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出来心で「やだ♡超好き♡」という名前をヒロインに付けて、そのヒロインに転生してしまった結果

作者: 雪野原よる

「やだ♡超好き♡、この問いに答えなさい」


 これは数学の教師の言葉。上から目線で私に告白してるわけでもなければ、プロポーズの答えを待ってるわけでもない。


「次、やだ♡超好き♡!!」


 これは武術の先生。

 ただ順番に名前を呼ばれただけなのに、ビシッとした張りのある声と「♡」部分の音が合わさって、何とも言えない不協和を醸し出している。


 そう、私のことを本当に好きなわけでもないのに、私の名前に「♡」が入っているせいで、ちょっと媚びた感じに音尾が上がるのだ。それが正確な音なので、皆真面目に発音してくれている。


 それが大いなるカオスを生んでいるとも知らずに……


「図に乗るなよ、やだ♡超好き♡!」


 これは同級生のシリル・ナインスゲート伯爵令息。


 授業の合間休みになるたびに私の机まで押しかけて来て、秀眉をそびやかして怒る彼は、別にツンデレというわけではない。

 彼はただ純粋に(?)私が気に入らなくて、くってかかっているのだ。それは分かってる。分かってるのに……


「一回ぐらい俺に競り勝ったからといって、いい気になるなよ平民やだ♡超好き♡」


(平民が滅茶苦茶好きみたいに聞こえるなあ)


 この感想を誰とも共有できないのが辛い。


 私は机の上に頬杖をついたまま、ぎゃーぎゃーと騒いでいるシリルを無表情な目……というより虚ろな目で眺めた。


「……」

「な、何だその目は! なんで俺をそんな目で見る、やだ♡超好き♡!」

「……ごめんなさい」


 いろんな意味で。


 私がこんな名前(やだ♡超好き♡)でなければ、この人も本人の知らぬ間にツンデレ(疑似)にさせられることもなかったのに。


 まあ、本人は気付いてないわけだし、ダメージは全て私に回ってきているのだけど。


 ここは、私が前世でプレイしていた乙女ゲームの中の世界だ。携帯ゲーム機でプレイできて、特に過激な展開もないお手軽なゲームだった。たまたま出来心を起こして、「一回ぐらいお遊びプレイをしてみてもいっか」と、ヒロインにおちゃらけた名前をつけ、最初のチュートリアル画面で「学園にようこそ、やだ♡超好き♡」と言われて爆笑しているところにトラック横転の大惨事。そのおちゃらけネームのまま、ゲーム世界に転生してしまうなんて一体誰が予想できただろうか。


 誰も予想できまい。だから根本では私は悪くないと思うのだけども。


(こんな名前、つけなきゃよかった……)


 今では心底後悔している。


 生まれ変わって16年、流石に慣れはしたのだ。街を歩けば知り合いが「やだ♡超好き♡」と呼びかけてくる。悪いことをすれば父親が真剣な口調で「よく聞きなさい、やだ♡超好き♡」と諭してくる。そんな経験を何百回と重ねていればそりゃあ慣れるしかない。だがその代わりに私の表情筋は死んだ。


 喜怒哀楽の感情も大分死んだ。だって、どんなシュールな状況でも動揺できないのだし?


 感情と表情筋が死んでるヒロインである。そして、どんなにこれが「ヌルゲー」の世界でも、感情と表情筋が死んだヒロインが攻略できる攻略対象なんていない。というか、私が嫌だった。


(「やだ♡超好き♡」とか言いながら口説いてくる王子様とか、見たくない……)


 ゲーム画面越しなら笑って終わっていたのだけれど、これが現実となると受け止めきれない。無理。脳が理解を拒んでる。


 だから、私は恋愛を諦めた。


 貴族ばかりが通う学園に頑張って通っているのは、とにかく勉強をして資格を取るためだ。今生は真面目に働きながら、おとなしく、ひっそり生きると決めている。攻略対象には関わらない。お互いの平和な人生のためです。


 なのに。


「ま、また無視する気か! 無礼すぎるぞやだ♡超好き♡!」


 伯爵令息が騒ぐ。


 ツンデレどころかドM発言みたいになっている気がする。「ふーん、そんなに無礼なのが好きなんですか?」とか聞き返して苛めたくなる……ああ、駄目だ私。


(……どうしてこんな風に思っちゃうかなあ)


 重たい溜め息が込み上げて来そうになるのを、喉の奥で噛み殺す。


 慣れてるはずなのに。彼に何度名前を呼ばれようと、いつも通りにガラスみたいな眼差しで聞き流せるはずなのに。


 私は、このきゃんきゃんと小型犬みたいに絡んでくる少年を無視できないのである。彼が「やだ♡超好き♡」と叫ぶたびに何だか微笑ましくて、可愛くて……これ、同級生に向ける感情で合ってる? 何か間違えてない?


