3.地球人の立場
しばらくして僕らの日常は戻って来た。
僕は山本にインコの電話でこのことを伝えた。
インコの電話は便利だ。そのインコに一度繋げてしまえば、意識をそちらへ向けるだけでそのインコの視界に入ることができる。あとは目の前に相手が居ることを確認して、話し掛ければ良いだけだ。
「山本!こんにちは!」
「うわぁ!あ!や、やぁ、久しぶりだね!」
「新居はどうだい?」
「あぁ、広くなって快適だよ」
「碧井くん。ありがとう。あなたのお陰よ」
「高島女史、僕は何もしていませんよ」
「いいえ、沢山のお祝いを頂いたからワンランク上の物件を手に入れられたのよ」
「あぁ、そういうことか。お役に立って良かったよ」
「また買い物があるのかい?」
「いや、こちらの世界のことがかなり分かったから報告しようと思ってね」
「え?何が分かったんだい?」
「うん。この星はね、始祖の天照さまが地球のスペアとして創った保険の星だったんだ」
「保険?どういうこと?」
「僕にはよく分からないのだけど、地球は地磁気が弱まって行っているらしいね?」
「あぁ、そうだよ。あと千二百年もすれば日本でオーロラが見える様になるらしいね。それにその地磁気が逆転現象を起こせば地上の生物は絶滅するよ」
「流石、山本だ。良く知っているね。そうして地球の人間が滅びたら生命の痕跡を全て消してから、この世界の生物を転移させるのだそうだ。つまりこの星はその時のために生物を保護しているという訳だ」
「どうやって生物を転移させるんだい?」
「始祖の天照さまにはその力があるそうだ。僕の力では生物は転移できないそうだよ」
「それで低軌道エレベーターのことは分かったのかい?」
「あぁ、それはこの星は地磁気が弱くて生物が生きられない環境だったから、八柱の御柱と北極と南極に柱を造り、それで地磁気を発生させているそうだ」
「あれ?それならば、地球にもそれを造ってくれたら地球人は滅亡しないのでは?」
「あぁ、天照さまは地球の環境汚染を元に戻すことも可能らしいのだけどね。それでも地球人は遅かれ早かれ自ら環境を破壊し、住めなくするだろうとおっしゃっていたよ」
「なるほど。今の地球人では地球をきれいに戻してもらっても、低軌道エレベーターをもらっても、結局はまた自ら破壊すると思っていらっしゃるのね」
「流石、高島女史。そういうことらしいよ」
「まぁ、それはそうだな。オービタルリングで発電した電気が使い放題になるのだろう?そうなれば好き放題に技術を発展させるし戦争もし放題だ。一部の者だけがその権利を握り、莫大な財産を手に入れるのだろうね」
「地球人は一度、滅ぶしかないということね」
「そのための保険がそちらの世界なんだね」
「例えば、天照さまが黒船襲来みたいな感じで地球に現れて、救いの手を差し伸べたらどうなるだろうか?」
「そりゃあ、その時は歓喜して受け入れ、救ってもらうだろうね。その時だけは各国でも協調するだろう」
「でも、天照さまが常に地球に居て、導いてくれる訳ではないのでしょう?そうなれば、元に戻るのは時間の問題でしょうね」
「やはり、そうだよね。天照さまは直接人間に働き掛けないからね。与えるだけであとは人間たちに委ねるんだよ」
「それでは駄目ね。今持っているものを手放して、皆が一からやり直す気持ちになれなければ、同じことの繰り返しになるわね」
「それは、天照さまもおっしゃっていたよ。地球がどうしようもなくなった時に地球人が結束できるかどうかを見ると。国や人種の垣根を越え、己の利益を捨ててでも地球の環境汚染を回復したいと願い行動する時が来たならば手を貸すとね」
「それは・・・どうだろうね」
「それは難しいのよ。自分の技術だけで仕事をしていた人はそれを捨てたら生きていく力を失うでしょう?」
「それって、どんな仕事?」
「例えば工芸職人ね。伝統的な手法でしか作れないものもあるでしょう?でも油やガス、木炭や石炭など、環境汚染に繋がる手法を捨てて電気だけでそれをやれと言ったらどうかしら?」
「うーん。それは反発するし、捨てられないよね」
「そう。捨てられないのは資産家のお金だけではないのよね・・・」
「うん。そうだね。世界のレベルで見れば、領土や資源、様々な利権、言葉と宗教の壁も全て捨てない限りは難しいでしょうね」
