25.プロジェクトの始動
永井首相が退任し、徹のお父さんが首相になってから二年が経過した。
僕らは高校三年生になっていた。望と美樹先輩は僕の特訓の甲斐あってか、東大に合格した。僕は徹のお父さんである首相や閣僚と共に、日本と世界の将来に向けて、あるべき姿のために法案作りと法整備をしてきた。
まずは自動車の製造中止と五年後の使用禁止を発表、買い取りとリサイクルの手順を策定。各戸建てや建物への電気の受電装置の設置手順、三年後から発売される家電製品のコードレス化の発表。
農業、漁業と林業の国営化。新しいインフラ整備による失業者への仕事の振替や税制改革など多岐に渡った。
エネルギー関連や自動車業界など無くなってしまう業界は多い。だが、これから全世界に船や受電装置を長期に渡って供給し続けるのだ。
プロジェクトを担う四大企業の下に多くの企業が再編され、大量の人材募集を行っている。リサイクルも含めて、新たな仕事も沢山あるのだ。
僕の十八歳の誕生日が迫った七月の終わり、超大型の宇宙輸送船が宇宙へ向けて出航する。この船は無人だ。全て地球から遠隔操船され、オービタルリングを建造する。
まず今日の第一段階ではオービタルリングのステーション部分を軌道に上げ、リングとなるブロックをいくつか連結する。
この宇宙船は、これまでの世界一大きな船と比べても二倍以上の大きさがある。長さは千メートルに及び、幅と高さは最大の部分で二百メートルもあるのだ。
見た目としては全長一キロメートルの長い直方体で船体はシルバーに輝いている。これは特殊な塗装で外板の温度上昇を抑える様になっている。
船体には窓も無く、全面が光り輝いている。船体の上部中央に艦橋があり、人が乗る場合は操船することもできる。ここには居住区も作ってある。
船体後部にはハッチがあり、ステーションを軌道に乗せた後、リングとなるブロックを次々に船から排出しながら連結していくのだ。
このリングのブロックには百メートル毎に反重力装置が備わっている。万が一、リングが瓦解する様なことがあっても地球に落ちて行かない仕組みだ。
更に太陽電池モジュールと気象観測、通信、位置情報など、今までの衛星機能も備えている。
これは公表しない予定だが、デブリや隕石の衝突に備えてレーザー砲も装備した。
「これが船!?なんて大きい船なの!」
「大きいのに美しいわ!流石、翼のデザインね!」
「これ、本当に飛ぶの?」
「美樹、何言ってるの!もう浮いているのよ!」
「え?そうなの?」
新奈と望と美樹先輩が興奮してぴょんぴょん飛び跳ねている。今日の初オペレーションでは関係者とその家族、現政権の閣僚も招待されている。
ここは神代重工がこのプロジェクトのために造った工場だ。場所は自衛隊の演習場だった広大な土地で、すぐ後ろには富士山が見えている。
自衛隊はもう訓練や演習をする必要がない。榊首相の一声で、僕のプロジェクトは国で推進するものと位置付けられ、こうして自衛隊が使用していた国有地が使われることとなったのだ。
建屋の屋上に観覧席が設けられ、主要四社の幹部と家族、政府閣僚と関係者が席に着いている。出航準備はできており、船は既に地上からは数メートル浮いている。
別の建屋の屋上には世界中の放送局が招待されており、全世界に向けて生中継される。
この一か月前には国連の会合で榊首相がこのプロジェクトを発表した。
今後、新平和条約を批准した上、日本とリース契約を結んだ国は、三年後より、オービタルリングから電気が無線送電システムで供給され、交通システムを導入できる様になる。というものだった。
その発表から数日も経たないうちに、大国から水面下で技術供与を迫って来たが、外務省は一切、応じなかった。
中には大量破壊兵器の使用も辞さない。などと脅してくる国もあったが「月の都が見張っていることをお忘れか?」と牽制すると一様に沈黙した。
EU、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドはいち早く反応し、条約に署名した。
続いてインド、ブラジル、メキシコも賛同すると、小さな国々もそれに追随し、残ったのはフランス以外の安全保障理事会の常任理事国である米国、イギリス、ロシア、中国。それ以外では中東諸国の一部と北朝鮮だった。
