7.世継ぎ争い
小白が来てから二か月近くが経過した。
小白は既に三倍の大きさになっていた。もう毛も生え変わり真っ白になった。顔つきも青年のものとなりすっかり狼そのものだ。
厩のアベリアには伝えていたが、それ以外の人には敢えて言っていなかった。でももう隠せないので公表した。
狼は集団行動をし、知能も高いから僕と会話することによって馬や人間を新しい集団や家族として認識している。だから人を襲うことはない。そう伝えて飼い続けることを了承頂いた。
それから小白は城の公認マスコットとなり、僕の後をついてくる様になった。馬のアルやソニアの世話をする時も一緒だ。馬たちも家族と認識している。
アルに乗る時は必ず横を並走しているし、剣術の訓練の時も横に座って見ていて、訓練場を走る時も一緒に走っている。フォルランも小白と一緒に走れることが嬉しいらしく、前よりも長く走れるようになった。
もう食事と寝る時以外は基本一緒の生活だ。でもこれはとても大事なことで、小白を人の目に触れない様にしていたら、しばらくぶりに見た人は、余りにも大きくなっていて恐怖を感じてしまう筈だ。そうならない様に日頃から見ていてもらって徐々に大きくなる姿に見慣れてもらう作戦なのだ。
最近では話す単語も増えて来たと思う。相変わらず主語が無くて聞き取り難くはあるのだが。比べるとアルやソニアは単語があまり増えない。これは推測だが、草食動物である馬は本能だけで生きているのでは?と。
基本が食べる、寝る、走る。あと季節になれば繁殖。それだけだ。勿論、住処の環境や飼い主のことは覚える様だけど。
でも狼は、集団を作り、共同生活の中で狩りや子育てもする。知能がとても高いのだ。その分、小白みたいに仲間から外れてしまうと一頭では生きられないが。
舞依に聞いたことがある。犬は狼を品種改良したものだけど、狼に遺伝子レベルで一番近い犬は、姿が似ている狼犬とかシベリアンハスキーではなく、実は柴犬なのだそうだ。
確かに柴犬って頭良いからな。狼だって頭が良くて当たり前だよ。でも狼も柴犬も家族には優しいけど、他人に対しての警戒心が強いから、これからも城の人たちを家族と見る様にしつけないといけないな。
この頃から月影姉さまは、週一回の休みに城を訪れる様になった。お母さんや僕と一緒に乗馬をしたり、小白とじゃれて遊んだりしている。月影姉さまもとても明るくなった。
夕食後、僕は食堂の厨房に顔を出し、残り物の生肉をもらって小白の居る厩へ行った。
『小白!お肉をもらって来たよ』
『くれるの!』
『さぁ、どうぞ。お食べ』
『うまい うまい!』
小白は夢中で食べている。
『小白は、お父さんとかお母さんを覚えているの?』
『おとうさん わからない』
『お母さんも分からないかな?』
『おかあさん わからない おいしい?』
『食べ物じゃないんだよ。そうか』
『小白。ここは好きかい?』
『おいしいもの くれる』
『はしるの たのしい』
『うま くさい けどきらいじゃない』
『そうか。ではここは好きなんだね』
『すき つくよみ すき』
『そうか。ありがとう』
『ずっと、一緒に居ようね』
『ずっと いっしょ』
僕たちは厩の外で毛布に包まって座り込んだ。小白に寄り添っていると毛皮で温かかった。
空を見上げると月の都で見るよりも少しだけ低い位置に月が見えた。その二つの月が回転し合う様を飽きることなく見つめていた。
前世では小白を失った。舞依の犬のアルテミスの死に目にも会えなかった。母の記憶は無いし、父の記憶もどんどん消えて行っている。そして舞依も失った。
そしてこの世界に来て優しい父ができた。何だか母とは思えない美しい母もできた。こうして隣には小白が居てくれる。しかも会話までできてしまう。アルテミスという馬まで居るのだ。
この世界とネモフィラに来てから何かが変わってきているのかも知れない。でも、まだ自分のやりたいことは見つからない。当面は状況に流されながら、医師として生きるのだろうな。
二月の真冬の空気が凛として、月をより一層くっきりと見せていた。
