11.農地視察
アルカディア二日目、朝食を終えて農地の視察へ出発する。
視察に同行するのは、椿さんと侍女の蘭、優、茜、凛の四人だ。
僕の動力のない船の前列に僕と椿さん、二列目と三列目に妻八人、最後列に侍女四人が座った。フクロウはやはりついて来た。
「月夜見さま。この船は変わった形をしていますね。宙に浮いていない船は初めて見ました」
「えぇ、これはただの箱の様なものです。動力がないので私たちにしか動かせません」
「それは凄いものですね」
「さて、まずは南の蘭の実家へ向かいましょう。蘭、通常の船で行くと何時間くらい掛かるのかな?」
「はい。六時間は掛かります」
「え?そんなに遠いの?ってことは、この大地は島ではなく、大陸に近い大きさなのかな?」
「いえ、南北に細長いのでございます。一番北の地域だけが東西に幅があるのです」
「つまり、逆三角形ということかな?」
「はい。左様で御座います」
あぁ、南アメリカ大陸みたいな形をしているのだな。
「では、時間が勿体ないから蘭の実家まで飛ばして行きましょう」
そう言うと、船の高度を二千メートル程まで上げて一気に加速した。見る見るうちに景色が流れて行く。
「月夜見さま、今、右側に見えている山の麓から中腹辺りが、凛の実家の農地がある土地で御座います」
「そうか、では帰りに寄りましょう」
三十分くらいで大地の南端の岬が見えて来た。
「蘭、もう南端まで来てしまいましたね。お家はどの辺でしょう?」
「え?もう?」
南端の岬まで行って右旋回し、蘭によく見える様にした。
「あ!あの山から流れている川の上流から海までの一帯が農地なのです。私の家はその中間辺りです」
「分かった、では高度を下げて海から川を上っていこう。蘭、家を探してくれるかな?」
「はい」
そこから五分もしないうちに蘭の家に到着し、家の前に船を下ろした。
「三十分で家に着いてしまうなんて!」
「ご家族は畑にでているのかな?」
「はい。この時間はそうですね」
「では、畑に行ってみようか」
「え?神さまが畑に行かれるのですか?」
「月の都では、僕たちも畑仕事を一緒にしますよ」
「えーっ!神さまが畑仕事を?」
「楽しいじゃないですか。作物を育てるのも家畜を育てるのも生活の一部でしょう?」
「そ、それは私たちにとってはそうですが・・・」
蘭の家の畑に向かって話しながら歩いて行く。
「椿さん。先代の神々は畑や家畜に触れることはなかったのですね?」
「はい。全く」
「想像するに先代の神々は五百年前の日本の人だ。身分の高い者は敬われ、特別な扱いを受けるのが当然だったから、平民と同じことをすることは思いつきもしないのでしょう」
「はい。我々も先祖から受け継がれるまま、神々を敬い、もてなして参りました」
「椿さん、蘭、茜、優、凛。我々はその五百年後の世界の人間なのです。その世界では実体としての神も王も貴族も居ない世界になっているのですよ。皆、平等なのです」
「その様な世界が!」
「えぇ、私たちの後の神々は、もっと進んでいるのではないでしょうか?だから、ここも変わっていかないといけないのですよ」
「あ。あれが私の家族です」
「お父さーん!お母さーん!」
「あれ?蘭?何故、こんなところに?」
「あ!ま、まさか!は、ははーっ!」
蘭の両親がこちらへ走り寄ったかと思うと、勢いよく土下座をした。おでこを土に思いっきりくっ付けて。
「蘭。立ってもらって」
「お父さん、お母さん、立って。神さまが南部の農地を見学されたいとおっしゃって、ここまでお越しくださったのよ」
「へ?農地を見学?で御座いますか?」
「えぇ、ここでは何を生産されているのですか?」
蘭の両親はおでこに土を付けたまま立ち上がると、それを払うことなく直立不動で話し始めた。
「は、はい。葉物野菜と芋類、それに季節野菜全般を生産しております」
僕はハンカチをだすと、お母さんのおでこを拭った。するとお母さんが、今朝の蘭と同じ様に気絶して、すぅーっと後ろへ倒れた。
あぁ、やってしまった。念動力で持ち上げて、その場に宙に浮かせておいた。
「恵!」
「お母さん!」
「まぁ、今起こしても緊張するだけでしょう。このまま少し眠らせてあげましょう」
「それで作物ですが、この地域で同じものを育てているのですか?」
