10.アルカディアの侍女たち
僕は執務室の机にあるという先代の神の日記の存在を確認した。
執務室の大きな机の引き出しの二段目にそれらしいものがあった。高級そうな革の装丁となっており、重そうに見えて本当に重い本だった。いや、日記か。
「月夜見さま、珈琲かお茶をご用意しましょうか?」
「あぁ、そうだね。では、お茶をお願いします」
「かしこまりました」
横目でチラチラ見ていると、静が黙って見ている中、蘭が手を震わせながらティーポットに茶葉を入れ、お湯を注いでいる。
「蘭!入れ過ぎ!」
「あ!」
横から凪が小さな声で指摘する。
「大丈夫。茶葉をあと一つまみ分入れるのよ」
静がフォローしている。中々良いチームだ。
蘭がお茶を僕の机まで運んでくれた。まだ手は震えている。
「お茶をどうぞ」
「蘭。ありがとう」
僕は一口、お茶を飲んだ。良い茶葉を使っている様だ。十分に美味しい。
「うん。美味しいね」
蘭は大きな笑顔になった。
そして、三人は壁の花になった。
しばらく日記を読んでいたのだが、三人に見られていると思うと落ち着いて読むこともできない。日記はまた今度読むことにしよう。
「少し、散歩でもしようか。三人とも一緒に来てくれるかな?」
「はい」
庭園に出て散歩をする。今日は風があるから涼しいが日差しは強い。ガゼボに入って四人で座って話した。
「静、そのお仕着せは仕事をするには暑くないかな?」
「そうですね。お掃除をする時は暑いと感じます」
「代々、侍女はその衣装なのかな?」
「はい。その様です」
「その衣装はこのアルカディアの中で作られているの?」
「はい。左様です」
「では明後日、その工房も見学できるね」
「はい。ご所望とあらば」
「ふふっ。ご所望とあらば。か。十五歳の言葉とは思えないね」
「あ!失礼でしたか!」
「静。君は間違っていないよ。ただ、年齢と合っていないのかな?先代の神に仕えていた侍女は皆、どうしたんだい?」
「引退しました」
「引退か。何歳くらいなのか知っているかい?」
「皆さん、七十五歳でした」
「え?七十五歳?その年まで続けていたのかい?」
「はい。侍女になると六十年間務めるのです」
「あぁ、でも農業なんかは、ずっと働き続けていれば八十歳でもできるものね」
「はい。アルカディアでは、皆、死ぬまで仕事を続けます。侍女も引退後は農業をします」
「それは辛いと思うかい?」
「いいえ、死ぬまで働けるなんて幸せなことです。中でも神さまにお仕えする侍女の仕事は、アルカディアで最も尊敬される仕事なのです」
「そうか。それならば良かった。侍女になるのは大変なの?」
「はい。神さまにお仕えする侍女は六十年に一度しか募集がないのです。その募集があるかどうかは学校卒業の半年前にならないと分かりません」
「あぁ、卒業とその募集が合わないとなれないのか」
「はい。しかも十九人だけですから」
「それは凄いことだね。では沢山勉強したのだね」
「はい。挨拶、言葉使い、お給仕、掃除、言語と数学もできないといけません」
「なるほど。それは優等生でないといけないのだね」
「今までに神の息子と結婚した侍女は居るのかな?」
「はい。居ります」
「あぁ、やはり居るのだね」
でも静たちは僕の子と結婚できるチャンスはないな。アルカディアで僕たちが子を作るのは四百年以上先のことだから。それにアルカディアへ移り住むのも今から五十四年後だ。
静たちはその時六十九歳か、最後の六年だけは毎日ここの生活になるけれど、それまでは静たちにはそれ程活躍の場がないな。もう少し、ここに来てあげないといけないかな。
「そうか。良く分かったよ。静、蘭、凪。これからよろしくね」
「はい。月夜見さま」
妻たちも庭園に出て散歩をしていた。南国の珍しい花を侍女たちに教えてもらいながら見て回った。陽が傾き始めそろそろ夕食の時間だと告げられた。
大きい方の食堂に集まり、夕食となった。
南国らしく大きな皿には葉の上に料理が盛られ、蘭の花が飾ってあった。
「月夜見さま。お酒は何をお持ちしましょう?」
「お酒は何があるのですか?」
「こちらの中からお選びください」
全員に飲み物のメニューが配られた。そこにはビール、ワイン、ウイスキー、ブランデーの他に果実酒や日本酒、それに焼酎まであった。
「え?日本酒があるよ!」
「えぇ、それも十種類くらいある様です」
「どうしたのだろう?」
「それは、先代の神さまが日本から購入されたのです。先代の神さまは日本酒しか飲まれなかったと聞いております。ですので、まだ沢山の在庫が御座います」
