29.八人目の妻
朝食前に月の都の大地を海面に下して鍛錬を行う。毎朝のルーティーンだ。
月の都を海に下ろすとは言っても特に何かをする訳ではない。月の都の大地が海に浮かぶ姿を頭に思い浮かべるだけだ。それだけで大地は徐々に高度を下げて行き、静かに海に着水する。
警備担当の騎士は大地の高度が下がって行くと橋の上に移動して警備を開始する。朝一番から屋敷に運び入れる食材の運搬が始まり、村の住人で月の都で働く者が橋を上がって来るのだ。
その橋で警備をしていたシェイラが朝食が終わった食堂に報告に来た。
「月夜見さま、おはようございます。お食事中に申し訳御座いません」
「シェイラ。おはよう。もう食事は終わったよ。どうしたんだい?」
「今、村から繋がる橋に月夜見さまと面会を希望する親子が来ているのですが」
「面会を希望する親子?」
「はい。以前、ネモフィラ王城で月夜見さまの侍女をしていた者だそうです。如何しましょう?」
「侍女?あぁ、ではサロンへ通してくれるかな?」
「かしこまりました」
僕と妻七人は揃って、サロンへ移動した。昨日から幸ちゃんが結婚式の打ち合わせで来ていたので妻が七人揃っているのだ。
サロンでエーファとカミーユがお茶を皆に配膳していると、シェイラが客を連れて来た。
「月夜見さま、失礼します!お客さまをお連れしました!」
「どうぞ」
その客は、女性と子供が二人だった。その顔を見て皆が驚いた。
「ミラ!」
「え!ミラなの!」
「ミラじゃない!どうしたの?」
僕は固まった。ミラだ。何故、ミラがこんなところに?それも子供を連れて・・・
「月夜見さま。ご無沙汰しております。突然、お邪魔し申し訳御座いません」
「ミ、ミラ。久しぶりだね・・・どうしたんだい?」
ミラの表情には明らかに疲れが現れている。これは何か良くないことが彼女の身に起こったのだろう。
「ミラ。お子さんはお腹が空いていたりはしないかい?」
「あ!そ、そうですね。今朝はまだ何も食べていないのです」
「エーファ。子供たちを食堂に案内して朝食を食べさせてあげて。ケーキもね。カミーユはお客さまにお茶をお出しして」
「かしこまりました」
エーファが二人の子を食堂へ連れて行き、カミーユがミラへお茶を出した。
「ミラの朝食は話の後で良いかな?」
「私は大丈夫です」
「話は僕だけで聞こうか?それともここで皆の前でも良いのかな?ここに居る七人は皆、僕の妻だよ」
そう聞いて、ミラは周りを見渡した。そして絶句する。
「え?ここに居る皆さまが全て月夜見さまの奥さま?」
「ミラ。お久しぶり」
「ミラさま。ご無沙汰しています」
「ミラさま。お久しぶりです!」
「ミラ、元気でしたか?」
「ステラリアさま。ニナ?シエナ?あ!アルメリアさま?え?でも、皆さんお姿が・・・どうして?」
「ミラ。妻たちのことを説明していたら夜になってしまうから、先にミラの話を聞くよ。妻たちが居るここで聞いても良いの?」
「はい。大丈夫です」
「いつ、ネモフィラを出て来たの?」
「三日前です。外国定期船を乗り継いで今朝早くにアスチルベに着いたのです」
「大変だったね。それでどうしたんだい?」
「私、離婚したいのです」
「え?エミール殿と何かあったのかい?」
「エミールさまは二人目の妻、アンネリーゼを妻に迎え、息子のダニエルが生まれてから変わってしまったのです」
「そう言えば、フォルランの結婚式の時、エミール殿にミラはどうしたのか聞いたら、シュルツ領の屋敷に居るからアンネリーゼを帯同させた、と言っていたよ。ミラは元気にしているとも言っていたな」
「私は結婚式に参列するかさえも聞かれませんでした。エミールさまはダニエルを世継ぎにしたいのです。そして、私たちはシュルツ領の屋敷に閉じ込められたままだったのです」
「え!どうして?ミラの息子が長男だよね。何故、次男を世継ぎに?」
「私と息子のクラウスの髪の色が気に食わないのです。アンネリーゼとダニエルはエミールさまと同じ金髪です。瞳は青ですが、エミールさまと義父さまは、ダニエルの容姿の方がシュルツ家に相応しいと考えているのです」
