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6.結衣の過去

 僕は結衣の視界に入って一緒に帰り道を辿り、彼女のアパートに着いた。


 結衣はアパートの二階へと上がり、鍵を開け部屋に入った。

そこは玄関の脇に申し訳程度のキッチンがある、ほぼワンルームといった小さな部屋だった。


「ただいま・・・」


 結衣は靴を脱ぎながら暗い部屋に向かって小さくつぶやいた。


 その虚無感きょむかんに包まれた声色こわいろを聞いた途端、僕の胸は締め付けられ、心には暗い絶望感が襲ってきた。


 かりをけると、部屋の様子が明らかになった。

台所の小さな冷蔵庫の上に電子レンジがあり、ガステーブルには鍋とフライパンがひとつずつ並んでいた。どうやら彼女はここで一人暮らしをしている様だ。


 部屋には家財道具も最低限しかない。ベッドも無く、部屋の奥の窓際に布団が畳んで置いてあった。ちゃぶ台の様な小さな丸いテーブルが彼女の食卓兼勉強机の様だ。


 部屋の脇の衣装ケースの隣には小さな本棚があり、その上には位牌と写真立てがあった。それは結衣の両親と兄の様に見えた。もしかして結衣の家族は亡くなっていて天涯孤独なのだろうか。


 僕の中に見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と共に、何故、今まで気付かなかったのか、気に留めなかったのだという自分への怒りの様な思いが交錯こうさくした。


 いたたまれず彼女の視界を断ち切ると、家に向かいながら、結衣をこのまま放置することはできないと考え始めていた。駅からの帰り道は急ぎ足になっていた。


 家に帰るとお母さんが家に来ていた。

「あぁ、翼。お帰りなさい!」

「お母さま、ただいま・・・」

 ハグをして身体を離すとお母さんは僕の顔を覗き込んだ。


「翼、どうしたの?何かあったの?」

 お母さんは僕の顔を見るなり、その異変を察知した様だ。


「え?そ、それは・・・」

「そんなに悲しそうな顔をして・・・」

「い、いや・・・実は・・・同じクラスで僕の隣の席の女の子でね。九十九さんって言うのだけど・・・」

 僕はセバスが淹れてくれたお茶を飲みながら、お母さんと葉留、早苗お母さんに今日の出来事を話した。


「まぁ!高校一年生で一人暮らしを?」

「あら?九十九?」

 早苗お母さんは、何かを察知した様な表情になり彼女の名前を聞き返した。


「早苗、知っているの?」

「もしかして・・・一年前に火事で家族を失った子だわ・・・」

「それをどうして早苗が知っているの?」


「九十九さんのお父さんは、元一ノ瀬電機の社員で繁さんの同期なの。とても向上心の高い人でね、自分が納得できる家電を作りたいと言って独立し、個性的な家電メーカーを立ち上げたのよ」


「会社は順調だったのだけど、去年自宅が火事になり、九十九さん夫婦と長男が亡くなったの。その時、中学三年生で修学旅行に行っていた娘さんだけが生き残ったのよ。私と繁さんも葬儀に参列したわ」


