8.ダンスのレッスン
ネモフィラ王国に初夏が訪れた。
相変わらず学校の授業は退屈だが、農業畜産の授業は僕にとっては楽しいひと時だ。
今日は夏野菜の収穫だ。僕は動物だけでなく、野菜を育てることも好きなことに気付いた。
春から種や苗を植えて野菜たちは順調に成長して来ている。農業畜産のフロックス先生が畑で収穫の説明を始めた。ところが・・・
「皆さん、見てください。昨夜、作物が野生動物の食害に遭った様なのです」
「フロックス先生。何の動物の仕業なのですか?」
「恐らくなのだけど、土を掘り返されているからね。イノシシだと思います」
「えー!折角ここまで育てたのに!」
「そんな!酷いです!」
「今までもイノシシの被害は多かったのですか?」
「月夜見さま。今まではなかったのです。今年は山を下りて来たイノシシにたまたま見つかってしまったのでしょう」
「先生、もっと食べられてしまうのでは?」
「一度美味しいものがここにあると知ったらまた来るでしょうね」
「先生!何とかならないのですか?」
「そうですね。柵を作るにしてもこれだけ広大な農地ですからね。時間が掛かってしまうので、その間にまたやられてしまうでしょうね」
「それならば、ひとつ良い手がありますよ」
「月夜見さま。何かあるのですか?」
「えぇ、では今、頼りになる者を連れて来ましょう」
「シュンッ!」
「わーっ!消えた!月夜見さまが消えてしまいましたよ!」
「まぁ、皆さん落ち着いて、恐らく瞬間移動でどこかへ行かれたのでしょう」
「シュンッ!」
「わぁーーーーっ!」
「きゃーーーーっ!」
「助けてーーーっ!」
「皆さん、驚かなくても大丈夫。この子は狼の小白です。皆さんに襲い掛かったりしませんよ」
小白は僕の隣に犬の様にお座りしている。
「そ、そんな、そんなに大きな狼が襲わない訳ないではありませんか!」
「皆さん、私は動物と話ができるのです。この子は幼い時に怪我をしているところを助けて怪我を治したのです。この子の親に頼まれて城でずっと一緒に暮らしているのですよ」
「狼が王城で暮らしているのですか?」
「えぇ、もう五年もの間、城の厩で馬たちと一緒に仲良く暮らしていますよ」
「馬と!本当なのですか?」
「えぇ、本当です。触ってみても良いのですよ。小白は決して皆さんを襲ったりしません」
小白に興味津々な子が怖いながらもにじり寄って、ビビりながら背中を撫でた。
「うわぁ、モフモフしてる。凄くきれいな毛並みですね!」
「本当!大きいけどよく見ると可愛いね」
「そうでしょう。小白は良い子なのですよ」
「それで、月夜見さま。その狼が安全なことは承知しましたが、イノシシをどうされるのですか?その狼に襲わせるのですか?」
「いいえ、そこまでする必要はありません」
「皆さんが、狼を恐ろしいと思うのと同じで、イノシシも狼が恐ろしいのです。ですからこの農地の山側の周辺に小白におしっこをして来てもらうのです」
「おしっこ?ですか?」
「それで、イノシシを退治できるのですか?」
「退治はしません。イノシシは恐ろしい狼の匂いに敏感なのです。小白がおしっこをして回れば、この辺一帯は狼の縄張りなのだと気付いて怖くて近寄れなくなるのですよ」
「そ、それは素晴らしい!」
「フロックス先生。ではこれから小白におしっこをして回ってもらいますね」
僕は念話で小白にお願いする。
『小白、この農地と山との間で、イノシシの匂いのするところに小白のおしっこを掛けて来てくれるかい?』
『いのしし くさい なわばり つくる』
『うん。頼むね』
「タタタっ!」小白は山の中へと走って行った。
「では先生、この間に今日の収穫をしてしまいましょう」
「そうですね。では皆さん、これから夏野菜の収穫です」
フロックス先生に指示された野菜を収穫していく。ジャガイモ、きゅうり、トマト、ナスを収穫していった。ジャガイモはイノシシに掘り返されて一部が食べられていた。収穫した野菜は学校の食堂で使われる食材となり、一部は平民の生徒が持ち帰るそうだ。
