33.愛に包まれて
今日は望月姉さまに呼ばれグラジオラス王国の神宮を訪問する。
神宮へ飛ぶだけなのでひとりで訪問した。
「シュンッ!」
瞬間移動で神宮の中へ到着した。すぐに巫女が気付き応接室へ通される。
程なくして望月姉さまがやって来た。姉さまは十九歳になった。神宮で忙しく働いているからだろう。無駄な贅肉が付くこともなく美しいままだ。
「お姉さま。お久しぶりです」
「お兄さま。今日は来て頂いてすみません。お元気でしたか?」
「えぇ、私は元気です」
「また、一段と大きく、そして美しくなりましたね」
「男に美しくなったというのは如何なものでしょう?」
「だってお兄さま。その辺の女性よりも美しいですよ?鏡をご覧にならないのですか?」
「鏡は見ていますけど。美しいとは思いませんが?」
「ではアルメリア母さまは美しいと思いませんか?」
「えぇ、お母さまは世界一美しいと思います」
「ふふっ!世界一ですって?お兄さま、アルメリア母さまとお兄さまは同じお顔と言って良い程似ているのですよ?」
「え?そ、そうかな・・・」
「それで今日はどんなことで?」
「えぇ、私も結婚して一年になるのですが、まだ子が授からないのです。私に何か問題はないのかと思って・・・」
「ハビエル家の誰かに言われたのですか?」
「いいえ、相手の家から言われた訳ではないのです。自分で心配で」
お姉さまは一年半ほど前、お見合い舞踏会で知り合ったハビエル公爵の長男と結婚した。
ハビエル公爵家は王都の神宮とは別の二つ目の神宮がある領地の家だ。
月影姉さまが公爵家の息子と結婚した知らせはすぐに世界中へ知れ渡り、それがお見合い舞踏会であったこと、その舞踏会は月夜見が企画したものだった。との話が広がると宮司であるお姉さま方は嫁にすべき第一候補に躍り出たのだ。
どの国もこぞってお見合い舞踏会を開催し、宮司であるお姉さまや伯母さん達まで招待された。お姉さま達は引手あまたになり嫁に迎えられた。伯母さんも何名かは結婚したそうだ。
結婚した後は神宮での宮司の仕事はそのまま通いで続けることもあれば、ロベリア殿の様に神宮に入る婿も居た。
望月姉さまは神宮が所在する公爵領の家へ嫁いだので、屋敷から神宮が近いため通いで宮司をすることになった。それで王都の神宮の宮司だった望月姉さまは、幻月伯母さまと派遣される神宮を再度交代したのだ。
望月姉さま夫婦は、今回一年以上妊娠しないということだ。基本、健康な夫婦が避妊せずに性交を続けている場合、一年以上妊娠しなければ不妊症が疑われる。これは地球の基準だが。
「お姉さま、それは心配でしょう。すぐに診察してみましょう」
「お兄さま、お願いします」
「基礎体温表はつけていますよね?見せてくださいますか?」
「はい。こちらです」
うん。一定周期で生理は来ている様だ。ん?つい先日、排卵があった様だが。
「では、診てみますね。座ったまま足を少し開いてください」
「はい」
まず、子宮の中を見た。ん?これは筋腫なのか?いや。これは胎芽だ。というか着床したばかりだな。迂闊に知らせると喜んで飛び上がりそうだな。
僕は黙って浮かび上がると、お姉さまの隣に行って右腕をお姉さまの右肩まで回し、左手でお姉さまの左手を握った。
「お、お兄さま!どうしたのですか?」
「お姉さま、落ち着いて聞いてください・・・良いですか。お姉さまは今、妊娠していますよ」
「え!本当ですか?」
「えぇ、落ち着いて。飛び上がらぬ様に。まだ着床したばかりなのです」
「は、はい。分りました」
「今日から五週間後にもう一度診察します。それで大丈夫だったらリカルド殿やご家族へ妊娠を知らせてください。要するにまだ、ちゃんと育つか分からない段階なのです。これからは安静が必要ですよ」
「はい!」
「月影姉さまも大丈夫でしたから宮司の仕事はしても構いません。ただし人を抱え起こすとか重い物を持つ様な場合は、自分ではせずに巫女を呼んで補助してもらってください」
「分かりました。お兄さま、ありがとうございました」
「では、五週間後にまた来ますね」
「はい。お願いします」
僕は神宮を後にしてネモフィラの自分の部屋へと戻った。
「シュンッ!」
「あら、月夜見。早かったわね。望月はどんな用事だったのかしら?」
「はい。結婚して一年間妊娠しないのでどこか悪いのではと心配になった様です」