出航が迫った管制室は最終チェックに追われていた。広々とした部屋に大きなモニターが壁一面に設置され、オービタルリングと輸送船の情報が全て映し出される様になっている。
その手前のデスクには、オペレーション毎の操作パネルと状況を表示するモニターが並び、その全ての席にオペレーターが座っている。それでも総勢で二十名程だ。宇宙ロケットの発射管制室に比べれば少ない。
本来であれば、僕はこの管制室で責任者として指示を出し、問題があれば対処するのが本当なのだが、隣の個室に結衣とふたりだけで入っていた。この部屋は存在自体が秘密で廊下側からは入れない隠し部屋になっている。
でも、全ての状況はこの部屋のモニターでチェックができる。もう準備はOKだ。
「翼、いよいよね」
「うん。やっとここまで来たね」
僕と結衣は自分たちの姿を神代重工の社員に見せないために、この別室から声だけで指示を出すことになった。この部屋にも瞬間移動して僕たちの動向が知られない様に徹底した。
僕は音声だけで管制室へ指示を出した。
「さぁ、皆さん、始めましょうか!」
「かしこまりました!」
事前の打ち合わせ通り、スタッフは手順を踏んでいく。
「はい。では、出航前に首相からお言葉を頂きます。観覧席、どうぞ!」
管制室のモニターに首相と閣僚たちが並んでいる姿が映し出された。
観覧席には代表のテレビカメラが一台だけ入っており、首相のプロジェクト開始の演説が始まった。
「国民の皆さま、内閣総理大臣の榊です。本日、地球の命運を握る、大切なプロジェクトの第一歩が記されます。ここに見える大型宇宙船が、まずはオービタルリングのステーションを軌道に上げるため出航するのです。今日から三年以内にオービタルリングは完成し、地上に無線で電気を供給する様になります」
「これにより地球の環境は大幅に改善されることでしょう。国民の皆さまには、生活する上で様々な変化を受け入れて頂かなければなりません。これからは個人の利益に拘ることもできません。全ては地球環境を守り、次代へ受け継いで行くためです。何卒、ご理解を賜りますようお願い申し上げます」
「では、月光号。ここに新しい日本、新しい地球へ向けて出航します!」
榊首相が高らかに宣言した。
それを受けて管制室にも声が響く。
「月光号、出航!」
「オペレーションスタート!」
「オペレーションスタートしました」
「高度、上昇します」
「高度百メートルまで、3、2、1、高度百メートル」
「自動航行に切り替え!」
「自動航行に切り替えます」
「高度、順調に上昇中」
「上昇速度加速中、秒速1・・・2・・・3・・・4・・・」
「5km/s!」
「6・・・7・・・」
「8km/s!」
「低軌道に投入する速度に達したね。どうやら上手く行っているみたいだ」
「翼!おめでとう!」
「結衣。ありがとう」
結衣は僕の手を取って笑顔で寄り添った。
宇宙輸送船はその銀色に輝く船体から一番艦を「月光号」、二番艦を「新月号」と名付けた。月光号は船首を上げ、音もなく空へ向けて飛び立った。観客からは歓声と拍手が沸き起こった。
「全く音がしないのだな!」
「ロケットよりは遅いのかな?」
「ロケットとは違って、煙も音もないから速く感じないのだろう。第二宇宙速度は出るそうだよ」
そして、ものの数分で雲の中に入ってしまい、月光号の姿は見えなくなってしまった。
その夜のニュース番組にステーションの軌道への投入とオービタルリングのブロックが連結されて行く画像が提供された。
世界中の地上では、天体望遠鏡でその様子を見ようとする人たちの映像が流された。地上からでも赤道に近い地域であれば、目の良い人なら肉眼でステーションやリングのブロックがうっすらと見えるのだ。
月光号の一回目のオペレーションが終わる頃、入れ替わりに二番艦の「新月号」が出航する予定だ。休むことなく、リングのブロックが船へと搬入され、一杯になっては飛び立って行くのだ。
ここまで来れば、あとは計画通りに建造を進めて行くだけなので、僕は現場で見ている必要がなくなった。
別のプロジェクトでは、小型船から外国航路の大型輸送船まで次々に建造されていく。日本中の自衛隊基地の跡地に工場が建設され、大変なスピードで船が建造されて行った。
一ノ瀬電機、天羽化学、神宮寺建設も今までの事業を縮小してまで大幅にこのプロジェクトに傾注してくれているのだ。そうしてプロジェクトは動き出した。