収穫の授業が終わる頃、小白が帰って来た。
『なわばり つくってきた』
『小白、ありがとう。助かったよ』
「では、私は小白を送り帰して来ますので。それでは!」
「シュンッ!」
小白と共に城の厩へと帰った。
「シュンッ!」
「わ!もう帰って来た!」
「ただいま!送り届けて来ましたよ」
農業実習が終わり校舎へ戻ると、二人の女子と一緒に居る絵里香を見つけて声を掛けた。
「絵里香!今度海に行くのだけど一緒に行くよね?」
「海ですか?遠いのですよね?」
「もう知っているでしょう?瞬間移動なのですから一瞬ですよ」
「あ!そうでしたね。分りました」
「白いワンピースとケープ、それに麦わら帽子とサンダルで行くんだよ」
「あの帽子はそのためだったのですね!」
「そうだよ。では期日が決まったら連絡しますね」
「はい。楽しみにしております」
僕とステラリアは高位貴族の階へと上がった。
「ちょっと、エリカ!どういうことなのよ。月夜見さまと海へ行くって?」
「あ。あの。実は私、九月で学校を卒業して十月から王城で月夜見さまお付の侍女になるの」
「えーーーっ!本当に?凄いじゃない。平民なのにどうして?」
「うん。ちょっと色々あってね。私からは勝手にお話しできないの」
「それで何回か月夜見さまがエリカのところに来ていたのね」
「そうなの」
「あーっ!エリカはお城でお務めすることになるのね。良いなぁ!」
「私にもそういうお話が来ないかしら・・・」
「それにしても月夜見さまってお美しいわね。髪も長くてきれいだし」
「そうね。私たち平民を相手にしても決して威張らないわね」
「神さまって、皆、あんなにお優しいのかしら?」
「ううん。月夜見さまは特別らしいわ。誰にでも分け隔てなく優しくされるのですって!」
「そうなの?エリカ」
「それは間違いないわ。優しくて愛に満ちていらっしゃるの」
「まぁ!聞きました?エリカは月夜見さまに愛されているの?」
「そんな!そんなことある訳がないでしょう。誰にでもお優しい。という意味ですよ」
「そうよねぇ・・・でも、そんなお優しい月夜見さまにお仕えすることができるなんて、エリカは幸せね」
「えぇ、それは本当にそう思うわ」
今日の最後の授業は剣術なので僕は受ける授業がない。暇なのでステラリアと一緒に図書室へ行ってみた。この世界のことで何か知らないことが書いてある本はないものかな?
図書室はどこでもそうだがジャンル毎に棚が分かれている。
僕は歴史の分野の棚の前に立ち、端から見ていった。ふと隣に立つステラリアを見て、はたと気が付いた。
「あれ?ステラリア。僕たち、いつの間にか背丈が同じになっていない?」
「えぇ、少し前から、とうとう追いついてこられたなと思っておりました」
「うわぁ、なんか感動するな!あのステラリアと並ぶなんて!」
「あの。でございますか?」
「うん。あの!だよ。あのカッコよくて美しい、ステラリアにだ!」
「まぁ!」
「はははっ!何だか嬉しいね。ステラリア!」
僕はその場でステラリアを抱きしめた。ステラリアは目を閉じて抱き返してくれた。
誰も居ない図書室で、二人は暫しの間、抱き合って身体を左右に揺らしていた。
「あ!そうだ。ステラリア。忘れていたよ!」
「何でしょう?」
「ダンスを習うのをだよ!」
「あぁ、そう言えば!」
「ステラリアは踊れるのでしたっけ?」
「一応は踊れますが」
「では僕にダンスを教えてくれますか?」
「私が教えるのですか?」
「勿論、お母さまとも踊りたいのだけど、お母さまに習うのは体裁が良くないのではないかな?お母さま以外の女性に習うならステラリアに教えて欲しい。駄目かな?」
「私でも良いのでしたら・・・」
「それなら決まりだね」
「でも学校でも教わるのではないでしょうか?」
「ステラリアは僕が他の女性と踊るのを見るのは嫌ではないの?それにお相手に気絶されるよ?」
「そ、そうでした!では私がお教えします」
「うん。ではステラリア先生、よろしくお願いいたします」
「では、城へ帰ろうか」
「はい」