「でもさ。環境汚染による気候変動はすぐに地球に住めなくなる訳ではないし、地磁気もあと千年以上は大丈夫とするならば、随分前から準備しているのだね」
「そうだね。あとは地磁気の逆転現象はいつ起こるか分からないとのことだったから、そのためなのではないかな?」
「あぁ、それがあったか。でもその時はもうどうしようもないよね。恐竜が絶滅したみたいな話だろう?」
「そうね。今の地球人の立場から言えることは、起こるかどうか分からないことは心配していても仕方がない。それよりこの人生を謳歌するしかないわね」
「この話を聞いて君たちが地球の未来を悲観しなくて良かったよ」
「まぁ、聞いたところで地方の医師には何もできないからね」
「それより、碧井くんの方が大変なんじゃない?大丈夫なの?」
「うん。僕らは元気にやっているよ。心配は要らない」
「そう。それならば良かった。また必要なものがあればいつでも言ってくれ」
「うん、ありがとう!それじゃぁ、また!」
二人の反応が以外にもあっさりしていて拍子抜けしてしまった。でも、自分が地球に居て日常の生活があったなら、同じ様に自分では何もできないからと気にしない様にするのだろうな。
これがヒーローとかだったら自分が何とかする!なんて立ち上がって行動するのだろうか・・・
こうして別の世界に来て客観的に地球を見ても助けてあげたい、何とかしないと。とは思わないものなのだな。僕は冷たいのだろうか?
その夜、僕は幸ちゃんに助けを求めた。ベッドに入ってから幸ちゃんに今日の話を全て伝えた。
「幸ちゃん、僕は冷たい人間なのかな?」
「月夜見さまは自分でできることとできないことをよく把握されているから、冷たく割り切っていると感じてしまうのでしょう。助けてあげたいと考え悩んでいるのですから冷たいことなどありません」
「この世界で神と呼ばれているとしても、何でもできる訳ではないのですから、どうか自分を責めないでください」
「幸ちゃんにそう言ってもらえると救われるよ・・・ありがとう」
「月夜見さまほど、お優しいお方は居ないのですから・・・それを妻たちは皆、よく分かっていますよ」
「ありがとう。幸ちゃん」
それから二か月が経ち、天照さまは驚くスピードで成長した。首は座っているし、歯も生え始めている。もう念話でなく声に出して会話ができている。
でも、声に出して話すのは僕と妻たちの前だけだ。侍女や使用人の居る前ではまだ話さない。僕たち以外には正体は明かさないつもりなのだろうか?天照さまが居なくなったら皆に説明しなければいけないのにな。
その時のために天照さまの存在はなるべく他人には伝えない様にしておこう。今のところ琴葉が子を生んだことを知っているのは、お爺さんとお父さん以外では、琴葉の両親だけだからな。ただ、この屋敷に出入りする者には知られても仕方がないけれど。
妻たちは朝の乗馬が日課になっている。それが鍛錬の代わりでもある。剣術の鍛錬は桜とフェリックスが主導して、警備担当の者たちと日々訓練をしている。
妻たちは流石にその訓練に参加する訳にもいかないので乗馬をすることになったのだ。月の都の大地を一周する乗馬用の小路を二周するのだ。
紗良、陽菜と詩織も自分の馬を買った。それぞれ、リディ、アリス、ハイデと名付けた。琴葉も天照さまが寝ている間に乗馬を楽しんだ。
「舞衣。ここでの乗馬はどうかな?」
「えぇ、海が見えるし山もあって、景色が良いから楽しいわ。小白も一緒に走ってくれるしね」
「今度、月の都を出て村の先まで行ってみないかい?」
「えぇ、それは楽しそうね」
「月夜見さま。この馬たちは神の住む大地へ連れて行けるのでしょうか?」
「陽菜。移住する前に寿命が来て死んでしまうよ。馬は長くても三十年程しか生きられないからね」
「では、私のアリスが死んでしまったら、次の仔を迎えるのですね」
「そうだね。次の仔が移住する時に生きていたら、勿論連れて行くよ」
「連れて行けるのですね」
「うん。その大地には馬は勿論、あらゆる家畜を飼育しているだろうからね」
「それなら良いのです」
昼食時には天照さまも琴葉と一緒に食堂へ来る様になった。ここでは侍女が居るので念話で会話をする。