(だって、叫ばなくても可愛いんだもん……)


 私と同じくらいか、あるいはちょっと高いぐらいの身長。貴族らしくいつも身奇麗に整えられている服装と、品のいい身のこなしは血統書の証。ふわっふわした小麦色の髪は仔犬の毛並みのようで、その髪を振り立て、純度の高い凍るような青色の目をきらきらと輝かせながら私にくってかかってくる様はまるで……飼い主に構って欲しくて跳ねている犬。


(いや、他所んちの子……じゃなかった、他人の男性だし)


 たまに頭を撫でたくなるのだけれど、彼が本当に「やだ♡超好き♡」などと思ってないことはわきまえている。あくまで疑似ツンデレであって真性じゃない。迂闊に手を出したら噛まれるか引っ掻かれるかだろう。……などと思っている時点で私の思考も歪みまくっている。


「……ええと、何の御用でしたっけ?」

「なっ……聞いてなかったのか?!」

「はあ」


 ちょっと情緒が忙しくて。


 普段ピクリとも動かない感情が揺れているのである。私的には異常事態だし、水面下では滅茶苦茶忙しいのだ。精神的に。


 表情筋は未だに全く動かないけれど。


「くっ……この平民め……金の掛かった教育なんて一切受けてないくせに! 俺達は貴族として、幼児期から家庭教師たちにみっちり仕込まれてるんだぞ。そんな俺達に成績で競って勝つとか、お前は一体何なんだ、やだ♡超好き♡!」

「え、褒められた? まさか、本物のツンデレに進化した?」

「そんなわけあるか! 馬鹿者ォォ!」


 魚が飛び跳ねるみたいに頭を大きく反らすと、シリルは怒涛の勢いで走り去っていった。あれはあれで、全身の毛を逆立てた猫ちゃんみたいで可愛いな……と思いながら、私はその背中を見送ったのだけれど。


「よっ、モテモテだねえ、やだ♡超好き♡」


 隣の席に座るアンリネッタが、茶化すような声を掛けてくる。アンリネッタ、いいね、私もそういう真っ当な名前の人生を歩んでいたかったわ。


「あれはモテてるって言わないと思うんだけど。うーん、何て言ったらいいのか」

「まあまあ。ところで、あんたに呼び出しが来てるんだけど」

「呼び出し?」

「昼休みに屋上に来い、だって」







 実際の伝言は「迷惑でなければ屋上に来てほしい、少し話がしたい。このことで、君が何ら被害をこうむることはないと保証する」だった。

 庶民相手に気遣いができる人、それがアレン王子殿下である。


 この学園の三年生。あと一ヶ月ほどで卒業するのだけれど、その後は同盟国の大学に留学なさる予定だとか。なお、このゲームのメイン攻略対象でもある。


(私は攻略してないんだけど)


 近づくことさえ避けていた。でも、ヒロイン補正か何かなのか、学園祭やら生徒会絡みの事件やらで顔を合わせる機会は何度かあったりして、殿下の関心を軽く惹きつけてはいたみたいだ。主に成績のいい平民として。


「すまないね、呼び出したりして」

「いえいえ」


 晴れ渡った空の下、金の髪を靡かせた王道王子様! という雰囲気のアレン殿下が微笑んでいる。私は慎重に、数歩だけ近づいた。


 一定の距離を開けることは忘れない。相手は王族だし、絶対どこかに護衛がいて見張っているだろう。それに、うっかり近付いて心の距離まで縮めたくはない。


(まあ、もう警戒する必要もないんだけど)


 私は知っている。こうやって屋上に呼び出されるのは、アレン王子のノーマルエンドだ。恋には満たない関係の後、留学先の異国へと旅立っていく王子。その前に、「君がいたから、私はまだまだ学ばねばならないものがあると気付けた」とヒロインに告げるのだ。


 今、私はまさしくその一場面を体験しているらしい。


「君には感謝しているんだ、やだ♡超好き♡」


 王子が、ゆったりと微笑みながら言う。


 その「♡」発音は、上級者向けの掠れ音だった。


 ルビを振るとしたら、「やだ(ハァ)超好き(ハァ)」みたいな感じになる。王子には申し訳ないのだけれど、私の背筋にはゾクゾクゾク! と物凄い量の悪寒が走った。同時に、私の脳裏で冷静な声が囁く。もしも私がこの人を攻略して王子妃の座に収まっていたとしたら、全国民にこの名前が知れ渡り、公式の場でこの呼び方をされ、国の歴史書に残ってしまっていたのだ……無理。絶対に無理。


「君の、常に研鑽を厭わない姿勢に強く揺り動かされた。私が王族としてより良きものになれるとしたら、君の影響あってのものだ」

「いえ、私こそ殿下に感謝しています。殿下の(私の名前の呼び方がいかがわしすぎる)お蔭で、自分が目指すべき道を見つけられたんです」

「……やだ♡超好き♡……」


 できれば私の名は呼ばないで下さい、本当に。


 ……と言えたら良かったのに。


 相手は王族だし、身分の垣根を越えて本音を言い合えるほどの仲でもない。王子殿下はそれなりに私に好感を抱いてくれていたらしいのだけれど。


「初めて会った時から、君には強い印象を植え付けられていたよ」


 そりゃ、こんな名前の人がいたら普通は忘れませんよね!


