6.新しい使用人
翌朝、宿の受付にシルヴィーとその侍女が立っていた。
「シルヴィー、おはよう」
「おはようございます」
「では、朝食の前に話を聞いておきましょうか」
宿の食堂には奥に個室があったのでそこを借りた。テーブルのこちら側には僕、ステラリアと絵里香が座った。対面にシルヴィーが座り侍女はその後ろに立っていた。
窓から差す明るい朝日に照らされて、シルヴィーの腰まで伸びた赤毛が鮮やかに映えていた。肌の色が白く瞳も赤い。こうしてまじまじと見るとかなりの美人さんだった。
侍女のケイトはブルネットの髪が肩に掛かっている。瞳は茶色でやせ細っているけど、少しふっくらさせたら可愛くなりそうな娘だ。
「それで、シルヴィーは何故、私の使用人になりたいのですか?」
「はい。私は父上からアルノー子爵の後妻に入る様に命じられているのですが、私はどうしても行きたくないのです」
「そのアルノー子爵とは何歳なのですか?」
「五十八歳です」
「シルヴィーは何歳なのですか?」
「十七歳です」
「え?それは・・・」
「ジラール男爵家は、その縁談を断ってもその後のアルノー子爵との関係に問題はないのでしょうか?」
「そ、それは・・・」
「男爵家として子爵家に逆らっては、後々に問題となるかも知れないのですね」
「はい。そうかも知れません。でも・・・」
「シルヴィー。そもそも私が何者なのか知っているのですか?」
「いいえ、存じ上げません」
「誰でも良いので、今の状況から逃げ出したい。そういうことですね?」
「は、はい。図々しい申し出であることは重々承知しているのですが・・・」
「そうですか。私は、月夜見といいます」
「つくよみさま?でございますか?」
「あなたは天照家の・・・神のご一家をご存知ないのかしら?」
ステラリアがやんわりと問い質した。
「え?月夜見さま!神さまの月夜見さまなのですか!あ、あぁ・・・わ、わたしは・・・ど、どうしましょう?わ、私は大変なことを・・・」
「どさっ!」
後ろに立っていた侍女がショックで膝を付いた。シルヴィーも顔面蒼白になって震えている。
「シルヴィーの父上には何人の妻が居るのですか?」
「は、はい。ふ、二人でご、ございます」
「シルヴィーのご兄弟は?」
「は、はい。あ、姉が、ふ、二人とお、弟が、ひ、一人居ります」
その時、絵里香がシルヴィーにお茶を出した。
「シルヴィー、一口飲むといいわ。落ち着かないときちんとお話しできないでしょう?」
「あ、ありがとうございます」
シルヴィーは、こくっと一口お茶を飲むと、ふーっと息を吐いた。
「落ち着いたかな?それで、姉二人は結婚しているのですか?」
「はい。既に嫁いでおります」
「それは貴族の家に嫁いだのですか?」
「いいえ、商人の家でございます」
「シルヴィーには、この後、実家がどうなっても良いという覚悟はあるのですか?」
「はい。このまま命じられた通りに嫁に行くのならば、私は自害するつもりでおりますので・・・」
そう言うとシルヴィーは唇を固く結び、一筋の涙を零した。
「あぁ、そうなのですね。それならば話は早いですね。それでそちらの侍女の方は?」
「ケイトは・・・奴隷で・・・お父さまが買ったのです。家に残れば最悪は・・・」
「ふぅ・・・」
僕はステラリアと絵里香に念話で話し掛けた。
『この侍女も引き取るしかないのかな?』
『まだ、若いのでよろしいのではないでしょうか?』
『うん。分かったよ』
「ケイト。そんなところに座り込んでいないでシルヴィーの隣に座りなさい」
「え?で、でも私は・・・」
「侍女だから?そんなことは良いのですよ。話がしたいのです。お座りなさい」
「は、はい」
「ケイトは何歳なのですか?」
「は、はい。十五歳です」
「ケイトはシルヴィーの侍女でしたね。それ以外の仕事は何かできますか?」
「はい。お嬢さまが学校に通われている間は調理場で働いておりましたので料理ができます」
「料理は好きですか?」
「は、はい。私は料理のお仕事が一番好きですし、自分に合っていると思います」
「ケイトは奴隷なのでしたね。両親を知らないのですか?」
「はい。まだ小さい時でしたので両親のことは覚えておりません」
「そうか。シルヴィーの父上が買い取ったのだね?」
「はい。左様でございます」