『天照さま。神の住む大地へは馬を連れて行くことは可能ですか?』
『問題ありません。家畜は何でも居ます。馬も居ますよ』
『農作物も何でもあるのですか?』
『そうですね。ほとんどの作物を栽培しています。お茶も珈琲もありますよ』
『え?珈琲の木もあるのですか?』
『人間の考えることは同じです。月夜見と同じ様に欲しいものを地球から転移させているのであらゆるものがあります』
『そうなのですね。では一度行って何があるのか確認しないといけませんね』
『四か月後に行きましょう』
今日は妻八人と乗馬に出掛けることとなった。天照さまの授乳が終わってから、舞衣のお母さんに預けて出発した。
月の都の橋を降りて村へ入ると、村役場を越した先の水田まで出てから左に曲がり、水田や畑の様子を見ながら進んだ。
そのまま村を出るとしばらくは何もない草原が続いていた。人が住んでいないと道もない。川に出たが当然橋もない。仕方なく川に沿って上流へ上って行くと池と湖の中間くらいの大きな池があった。
ここまでで一時間は走っていないが丁度良いので休憩することにした。小白も走って来ているので珍しく休憩する様だ。アルやソニアたちに水を飲ませていると池の中に大きな魚が泳いでいるのが見えた。
念動力で一匹持ち上げて目の前に持って来てみると、それは大きな鱒だった。
「これって鱒だね。お寿司とかにしたら美味しいだろうね」
「良いですね。鱒寿司!白ごまを振りかけて大葉を散らして!」
「そう言えば、この世界では食べるとしたら海の魚ではありませんでしたか?」
「あぁ、桜。そうだね。鮎とか鱒とか淡水魚を食べていないね」
「これ、ここで養殖したらどうでしょうか?」
「舞衣。それは良いアイデアだね」
「それで、もし神の住まう大地に淡水魚が居なかったらここから持って行くのです」
「それは良いね。鱒の養殖について山本に本か資料を探してもらおう」
「とりあえず、今日は十匹くらい捕まえて今夜は鱒寿司にしよう」
「楽しみです」
僕は瞬間移動で屋敷の厨房へ飛ぶ。
「シュンッ!」
「うわ!あ!月夜見さま!」
「あぁ、善次郎殿。今、近くの池で大きな鱒がいっぱい泳いでいるのを見つけたのです。これから捕まえてここに送るので、今夜は鱒寿司を作って欲しいのです」
「鱒寿司?で御座いますか?」
「うん。作り方は幸ちゃんが教えますよ」
「かしこまりました」
「それで鱒を入れる箱とか器はあるかな?」
「この大きな籠でもよろしいでしょうか?」
「あぁ、良いね。では、今から鱒を捕まえてこの籠に入れたら、ここに送るから驚かないでね」
「あぁ、突然、現れるのですね」
「うん。では、よろしくお願いします」
「シュンッ!」
「さて、善次郎殿に頼んで来たからね。今から鱒を捕まえて籠に入れて行くよ。じゃぁ、一人一匹は捕まえてね」
「はい!」
皆、池の中を透視しながら大きい鱒を探して捕まえていった。妻たちは、もしこれを手掴みで捕れと言ったら躊躇しただろうが、念動力で直接手に触れずに捕まえるので楽しみながら捕まえていた。十匹捕まえると籠を厨房へと送った。
「シュンッ!」
「幸ちゃん、後で善次郎殿に鱒寿司の作り方を教えてあげてくれる?」
「はい。分かりました」
「それならば、ちらし寿司の作り方も教えておきますね」
「流石、幸ちゃんだね!あ!寿司の本も山本に頼もう!」
僕らは馬に乗って屋敷へと帰った。
幸ちゃん直伝の美味しい鱒寿司を白ワインとともに頂いた。
今夜は琴葉と眠る日だった。ベッドの横には天照さまがベビーベッドで眠っている。
「琴葉、何だかもう身体が妊娠前に戻っていないかい?」
「えぇ、胸以外は戻っているわ」
「あぁ、胸は授乳しているからね。でも凄いね!たった二か月でお腹が元通りだ」
「えぇ、そうね」
「琴葉、ご両親のところへ天照さまを連れて会いに行かないか?」
「え?会ってどうするのですか?」
「全て本当のことを話すんだよ。僕が先に離宮の部屋へ飛んで人払いしてもらうよ。それで僕が念話で呼んだら天照さまを抱いたまま飛んで来るんだ」
「そしてアルメリアの記憶が戻っていることも、千五百年前からのことも、そしてこれからのこともね。全部話してしまおうと思うんだ」
「話してしまって良いのですか?」