「いえ、土の特性や水の量によって作る作物を変えています。この南部地域では、季節にもよりますが約五十種類の作物を育てています」
「育てた作物はどうやって北部の町へ送っているのですか?」
「毎日、定期便があり、互いに収穫したものを分け合っています」
「それは良いですね」
「こちらの地域では農業用の船は足りていますか?」
「はい。十分に用意されております」
「食肉や魚はどうしていますか?」
「食肉は定期便で運ばれ配給されます。魚はこの辺でも獲れますので、自分たちの消費分以外は定期便で町へ送っています」
「なるほど。では食に困ることはないのですね?」
「はい。神さまのお陰で何不自由なく過ごせています。ありがとう御座います」
「衣服については如何ですか?」
「はい。作業着は配給されます。それ以外はこの地域に食品の配給所と一緒に衣服や雑貨を売る店がありますのでそちらで購入できます」
「それらを買うだけのお金はあるのですか?」
「はい。問題なく買うことができます」
「そうですか。それを聞いて安心しました。では病気の治療はどこで?」
「はい。配給所の責任者、莉子さまが治癒の能力をお持ちで治療してくださいます」
「ほう、後でその方に会いに行きましょう」
「お母さん!そろそろ起きて!」
「う、うーん・・・あ!私ったら・・・」
蘭のお母さんが目を覚ましたのでゆっくりと地上に立たせた。
「大体、分かりました。ありがとうございました。では配給所へ行ってみましょうか」
「シュンッ!」
「うわ!」
船をここへ移動させた。
「蘭、しっかりとお仕えするのですよ」
「はい。お母さん!」
「それでは」
船の高度を上げて配給所まで蘭に案内してもらった。
配給所は川の上流にあった。広い敷地に農作物や肉、雑貨や衣服の在庫を保管する倉庫があり、配給所と店が並んでいた。
店の前の空き地に船を降ろすと、配給所の二階から人がわらわらと出て来て船の前に立ち並んだ。
「あ!もしや・・・皆の者!神々の御成りですよ!」
「は、ははーっ!」
全員が地面にひれ伏し、土下座した。責任者と思しき女性が、地面を見たまま身動き一つしない。歳は六十歳近いのかも知れない。
「あなたが、莉子殿ですか?」
「はい」
「皆さん、立ってください」
「よ、よろしいのでしょうか?」
「勿論です」
「莉子殿、初めまして、月夜見です。今日はこの配給所を見学させて頂こうと思い、立ち寄らせて頂きました」
「はっ!私はこの配給所を任されております。嘉月の娘、莉子で御座います。ようこそお越しくださいました」
「先代の神々は、こういうところへ来ることはありませんでしたか?」
「はい。平民の下へ足を運ぶことは御座いませんでした」
「そうですか。私たちはそういうことが気になるのです。倉庫や配給所、お店を見学させて頂けますか?」
「かしこまりました。では、ご案内差し上げます」
「では、倉庫の方から」
その倉庫はふたつあり、ひとつは雑貨や農業関係のものと衣服の在庫が並んでいた、もうひとつは大きな冷蔵庫と冷凍庫がずらりと並んでおり、肉や魚が保存されていた。
「この地域には何人くらいの人が暮らしているのですか?」
「約二百名程で御座います」
「食品や物資は十分に足りていますか?」
「はい。問題御座いません」
次に配給所を見学した。北部の熱帯地方で獲れる作物や果物が並んでいた。こちらにも大きな冷蔵庫と冷凍庫があり、肉や魚が入っていた。別の棚には農業で使う器具や肥料、種などが並んでいた。
「農具や肥料、種も配給品なのですね」
「はい、農業、漁業、工業全て、生産に必要なものは配給されます」
「それは良いことですね。配給はどれくらいの頻度で行うのですか?」
「週に一度です」
「各家庭に冷蔵庫や冷凍庫はあるのですか?」
「御座います」
「それならば、週に一度でも良いですね。では、こちらで住民の数や家族構成は把握されているのですね?」
「はい。住民名簿が御座いますので」
「莉子殿、この地域では病気で亡くなる方はどれくらい居ますか?」
「病気で亡くなることはほとんどありません」
「それは莉子殿が治療するからですか?」
「はい。左様で御座います」
「莉子殿の力の大きさを測らせて頂いても良いですか?」
「はい。構いません」
