7.この世界の秘密
天照さまの見かけは赤ん坊だ。勿論、可愛いに決まっている。
しかしながら中身は千五百歳以上だ。本当なら生まれた我が子を抱き上げてあやしたり、ほっぺにキスしたりしたいものだが、中身のことを考えると何もできない。
「琴葉。折角苦労して生んだのに赤ちゃんとして接することができないのは寂しいものだね」
「そうね。でも私は授乳したり、抱っこして寝かせたりしていると、月夜見さまの時を思い出して嬉しくなるの。それだけでも満足よ」
「あぁ、そうか、僕の時の記憶もあるからね。しかも顔も同じなのでしょう?」
「えぇ、同じね。こうして寝顔を見ていると幸せだわ」
「天照さまが居なくなったら、早速、子を沢山作ろう」
「そうね。次は親子で転生することがない様に。ですね」
午後のひと時、サロンで珈琲を飲んでいると隣に座った花音が聞いてきた。
「月夜見さま。ファクトリーの見学はしましたが、プランテーションは見せてもらえないのでしょうか?」
「そう言えば話題に上がらなかったね」
すると、天照さまが念話で答えた。
『プランテーションを見たいのですか?』
『前回は上空から眺めるだけだったので、中がどの様になっているのか気になりますね』
『あの中はこの世界とは隔絶されているのです。入りたいのであれば構いませんが、他の御柱からオービタルリング経由で無菌室に入ってから、プランテーションの御柱で降りないと入れないのです』
『そこまでして入りたいとは思いませんね。でもそんなに厳重なのですね』
『そうしないと、この世界の植物と交配が起こったり、病気に罹る恐れがありますから』
『あの中には人間は居ないのですね?』
『プランテーションは完全リモート管理です』
『誰が管理しているのですか?』
『イノベーターです』
『イノベーター?革新者?ですか?それはこの世界で初めて聞きましたね』
『私が創ったもうひとつの世界。その星の名がイノベーターです』
『そこで、いわゆる未来の技術が生み出されているのですね?』
『そうです』
『そこに居る人間も、元は地球人なのですね』
『そうです。この世界とは逆に学者や技術者を前世の記憶を持ったまま、何度も輪廻転生させ、一気に技術力を高めたのです』
『それは何年くらいで達成できたのですか?』
『五百年程度ですね』
『ではイノベーターには、それ程多くの人間は居ないのですかね』
『一万人程しか居ません』
『一万人?良く途絶えずに代々続いているのですね』
『彼らは遺伝子操作ができるのです。子も自分たちでは生みません』
『人間の人口子宮装置が完成しているのですか?』
『そうです』
『では病気にもならないのですね?』
『えぇ、彼らが暮らしているのは、完全に無菌隔離された施設の中だけですから』
『そこで一生、研究や開発に没頭し続け、革新的な技術を生み出し続けるのですね』
『そうです。彼らはそれを自ら望んでそうしているのです』
『イノベーターに行ってみたいですか?』
『いいえ。その手の人たちが大体どの様な人種かは想像がつきます。会いたいとは思いません』
『賢明ですね』
『その話を聞いたらこの世界に先進技術を取り入れるのが嫌になって来たな・・・』
『月夜見さま。凄く分かります。今のままの方が幸せな気がします』
『詩織もかい?』
『月夜見さま。多分、皆、同じ気持ちだと思います』
『幸ちゃん。そうだよね。では何だったら使うことを許せるかな?』
『まず、船はこのままの方が良いでしょう。今更、自動車や馬車でもないでしょう?何より交通事故が無いのですから』
『陽菜、僕もそう思うよ。他には?』
『食料を無駄にしないことや正しく使えば健康にも寄与することを考えれば、やはり冷蔵庫と冷凍庫は使って良いと思います』
『紗良。そうだね。洗濯機はどうかな?』
『水を汚染しませんし、衣類が長く使えるので自然環境の保全には良いと思います』
『いわゆるエコってやつだね』
『では、今現在使っている電気製品までは良いかな?』
『そうですね。扇風機やドライヤーまでは使っても良いと思います』
『農業も普通の温室は良いけど、プランテーションは行き過ぎね』
『人間のDNA操作や人口子宮装置もね』
『これくらいで不便もなく、丁度良いスローライフが送れるのではないでしょうか』
『でも、イノベーターの人たちはDNA操作をして無菌室で暮らすのならば、病気にならないから薬を使わないのですね』