「うん。大体分かったよ。では朝食を頂いたらシルヴィーの家に行こうか。絵里香、五人分の朝食を頼んで来てくれるかな?」
「はい」
「え?神さま。私の家へ行かれるのですか?」
「そうですよ。シルヴィーとケイトをもらい受けに行きましょう」
「ふ、ふたりとも使用人にして頂けるのですか?」
「えぇ、それが良いでしょう。シルヴィーは侍女に、ケイトは調理場でそれぞれ働いて頂きましょう」
「う、うわーん・・・う、う、うぇーん!」
それを聞いた二人は大泣きになってしまった。ステラリアと絵里香が二人をなだめていた。
朝食が五人分、運ばれて来た。パンとスープにサラダ、ソーセージと卵焼きだ。
「わ、私は皆さまと一緒に頂くなどできません・・・」
「ケイト。私はね。貴族ではないんだ。この宿だって貴族用ではないでしょう?何も気にしなくて良いのですよ。さぁ、皆で頂きましょう」
「シルヴィーさま、よろしいのでしょうか?」
「えぇ、神さまがお許しになっているのですから。頂きましょう」
「シルヴィー、ケイト。私のことは神さまではなく、月夜見と呼んでくれるかな?」
「え?そ、そんな・・・」
「シルヴィー。良いのですよ」
「は、はい。つ、月夜見さま」
朝食を食べ進めるにつれて、ケイトの表情も明るくなって来た。
「ケイト。美味しいかい?」
「はい。こんなに美味しいもの初めて頂きました!」
「え?今まで何を食べていたの?」
「あ・・・そ、それは・・・」
「はぁ・・・あんまりだね。ケイト。君はどうみても十二歳くらいにしか見えないよ。恐らく栄養失調だね」
「シルヴィー、ケイト。実はね、ここに居るふたりは私の婚約者なんだよ。こちらはネモフィラ王国の王宮騎士団の剣聖、ステラリア ノイマン。そして、こちらは私の侍女として採用していた、絵里香 シュナイダーだ。絵里香はね。平民なのだよ。でもちょっと特別なのだけどね」
「剣聖ステラリアさまに絵里香さま・・・でございますね」
「それでね。私はまだ十二歳なんだ」
「え!十二歳!そ、そんな・・・」
「ふふっ。見えないでしょう。さっきも言ったけれどちょっと変わっているのですよ」
「は、はい。神さまなのですから当然です」
うーん。まぁそれで良いか。
「それでね。僕が十五歳になって成人したら、このふたりと結婚して屋敷を建てるつもりなんだ。シルヴィーとケイトにはそこで使用人として働いてもらいたいんだ。でも今からまだ三年後だからね。それまでのことなのだけど・・・」
三年後と聞いた瞬間、二人は暗い顔になった。やはり三年先では駄目なのだな。
「それまでの間、シルヴィーにはネモフィラ王城に居る、私のお母さまの侍女をして欲しいのです。ケイトには月宮殿の調理場で仕事を覚えて欲しい。どうかな?」
「わ、私がネモフィラ王国のお城で神さまのお母さまの侍女をするのですか?」
「嫌ですか?」
「いえ、嫌なのではございません。私の様な下位貴族の娘がその様な高貴なお方の侍女で良いのでしょうか?」
「今、お母さまの侍女は三人のところをひとり足りない状態なのですよ。そして今居る侍女二人は、子爵家の娘と平民の身寄りのない娘ですよ。私もお母さまも身分など気にしないのです」
「あ、あのぉ・・・」
「なんだい?ケイト」
「月宮殿とは、どこのことでしょうか?」
「あぁ、天照家の者が暮らす、空に浮かぶ島。月の都の宮殿ですよ」
「え!神さまのいらっしゃる天国のことでしょうか?」
「あぁ、そう呼ぶ人も居る様ですね」
「わ、私などが・・・奴隷の私がそんなところへ行っても良いのですか?」
「ケイト。月宮殿には親の居ない人や元奴隷だった人が多く働いているのです。同じ境遇の人ばかりですから安心して働けますよ」
「ほ、本当ですか?」
「あ!で、でもケイトを連れて行くなら奴隷の保証金を払わないといけませんが」
「あぁ、そうか。幾らくらいなのでしょうね?シルヴィーは知っているのですか?」
「はい。ケイトは金貨五枚だったかと」
「え?金貨五枚?」
「高いでしょうか?」
「いや、安過ぎますよ・・・」
たった金貨五枚で売られてしまうなんて・・・
朝食を食べ終わり、僕らは船に乗った。
「シルヴィー、屋敷はどちらの方かな?」
「はい。西の方角です」
僕は力で強引に高度を上げると、西へかなりの速さで飛んで行った。