翌朝、朝食を食べているとルイーザ姉さまが侍女に牛乳のお代わりを言いつけていた。
「ルイーザ姉さま。牛乳は今までも飲んでいましたか?」
「はい、一杯は飲んでいました」
「それならば二杯飲む必要はございませんよ」
「え?そうなのですか?」
「はい。乳製品は脂肪といって身体に油が付くのです。摂り過ぎると太ってしまって、今度は美しさが損なわれますよ」
「え!ではクリームたっぷりのケーキも同じですか?」
「えぇ。今までも食べていたのなら、同じだけ食べれば良いのです。それとも今まではお好きでなかったのですか?」
「いいえ、大好きです」
「それであれば、今まで通りで良いのです。今まで以上には召し上がりませんように」
「月夜見。昨晩、ルイーザが突然やって来て、おかしなことを聞かれたのです。何か知っているのですか」
「シレーノスお婆さま。私は患者の秘密は明かしませんので」
「まぁ!ルイーザは何か病気なの?」
「はい。女性のこの時期特有の。です」
「あーぁ、そういうことなのですね」
「はい。そういうことなのです」
「分かったわ。面倒を見てくれてありがとう」
「いいえ」
ミラの姉でお母さんの友人であるアンナを訪問する日となった。
お母さまと僕、それにミラとニナも同行させる。ニナはいつも通り侍女のお仕着せだが、ミラは侍女扱いではなく貴族令嬢の服装だ。王家の小型船に乗って行くらしい。
護衛として、王宮騎士団の剣聖ステラリアとベロニカの二人が同行してくれた。
王家の船は小型でも一般用よりもちょっと大きい。横に四人乗れる席が三列ある。前列は操縦と護衛のために騎士が座り、中央の列に王家の者が座る。後列は使用人用らしい。
ミラの姉でもあるその人はアンナ マイヤー ローレル。マルティン ローレル侯爵の第三夫人だそうだ。第三夫人というところに引っ掛かるものがある。まぁ、会う前に憶測で悪いイメージを持つのは良くないことだが。
「ミラ。ローレル家の屋敷はここからどれくらいのところにあるのですか?」
「はい。三時間もあれば着くかと思います」
「そう」
お母さんは無表情のまま窓の外を眺めていた。到着まで三時間は長いなと思ったのだろうか?よし、それならば・・・
「三時間ですか。あの、操縦している方。よろしいですか?」
「はい!如何されましたでしょうか!」
操縦している騎士ベロニカが緊張して答える。
「屋敷までこの船は真っ直ぐ直線に飛ぶのでしょうか?」
「は、はい。その通りに御座います」
「三時間も掛かっては、向こうでゆっくりお話しもできませんので、僕がこの船を後押ししますね」
「後押し?で御座いますか?」
ベロニカがきょとんとしていたその瞬間、ガクン!と船が後ろから押された様に速度を急激に上げて行く。
「な!ななななんですかー」
ベロニカが思わず叫ぶ。
「大丈夫ですよ。ちょっと押しているだけです。それよりも通り過ぎない様に景色をしっかり見ていてくださいね」
それから十分程飛んだだろうか、剣聖ステラリアが叫ぶ。
「おい、ベロニカ。ここってもうローレル領に入っているのでは?」
「え?え。あ。そうかも知れません!」
僕は押すのを止める。急激に元の速度へ落ちていった。そしてミラが叫ぶ。
「あ!あの向こうの大きな屋敷がお姉さまのローレル家です!もう着いたのですか!」
「早く着いて良かったですね」
まだ、朝の十時にもなっていない。ちょっと早過ぎたかも知れない。
屋敷の二階にある正面玄関に船を着ける。侍女たちが王家の船を見て慌てふためいている。約束の時間より三時間近く早いのだろうからな。
「ミラ。ここで待っているから先に入って事情を伝えて来てくれるかしら」
「かしこまりました」
「月夜見。次回からは予め打合せをしましょう」
「すみません。お母さま」
「良いのよ。お話しする時間を増やそうとしてくれたのですから。ステラリア。驚いたでしょうけれど、月夜見ならば天照家の船でもここから月宮殿まで船ごと瞬間移動させてしまうだけの力があるの」