「沢山?凄いね」
「でも、今日のメニューはきっとアルカディアの伝統料理でしょう?」
「はい。この土地の食材を活かしたメニューとなっております」
「それならば、ビールが良いかな」
「皆も好きな飲み物を頼んでね」
結局、皆、一杯目はビールを選んだ様だ。
「では、アルカディアに乾杯!」
「カンパーイ!」
ビールもよく冷やされていて美味しかった。
「アルカディアの料理は地球のミクロネシアの地域のものに似ていますね」
「さすが、陽菜。世界の料理に詳しいね。そうだね、この豚肉のローストなんてそんな感じだね」
「日本酒があるならば、日本の料理もあるのかしら?」
「はい。御座います。刺身、寿司、天ぷら、すき焼き、鍋料理、うどんに蕎麦、ラーメン、各種丼ものなど、他にも沢山、ご用意できます」
「日本以外の地球の料理もできるのですか?」
「はい。中華、フレンチ、イタリアン、ドイツ、ロシア、インド、スペイン料理など様々な料理が御座います」
「本当に?凄いね」
「図書室にあれだけの本があるのですし、映画もあるのですからね。料理関係の本や料理番組の類もあるのではないでしょうか?それで作らせたのでしょう」
「問題は食材だよね。それだけの料理を作るためには食材と調味料が必要だよね」
「調味料は、日本から取り寄せていると聞いています。食材はアルカディアで十分に揃います」
「アルカディアでは、薬草は栽培しているのかしら?」
「薬草は主に、料理に使うものを栽培しております」
「では、やはり漢方薬はないのですよね?」
「お薬で御座いますか?病気は宮司さまか神さまが治してくださいます」
「基本的に栄養を十分に摂っていて、毎日仕事で身体を動かしているのだし、この気候ならば、病気は比較的少ないだろうね。そして宮司の能力を持つ者が多く居るし、更に神が居れば、ほぼ安心ということかな」
「幸ちゃん、宮司の美月殿と明里殿にアルカディアの民の病気の状況を聞いておいた方が良いね。それで必要があれば、ここでも漢方薬を作った方が良いだろう」
「えぇ、そうですね。ここは人口が少ないのですから備えは多い方が良いでしょう。少なくとも生理痛の薬はあった方が良い筈ですから」
「それにしても、日本食が何でも揃っていて日本酒や焼酎まであるなんて。贅沢だね」
「本当に南国なのに日本みたいですね」
そして結構、お酒も進んで長い時間食事を楽しんでいた。
「あれ?そう言えば、静たちはずっと働き続けているね。ちょっと働く時間が長いね」
「私たちは、神さまが朝お目覚めの時間からお休みになるまでがお仕事ですので」
「うーん。それはいけないね。働き過ぎだ。今はまだ十日間とか短い期間しか来ないからまだ良いとしても、僕らがずっと居る様になって、その勤務体制では駄目だな」
「私たちの勤務時間は長いのでしょうか?」
「長いね。僕の住む月の都の屋敷では、侍女は朝からの早番は十六時まで、夜まで勤務の遅番は十一時からなんだ。そして週に二日はお休みだよ」
「え?それしか働かないのでございますか?」
「そうだね。農家の人だと基本的に休みは無いよね。それはどこでも一緒だけどね。でも農家は朝は早いけれど夜は働かないでしょう?夕方早くに終わるよね」
「はい、おっしゃる通りです」
「うん。だから朝から夜遅くまでだと働き過ぎなのだよ」
「今度、椿さんと話してみるよ」
「そうだ。静たちは生理痛が酷い時はどうしているの?」
「え!せ、せいり?」
「あ!皆さん。月夜見さまは地球という異世界でお医者さまというお仕事をしていたの。お医者さまはこちらでは宮司の仕事です。でも宮司よりももっと人間の身体に詳しいのです。特に女性の身体にお詳しいので、生理のことを聞いているのですよ」
『幸ちゃん。フォローありがとう!いきなりこの話は無粋だったね』
『どういたしまして!』
「あ、あの。生理痛は・・・我慢しています」
「やはり、そうなのだね。生理用品はあるのだろうか?」
「環、あとで私に皆が使っている生理用品を見せてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
「月夜見さま。私の方で確認してご報告差し上げます」
「ありがとう。幸ちゃん」
「さて、初日であまり遅くなるのも良くないね。今日はこれでお開きにしようか」
「はい。ご馳走さまでした」
僕らは小さなサロンに集まった。侍女たちは半分だけサロンに来てお茶を給仕した。
「皆、お茶を淹れてくれたら今日はもう良いからね。休んでください」