初日のオペレーションを終えて、結衣と家に戻るとお母さんが出迎えてくれた。
「翼。上手く行って良かったわ!」
「ありがとうございます。お母さま」
僕を抱きしめた後、離れ際の顔が曇っていた。
「お母さま、どうかしたのですか?」
「翼・・・世界は簡単にはひとつになれない様ね」
「どこかの国で動きがあったのですね?」
「えぇ、ロシアの大陸弾道ミサイルに動きがあるのよ」
「ロシアに?もしかしてオービタルリングのステーションを狙っているのでしょうか?」
「その様ね」
「あの大統領は命が惜しくないのですかね?」
「自分が世界で一番大きな力を持っていると信じて疑わないのでしょう」
「ミサイルはどのくらいで発射されそうなのでしょう?」
「恐らく、数時間内、そうね・・・あと三、四時間ではないかしら」
「では、ロシアへ月の都を移動させましょう。それでも打つならば・・・」
「打つならば?どうするのですか?」
「ミサイルは太陽の軌道へ飛ばし、大統領の家族を神星の四番目の御柱の大地に飛ばしましょう」
「本当にやるのね?」
「えぇ、見せしめも必要でしょう」
「結衣。僕はちょっと用ができたから、二、三日戻らないかも知れない。結衣はここに居てくれるかな。学校はセバスに送迎してもらってね」
「翼!大丈夫なの?」
「心配は要らないよ。地球の全ての国がすんなり僕らの計画に乗る訳がないんだ。このくらいの障壁は初めから織り込み済みだよ」
「無理はしないでね。なるべく早く帰って来て」
「うん。悪いけど、新奈と望、それに徹と巧に伝えておいてくれるかな」
「分かったわ」
「では、お母さま。行きましょうか」
「お兄さま。私も!」
「葉留はここで待っていて」
「そうよ。葉留。あなたにできることは無いわ」
「お母さま!そんなぁ・・・」
「お父さまも後から合流するわ。葉留、結衣、早苗。テレビで観ていてね」
「姉さん。気をつけて!」
「えぇ、行って来るわ」
「シュンッ!」
僕とお母さんが月の都へ転移すると、そこへお父さんも転移して来た。
「シュンッ!」
「お父さま!」
「翼。事態が動いたみたいだね」
「えぇ、ロシアが大陸弾道ミサイルでオービタルリングのステーションを狙っている様なのです」
「まずは、ロシアに移動しよう」
「シュンッ!」
僕らはロシアのモスクワ上空へ月の都ごと転移した。
「本当に撃つでしょうか?」
お母さんがお父さんの腕に自分の腕を絡めながら心配そうに呟いた。
「瑞希、彼らは僕らの出方を窺いたいのだと思うよ。天照さまは十五年前に月の都への攻撃に対する罰を中途半端に甘くしてしまった。彼らは僕らが本気で人を殺すとは思っていないのだろう」
「では、ミサイルを撃つと仮定して、どの様な対処をしましょう?」
「翼。そうだな・・・まず、発射されたミサイルは太陽の軌道へ飛ばす。そして、ロシアの持っている兵器全てをモスクワ郊外に集めてしまおうと思うんだ」
「集める?集めてどうするのですか?」
「うん。艦艇でも戦車でも戦闘機でも全てその一か所に転移させ、ひっくり返して地面すれすれに並べて固定するんだ」
「ひっくり返して並べる?どうしてそんなことを?」
「船や飛行機、戦車には兵士が乗っているでしょう?そのまま太陽の軌道へ飛ばしてしまったら大量虐殺になってしまうよね。だからひっくり返して兵士が逃げられる様にするんだ」
「それにね。普通に集めただけならば、その場からミサイルが撃ててしまうよね。だからミサイル発射口や砲身が上に向けられない様にひっくり返すんだよ」
「なるほど!」
「更にそれらの隙間に核弾頭を搭載したミサイルも集めてしまおうか」
「それなら絶対に発砲できないですね」
「あれ?でもそれらの兵器がどこにあるか分かるのですか?」
「もう、調べてあるよ。私の記憶を翼に見せよう」
そう言って、お父さんは僕の頭に触れた。すると、次々と映像が流れ込んでくる。ロシアの全ての基地とそこにある兵器の姿。ある基地では地下に基地があり、核ミサイルが隠してある。日本の近海には潜水艦が複数潜っていた。
「お父さま。これって凄まじい数ですね」
「そうだね。よくもここまで兵器を造り続けたものだね。だが、瑞希と翼と三人で分担して集めれば不可能ではないだろう」
「ところでこの自分の記憶を他人に見せる能力は初めて知りましたね」
「私もだよ。先程、天照さまから授けられたのだよ」
「そうなのですね」