「そんな・・・見た目で世継ぎを決めるなんて・・・」
「百歩譲って、ダニエルが世継ぎでも構わないのです。でもこのままシュルツ領の屋敷に閉じ込められていたら、子供たちが学校に行かせてもらえるかどうかも分からないのです」
「それで、ミラはどうしたいのかな?」
「離婚して子供と共に家を出たいのです。私のお父さまは、離婚自体は構わないと言っているのですが、家に戻ることは許してくださらないと思うのです・・・」
「それで、ここに来たと言うことは・・・」
「私をまた侍女として雇って頂けないでしょうか」
「侍女に・・・」
『あの・・・月夜見さま』
『え?う、うん?花音?どうしたの?今はちょっと・・・』
『月夜見さま!この女性。八人目の妻なのですが・・・』
「えーーーっ!」
「えっ!」
「うわっ!」
急に僕が大声を上げたものだから皆が驚いてしまった。
「あ!ごめん!ちょっと、驚いちゃって・・・」
「い、今更、駄目ですよね・・・突然やって来て図々しいことを言って申し訳御座いません」
「ミラ。そういうことではないんだ。侍女でも何でも良いし。ここで暮らしてもらっても構わないのだけどね。それよりもエミール殿が本当に髪の色だけで世継ぎを決めるのかな?」
「ミラ、僕と一緒にエミール殿のところへ行って話してみないか?」
「いえ、それでも結果は分かっています。私たちの夫婦関係はもう五年前に終わっているのです」
「え?それって、五年前から夫婦関係が無いということ?」
「はい。それどころか、お会いしてもいません」
「え?顔も合わせていない?子供たちも?」
「はい。エミールさまはご両親と共に王都の屋敷で暮らしているのです。アンナマリーは四歳から、クラウスは三歳からエミールさまに会っていないのです」
「あぁ、なんだ。そう言うことなのか。エミールめ、許せないな・・・」
「月夜見さま?」
「僕はエミールやその親たちに言いましたよ。ミラを泣かせる様なことがあれば許さないと」
「あ、あぁ・・・月夜見さま・・・それを、それを覚えていてくださったのですか・・・」
ミラは泣き崩れてしまった。陽菜と紗良が駆け寄り、両側からミラを支えた。
「琴葉、ネモフィラ王国で貴族が離婚する場合はどの様な手続きを取るか知っているかい?」
「貴族はネモフィラ王が結婚を宣言し、認められて夫婦となります。離婚はどちらかが陳情を訴え、相手から聞き取りをし、夫婦関係が破たんしていると認められれば離婚となります」
「ミラ。君のご両親はこのことを知っているのだね?」
「はい。一度相談してからここへ来ましたので。離婚には賛成頂いています」
「では、ミラのご両親は離婚して僕のところに来ることは分かっている・・・そうか。それではネモフィラ王城へ行こうか」
「今からですか?」
「そうだよ。早い方が良いだろう。エミール殿は君がここへ来ていることを知らないのだろう?」
「はい。屋敷の者には実家に行くと言って出て来ていますので」
「もう離婚することでミラの意志は固まっているのだね?」
「はい。それは変わりません」
「では、一日も早く決めて切り替えた方が、子供たちのためにも良いでしょう?」
「はい。そうですね」
「今日は丁度、何もないしね。ではミラ。朝食を食べておいで。陽菜、紗良、食堂に案内してくれるかな?」
「はい。ミラ行きましょう」
「え?ニナ?シエナも?あなた達、背が!」
「そうね。大きくなったでしょう」
ミラは陽菜と紗良に連れられて食堂へ向かった。
「月夜見さま!向こうから現れましたね!」
「花音、本当なのかい?ミラが八人目だって・・・」
「はい。背が高くなって若返れば、確かに夢で見た姿になると思います」
「やっぱり、ミラはそうなる運命だったのですね」
「琴葉、何か分かっていたの?」
「いいえ、月夜見さまがミラを愛していたということだけは分かっていましたけど?」