「かしこまりました」
お茶を淹れて侍女たちは下がって行った。
「今日、静に聞いたのだけど、十五歳で侍女になると七十五歳まで六十年間務めるそうだよ。そして侍女の仕事はアルカディアで最も尊敬される仕事なのだそうだ」
「それは私も聞きました。神の息子と結婚することも過去にはあったと言っていました」
「あぁ、琴葉も聞いたのだね。僕も聞いたよ。でも僕らはここで子を作るのは四百年以上先だから彼女たちはできないね」
「えぇ、私たちがここに定住するのは五十四年後です。彼女たちはその時はもう六十九歳ですよ」
「でもアルカディアでは皆、八十歳以上生きる様ですし、死ぬまで何らかの仕事を続けるそうですので侍女の仕事は七十五歳までできるでしょう」
「そうですね。洗濯機があるから給仕と掃除が基本ならば七十五歳までできますね」
「明日以降の視察で、アルカディアの民の生活水準を見てみよう。神に仕えることを優先し過ぎて良いものを食べていないとか、生理用品にも困る様では可哀そうだからね」
「月夜見さまはやはり、そこからなのですね」
「琴葉、僕たちの環境は既に十分過ぎるでしょう?」
「えぇ、そうですね。私たちに仕える民のことを考えるのは私たちの責務ですね」
「今までがもし不十分でも、これから僕らが変えて行けばそれが当たり前になるからね」
「でも、次の神々が民のことを考えずに自分たちのことだけを考える人たちだと、また変えられてしまいそうですけれど」
「次の神々も天照さまの導きでここへ来るのだから、天照さまにお願いして次の神々に釘を刺して頂こう」
「それは良いですね」
「ところでさ。ここから先は僕らも子を作ることができるのだよね」
「そうですね。妊娠中は宇宙には行かない方が良いみたいですけれど」
「琴葉以外で、まだ子を作りたくない人は居るかな?」
「私はもう欲しいです」
「私もです」
「皆、そうかな?詩織はどうする?クラウスがネモフィラへ行ってからにするかい?」
「そうですね・・・どうしましょう」
「何も急ぐ必要はないんだよ。先は長いのだからね」
「少し、考えます」
「桜は、警備の者たちへの訓練とかはどうかな?」
「えぇ、指導はフェリックスが十分にできます。私は見て口だけ出せば良いので問題ありません」
「そう。分かったよ」
「他の皆は、作るということで良いみたいだね。では自分で排卵を確認して、排卵した時点で子作りをしよう。排卵したらすぐに知らせてね」
「あの・・・月夜見さま」
「何だい?紗良」
「私たちの場合、自然に任せると女の子はでき難いのではと思うのですが」
「あ!そうだった。琴葉の時は天照さまの操作があったのだと思うんだ。普通にしたら男の子になってしまうね」
「そうですね。子を続けて作るのでしたら、先に女の子を作った方がお姉さんは下の子の面倒を見たがりますから良いですよね」
「幸ちゃん、一姫二太郎ってやつだね」
「歳がバレてしまいますね」
「ふふっ、今世では幸ちゃんが一番若いのだけどね」
「では、山本に頼んでピンクゼリーを送ってもらおう」
「月夜見さま、ピンクゼリーは女の子を生み分けるものですか?」
「陽菜。そうだよ。グリーンは男の子、ピンクは女の子だ」
「それを使う他に気をつけることはありますか?男の子の時は色々ありましたよね」
「女の子の生み分けで一番大事なことは、女性側が絶頂に達しないことなのだけど、これは僕らには難しいよね。だからピンクゼリーを使って浅く挿入して射精するんだ」
「それだけですか?」
「あと男性は一度、外で射精して二度目の少し薄い精液を射精する。だからいつもの様に愛し合うっていう感じは一切なしだ。作業の様にするんだよ。そう聞くとちょっと嫌でしょ?」
「でも私たちの身体では敏感過ぎるから仕方がありませんね。その辺は男の子を作る時にとっておきましょう」
「では皆、一人目は女の子が良いの?」
「そうですね、それが良いと思います。ピンクゼリーを使っても百パーセントではないのですよね?私たちの身体を考えると男の子が生まれる可能性が高いですから、初めくらいは意識的に女の子を狙っておいた方が良いと思うのです」
「紗良。それは正しいね。ではそうしよう。すぐにピンクゼリーの購入を山本にお願いするよ」
「お願いします」
「では、今夜はこの辺で眠るとしようか」
今夜は桜と眠る日だ。桜は支度を整えて僕の部屋へとやって来た。最近では妻たちと眠る前には、寝室でお酒を飲みながら二人だけで話す時間を作っている。
夕食前に静に頼んで赤ワインを一本とグラスを二つ用意してもらっていた。