「あ、あの大きな船ごと、で御座いますか!」
「えぇ、帰りは城まで瞬間移動で帰れます」
「そ、そんなことが!」
「アルメリアさま。月夜見さま。お待たせ致しました。ご用意ができましたのでどうぞ」
ミラとミラの姉、アンナが出迎えに出て来た。
「まぁ!アンナ。お久しぶり。約束の時間より早くなってしまってごめんなさい」
「とんでもない。アルメリアさま。こんな遠くまでお越し頂けるとは」
「アンナ。息子の月夜見です」
「お目に掛かれて光栄に存じます。私はマルティン ローレル侯爵の妻、アンナ マイヤー ローレルで御座います。ようこそお出でくださいました。また、妹のミラもお世話になっており、ありがとうございます」
「初めまして。月夜見です」
「さぁ、どうぞ中へ」
田舎とは言え侯爵家ともなると立派な屋敷・・・いや、これはもう、城なのだな。とひとり感心していた。サロンへ通されお茶が出された。
「アンナ。今日、ミラは侍女としてではなく、あなたの妹として付き添って頂いているの。だから一緒に着席させて良いかしら?」
「仰せの通りに。ミラ。では、そちらの席にお座りなさい」
「はい。お姉さま」
ニナは席の後ろに立ち、ステラリアとベロニカは入り口と窓際にそれぞれ立っている。
お茶のワゴンの前にはこの屋敷の侍女がひとりだけ立っていた。
「アンナ、お元気でしたか?ところでこの屋敷に居るのはあなただけなのですか?」
「はい。元気にやっております。この屋敷には私と娘のメリッサが居るだけです」
「ローレル侯や他の夫人は王都の屋敷で暮らしているのですか?」
「はい、そうなのです」
「それはまた、どうして?」
「よく分からないのです」
「ローレル家の世継ぎはできたのですか?」
「いいえ。まだです」
「他のご婦人のお子様は?」
「お姉さまがお二人いらっしゃいますが、お子さまはひとりも居ないのです」
「お姉さまは、それぞれ何歳なのですか?」
「二十六歳と二十三歳です」
「お二人は、最近結婚されたのですか?」
「いいえ。十年前と七年前です。私は四年前なのです」
「それでお姉さま達はお子さまを授かっていないのですか?」
「えぇ」
「では、まだお子様を授かっていないお二人のために王都で一緒に暮らしているということでしょうか」
「旦那さまはその様にはおっしゃっていないので私には分かり兼ねます」
「ローレル侯はよくここに戻られるのですか?」
「ここ一年は戻っておりません」
「まぁ!なんということでしょう!寂しくはないのですか?」
「寂しいですけれど私にはメリッサが居りますから。でもあの子はまだ、旦那さまのお顔を覚えていないのです」
「それは酷いことですね。一体どうしたことでしょうか」
部屋の入り口に立つ年配の侍女。先程からお母さん達の会話を聞いて眉をひそめている。あの女性は年齢的にこの屋敷の侍女長だろうか。何か胡散臭いな。ちょっと心を読んでみようかな。
僕はその侍女と目を合わせない様にしながら意識を集中させた。
『この小娘が余計なことを言わなければ良いのですが・・・私が旦那さまに吹聴していることには気付いていない筈。この間にヒソップ家のどちらかのお嬢さまが世継ぎを授かれば、この娘は不要となるのだから・・・』
うーん。何やら貴族間の駆け引きでもあるのかな?何にしてもこの侍女がミラのお姉さんを陥れることに加担していることは確かだな。金か、それともアンナの義姉たちの親戚縁者とかなのかな?
「アンナ。今度、王城へ来ませんか?そこへローレル侯も呼ぶのです。お話を聞いてみたいものだわ」
「アルメリアさま、そんなことまでお願いしたら・・・」
ん!侍女の顔が真っ赤になったな・・・
『まぁ!あの王女はなんて余計なことを!そんなことを許したらヒソップ家に申し訳が立たないわ』
「奥さま。旦那さまにご相談なしにその様なことをお決めになるのは如何かと・・・」
「そうですね。イエーミ。旦那さまにご相談差し上げないと」
うん。確定だ。この侍女は許せんな。
お読みいただきまして、ありがとうございました!