『そうだね。幸ちゃん。それだとこの世界では、幸ちゃんの漢方薬だけが唯一の薬となるね』
『つまり、人間は今まで通り、重い病気に罹った場合は助けられないのですね』
『うん。難しい選択だけど、仕方がないのだろうね』
『そう言えば、プランテーションって作物だけを育てていましたよね?畜産はどうしているのでしょう?』
『イノベーターの人間たちはベジタリアンなのです』
『ひゃー!一体、人生の何が楽しいのだろう?』
『研究?でしょうか・・・』
『僕にはこの世界のスローライフが合っていそうだよ』
『私もです。乗馬もできるし、野菜や花を育てるのも楽しいです!』
『スローライフと言えば、アルカディアの屋敷の装備は充実していましたね』
『詩織、そうだね。特にCDとかDVDとかね』
『月夜見さま。でもあれって変じゃないですか?』
『花音、何が変なんだい?』
『だって、先代の神さまって五百年前の日本から転生して来られた方たちですよね?CDやDVDとか珈琲なんて知っている訳はないと思うのですが?大体、日本に知り合いも居ないでしょうに誰から仕入れていたのでしょうか?』
『あ!確かにそうだね!』
『それは私が教えたのです。其方たちのためでもあります』
『では、日本からものを仕入れる伝手も手段もあるのですね』
『あります。最後の日にと思ったのですが、今、教えておきましょうか?』
『そうですね。お願いします』
『では、私を抱いてください』
琴葉が僕に天照さまを抱かせた。僕はおっかなびっくり抱きかかえた。
『では、今から日本のある倉庫の中を見せます。その場所を記憶してください』
そう言うと頭の中に映像が浮かんで来た。
『これは・・・倉庫の中なのですね?それでどうするのですか?』
『本、映画、音楽は、ジャンルを指定すれば毎月、最新のものを用意してくれます。それ以外のものについては、リストを送れば買い揃えてくれるのです。代金はそこに見えるテーブルのトレイに金貨を置くのです。金貨の交換レートはその後ろのボードにその月の金額が書いてあります』
『え?鳥を使わずに倉庫の中のボードやトレイが見えるのですか?』
『今その能力を授けましたから、次回からはひとりでできます』
『あぁ、そうなのですね』
『金貨はいつも大まかな枚数を置いておけば過不足をレシートに記載してくれますので次回清算となります。あとは用意された商品を回収するだけです』
『音楽や映画のタイトルなんて分からないですよね。最新のって言っても大変な数が作られているでしょうに、どうやって指定するのですか?』
『その月の各ジャンルの人気ベストテンを仕入れているのです』
『あぁ、なるほど!それだと今何が流行っているのかが分かるのですね』
『映画の最新版がずっと観られるなんて素晴らしいですね』
『既に先代が亡くなって数か月経っているので商品が溜まっている様です。月夜見、ここへ引き取ってください』
『分かりました。今見えている箱を、ここへ引き出せば良いのですね』
「シュンッ!」
「ゴトッ」
『お金はどうしましょう?』
「シュンッ!」
「チャリン」
テーブルの上に金貨が三枚現れた。
『これをテーブルの上のトレイに送ってください』
『はい』
「シュンッ!」
『先程の金貨はこの世界のものと違いましたね』
『あれは、地球に実在する金貨を一枚取り寄せ、同じデザイン、品質と重さで作ったものです。アルカディアの月夜見の執務室の金庫に入っていますのでそこから支払ってください』
『ではこれから毎月、そこで買い物をすれば良いのですね』
『そうです。金貨が無くなれば補充しておきます』
『それは、ありがとうございます』
「月夜見さま、山本さんのところにお願いしなくても良くなるのでしょうか?」
「舞依。一般的なものはそうだね。でも化粧品とか高島女子のチョイスに期待したいものなんかは、やっぱり山本にお願いしたいかな」
「それもあと何年お願いできるのでしょうね」
「そうだね。頑張ってもあと三十年くらいかな」
『これで、ほとんどのことは伝えましたね。あとは其方たちのお役目を説明して終わりです』
『それはいつ行くのですか?』
『二週間後の朝に出発しましょう』
『それは危ないことではないのですよね?』
『全く危険はありません。まぁ、宇宙上に居る時に隕石が飛んで来たら協力して跳ね飛ばしてもらいますが』
『え?宇宙へ行くのですか?』