「そうかなぁ・・・」
「では、ネモフィラ王に直接、ミラの離婚を認めさせるのですね」
「それだけでは許しませんよ」
「シュルツ家に罰を与えるのですね」
「何が良いでしょうね・・・やはり降爵でしょうかね」
「離婚だけで降爵ですか?」
「琴葉。離婚の原因が問題なのです。妻と子を五年間屋敷に軟禁し、子の顔すら見に行っていなかったのですよ。貴族としてあるまじき行為です」
「確かにそうですね」
それから食事を終えた親子三人がサロンに戻って来た。
「アンナマリー、クラウス。これから君たちのお母さまはネモフィラ王に用事があってね、私と出掛けなければならないんだ。少しの間、ここで待っていてくれるかな?」
「はい。神さま。仰せの通りに致します」
「アンナマリーは偉いね」
アンナマリーの頭を撫でると、彼女は真っ赤になりながらも笑顔となった。
「小型船で行ってくるね。お昼までには戻るよ」
「はい。お気を付けて」
「シュンッ!」
瞬間移動でネモフィラ王城の玄関に着いた。衛兵が一瞬驚いた顔をしたが、すぐに僕だと分かり、笑顔で迎えてくれた。
「月夜見さま。お久しぶりです」
「船はここに置いておいてもらえますか。少し王と話があるのです」
「かしこまりました」
勝手知ったる王城の中をずかずかと歩いて行く。まずはフォルランの部屋へ行き、フォルランを伴って王に謁見を求めた。
「伯父さま。今日はお願いがあって参りました」
「月夜見が私にお願い?これは聞かねばなるまいね。どうしたんだい?あれ、その女性は確か月夜見の侍女だった?」
「よく覚えておられましたね。そうです。私が可愛がっていた侍女でミラです」
「彼女に関わる話なのだね?」
応接間に通され事情を説明した。
「彼女は十年前にシュルツ侯爵家の長男エミールと結婚し、一年目で長女を二年目には私の産み分けによって長男を授かりました」
「私は夫婦円満で幸せに暮らしていると思っていたのですが、その後にエミールは二人目の妻を迎え、次男を授かったそうです。ですが、その次男を授かった途端にこのミラに見向きもしなくなり、この五年間はシュルツ領の屋敷に軟禁し、子の顔すら見に行っていないのだそうです」
「な、なんと・・・五年も?!」
「ミラがこのままでは、長女と長男が学校にも通わせてもらえなくなると危惧して、三日も掛けて私のところへ助けを求めに来たのですよ」
「それは酷い話だな。それで月夜見はどうしたら良いと思うのかね」
「まず、ミラとエミールの離婚を認めて頂きたい。そして妻と子を五年間に渡り軟禁した罪としてシュルツ家を降爵させて頂きたいのです」
「ふむ。私は月夜見が怒っている姿を初めて見たよ。シリンガの事件の時でもそこまで怒ってはいなかったものね」
「えぇ、私もこんなに怒ったのはこの世界に生まれて初めてです」
「では、今からシュルツ侯爵と息子のエミールを呼び出して事実関係を問い質すとしよう」
「えぇ、お願いします」
それから王宮騎士団の団長が直々に緊急登城を命じる命令書を王都のシュルツ家に届け、一時間も掛からずにエミールとその父親である、ジョナサン シュルツ侯爵が登城し、謁見の間の床に跪いていた。
「シュルツ侯、エミール、面を上げよ」
「ははっ!」
「あ!」
「ミラ!どうしてここに!」
二人はミラと僕の顔を見て、一瞬にして青くなった。
「エミール シュルツ。ここに居る、ミラ マイヤー シュルツより、離婚の陳述が届いておる。その理由として、ミラとその子供二人をここ五年間に渡り、シュルツ領の屋敷に軟禁し、子に会いに行っても居ないとのこと」
「これが事実であれば、ネモフィラ王国の貴族としてあるまじき行為であるな。しかもお主たちは侯爵家なのであるぞ。下位の貴族たちの模範となるべき立場なのだからな」
「申し開きがあるならば聞こうか。ただし、ここに居られる月夜見さまはお主たちの心が読める故、嘘を申した場合は更に罪が重くなると思えよ」
伯父さんのこれ程までに厳しい表情も初めて見た。一緒に怒ってくれるなんてありがたいことだ。