「その火事の原因は分かっているの?」

「それが、家電製品のショートで台所から火がでてね。夜中で就寝中だったから、煙に巻かれて逃げ遅れてしまったらしいの」

「それで、その娘さんは一人暮らしをしているのね?」


「あら?でも確か、親戚が娘さんを引き取ったはずなのだけど、どうして高校一年生で一人暮らしなんてしているのかしら?」


「それって、その親戚の家で何かあったのではないかしら・・・」

「お母さま。何かってどんな?」

「その様に火事や事故で家族が皆、亡くなってしまい、子が残された場合は財産があってもなくても、引き取り先でつらい目にう子は多いのよ」

「あぁ・・・それで・・・」


「その子が何か言っていたの?」

「いや、その・・・不自然に女の子らしさを隠そうとするんだ。それと男性が怖いみたいで」

「あぁ・・・それは・・・いけないわね。その親戚の家で何かあったのでしょう・・・それで今は一人暮らしなのよね?それは良くないわ」


「どうしましょう。繁さんが帰ったら相談してみましょうか」

「え?繁お父さんに相談したら、何かしてあげられるのですか?」

「それは、私たちというより、まずその子が望んでくれないと難しいでしょうけど、ここに住んでもらうのよ」

「え?ここに住む?引き取るのですか?」


「そうね。養子にしても構わないけど、まずは就職するまでここに身を寄せて、勉強に集中してもらうってことかな」


「きっと財産があって、最低限暮らせるだけのお金はあるのだと思うの。でも家族の死や、その後の辛い体験を引きずったままでのひとり暮らしは辛過ぎるわ」


「そうですね。彼女はもの作りが好きだと言っていました。そして、地球のために冷媒ガスを使わない冷蔵庫と水を汚さない洗濯機を造りたいと言っていたのです」

「あら、それ両方ともここにあるじゃない」


「でも、地球で製品としては開発されていないですよね?」

「そうね。それを造ってもらうの?」

「はい。彼女に造って欲しいですね」

「それなら来てもらえば良いじゃない」


「でも彼女にここで暮らしてもらうということは、僕の正体を教えないといけませんよね?」

「なにか都合が悪いのかしら?」

「え?良いのですか?」

「親戚との付き合いを断っているならば、彼女は天涯孤独なのでしょう?もう、こちらに引き込んでしまえば良いじゃない」


「え?お兄さま。嫁にするのですか?」

「え?嫁?そ、それは・・・」

「あ!お兄さま、赤くなった!彼女が好きなのですね!」

「い、いや、それは・・・まだ分からないよ・・・」


「あ!その子って、体育祭の時の綱引きで気を失ってお兄さまが抱いて運んだ子では?」

「そ、そうだけど・・・」

「やっぱり・・・好きなんじゃない・・・」

「い、いや・・・それは・・・」


「あぁ、あの子だったのね・・・あら?それだと神代重工の娘さんはどうするの?」

「いや、そちらも・・・」

「え?二人とも嫁にするのですか?」


「あ!それで思い出した!早苗お母さん。一ノ瀬電機の社長の娘も学校の先輩だったのです。実はその子も僕に・・・その・・・迫って来ていまして・・・」

「あぁ、望ちゃんね。もう翼に目をつけたのね」

「彼女を知っているのですか?」

「えぇ、繁さんが海洋プラスチック除去のプロジェクトで成功した時のパーティーに望ちゃんも来ていたわね」


「繁さんが翼のことを社長に話したのかしら・・・」

「繁さんがうちの家族の話を外へ出すはずはないわ。きっと、望ちゃんが気に入ってお父さんに調べて欲しいって言ったのではないかしら?」

「積極的ね。しかも家の力を使うなんて。末恐ろしい娘ね・・・」


「でも、翼はそんな有名人と結婚したら身元を調べられてしまうわね」

「そうね。結婚したいならうちに入ってもらわなければならないわ」

「つまり、翼は一ノ瀬電機の跡取りにはなれないし、ならないってことね」

「それは、神代重工も同じことよね」


「お兄さま。もう三人も嫁候補が?ここは日本ですよ!一夫一婦制ですよ!」

「そうね・・・それなら、いっそのこと神星に移住する?」

「お母さま!三人と結婚するなんて言っていませんよ!」


「あら、そうだったわね」

「それより、九十九さんの娘さんをどうするかね・・・兎に角、繁さんと相談するわ。きっとこの話を聞いたら放っておけないって言うと思うけど」

「そうね。その件は翼が話すより、繁さんと早苗がその娘さんに打診した方が良いと思うわ」