「桜、おいで。ワインを飲もう」
「はい」
桜のグラスにワインを注ぐと乾杯した。
「桜に乾杯!」
「キンッ!」
グラスを合わせるとキスをしてから飲む。これが今のお約束だ。
「うん。アルカディアのワインも美味しいね」
「えぇ、美味しいです」
ベッドサイドに並んで座って話した。
「桜。次の排卵はいつ頃か分かる?」
「五日後くらいでしょうか?」
「近いね。さっき山本にピンクゼリーを頼んだら、三日後には手に入るということなんだ。それなら桜が一番かも知れないね」
「本当ですか?嬉しい!私、もう三十二歳なのですもの・・・」
「ふふっ、こんなに若くて可愛くて、美しい三十二歳は見たことがないよ」
「桜、何人、子を作ろうか?」
「何人でも!」
すぐに押し倒したくなる衝動を抑えて、ワインを飲み終わるまでは互いの侍女やアルカディアのことなどを話して過ごした。
ワインを飲み終わる頃にはもう、抱き合ってキスばかりしていた。
「月夜見さま。もう横になりましょう」
「そうだね」
ワイングラスをテーブルに戻してふたりはベッドに入った。
「月夜見さま。このベッドの寝心地は如何ですか?」
「うん。とても良いね。これって、もしかして日本から取り寄せたマットだったりしてね」
「そうかも知れませんね」
「でもベッドの寝心地よりも桜の抱き心地の方が大切だ・・・」
ワインに酔ったのか、自分でも訳の分からないくさいセリフを吐いて桜を抱きしめた。
翌朝、いつもより遅く目覚めた。桜は先に目覚めて僕の顔を鑑賞してはキスをしていた。
「おはよう。桜」
「おはようございます!」
「ガチャ」
その時、部屋のドアが開けられた音がした。そちらを透視して見ると、静と蘭が入って来た。
『侍女が入って来たね』
『起きますか?』
『今後のことを考えるとこのままの方が良いかな』
『そうですね』
二人は応接室から入り、こちらに向かって来た。
「トントン!」
静が寝室のドアをノックした。僕は上半身を少し起こして枕に右肘を付くと、左腕で桜の胸を覆う様にしてから応えた。
「どうぞ」
「ガチャ」
すぅーっと扉が開き、二人が続けて寝室へ入って来た。
「月夜見さ・・・」
「おはよ・・・」
静は僕たちの姿を見て固まった。そして蘭は気を失ったのか、そのまま後ろへ倒れていった。
僕は慌てて念動力を発動し、床に倒れ切る前に蘭を空中に持ち上げた。
「も、申し訳御座いません」
「静。落ち着いて。大丈夫だからね。少し壁の方を見ていてくれるかな?」
「は、はい」
僕らは下着を着けたところで静に声を掛けた。
「静。もう良いよ。これからはこういう場面も良くあることだから見慣れておいた方が良い。そう思って入ってもらったんだ。大丈夫かい?」
「あ、は、はい。でも、あまりにもお二人のお姿が美しいので・・・」
「蘭は気絶してしまったね」
「本当に申し訳ございません」
「蘭!起きて!」
蘭に治癒の力を掛けると意識を取り戻した。また、見る見るうちに顔が赤くなる。
「あ!私!も、申し訳御座いません!」
「蘭、静。謝らなくて良いんだよ。悪いのは僕だからね。どう?見慣れたかな?」
「い、いえ、見慣れることなど・・・難しいです」
「侍女の仕事に風呂で主人の身体を洗うことは含まれていなかったかな?」
「はい。御座います。練習もしました」
「それでは僕の裸を見ても悪いことは何もないでしょう?」
「それに主人の身体の具合が悪くなれば、ベッドで着替えをさせたりもするでしょう?」
「はい。そうでした」
「まぁ、僕たちは具合が悪くなることもないし、風呂や着替えの手伝いをお願いすることもないから心配しないで」
「え?そうなのですか?」
「僕たちは貴族ではないからね。静たちは貴族の侍女の教育を受けている様だね」
「はい。その様に、いえ、それ以上の存在だと教えられております」
「昨日、言ったでしょう。僕らは君たちと同じ人間だって。だからそんなに敬い過ぎないで」
「は、はい」
「それでね。僕や妻たちの部屋では、朝、こういうことになっている場合が多いから、徐々に見慣れる様に他の皆に伝えておいてくれるかな?」
「かしこまりました。あの、本当にお風呂やお着替えのお手伝いは不要なのですか?」
「えぇ、不要です」
「本当はお茶や珈琲の用意も自分たちでできるのよ」
「え?そうなのですか!神さまなのに!」
「えぇ、だから言っているのですよ。あなたたちと変わらないと」
「は、はい!かしこまりました」
さぁ、アルカディア二日目の始まりだ。
お読みいただきまして、ありがとうございました!