「シルヴィー、屋敷の近くになったら言ってくれるかい?速度が速いから通り過ぎない様によく見ていてね」
まだ、十分も飛んでいないがシルヴィーが叫んだ。
「あ!もう屋敷が見えて来ました。あれです」
シルヴィーが指さす屋敷を確認すると高度と速度を落として屋敷に近付いて行った。
「もう着いてしまいました!今朝は一時間掛けて王都まで行ったのに・・・」
「さぁ、着きましたよ。降りましょうか」
「月夜見さま。狭い屋敷ですがどうぞお入りください」
「まぁ!シルヴィーどこへ行っていたのですか?あら?お客さまなのですか?」
「お母さま。神さまの月夜見さまです」
「か、神さまの?あ!あぁ・・・ほ、本当に!す、すぐに旦那さまを呼んで来ます!」
応接室に通され安いお茶が出された。まぁ、僕にはお茶の味など正直言ってよく判っていないのだけど。
シルヴィーは神妙な表情で座っている。程なくして、妻に呼ばれたジラール男爵と第一夫人が血相を変えてやって来た。
男爵は四十五歳くらいだろうか、茶髪に茶色の瞳、気の弱そうないかにも下位貴族の主人といった風貌だ。貴族の威厳はない。
第一夫人とおぼしき女性は四十代前半、シルヴィーの母で第二夫人が三十歳前半くらいだろうか。二人とも貴族の華やかさからはかけ離れている。苦労が絶えないのだろう。
「これはこれは、神さま。我が家にどの様なことで?」
最早、きちんとした貴族の挨拶すらできない人の様だ。まぁ、必要はないのだけどね。
でもステラリアの表情が厳しくなったのを感じた。
「いや、昨夜、王都で食事をしていたところ、シルヴィーと出会いましてね。とても良い娘さんなので是非、私の使用人として来て欲しいとの話になったのですよ」
「え?私の娘を神さまの使用人に?」
「えぇ、シルヴィーの侍女のケイトも一緒にね」
「あ!あの・・・実はシルヴィーには既に縁談の話がありまして・・・」
「ほう、天照家に入るよりも重要な縁談があると申すのですかな?その縁談相手とは、一体どれほど身分の高いお人なのですか?もしやビオラの王族とか?それならば私が自ら、王に交渉させて頂きたいと思いますが?」
「あ、あぁ・・・その様な身分のお方ではないのです。実はお恥ずかしい話なのですが、我が家にはそのお方に借金がございまして・・・」
「あぁ、借金の形に娘を差し出そうというお話しでしたか・・・で?借金とは如何程?」
「そ、その・・・積もり積もったもので・・・白金貨一枚と大金貨八枚程の金額に・・・」
「そうですか。では、私がその借金を肩代わりすれば、二人をもらい受けても良いでしょうか?」
「そ、それは勿論、問題ございませんが・・・」
「分かりました。ここに白金貨が二枚あります。これだけあれば、ケイトの奴隷の保証金と借金に利息を付けて返済することが可能ですよね?」
「は、は、白金貨!は、初めて見ました!これが白金貨。それも二枚も!よ、よろしいのですか?」
「えぇ、これでシルヴィーとケイトは私が使用人としてもらい受けても良いのですね?」
「は、はい。娘をよろしくお願いいたします」
「そういうことだ。シルヴィー、ケイト。すぐに出発するから身の回りのもので持って行きたいものだけまとめて持っておいで。服は今、着ているものだけで他は一切要らないからね」
「は、はい。すぐに用意して参ります。ケイト!行くわよ!」
「はい。シルヴィーさま!」
二人は笑顔で自室へと走って行った。
「ジラール殿。貴族というものも大変ですね」
「はい。私の領地の様に農地しかないところでは納税だけで精一杯でございます」
「でも、これからは息子さんだけになるのですから借金をせずにやって行ける様に工夫して行ってください。決して、孫を多く作らせて身売りする様なことのない様に」
「は、ははーっ!神さま。肝に銘じます。我が男爵家と娘をお救いくださり、ありがとうございました」
「む、娘を・・・シルヴィーをよろしくお願いいたします!」
最後は娘を心配する親ではあるのだよな。貴族って奴は面倒なものだ・・・
「月夜見さま。お待たせいたしました」
シルヴィーは鞄ひとつ。ケイトは小さな風呂敷包みひとつだけだった。
「よし、では行こうか」
「あ、あの、どちらへ行かれるのでしょうか?」
「これから月宮殿へ向かいます」