「それじゃ、翼。その子をここで預かっても良いのね?」

「それは・・・そうですね。彼女のためになって彼女もそれを望むなら」


 ひとつだけ心配なのは、僕の正体を知った彼女が、その後も僕のことを人間と認識してくれるかどうかだな・・・




 翌日の放課後、僕は昨日行けなかった図書館に来ていた。


 異次元空間移動装置のヒントを得るために、それらしい本を片っ端から読み漁っているのだ。


 いつしか僕はストーカー達も気にならなくなっていた。申請しておいた本を読み終わり図書館を出ようと玄関を出ると、そこには結衣が立っていた。


「あれ、結衣じゃないか」

「あ。翼君・・・」

「ここで会うのは初めてだね・・・やっぱり、何だか元気がないね。どうしたんだい?」

「あの・・・」


「もしかして、話してくれる気になったのかな?」

「あ、あの・・・いいの?」

「勿論だよ。それじゃ、ここでは話せないから公園にでも行こうか」


「あの、翼君の読書は大丈夫なの?」

「あぁ、今日の分はもう読み終わったから大丈夫だよ」

「あ、ありがとう・・・」


 途中、カフェでアイスココアをテイクアウトして公園に入り、ふたりで池の前のベンチに座った。

「さぁ、ココアだよ。落ち着くからさ。まずは飲んで」

「ありがとう」


 国会議事堂の真ん前にある公園は新緑の青さが濃くなり、初夏を思わせる暖かさだ。木陰に居ないと汗ばんでしまう陽気だった。


 結衣はココアを飲みながらしばらく考え込むように黙っていたが、僕らの前をさわやかな風が吹き抜け、池に小さなさざ波が立ったのを合図に結衣は重い口を開いた。


「私、一年前までは家族と一緒に暮らしていたの。お父さんは小さな家電メーカーを立ち上げて、もの作りに没頭していたわ。そんなお父さんに育てられて、兄も私も、もの作りが大好きになったの。私のアイデアで商品化された製品もあったのよ」


「へぇ、そうなんだね。それで結衣は地球を汚さない家電を造りたいのだね?」

「そうね・・・」


「でも去年、私が修学旅行に行っている間に、冷蔵庫の電気コードがショートして・・・家が火事に・・・」

「結衣。辛い話ならそこは話さなくても良いんだよ」

「うん・・・祖父母は地方に住んでいてもう高齢だったから、親戚の家に引き取られたのだけど、何かとお金の無心をされて・・・」

「あぁ、財産目当てで結衣を引き取ったんだね」


「お金だけで済めば良かったのだけど・・・」

「え?何かあったのかい?」

「・・・」

 結衣の手は震えていた。

「無理に話さなくても良いんだよ・・・」


「ううん。翼君はいつも私を気に掛けてくれるから・・・知っておいて欲しい・・・そう思ったの」

「結衣。手を握っても良いかな?」

「え?う、うん」

 僕は右側に座る結衣に身体を向けると、結衣の左手を左手で包む様に握った。

「ゆっくりで良いからね」


「ある夜、眠っていたら何かに触られている感触があって目が覚めたの。そうしたら伯父が、布団に入って来ていて・・・私の下着に手を・・・」

「あぁ・・・結衣。どうして・・・そんな・・・」

 僕はショックを受け、思わず右手を結衣の右肩に回して抱き寄せ、顔を結衣の左肩に寄せた。


「私は布団から飛びあがって、枕元に置いた服を持って家を飛び出したの。そのまま街の方へ出て、彷徨さまよい歩いていたら、女性警察官に補導されて・・・」


 結衣は僕の右胸に顔を寄せて淡々と話した。きっとその夜を思い出し、街を彷徨い歩いている時と同じ顔になっているのではなかろうか。結衣の顔からは表情がなくなっていた。


「では、助かったのだね」

「えぇ、それからは児童相談所に保護されたの」

「それは・・・辛い体験をしたね」


「その後、伯母さんが面会に来て、私を連れ戻そうとしたわ。でも私が拒否したら態度を一変させて・・・「わざと胸を強調する服を着ていた」って、「お前が誘惑したからこんなことになった」って、そう責められて・・・」


 結衣の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。

「なんてことを!」


「でも・・・伯父や伯母に次々にお金を使われてしまって・・・お金が無くなるのが怖くて服は最低限しか買っていなかったの・・・家の中ではTシャツ姿で居た時もあったから・・・私も悪いのだけど・・・」

