32.間違った想い
ネモフィラ王国での緊急呼び出しから月の都へ戻った。
「シュンッ!」
「うわぁーっ!」
「お兄さま!」
「お兄さまっ!その血は!」
「どうされたのですか!」
「あぁ、今、分娩に立ち会ったのです。もう少しで母子共に命を落とすところでした」
「では、その妊婦は助かったのですか?」
「えぇ、無事に元気な男の子が生まれましたよ」
「どの様な病気だったのだ?」
「お父さま、病気ではないのです。胎児はお腹の中で常に動き回っています。今回の子は同じ方向に回ってしまっていたのでしょう、首に臍の緒が巻き付いてしまって、出て来られない状況だったのです」
「それをどうやって助けたのだ?」
「えぇ、胎児を一度押し戻して逆に回転させ、絡まった臍の緒を解いてから引張り出したのです。もう少し遅ければ間に合いませんでした」
「それは、お腹の中の子を透視して見ながら力で動かしたということか?」
「えぇ、そうです」
「それは宮司ではできないな」
「私の子もそうなることがあるのですか?」
「ルチア母さま。そうならないために僕が二週に一度、検診しているのです。その様になっていたら生む前に直しておくので大丈夫ですよ」
「本当ですか!ありがとうございます」
「この様にお産は思わぬことが起こる可能性があるのです。でも宮司の力ではこの様な場合助けることができないのです」
「月影は大丈夫でしたか?」
「はい。かなり動揺されていました。でも落ち着かせて最後の処置に戻らせました」
「月夜見さま。月影を支えてくださり、ありがとうございました」
「自分のお姉さまなのですから当たり前です」
「月夜見。疲れたでしょう。お風呂に入って着替えましょう」
「お母さま。そうですね。ありがとうございます」
お母さまと部屋に戻り、血の付いた服を脱いで風呂に入った。お母さまがずっとついてくれていた。
「月夜見。これから先、世界のどこかで同じことがあった時、あなたはどこに居ても飛んで行って人を助けるのですか?」
「お母さま。僕も悩んでいます。この世界では僕にしかできないことなのです。医者は目の前で苦しんでいる人を見たら放ってはおけない生き物なのですよ」
そう言いながら僕は酷い顔をしているのかも知れない。
「でも、これが増えて来てしまったら・・・」
「はい。いつか助け切れなくなるのだと思います」
自分でもどうしたら良いのか分からなくなっているのは確かだ。でも今日のことで帝王切開をしなくても僕の能力で助けられることだけは分かった。
帝王切開は麻酔が必要だ。脊椎麻酔は専門でないし危険が伴うからやらずに済むならその方が良い。だから能力で救えるのは良いことなのだ。ただ、能力で救うにしても結局は僕にしかできない。
お母さんとベッドに入った。お母さんは僕を抱きしめてくれる。
「お母さま。僕はどうしたら良いのでしょう・・・」
「月夜見。こういうのはどうでしょう。五歳になってネモフィラ王国へ行ったら医師の活動は成人するまでの間一時、やめるのです」
「え?やめてしまうのですか?」
「暁月さまは何故、月夜見に五歳からネモフィラ王国へ行くように言ったのですか?それはあなたの心を心配されてのことでしょう。それなのに医師の仕事で休むこともできなくなって、その内に助け切れなくなった時、あなたの心はどうなってしまうのですか?」
「それは・・・」
「あなたはいつも私の心を察して助けようとしてくれます。それが本当に嬉しいのです。私にもあなたを助けさせてはくれませんか?」
「お母さま」
僕は混乱し何も考えられなくなってしまい。お母さんの胸に顔を埋めてそのまま眠りに落ちてしまった。
数日後、宮殿にお爺さまが現れた。
「月夜見。少し良いかな?」
「はい。お爺さま」
促されて一度お爺さんの屋敷の前へと二人で飛んだ。
「あの山の頂上へ飛ぶぞ。見えているから行けるな?」
「はい」
「シュンッ!」
「シュンッ!」
山の頂上は麓から見ると木々に囲まれている様だったが、来てみると頂上付近には何もなかった。その手前に木々があるために下からはそう見えるだけだったのだ。
そして頂上からの眺めは壮大だった。この空に浮かぶ大地が全て見通せる。更にその周辺の海やカンパニュラ王国の大地も広がっている。