「月宮殿!あ、あの神さまの住まう天国へ?」
「では、行きましょう。シルヴィー、最後のお別れを」
「お父さま、お母さま。今までありがとうございました。お達者で」
「シルヴィー!元気で。神様の下でしっかり働くのですよ!」
「シルヴィー。お前には何もしてやれなかったな。済まなかった。幸せになるのだよ」
シルヴィーも両親も号泣していた。最後にやっと気持ちの通じる家族に戻れた様だ。
「さぁ、船に乗って。行くよ」
「シュンッ!」
「あぁ・・・消えてしまった!これが神の御業なのか・・・」
「シルヴィーは神に仕える者となるのですね・・・」
「シルヴィーのお陰で借金もなくなった。我々はシルヴィーに救われたのだな」
僕たちは月宮殿へと飛んだ。
「シュンッ!」
「さぁ、月宮殿に着いたよ」
「ここが神さまの住まう天国なのですね・・・」
庭園の外れから歩いて宮殿へと入った。
「あの。月夜見さま。先程の白金貨二枚という金額は、私とケイトが一生働いてお返しできる金額なのでしょうか?」
「シルヴィー、ケイト。お金をあなた方が返済する必要はありません。これからはお腹一杯食べられるし、必要なものは買い与えます。お金の心配など要らないのです」
「本当によろしいのですか?」
「よろしいのです!」
「あ!お兄さま!また新しい女性ですね!」
「水月姉さま。お父さまを応接室へ呼んで頂けますか?」
「はーい」
僕らは応接室に入って待った。
「おぉ、月夜見。旅に出ていたのだろう?どうしたのだ?」
「はい。お父さまにお願いがありまして」
「何だい?」
「このケイトをここの調理場で修行させたいのです。これから二年で、ここの料理を作れる様に指導して欲しいのですよ」
「その後は月夜見がどこかで使うのだな?」
「はい。ケイトは今まで男爵家に奴隷として買われ、調理場の仕事と侍女の仕事をして来ていますので、料理の基本はできていると思います。この宮殿の料理は下界とは違いますから、一から教えてやって欲しいのです」
「うむ。分かった。それくらいお安い御用だ。それで見たところ、着るものも持っていない様だな」
「はい。そうなのです。それにケイトはまともなものを食べさせてもらっていなかった様で、この様に十二歳くらいに見えますが十五歳だそうです。その辺も踏まえて、申し訳ございませんがよろしくお願いいたします」
「うむ。分かった」
「すみません。それでは僕たちはまだ行かなければならないところがありますので」
「うん。急いでいるのだな?また来てくれ」
「はい。ありがとうございました」
「では、シルヴィー、しばらくの間ケイトと会えなくなるからね。一旦、ここでお別れだよ」
「ケイト!今までありがとう。でもこれが最後ではないからね。また会えるからしばらくは別々の場所だけど頑張ろうね」
「はい。シルヴィーさま。私、もう奴隷ではないのですよね?」
「えぇ、ケイトはもう奴隷ではないのよ。好きなお料理の仕事ができるのよ!」
「はい。嬉しいです!」
「では、ケイト。しっかり食べて頑張るのだよ」
「はい。月夜見さま。ありがとうございました」
「よし、では行こうか」
僕らは船に乗ってネモフィラのプルナス服飾工房へ飛んだ。
「シュンッ!」
「ビアンカ。久しぶり・・・でもないね。先週、この服を受け取ったばかりだったね」
「はい。いらっしゃいませ。今日はどの様なものをお探しですか?」
「うん。この男爵令嬢のシルヴィーが新しく僕とお母さまの侍女になるんだよ」
「はい。かしこまりました。ニナさまやシエナさまと同じ服を下着から全て揃えるのでございますね?」
「そうです。このまま仕事をさせますので、ひと揃え着せてしまってください」
「かしこまりました」
ビアンカは既に心得ているのでシルヴィーの寸法だけ測ると、あっという間に全てを揃え、お仕着せの様に異世界の服を着せた。
「さぁ、出来上がりましたよ!」
「あぁ、似合いますね。シルヴィー、この衣装は気に入ったかな?」
この服を着せて改めて見るとシルヴィーは大変な美人だった。
「あ、あの、こんなにきれいな服を着るのは初めてです。それに下着も!」
「気に入ったなら良かったよ。では行こうか」
ビアンカに代金を支払って船をネモフィラ王城へと飛ばした。
お読みいただきまして、ありがとうございました!