図書室でずっと抱き合ったまま話をしていた僕たちは、そのまま瞬間移動した。
「シュンッ!」
「お母さま。ただいま!」
「あら、月夜見、ステラリア。お帰りなさい。今日は少し早いのですね」
「えぇ、最後の授業が剣術だったもので」
「そうなのですね」
「お母さま、それよりも気付いたことがあるのです。お母さま、ちょっと立ってみて頂けますか?」
「立てば良いのですか?」
お母さまはソファから立ち上がった。僕はお母さまのすぐ目の前まで行くと、
「お母さま。もう背丈が同じになっているのです!」
「あぁ、背丈のことですか。私は気付いていましたよ」
「むっ!お母さまもですか。ステラリアと同じことを言うのですね」
「それは毎日、あなたのことを見ているからですよ」
「そうですか。それでなのですけど、まだダンスを習っていないことに気付いたのです。それでステラリアに教えてもらおうと思ったのですよ」
「そうですね。学校で習うのは四年生の秋からでしょうか。それからでは遅いのですか?」
「学校で女生徒と踊ると、気絶されそうで怖いのですよ。だからその前に踊れる様になっておきたいのです」
「あぁ、そうでした。それは大切なことね」
「では、サロンでレッスンをしましょうか。月夜見とステラリアで踊って、私が見ていてあげますよ」
「お母さま、ありがとうございます。踊れる様になったらお母さまとも踊りましょう」
「まぁ!それは楽しみですね」
僕たちは侍女も一緒にサロンへ移動し、早速ダンスのレッスンを開始した。
初めは基本のステップで足の動きだけを習得する。手拍子に合わせて何度も繰り返して練習した。
ダンスなんて前世の小中学校でやったフォークダンスとか運動会の何とか節くらいしか経験がない。とても新鮮だ。
でも基本のステップを踏んでいるうちに剣術の足運びに似ていると感じた。だからいつも剣術の訓練を一緒にやっていたステラリアとはタイミングが合わせ易い気がした。
「月夜見。上手ね。ステラリアと息が合っているわ」
「そうですよね。剣術の足運びの様な感覚でやるとステラリアと合わせ易い様です」
「あぁ!そう言われるとそんな足運びかも知れませんね。私もこんなに踊り易いのは初めてです」
僕は二週間程、集中してダンスのレッスンを繰り返し、概ね踊れる様になった。それからは毎日の様にステラリアとお母さまと踊った。
お母さまに上手になったとお墨付きを頂いて貴族令嬢であるレイラとシエナとも踊った。
二人はかなり緊張していたが、慣れて来たらとても楽しそうに踊っていた。秋にはここを去るレイラからは良い思い出になったと感謝された。
それから、また余計なお節介でニナにダンスを教え始めた。人に教えると自分も上達するのだとか何とか、もっともらしいことを言いながら。ニナは初め、無理だの似合わないだのと渋っていたが、僕の押しに負けて習い出すと最後は踊れる様になった。
ついでにロミー姉さまとも踊り、フォルランにも教えて城のサロンは毎夜、舞踏会の様相を呈していた。そして城の楽団は毎夜忙しくなった。
更にダンスの参加者は、アニカ姉さまに伯母さま達まで加わり、最後にはお付の侍女まで全員加わった。侍女たちには大好評で、希望する侍女と僕は誰でも踊って差し上げた。やはり数人は途中で気絶したけどね。僕としてもこれで女性と踊るのに免疫ができた。
その後は、定期的にミニダンスパーティーを開催している。こんなことは今までになかったことだと城の女性たちは大喜びで、皆明るくなった。良いことだと思う。
その合間にも海へ行ったり、チングルマの咲く山へ行ったりして、北国の夏は足早に過ぎていき、九月になった。
絵里香は学校の全教科の卒業試験を受けて合格した。元々、成績は優秀だったそうだ。僕から先生たちには、絵里香は十月から僕の侍女になることを伝えておいたので、卒業の手続きもスムーズだったそうだ。
絵里香の卒業が決まり、僕の侍女になるための手続きを取ることとなった。
絵里香の両親に登城してもらうのだ。僕は以前、絵里香の母のハンナが登城するのに服がないと話していたことを思い出し、事前に服飾店へ連れて行くことにした。