僕らは一時間程掛けて、これらの兵器の場所と兵器の種類を分類し、三人で担当を仕分けた。
「瑞希、西側諸国にはこの情報をリークしてあるよね?」
「えぇ、各報道に情報を流してあります。きっとばっちり映像に撮って世界中に流してくれることでしょう」
「既にこの周りには沢山のヘリコプターが飛んでいるね」
「では、ミサイルの発射に集中しようか。ステーションの位置から計算するとカムチャツカ半島の基地から発射する筈だよ」
「はい」
お父さんの予測通り、それから四分後に大陸弾道ミサイルは、ロシアのカムチャツカ半島にある基地より発射された。
「ズドドドドドーッ!」
「よし、飛ばすよ!」
「シュンッ!」
基地から発射されたミサイルは、高度千メートルにも達しないうちに跡形もなく消え、白い煙だけが辺りに漂っていた。
「では、兵器を転移させようか」
「はい!」
僕らは三人でロシアの持つ全ての兵器、戦艦、空母、戦闘機、爆撃機、輸送機、戦車、ミサイルや高射砲などを次々とモスクワ郊外の地に転移させた。
『ロシアの兵士たちよ。命が惜しければ直ちにこの場から離れなさい』
お父さんは兵士たちに念話で話し掛けた。
折り重なる様に地上一メートルくらいの高さにひっくり返された形でそれらが集められて行った。その隙間にはミサイルや核弾頭がびっしりと埋められた。
兵士たちはパニックになりながら、転げ落ちる様に地面に飛び降り、蜘蛛の子を散らす様に四方八方へ逃げて行く。
三十分程で全ての兵器が三人の力で転移させられた様だ。それを西側の報道ヘリが上空を飛び交って撮影している。
「さて、兵器はこんなものかな?ついでに兵器工場も分解してここへ集めてしまおうか」
「それも調べてあったのですね?」
「うん。徹底的にやらないと、また造ろうとするでしょう?」
「その通りですね」
そしてお父さんは次々と兵器や武器を造る工場の産業機械を集め始めた。機械装置だけなので、大雑把にガシャンガシャンと兵器の上に積み上げて行った。
「さぁ、こんなものかな・・・では始末してしまおうか!」
「シュンッ!」
山の様に折り重なっていた夥しい数の兵器が、一瞬で消えてしまった。
そして、お父さんは全世界の人類に向かって直接語り掛けた。
『地球の皆さん。お久しぶりです。私は天照です。今、ロシアは地球の未来を背負った試み、オービタルリングのステーションを大陸弾道ミサイルで破壊しようとしました』
『流石にこれを見過ごすことはできません。私はミサイルを太陽の軌道に飛ばし、破壊しました。私はこの愚かな行動に対して罰を下します。今、ロシアが持つ全ての兵器を太陽の軌道へ転移し、消滅させました』
『そしてこれを指示した大統領を一家共々、私の世界の無人の大陸に転移させ、何もない大地で生きて行って頂きます。無事に生きて行けるかどうかは彼ら次第です』
『まだ態度を決めていない国々は、ロシアの行く末を見て決めると良いでしょう』
『では、ロシアのリーダーよ。さようなら』
次の瞬間、クレムリンにあるロシア大統領府から大統領とその家族が忽然と姿を消した。そのニュースは瞬時に世界へ流され世界に衝撃が走った。
特にプロジェクトへの参加をまだ決めていない国々は、これを見て震え上がったことだろう。
それからすぐにアメリカとイギリスが条約に調印した。だが、中東の国々と中国や北朝鮮はどうしても日本には従えないのか沈黙してしまった。
数か月後、ロシア国内で選挙があり、プロジェクトに参加を表明した候補が選ばれ、新大統領は条約に調印した。
その後国連は新国際連合となり、会合は事実上、新平和条約を批准した国だけで行われることとなった。議長国は日本となり、常任理事国は存在しないし拒否権なども無くなった。
初会合では化石燃料を使った飛行機、船の運航を全世界で禁じることとなった。それはつまり、この条約を批准しないということは、他国との関りが一切断たれることを意味し、完全に孤立してしまうのだ。
少数の反対派に対して脅しをかけるのと同じなのだが、今回に関しては正義の鉄槌と考えている。
条約の批准は国のリーダーひとりで決めて良いことではない。その国の民意というものを無視できない。調印しない国にはそれなりの理由があるのだろうから、しばらくは様子を見るしかないだろう。
それでも世界は変わりつつある。僕は自分の仕事を進めるだけだ。
お読みいただきまして、ありがとうございました!