「お爺さまとお婆さまだけにだからね。勿論、口外はしないで頂くけれどね。だって、このままではお婆さまが可哀そうだよ」
「お母さまは分かって頂けるでしょうか?」
「きっと大丈夫だよ。お婆さまも琴葉も、このまま会うことが無ければ心残りになってしまうでしょう?そのまま琴葉は五百歳まで生きるなんて辛いじゃないか」
「月夜見さま・・・あなた様は本当に私を見ていてくださるのですね・・・」
「当然だよ」
琴葉を抱きしめて眠った。
翌朝、天照さまに琴葉の両親に会って欲しいとお願いしたところ、すんなりと了承してくれた。
「天満月には辛い思いをさせているのですからね。それくらいのことはさせて頂きますよ」
「天照さま。ありがとうございます」
朝食を済ませてから他の妻たちに事情を説明し、午前中はネモフィラへ行って来ると伝えた。
「シュンッ!」
「わぁ!」
「お爺さま、お婆さま。お久しぶりです。突然すみません」
「おぉ!月夜見か!直接部屋の中へ飛んで来るとは・・・驚いたぞ!」
部屋には丁度、お爺さんとウィステリアお婆さまと侍女が居た。シレーノスお婆さまは不在の様だ。
「あの、人払いをして頂いても構いませんか?」
「う、うん?そ、そうか。分かった」
お爺さんは侍女に目配せをするとすっと退室して行った。
「すみません。これから、琴葉・・・お母さまを連れて来ようと思うのですが」
「え?アルメリアを?でも記憶は?」
「記憶は戻っていますよ」
「え!では、私たちのことは分かるのですね?」
「えぇ、分かります。赤子が生まれましたのでご挨拶にと思いまして」
「まぁ、そうなのですね・・・」
『琴葉、来てくれるかい?』
『はい』
「シュンッ!」
「おぉ、アルメリア!」
「あなた、月夜見を生んだ時と同じ姿ね・・・そしてその子も月夜見と同じ姿だわ」
「其方たちが、天満月の両親か?」
「え?赤子が話したのか?」
「えぇ、そうよ。お父さま」
「私は天照。千五百年前にこの月夜見と天満月それにあと七人の神を生み出したのだ。この月夜見と八人の神たちは五百年に渡って生き続け、そして千五百年後にはまたこの世界に転生し、夫婦となって私の身体を生むのがお役目なのです」
「な、なんですと!」
「今回は、生まれ変わりの巡り合わせが悪く、月夜見と天満月が親子で転生してしまいました。それにより其方たちには辛い思いをさせましたね」
「そ、その様なことが・・・」
「この二人は五百歳まで生き、この世界を支え続けるお役目もあるのです」
「この世界を支え続ける?」
「五百歳まで生きるのですか!」
「そうです。それは簡単なことではありません。それに免じて許してやってください」
「は、はーっ!許さないなどということは御座いません。ただ、不憫に思っていただけなので御座います」
「ですが、この二人は千五百年前から千年前まで、五百年も連れ添っていたのです。またこうして、五百年の時を共に過ごすことになるのです。それは幸せなことなのですよ」
「はい。アルメリアはそれで幸せなのですね?」
「はい。お母さま」
「それならば、私たちも幸せです」
「お母さま。ありがとう御座います」
「お爺さま。お婆さま。ありがとうございます。このお話はお二人だけのお心にしまっておいてくださいますか?」
「月夜見。アルメリア。天照さまの御前なのだ。約束しよう」
「ありがとうございます。それでは私たちはこれで失礼致します」
「月夜見。アルメリア。元気でね。これで最後ではないわよね?」
「えぇ、また会いに参ります」
「そう!良かったわ!ありがとう!」
「シュンッ!」
琴葉の部屋に戻ると琴葉は大粒の涙を流していた。僕はその姿を見て、アルメリアが十五歳の時、無理矢理に月の都へ連れて来られて泣いていた姿に見えてしまった。
僕は、琴葉の肩を抱いて言葉を掛けた。
「琴葉。大丈夫かい?」
「えぇ、嬉しいのです。お父さまとお母さまに分かって頂けるとは思っていなかったから」
「そう。それなら良かった・・・」
琴葉を抱きながら窓の外を見上げると、二つの月がゆっくりと互いに回転していた。
その様を泣きながら見なくて済むようになっている自分に今頃になって気がついた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!