僕は莉子殿の身体に向けて治癒の力を掛けてみた。すると治癒には十分な力がある様だった。これだけ治癒の力があれば、ある程度の病気であれば治せてしまうだろう。
「分かりました。莉子殿は治癒以外の能力は何かお持ちですか?」
「いいえ、それは持っておりません」
「そうですか。ではお店を見せて頂けますか?」
「はい。こちらで御座います」
お店には雑貨や衣服とケーキやお菓子が並んでいた。衣服は普段着がほとんどだが、結婚式などで着るようなドレスも売っていた。
「この様なドレスはどんな時に着るのですか?」
「はい。お見合いや結婚式の時に着るのです」
「お見合いがあるのですか?」
「はい。各地域で年に四回行われています。別の地域のお見合いに参加しても良いのです」
「ほぉ、それは良いことですね」
「では、アルカディアでは結婚する人の方が多いのですか?」
「はい。七割から八割の人は結婚します。それは使命でもありますので」
「使命?それは何故ですか?」
「人口が少ないので結婚して子を作らないと減って行ってしまいますので」
「なるほど。では親に命じられてとか結婚を無理強いすることもあるのですか?」
「それは禁止されてはいます。ですが、暗黙の了解で結婚は迫られます」
「それでも三割程度は結婚しない人も居るということですね?」
「それは結婚しないのではなく、できない人です」
「できないとは、どの様な理由ですか?」
「心に問題を抱えているとか相手が現れない人、あとは神々の侍女などです」
「あぁ、なるほど・・・って、神々の侍女?侍女は結婚できないのですか?」
「侍女は神々に生涯を捧げた者たちです。神の子に見初められる以外は結婚できません」
「それは誰が決めたのですか?」
「古から、その様に決まっております」
「え?それでは蘭は結婚できないことを知った上で侍女になったのですか?」
「はい。左様で御座います」
「それはいけないね」
「良くないのでしょうか?」
「莉子殿のご両親である神々はそのことについて、なんと言っていたのですか?」
「いえ、侍女に関することでお言葉を伺ったことは御座いませんので・・・」
「あぁ、やはりそうか。大昔に神を敬うために人間が勝手に決めたことを誰も疑問に思うことなく受け継いで来ているのですね。それは変えて行かねばなりません」
「変えるのですか?どの様に・・・」
「他の民と同様に侍女も宮司も巫女も、結婚は自由にして良いのです」
「結婚を自由に?」
「必要ならば、神宮の裏に家族で住める家を建てれば良いのですよ」
「そ、その様なこと・・・よろしいのですか?」
「勿論です。それが人間の営みなのですからね」
「莉子殿は結婚されているのですか?」
「はい」
「それはやはり、治癒の能力を持った者を絶やさないためにとの義務から結婚されたのですか?」
「それもありますが、良い方との縁がありましたので・・・」
「それで良いのです。治癒の能力を持っているとか、神に仕えているとか、そんなものは結婚する、しないの理由とはなりません」
「治癒の能力を持っていても無理に結婚をしなくても良いし、侍女たちは神に仕えていたとしても良い縁があれば結婚して良いのです」
「人間の価値に違いなどないのですよ」
「はい。ありがとう御座います。そのお言葉を肝に銘じます」
「椿さん、蘭たちも良いですか?これからは侍女もお見合いに参加するも良いし、地元に好きな男性が居るならば侍女を辞めて嫁いで行っても良いのです」
「え?途中で辞めることが許されるのですか?」
「仕事よりも自分自身の人生の幸せを追うべきと私は思いますよ。勿論、仕事に生きることを選びたい人はそうすれば良いのです」
「アルカディアでは、神に仕える侍女の仕事が最も尊敬されると言っていましたね。ですが仕事にも価値の差などないのですよ」
「仕事とは、どこかで何かに必要があることだから仕事になっているのです。不要なものは仕事に成り得ないのですから」
「でも、神さまはこの世界や我々人間を守ってくださっているのです。そのお役目と農家の仕事が同じ価値とは思えませぬが・・・」
「莉子殿、私たちが役目を放棄すれば人間は死ぬでしょう。でも同じ様に農家が食べ物を作ってくれなければ、私たち神もまた死ぬのですよ」
「人間は人それぞれ、できることを仕事にするものです。自分にできないことはできる人にお願いするのです」