「そうだったのね。それでどうでした?」
「えぇ、丁度、妊娠したばかりのところでした」
「あら!それは良かったわね」
「えぇ、でも本当に受精卵が着床したばかりなのです。まだそのまま育つか分かりませんので、五週間後にまた診察することになりました」
「そう。お願いしますね。そう言えば、ミラもそろそろ妊娠したか分かる頃なのではありませんか?」
「あ、あぁ、そうですね。そう言えばそうでした」
「診察しに行かなくて良いのですか?」
「そうですね。では、来週にでも行って来ます」
「レイラ。シュルツ侯爵家へ一週間後に月夜見がミラの診察に行くと伝えて頂戴」
「かしこまりました」
一週間後にミラと会うのか。少しだけ気が重いな。
一週間後の約束の時間にミラの屋敷のサロンへと瞬間移動した。
「シュンッ!」
「月夜見さま。お待ちしておりました。ようこそお越しくださいました」
「こんにちは。シュルツさま、エミール殿、ミラ」
家族総出で迎えられた。
「月夜見さま。よろしくお願いいたします」
「うん。ミラ。では早速、診察しましょうか」
僕は平静を装い真顔でミラに相対した。ミラの顔は見ずにお腹を見て、更にその奥へ透視をした。そして子宮の中には既に心臓のできた胎児が居た。
「ミラ。おめでとう。妊娠していますよ」
ミラは大人の女性の笑みを浮かべ僕の目を真直ぐに見つめながら、
「月夜見さま。ありがとうございます。この子を授かったのは月夜見さまのお陰で御座います」
そう丁寧に言った。
「うん。おめでとう。これから七週間は安静に過ごしてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
帰り際にミラと目が合った。笑顔の中に憂いの様なものがあった気がした。
「では、皆さん。また!」
「シュンッ!」
「お帰りなさいませ!」
「月夜見。お帰りなさい」
「ただいま。お母さま、ニナ、レイラ、ステラリア」
「ミラは妊娠していましたよ」
「そう、良かったわね」
「うわぁ、良かった!」
そこへ侍女長のマチルダがやって来た。
「月夜見さま。月影さまが神宮へ来て頂けないかとのことですが」
「はい。分りました。すぐに行きます。お母さま。行って参ります」
「えぇ、分かりました」
瞬間移動する間際、ステラリアと目が合った。彼女は何か心配そうな目をしていた。
「シュンッ!」
僕は神宮の診察室の前の廊下へ瞬間移動した。月影姉さまは結婚したので、もう流石に姉さまの寝室へは飛べない。
「お姉さま。どうされましたか?」
「あ!お兄さま。よく来てくださいました。こちらの患者なのですが・・・」
診察台には若い女性が横たわっていた。顔色が悪い。というより黄疸が出ている。隣にはその夫なのであろう若い男性が心配そうな表情で立っていた。
「どの様な症状があったのですか?」
「は、はい。サーラはたまにお腹が張るとか、消化が悪いという様なことは言っていましたが元気だったのです。でも最近は食べたものを戻してしまうことが多くなり、肌や目が黄色くなってきたのです」
「姉さま。彼女はここへはいつ頃、来たのですか?」
「昨日、初めて来たのです。その時は既に意識がもうろうとしていて、今日には意識が無くなってしまったのです」
「あぁ、なるほど。そうでしたか・・・」
僕は透視して内臓を見ていった。恐らく肝臓なのだろうな。と思って見てみると肝臓は既に癌細胞が増殖し、大きくなっていた。これが十二指腸や小腸を圧迫してお腹の張りや消化不良を起こしているのだ。
更に見て行くと、リンパ腺に癌が転移している。それも数か所どころではなかった。
地球の現代医療でも治せないのではないだろうか。特に僕は専門外だからどうすることもできない。能力で癌細胞を取り除くにしてもリンパ腺に転移したものは細か過ぎて取り切れない。それに何より肝臓がもう駄目だ。打つ手がないのだ。
「お兄さま。如何ですか?」
その時、廊下にステラリアの姿が見えた。心配そうな顔をしてこちらを伺っていた。僕が飛んで行ったので心配して見に来たのだろう。お母さんの指示かも知れないが。
「残念ですが・・・手遅れです。肝臓癌ですが、もう末期なのです。肝臓を取り除いては生きられませんし、このままでももう」
ここに来たのが既に遅過ぎたのだ。でも肝臓癌は症状が出難く気付き難い。彼女の様な平民で神宮からも遠いところに住んでいれば、すぐに神宮へ来ようとは思わないだろう。