そして空を見上げればふたつの月が見える。何も遮るものがないせいか、手が届きそうな程に大きく見えるのだ。少し寒いけれどとても気持ちの良い場所だった。
「どうだ、気持ちの良いところだろう?」
「はい。本当に美しい眺めですね」
「ここに来ると憂き世の煩わしさなど全て忘れることができるのだよ」
「月夜見。玄兎とも相談し、全ての国、全ての神宮に対して通達をした。月夜見は五歳から成人するまでの十年間は、どこの国にも行かせないとな」
「え?それはどういうことなのですか?私が行かなければ救えない命があるのです」
「月夜見。アルメリアが泣いていたぞ。このままでは月夜見が壊れてしまうとな」
「え!そ、それは・・・」
「月夜見の医師としての想いは十分に理解しているつもりだよ。そしてこれまでの功績に心から感謝をしている。私も、玄兎も、そして勿論、アルメリアもな」
「月夜見が世界中の人間を慈しみ、助けたいとの想いは崇高であり、その行いは人々から神や救世主として崇め奉られるだろう。だがな、月夜見は神である前に人間なのだ。どんなことにも限界はある」
「これまでも救えなかった命は沢山あったのだ。月夜見は先日、ネモフィラで月影の求めに応じて妊婦と子を助けたそうだな。だがその命は月夜見が居なければ、本来は救われなかった命なのだ。確かに月夜見は今ここに居る。しかしだ。月夜見は永遠に生きられるのかな?」
「いえ、寿命には抗えません」
「そうだろう。月夜見が死んだ後、その妊婦と同じ境遇に陥った者は誰ひとりとして救われなくなるのだ。その時にお前の家族や息子は同じ神として人々から責めを負うこととなるのだよ」
「月夜見さまはお救いくださった。でも何故、貴方さまはお救いくださらないのですか?とな。それで良いのかな?」
「おっしゃる通りです。私が間違っていたのだと思います」
「うん、決して間違いということでもないのだがな。私も若い時は力が強かったために持て囃されてな。力があるのだからそれを持つ者がやれば良い。そう思って力を行使したものだ。いつしか自分がやらねば誰がやるのだと考えていたのかも知れぬ」
「そうして待望の世継ぎの玄兎が生まれた訳だが、私の様な力は持っていなかったのだ。それが分かると人々は急に興味を失っていった。まだ嫁を娶る時は私の威光があったから良かったのだがな。月夜見が生まれるまでは悪い噂話をされることもあった様だ」
「では、私はこれからどうすれば良いのでしょうか・・・」
「この世界の将来のために、月夜見には既に沢山のことをしてもらった。それはとても大きく大切なことをだ。これからこの世界の人口は間違いなく増えるだろう。男女比も徐々に近付いて来る筈だ。まずは、これで十分なのではないかな?」
「月夜見が成人するまであと十年はある。この十年でどの様にこの世界が変わって行くのかを口出しせずに、人間に任せて見ていれば良いのだ」
「見るだけ。ですか?」
「そうだ。ただ見るのだ。この世界の人間がまた間違わないか。正しい道を自分で歩けるのか。そして月夜見が成人したら世界へ出て、直接、その目で見て来ると良い」
「お爺さま。少し分かった様な気がします」
「うむ。それは良かった。アルメリアをこれ以上泣かせないでやってくれるか?アルメリアはな、ネモフィラ王に私が無理を言って嫁に来てもらったのだ。今でも申し訳ないことをしたと思っている。だが、そのお陰で月夜見が生まれたこともまた、事実なのだ」
「お爺さまは、お母さまがこの月の都へ戻らなくても良いとお考えですか?」
「うむ。私は自分の妻たちにも第二の人生を選択させている。神と呼ばれる我々の人生は少し特殊だからな。この狭い大地に閉じ込め続けるのは忍びないことだと思っているよ」
「神と呼ばれる我々はこの月の都に住み続けなければならないのですか?」
「神として必要とされる限りはな。だが未来永劫、此処での生活を続ける必要があるのかは私にも分からない。その内、月夜見が考えて変えて行っても良いのではないかな」
「分かりました。ありがとうございました」
「うん。ではアルメリアのところに戻ってやると良い。成人するまではアルメリアに甘えてやってくれるか。そして彼女を守って欲しい」