ステラリアの操縦する小型船に絵里香と両親を乗せるとプルナス服飾工房へと瞬間移動した。今回はニナ、レイラ、シエナも連れて来ている。
「シュンッ!」
「こ、これが瞬間移動でございますか!凄いものですね」
「このまま、アスチルベ王国へも一瞬で飛べますよ」
「そ、それは本当でございますか!」
「えぇ」
譲治殿は目玉が飛び出しそうなほど驚いていた。
「これは、月夜見さま。ようこそお越しくださいました」
「こんにちは。ビアンカ」
「今日はどの様なものをお探しなのでしょうか?」
「えぇ、前に私の侍女になる絵里香の支度で衣装を購入しましたが、今回は絵里香の両親の登城用の衣装をお願いします」
「はい、こちらのご両名の登城用の衣装でございますね。かしこまりました」
「えぇ、下着から靴までひと揃え、全てお願いします」
「月夜見さま!そんな!絵里香だけでなく、我々の衣装までなんて!」
「良いのですよ。気にしないでください」
「ビアンカ、それとここに居る、四人の可愛い侍女たちにダンス用の衣装と靴をお願いします」
「はい。かしこまりました」
「月夜見さま!私たちのダンスの衣装でございますか?」
「うん。いつもお城でダンスのレッスンをしているけど、お仕着せで踊るのではつまらないでしょう?お気に入りのドレスがあった方がより楽しいと思うのですよ」
「それは、そうかも知れませんが・・・良いのでしょうか?」
「良いから言っているのですよ。値段なんて気にしないで本当に着たいと思うものを選ぶのですよ」
「は、はい。ありがとうございます!」
「レイラにはお祝いとして結婚式のドレスでも良かったのですが、それはお相手が用意しているのでしょう?」
「はい。その様になっております」
「うん。では僕の侍女であった記念にダンス用のドレスを選んでください」
「ありがとうございます。月夜見さま!」
「ビアンカ。そう言えば僕もダンス用の衣装が必要でした。ひと揃えお願いしますね」
「かしこまりました。すぐにご用意致します」
それからお店は大騒ぎになり、店員が総出で対応し三時間くらい掛けて、買い物は終了した。
「ビアンカ、一度にお願いしてしまって大変になってしまいましたね。すみません」
「とんでもございません。いつもありがとうございます」
「では、お幾らですか?」
「はい。白金貨一枚と大金貨五枚でございます」
「シュンッ!」
「チャリン!」
「はい。ではこれ代金です。ありがとう」
「確かに頂きました。ありがとうございます」
「さぁ、買い物も終わりましたし、帰りましょうか」
「シュンッ!」
「譲治殿、ハンナさま、絵里香。では来週お迎えに参りますのでよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。また本日は我々の衣装までご用意頂きまして、誠にありがとうございました」
「良いのです。では!」
「シュンッ!」
「あなた!これは大変なことですよ!」
「そうだな。私たちの衣装までご用意くださるとは。いやはや・・・」
「絵里香。ダンスのドレスまで買って頂いていたわね」
「えぇ、侍女の四人全員に贈られていました。私、こんなに高いドレス着たことないのに」
「だって、白金貨一枚に大金貨五枚って言っていたぞ!」
「えぇ、確かに何もないところから金貨がでて来ていました!」
「神の御業とは凄いものだ・・・」
「それより、私。ブラジャーも買って頂けたのよ!それも貴族用の品を!」
「お母さま、良かったですね!」
「えぇ、夢を見ているみたいだわ!」
ハンナは両手でブラジャーを掲げて子供の様な笑顔ではしゃいでいた。
「シュンッ!」
「さぁ、皆、城に着いたよ」
「月夜見さま。今日はドレスをありがとうございました」
「うん。いいんだ。レイラが最後の夜にはそれを着てダンスパーティーをしようか」
「はい!楽しみです!」
最後の日くらい思い出に残ることをしないとね。
お読みいただきまして、ありがとうございました!