しかも宮司ではまず治せない。どちらにしても助けられなかったのだ。
「そ、そんな!折角、ここまで来たのに・・・何故?・・・サーラ!お願いだ!目を開けてくれ!」
「ごめんなさい。神宮でも治せない病気はあるのです」
月影姉さまが沈痛な面持ちで話す。
「あぁ、僕にはサーラしか居ないんだ。サーラが居なくなったら僕は・・・」
その夫はその場に泣き崩れた。
そのふたりを見ていた僕は、舞依の最後を思い出してしまった。そしてその夫の姿に自分を重ね、深い闇に落ちていく気がした。
僕は身体が震え足の感覚が遠のいた。そんな足で後退り何かに足を取られてそのまま後ろへ倒れて行った。
床に倒れると思った瞬間、ステラリアが走り寄り僕を支えた。そのまま僕を抱き抱える様にして廊下へ出ると、その場で膝を付いて僕を抱きしめた。
「シュンッ!」
僕はステラリアとともに瞬間移動し夕方の海岸へと飛んだ。
ステラリアは一瞬、周囲を確認したが、すぐに僕に向き直り、抱きしめたままで居てくれた。僕はステラリアの首に腕を回し、すがり付く様に抱きつくと静かに涙を流した。
流した涙はステラリアの頬に伝って流れた。
ステラリアは涙に構うことなく、何も言わずに僕を優しく受け止め続けてくれた。
波の音だけが何度も繰り返し聞こえ、たまに海鳥の鳴く声が他に誰も居ない海岸に響いた。
僕たちは抱き合ったまま、夕日を見ることもせずにいた。やがて日が沈むと、ふたりは闇の中にその姿を消した。
それからどれだけの時間が経過したのか分からない。ふたりは僕の心の中の様に暗闇に包まれたままだ。
「ステラリア。ごめんね」
「いいえ、良いのです」
「ステラリアは僕の前世の話を知っているのだっけ?」
「はい。アルメリアさまより伺っております」
「今日のあの人。奥さまを失う恐怖と絶望が、彼を覆い尽くしていった・・・それが・・・自分の記憶と重なってしまって・・・」
「はい」
「もう、八年以上経っているのにね・・・何故、生まれ変わったのに・・・その記憶から逃れられないのかな?・・・僕が自殺したから。その罰を受けているのかな・・・」
「そ、そんな。そんなことは・・・」
「ごめんね。ステラリアにこんなこと・・・話してもね。困るよね・・・」
「でも、ステラリアはどうして?・・・何故、神宮へ来たの?お母さまに言われたの?」
「いいえ、何か胸騒ぎがしたのです。月夜見さまのお傍に行かねばならないと」
「そう・・・ありがとう。ステラリア」
僕は改めて、ステラリアを抱きしめた。ステラリアもそっと力を入れて抱きしめてくれた。
夜風が少し寒い筈なのに、頬を寄せたステラリアの温もりで寒くはなかった。
ふたりで部屋に戻ったのは夜中に近い時間だった。
「シュンッ!」
「お帰りなさい」
お母さんはガウンを着てソファに座り、僕たちを待っていてくれた。
「ステラリア。あなたが支えていてくれたのですね。ありがとう」
「いいえ、アルメリアさま」
「お母さま、ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「ステラリアと一緒だと思ったから心配はしていませんよ」
「さぁ、お風呂に入りましょう。ステラリアも疲れたでしょう?休んでください」
「ステラリア。ごめんね。今日はありがとう」
「はい。月夜見さま。おやすみなさい」
「おやすみなさい。ステラリア」
僕はお母さんとお風呂に入った。湯船で暖まりながらお母さんが僕を抱きしめた。
「月影から話は聞いたわ。月影も動揺していたわ。お兄さまは大丈夫なのかって」
「そうですか。皆に心配を掛けてしまいました」
「大丈夫ですよ。皆、月夜見のことを分かっているのですから。あなたはそれでもこの世界の人間のために精一杯のことをしてくれています。その大きさに比べれば私たちがあなたのことを思うのは当たり前の小さなことです」
「お母さま。ありがとうございます」
「お礼なんて良いのですよ」
「私はあなたをこうして抱きしめていられるだけで幸せなのですから」
僕はさっきまでステラリアにしていた様にお母さんの首に腕を回して抱きしめた。
お母さんも同じ様に優しく、そして強く抱きしめてくれた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!