『一度、宇宙へ行きます。私が瞬間移動で連れて行っても良いのですが、一度くらい低軌道エレベーターに乗るのも良いのではありませんか?』
『あ!低軌道エレベーターで宇宙まで行けるのですね。それは乗りたいかな』
『月夜見さまが乗りたいならば構いません』
あ、低軌道エレベーターで宇宙に行ったら、写真を撮って来てくれと山本に言われていたことを思い出した。宇宙へ行けるなんて凄いことだな・・・
そこからの天照さまの成長は目を疑う程だった。身長こそ倍になるとかはないにせよ、しっかりとした足取りで歩き、食事も最後の五日間は僕らと同じものを量を半分以下にして食べていた。
侍女たちが驚いていたが、天照さまのことは妻たちと相談して、天照さまが居なくなってから教えることにしていたので、そのまま黙っていた。
そして、天照さまと低軌道エレベーターで宇宙へ行く前夜の夕食となった。
侍女たちには配膳が終わると、再び呼ぶまで外で待機している様に頼んだ。
「天照さま。もう最後の夕食となってしまいましたね」
「月夜見、天満月、そして神々たちよ。そなたたちに辛い運命を背負わせていることを申し訳なく思っています」
「これから長い長い時を過ごさねばならないのですから。その苦しさは十分に知っています。ですから、アルカディアにはそれに報いるため、考えられる全てのものを用意してあるのです」
「そうだったのですね。でも考え方としては、アルカディアに沢山の人が先祖代々、暮らしているのです。そこで一緒に生きていくことがそれ程辛いこととは思いません」
「そうだと良いのですけれど」
「今夜で最後なのですから、私に聞きたいことがあれば答えますよ」
「それでは・・・僕たちの中では僕だけが生まれた時から前世の記憶が残っていました。それは何故なのでしょう?」
「それは私がそうした訳ではないのです。恐らくは月夜見が前世で強く執着していたものが記憶を留めたのでしょう。イノベーターの人間たちも自分の研究半ばで命を落とした場合に記憶を留めている者が多い様です」
「そういうことだったのですね」
「では、琴葉は薄っすらとでも千五百年前の記憶が残っているのに、何故僕には残っていないのでしょうか?」
「それは、月夜見が脳に記憶を残すことよりも他のことに多く活用することを優先しているからでしょう」
「そうですね。私は前世でも孤児で巫女でしたから、それ程多くのことを学んでいませんし、脳を活用していた様な覚えもありません」
「脳を活用するとはどんなことなのでしょう?」
「今の月夜見たちが持っている能力というのは、普通の人間では使わない脳の領域を活用して起こしているのです」
「え?そうなのですか?確かに人間の脳はほんの一部しか使われていないということは知っていましたが・・・それでは僕らはやはり人間なのですね?」
「えぇ、古の時代から人間は人間です。ただ、その中のほんの一握りの者だけが、普通は使わない脳の領域を使えたのです。その者たちが神と呼ばれただけなのです」
「では、僕たち以外にも能力を持った者は居るのですね?」
「居ます。ですが、その能力は人に少し自慢できる程度のものでしょう。そなたたちの様な大きな力は私が直接生んだ者だけの様です」
「そして其方たちの中では月夜見が鍵となり、八人の神々を眠りから目覚めさせるのです」
「でも、天照さまが僕らを直接生んだのは、千五百年前ですよね?今回は直接生んでいないのに何故、僕らは使えない筈の脳の領域を使えるのですか?」
「それは魂に刻んであるからです。月夜見の鍵はこの世界に転生した瞬間に発動するように刻まれています。八人の神々は月夜見との関わり方によって、鍵の発動の仕方が変わっているようですけれど」
「そうだったのですね・・・それで妻たちは各々で目覚め方が違うのですね」
「そうですね」
「あの。私も伺ってもよろしいでしょうか?」
「勿論、どうぞ」
「私だけ、五年毎にその時から更に五年後の予知夢を見るのですが、何故、私だけなのでしょうか?」
花音が恐る恐ると言った感じで質問をした。確かに予知夢は花音だけだよな。
「それは各々で、できることが少し違っていることがあるのです。其方は予知夢ができるのでしょう」
「あ!それならば、夢の中で月夜見さまと意識が繋がることもあるのでしょうか?」
今度は詩織だ。それって夢の中でセックスした時のことを言っているのかな?