「はい。お約束します」
「うむ。頼んだぞ」
「はい!」
山頂からお母さまの部屋まで移動した。
「シュンッ!」
「月夜見。戻ったのですね」
「お母さま。お爺さまと話をしました。僕が間違っていたと思います。お母さまに心配をお掛けして申し訳ありません」
「いいえ。何も力になれない母でごめんなさい」
「そんな。お母さまは十分に僕の力になっています」
僕はお母さんにすがる様に抱きついた。
「本当ですか?」
「えぇ、本当です。お母さま。心から愛しています」
「私もです。心から愛していますよ」
お母さんはその場に膝をついて僕を抱きしめた。
僕はもう絶対にお母さんを泣かすまいと心に誓った。
月の都に春が訪れた。
ルチア母さまのお産が近い。僕の家族計画で妊娠した七名のお母さま達は、妊娠した日がほぼ判明しているので出産予定日はそこから四十週を追って行けばよいのだ。
ただ、全員が三人目のお産なので少し早まることも大いにあり得る。そのため三十四週目からは二週に一度ではなく毎週検診をしている。
検診とは言っても超音波診断器の様に胎児の大きさが計測できる訳ではない。見た目に問題がないかを確認しているだけだ。
今のところ、ルチア母さまは三十九週目に入ったところだ。胎盤や臍の緒にも問題はないし、胎児も十分に生育している。家族にはいつ生まれてもおかしくないと伝えて、いつでもお産ができる様に巫女たちに準備をお願いしてある。
お産はこの宮殿でも何度も行っているから、僕は万が一のために立ち会うだけで巫女の産婆担当者に任せるつもりだ。
四月に入ってすぐだった。朝方にルチア母さまの陣痛が始まった。産婆の巫女たちが集められルチア母さまは医務室として使っている部屋に移動した。
後学のために十二歳以上の姉さま、葉月、詩月、風月の三人の姉さまが呼ばれた。紗月姉さまはまだ十歳だが、ルチア母さまの娘なので特別に立ち合いが許された。
ルチア母さまの陣痛は徐々に強まっていった。紗月姉さまがルチア母さまに声を掛けて気遣い励ましていた。とても微笑ましい。他の三人のお姉さま達は真剣な様子で見守っていた。
やはり三人目のお産なので時間はそれ程掛からず、安産ですんなりと生まれた。
元気な男の子だった。その場に居た全員が安堵の表情となった。そして皆で喜び合った。
それから一週間後にメリナ母さまの陣痛が始まった。産婆と立会人はルチア母さまの時と基本は一緒だが、紗月姉さまの代わりにメリナ母さまの娘の月華姉さまが入っている。
そして、お産は何も問題なく無事に男の子が生まれた。
宮殿には二人の男の子が生まれ、十二人のお姉さま達は毎日、夢中で世話を焼いた。やはり、女性にとって男の子というのは特別な存在の様だ。
それにしても僕が生まれた時は、お姉さま達は僕の世話を焼いていないし、会ってもいないのだ。この違いは何だろうか。だが、そのお陰で今まで宮殿の全ての女性の目が僕に向けられていたが、今はそれが二人に移っているので僕はとても気楽になった。
そして、ルチア母さまの息子は、春王、メリナ母さまの息子は、橘春と名付けられた。
四月も終わる頃、お母さまと庭園に出て動物たちにごはんをやっていた。でもお姉さま達はひとりも出て来なくなった。まだ小さい二人に夢中なのだろう。
「お母さま。そう言えば、生まれた春王と橘春はお姉さま達が世話を焼いていますよね。僕の時は会うこともなかったと思うのですが何故でしょう?」
「月夜見の時までは男の子は特別扱いだった様ですぐには兄弟に会わせないことになっていたのです。ですが暁月さまが、これからは変わって行くだろうとおっしゃってこの様になったのです」
「あぁ。そういうことでしたか。この宮殿もこれから変わって行くのですね」
「えぇ、男の子が八人にもなるのですからね。世継ぎのことも変わるかも知れないですね」
「世継ぎですか・・・」
「月夜見は世継ぎとされるのは嫌ですか?」
「いえ、特になりたいとも嫌だとも思わないです。僕よりも相応しい人間が居たならその人がなれば良い。とは思いますけど」
「そうですか」
世継ぎか・・・結婚のことも考えられないのに、とてもそんなことまで考えられないな。
お読みいただきまして、ありがとうございました!