「そうやって助け合って生きているのですよ。だから人間も仕事もその価値に差はないと言っているのです」
「な、何ということでしょう・・・」
莉子殿は瀧の様な涙を流していた。感動し過ぎだと思う。きっと素直な人なのだろう。
「時代によって、人の生き方やものの価値は変わって行くのです。先代の神々は五百年前の世界の方々です。今は時代が違うのです。莉子殿、アルカディアには治癒の能力を持っている者は何名くらい居るのですか?」
「はい。二十八名居ります」
「その者たちを集めることはできますか?」
「はい。三日頂ければ神宮へ集めることができます」
「では、三日後の昼食を屋敷の食堂で共にしましょう」
「かしこまりました」
「蘭、屋敷に戻ったら厨房へ三日後の昼食を三十八名分用意する様に伝えてください。椿さんも出席ください」
「かしこまりました」
「では、次の農地へ参りましょうか。山沿いの農地は凛の実家でしたね」
「はい」
「凛は私の隣に座ってください」
「え?私が月夜見さまのお隣に?」
「えぇ、座ってください」
僕は天照さまから教わった、他人の思考の映像を見て、そこへ瞬間移動することを試そうと思ったのだ。蘭の実家はこの大地の最南端だから、一度大地の形や様子を確認するために三十分掛けて飛んだ。でも凛の実家までは戻るだけだから瞬間移動で良いだろう。
「凛、頭に実家の家を思い浮かべてくれるかな?」
「実家の家で御座いますか?分かりました」
隣に座った凛の肩に腕を回して思考を探る。肩に触れられ凛は小さく「きゃっ!」と叫んだ。それには構わず凛の思考に集中すると、僕の頭の中に家の映像が浮かんで来た。
すかさずそこへ瞬間移動する。
「シュンッ!」
「あ!私の家が目の前に!な、何ということでしょう!」
船を降りていると、畑の方から人が四人こちらに歩いて来た。
「凛、あれはご家族かな?」
「あ!そうです。両親と兄夫婦です」
「では、私たちが来たことと、大袈裟な挨拶は要らないと伝えて来てくれるかな?」
「は、はい!」
凛が全速力で走って行った。凛が何かを話すと四人は慌てだしたが、凛が色々と話していると落ち着いて来たのかこちらに歩いて来た。
「凛のご家族ですか?初めまして、月夜見です」
「あ、あ、あの・・・り、凛が!お、お世話になっております!」
お父さんは緊張し過ぎて声が裏返ってしまっている。凛はその横で恥ずかしそうな顔をしている。
「少し、お話を伺ってもよろしいですか?」
「は、はい!何なりと!」
「この地区ではどんな農産物が生産されているのですか?」
「はい。神さまに献上する珈琲豆、ワイン用のブドウ、山芋や山菜、山葵の他、葉物野菜や果樹を多数育てております」
「何か不足するものとか、困っていることはありますか?」
「い、いえ、その様なことは御座いません」
「この地区に他の産業はありますか?」
「はい。畜産はこの辺一帯で行われております」
「あぁ、やはり畜産は山沿いの地区なのですね」
「この地区にも配給所やお店、倉庫はあるのですか?」
「御座います」
「そこには、やはり治癒能力を持つ者は居るのですか?」
「はい、二名いらっしゃいます」
「病気で亡くなる方は多いですか?」
「いいえ、病気で亡くなったという話はほとんど聞きません」
「そうですか。色々とありがとうございました」
「あの、凛が何か?」
「凛?あぁ、彼女は立派に務めていますよ。良いお嬢さんですね」
「そ、そうですか!ありがとう御座います!」
凛が照れて赤い顔をしている。
そして、平地の農地出身の茜と優の実家にも行った。そちらでは水田と穀物を中心に生産されていた。どこも配給所とお店はあり、治癒能力を持つ者は居た。瞬間移動のお陰で、午前中の内に全て回ることができた。
屋敷に戻って昼食を頂いた。その前に僕は椿さんにあることを聞いておいた。
「椿さん。先代の神々は海岸へ行くことはありましたか?」
「はい。ここから真直ぐに東へ行った海岸に神さま専用の施設が御座います」
「あぁ、やはりあるのですね」
「行かれますか?」
「えぇ、昼食後に時間ができましたので」
「では、侍女を何名かお連れください。お飲み物や軽食を準備しておきます」
さて、この世界で初めての水着だな。
お読みいただきまして、ありがとうございました!