「そんな!結衣は悪くなんかないよ!あぁ、そうだったのか。なんて酷いことを・・・」


「私はもう、普通の生活はできないと思っていたの。でも、家族でやってきたもの作りだけは諦めたくなくて・・・」

「それで、工学系の大学に進むために、この高校を選んだのかい?」


「そうね。もう伯父さん達に使われてしまって最低限のお金しか残っていないから、公立の学校に進まないといけなかったし、それにこの高校は兄が通っていたの。だから、この一年間は何も考えずに勉強をしてきたの」


「そう。結衣は頑張ったんだね。でもそんなに辛い体験を、よく僕に話してくれたね」

「昨日、翼君の歌を聞いたら、考えない様にしていた家族のことを思い出してしまって・・・あんなに泣いてしまってごめんなさい。凄く心配してくれたのでしょう?」


「いいんだ。泣くことも、こうして辛い体験を話すことも。きっと結衣の癒しになるから」

「翼君って、本当に十五歳なの?」

「え?あ、あぁ、これは精神医療の知識かな?本で読んだんだよ」

「翼君は前に、ほとんど全ての学問を習得したって言っていたけど、医学もなの?」


「そうだね。試験を受けるだけで医師免許がもらえるなら、受かる自信はあるよ」

「嘘でしょう?」

「でも、僕も結衣と同じだ。もの作りにしか興味がないからね。医者にはならないよ。でも体調が悪い時は言ってね。診察くらいはできるよ」

「まぁ!凄い!」

 結衣は少し、はにかんだ様な笑顔になった。


「ふふっ、少しは元気が出たかな?」

「翼君に心配させてしまったと思って・・・翼君にだけは自分のことを話しても良いかなって・・・話したいって思ったの」

 そう言うと結衣は頬を赤くして、僕の顔を真直ぐに見つめた。


「結衣。これからは何でも僕に相談して」

「いいの?でも、翼君は・・・」

「僕は?何?」

「新奈のことが・・・」


「え?新奈?新奈がどうしたの?」

「あ!そうか・・・翼君は鈍感だったわね・・・」

「え?鈍感?」


「だって、新奈は翼君にぞっこんだし、体育祭の時も翼君は新奈を選んだ・・・それに一ノ瀬先輩もこの前・・・」


「あぁ、そういうことか。だって僕たちまだ十五歳だよ?僕は研究で忙しいし、結婚なんて考えられないよ」

「え?それじゃぁ、彼女は作らないの?」

「作らないと決めている訳ではないかな。この人だと思う人が現れたら分からないけどね」

「今は、そういう人は居ない。ということ?」


「正直、分からないんだ。今まで勉強と研究にしか興味がなかったからさ。そして高校に入って、この数か月で生活が一変しているんだ」


「友達だって初めてなのに、彼女なんて・・・でも、結衣のことは初めから気になっていたし、放っておけないというか、なんというか・・・」


「翼君。私のことを気に掛けてくれてありがとう。そうね。入学式の日からずっと翼君が私を気遣ってくれているのが分かったから・・・嬉しかったの」


「そ、そうか!それなら良かった。迷惑ではなかったんだね。僕って鈍感らしいから・・・」

「ううん。迷惑だなんて!そんなこと・・・絶対にない!」

 結衣はそう言ってうつむいてしまった。そんな時、僕はどうしたら良いか分からない。


「え?そう?そ、そうか・・・それじゃぁ、そろそろ帰ろうか。家まで送って行くよ」

「え?ホントに?」

「うん。迷惑でなかったら」

「嬉しい・・・」

「そう。良かった」


 そしてぎこちないふたりは駅に向かって歩いた。


「結衣。少しは楽になったのかな?君とこんなに話ができるなんてさ」

「うん。やっぱり、昨日あれだけ泣いて少しスッキリしたのかも・・・それに翼君となら、安心して話せるみたい」

「それは良かった」


 地下鉄に乗り、駅からは昨日見た風景を見ながら結衣のアパートまで歩いた。

「翼君。駅から遠いのに、ここまで送ってもらっちゃって。ありがとう」

「いいんだ。結衣。これからはさ。本当に、何でも相談して」

「ありがとう。翼君」

「それじゃぁ、明日また学校で」

「うん、またね」


 結衣は柔らかい笑顔になった。安心してくれたみたいで良かった。

お読みいただきまして、ありがとうございました!

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