「えぇ、其方たちと月夜見の間でならば起こり易いでしょう」
「それは私もありましたね」
「舞依。そうだね」
「あ!もしかして桜の目が良いのって、能力のひとつなのかな?」
「それは千里眼の中の能力ですね」
「やっぱり、能力だったんだね」
「私、それが先に能力として発現していたから剣聖になれたのでしょうか?」
「それは、お主の努力の賜物であろう」
「それなら、幸ちゃんは記憶力でしょうね。前世の記憶は戻っていなかったのに漢方薬の成分が自然に思い出されたりしていたものね」
「それは能力なのでしょうか?繰り返し覚え、使っていたことは身体で覚えているという感覚ではないでしょうか。紗良が人工呼吸を無意識にやっていた様に」
「いえ、それも能力ですよ。今言った通り、脳だけでなく身体にも記憶させるという能力です」
「そうだったのですね!」
「何だか、私だけ特別な能力が無いかも知れません・・・」
「陽菜。そうかな?皆、何かしらあるのではないかな?まだ気付いていないだけではないかな?」
すると、天照さまがすぅーっと浮き上がり、陽菜の腕の中に納まった。
「ふむ。其方は念写ができるようですね」
「念写?それはどんな能力なのでしょう?」
「頭に思い浮かべた映像や目で見ているものを紙に写し出すことができるのです」
「あぁ、テレビで観たことがあるな」
「では、旅行に行ったらカメラが無くても見たものを記録できるのですね!」
「それは便利だね!」
「天照さま、もうひとつお聞きしたいことがあるのですが、この世界の神宮では何故、神事を行わないのでしょうか?」
「神事?祭りのことですか?日本では様々な祭りが創られていった様ですね。この世界を創った時の人間は、本能で生きる程度の人たちですから、その様なものは創ることができません。月の都でもそこは神の家ですから、自ら神事など行いません」
「あぁ、そういう訳だったのですね。では何故、神宮を創ったのですか?」
「その昔に病院はありませんでした。人間は病気になると神に救いを求めてやって来ていたのです。それを受け付けるための社として神社を創ったのです。宮司は人間の願いを聞いて、神に伝えるのが仕事でした」
「ですが、神の子に治癒の能力だけが発現したのです。それで、この世界では神の子を宮司として、病気を治癒する様になったのです。その方が神宮の数も増やせますから都合も良かったのです」
「なるほど。そういう訳だったのですね。だから神事も祭りも無いのか」
「私たちの子も治癒の能力は持つのでしょう。やはり子供たちは宮司にするべきなのでしょうか?」
「宮司になりたい者だけがなれば良いのですよ。無理強いしても良いことなどありません」
「それを聞いて安心しました。ありがとうございます」
詩織はやはり、お母さんなのだな・・・
「天照さま、今後の天照さまとの連絡はどうするのでしょうか?」
「それはまた、あのフクロウを派遣します。必要なことがあれば伝えます」
「常にあのフクロウが我々のもとに居る様になるのですね。こちらからの問い掛けにはお応え頂けるのですか?」
「必要なことであれば」
「基本的には自分で考えろということですね」
「そうです」
「分かりました。色々と教えて頂き、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
妻たちが声を揃えた。皆、少し晴れやかな顔になっていた。明日はいよいよ宇宙へ行く。どんなお役目なのか不安はあるが。
そして我が子であり、天照さまであるこの子ともお別れだ。なんだか寂しいな。
お読みいただきまして、ありがとうございました!