが。でも私には本当にその様な気は御座いませんけれど。
私は十五歳になり学校を卒業しました。勉強は前の夢を見てから人一倍頑張っていたので卒業試験は全く問題ありませんでした。
そして両親と共に私が侍女になる手続きのため登城することとなり、またしても月夜見さまに両親の分まで衣装をご用意頂いたのです。
お母さまは高級で新しい衣装は元より、特にブラジャーには子供の様に喜んでおりました。きっとその姿は一生忘れないでしょう。これも全て月夜見さまのお陰です。
両親と共に登城する日、月夜見さまとステラリアさまが迎えに来てくださいました。普通はこんな出迎えなんてしてくれる筈はない。とお爺さまがとても驚いていました。今回、平民の私たちだけではと、お爺さまとお婆さまも同行くださったのです。
「月夜見さま、初めてお目に掛かります。私はハンナの父で、クルト シュナイダー男爵、こちらは妻のダフネ シュナイダーでございます」
「はじめまして、月夜見です。こちらは私の侍従でステラリア ノイマンです」
「ステラリア ノイマンです」
「では、船にお乗りください。王城まで参りましょう」
「シュンッ!」
「おぉ、もう王城に?どうやって?」
「クルト殿、私の能力で瞬間移動したのですよ」
「ははーっ!神の御業を賜るとは!ありがとう存じます!」
「まぁまぁ・・・」
両親と私は月夜見さまから頂いた一張羅を着て、緊張の面持ちのまま、応接室へと通されました。そこには既にアルメリアさまが控えていらっしゃいました。
私たちは震えながら挨拶をして、その後は説明を聞きました。
「絵里香には、先輩の侍女と二人部屋にて暮らして頂きます。お休みは週に二日、朝から勤務の時は十六時まで、夜まで勤務の日は十一時から。なお、生理の初め二日間はお休み頂きますし、生理痛があれば私が治療します」
「そ、そんな!週に二日お休みの上に、一日の勤務時間も短いのですか!その上、生理のお休みまでなんて」
「ハンナさま、これは私の侍女だけの特別な待遇なのです。他の者に他言されません様お願いしますね」
「か、かしこまりました!ありがとうございます」
「それと給金ですが、絵里香は王家ではなく私が直接雇い給金を支払います。月に大金貨一枚でよろしいでしょうか?」
「だ、だ、大金貨一枚!ですか!そんなに頂けるのですか!」
「クルト殿。これは私が絵里香を直接雇うからです。それと衣装やドレスは必要になれば別に買い与えますので、基本的には絵里香がお金を使うことはないと思います」
「な、何故その様に破格な条件なのでしょうか?」
「あぁ、私は他の侍女の給金や待遇を知りません。私が思う絵里香の価値がそれだけなのだと思います」
「あ、あぁ、そ、その様なこと・・・」
私も、お父さまもお母さまもお婆さままで皆、涙が止まらなくなってしまいました。お爺さまは絶句して顔を真っ赤にしていました。
そして、私たちは涙が乾かぬままに王城を後にしました。帰りも月夜見さまに瞬間移動で送って頂きました。
家に帰ると皆、しばらく言葉がありませんでした。
「お父さま、お母さま、私、お金は要りませんからお給金は毎月お渡しします」
「え?絵里香のお給金なのですよ。あなたがお使いなさい」
「月夜見さまもおっしゃっていたではありませんか。私がお金を使うことはないって」
「そうは言っても・・・」
「私は生涯、月夜見さまにお仕えすると決めましたのでお金は要らないでしょう?」
「生涯?絵里香は結婚しないつもりなのですか?」
「えぇ、お母さま。だって私のこの髪と瞳の色ですもの。変に夢を見るよりも月夜見さまのお傍に居られる方が幸せというものでしょう?」
「そ、それは・・・確かにあの様な好待遇は聞いたことがないけれどな」
「お爺さま。私はそれで十分に幸せです」
絵里香 シュナイダー。私は本当に幸せな人生を手に入れたのです。
お読みいただきまして、ありがとうございました!