「・・・」
「エミール。何か言わねば・・・」
「お、お父さま!お父さまがクラウスの髪色は、シュルツ家に相応しくない。とおっしゃったのではありませんか!」
「わ、私は主観を述べたに過ぎない。お前が勝手に決めたことであろう」
「おい!お主たちは、この王の前で親子喧嘩をするのか?」
王の一喝で親子は縮こまってしまった。
「ははーっ、申し訳御座いません!」
「では、陳情は事実であると言うことで良いのか?」
「す、全て・・・事実で御座います」
「エミール殿、シュルツ殿。ミラとの結婚前、私はこの城の応接室にあなた達を呼んで言いましたね。私の可愛いミラを泣かせる様なことがあれば許さない・・・と」
二人はただ青くなり、床を見つめるだけでこちらを見上げることはなかった。
「では、先程のミラ マイヤー シュルツの陳情は全て事実だったことを認めたものとする。これにてエミール シュルツとの離婚を認める」
「また、シュルツ侯爵家については、貴族として罪を与えねばなるまい。侯爵から伯爵へ降爵させ、一部の領地をはく奪することとする。以上である」
エミールとシュルツ殿は、床に手を付き、この世の終わりの様な表情となり、身動き一つできなくなっていた。
ミラは唇を噛みしめ、悲しい表情で壇上から二人を見下ろしていた。
僕はミラの肩を抱いて声を掛けた。
「これで良かったのかい?」
「はい。ありがとう御座います」
ミラは小さな肩を震わせながら小声で礼を述べた。
僕たちはサロンへ移りお茶を頂いた。そこにはフォルランも同席した。
「伯父さま、お手数をお掛けして申し訳ございません。ありがとうございました」
「良いのだよ。月夜見にはお世話になったのだからね。これくらいのことは何でもないよ。それにしても酷いことをする者が居るのだね」
「えぇ、そうですね」
「ミラはこれからどうするのかな?城で預かろうか?」
「いえ、ミラは僕が頂きますので大丈夫です」
「頂く?嫁に迎えるのかい?」
「えぇ。そうです」
「月夜見!一体、何人嫁をもらうつもりなんだ!」
「フォルラン。そう焼くなよ」
「まったく!」
「え?私を妻に?」
「さぁ、ミラ。帰ろうか。皆が待っているよ」
「え?あ、はい」
「では、伯父さま、フォルラン。ありがとうございました」
「うん。またいつでも来てくれ!」
「はい。ありがとうございました!では」
僕はまず、小型船を屋敷に飛ばした。そして廊下を曲がって誰も居ないことを確認すると、ミラを抱きしめて瞬間移動した。
「あ!」
「シュンッ!」
「ここは?」
「僕の屋敷のある月の都の山だよ」
「うわぁ!良い景色ですね!月もあんなに大きく見えているわ!」
僕はミラを抱きしめたまま話した。
「うん。良い景色でしょう。それで、ミラ。さっきの話だけど・・・」
「あ!私を・・・」
ミラは頬をほんのり赤く染めて僕の顔を見上げた。
「ミラ。僕はやっぱり君を忘れられないんだ。僕の大好きで大切なミラ。僕の妻になってもらえますか?」
「え?そんな・・・私なんて・・・子供も二人も居るのに・・・私なんか・・・」
「ミラが好きなんだよ。子供も僕の子にするよ」
「私で良いのですか?」
「ミラを愛しているよ」
「本当に?本当なのですか?」
「うん。信じて欲しい。ミラを愛してる」
「あぁ、月夜見さま・・・私もずっとずっと・・・ずっと愛していました。今からでも良いのですか?」
「今から始めよう!」
「う、う、うわーん!うえっ、うえーん」
子供の様に号泣するミラを抱きしめて背中を擦った。
「今まで子供たちのために沢山我慢して来たのだね・・・頑張ったね。ミラ」
「月夜見さま・・・う、ううう、う。ありがとうございます」
ミラは一頻り泣いた後、やっと笑顔になって僕を見上げた。
僕はミラにキスをした。ミラも僕をきつく抱き返してキスに応えた。
ふたりはふたつの月を見上げる山頂で、長い長いキスをした。
お読みいただきまして、ありがとうございました!