 ……ということではないのは分かっている。


 ゲーム世界のお約束というべきか、この世界では誰も私の名前の異常さには突っ込まない。殿下は私の名前を初めて聞いた時、「やだ♡超好き♡か……とても良い名だね」と微笑んだのだ。※ありがちイベント


 その殿下の言葉を聞いた瞬間、私はほんの少しだけ残っていた「この世界で恋愛ができるかもという期待」を投げ捨てたのだった。もはや笑いを通り越して悲劇が起き始めている。私の一瞬の出来心のせいで。


「君も息災で。元気で過ごしてくれ、やだ♡超好き♡」

「……はい、有難うございます」


 爽やかな風が吹き抜けた。


 別れの気配と、未来へ向かう新たな希望を感じさせる風。


 こうして私たちは、それぞれ分かたれた道を歩き始め、後に会うこともなかったのである……(ノーマルエンド・完)








(ああ、シリアスなイベントだったのに……名前一つで破壊された上、笑う気さえ起きないなんて)


 溜め息をつきながら、私はとぼとぼと階段を下りていた。


 疲れた。なんだかとてつもなく疲れた。


 これは、おちゃらけネームをつけてゲームを遊ぼうとした私に対する、創造神か何かの下した罰なのだろうか。だとしたら滅茶苦茶効いてるんですけど……つらい……などと、暗く重たい思考に沈んでいた私の前に、ぱっと明るい日差しが差し込むように、小麦色の髪が飛び込んできた。


「おい、平民!」


 校舎の窓から落ちる光がちょうど彼の上に掛かって、その小柄な姿を輝かせている。


(ああ、キラキラだなあ)


 その髪も青い目も、私を見ると「飼い主!」という感じで全身イキイキしてしまうところも、眩いぐらい生気に溢れていて可愛い。見てるだけで元気が出る。


「殿下がお前を呼び出されたと聞いたが、一体何が……」


 勢いよく言いかけたところで私の顔を見て、彼は言葉を切った。

 

「……お前、疲れてるな? やだ♡超好き♡……」

「いや、大丈夫ですけど。心配してくれるんですか?」

「なっ……」


 シリルが少し赤くなった。これ、もうツンデレ(疑似)ではなく、ツンデレ(真性)ってことで良くない?


「ば、ばば馬鹿を言うな。俺はただ、お前が殿下に何を言われたのか気になって……」

「ほほう」

「何だその態度は! やめろ、そんな目で見るな!」


 そんな目(ツンデレを見る目)になっていたことは認める。


 私はとりあえず普段の目付き(仔犬みたいな同級生を微笑ましく見る目)に戻して、軽く肩を竦めた。


 平坦な声で言う。


「殿下とは特に何もなかったですよ。留学なさるに当たって、成績上位者の私に、今後も頑張るようにと激励を頂きました」

「そ、そうなのか……俺はてっきり」

「てっきり?」

「なな何でもない」


 シリルが口ごもる。


 それはもう、どこまでも揶揄っていたくなるような微笑ましい光景なのだけれど、あいにく、今は時間がない。


 私は淡々とした声を投げ掛けながら、歩を進めて彼の隣を通り抜けた。


「そろそろ次の授業が始まっちゃいますよ。行きましょう、伯爵令息様」

「あ、ああ」

「シリル様?」


 立ち竦んだまま動かない彼を振り返ると、彼が掌をきつく握り締めるのが見えた。


 深く息を吸い込むのに合わせて、その背中が動く。


「……おい」

「はい」

「うちはそれなりに金もコネもある家だから……あちこちに口利きを頼める。平民をめ、娶るなんてあまり例のないことだが、前例がないわけでもないし……」

「?」

「お前は頭もいいし、両親も喜ぶ。だから、その」

「……」


 え、何この展開?


 一体何が?


 私がついていけずに呆けていると、シリルは声を昂ぶらせ、


「だから、俺は……! やだ♡超好き♡、好き……だ」


(えっ)


 今、「好き」が二つあった?


 二つ目の「好き」は聞き逃しそうになるぐらい小さく、語尾の「♡」もついていなかったのだけれど、驚くほどくっきりと、私の鼓膜を揺らして焼き付いた。


「……ええい! 俺は言ったぞ、だからその……返事を待っているからな!」


 振り向いて、真っ赤な顔で私をキッ! と睨んだシリルは、私の答えも待たずに私の傍を駆け抜けて去っていった。相変わらず、こういうときは毛を逆立てた猫ちゃんみたいだな……と思いながら私はその場に立ち竦み、


「……え?」


 状況が頭に沁み込むまでには、かなりの時間を要した。







「ねえ、どうしたの? あんたが授業に遅刻するなんて珍しいわね」


 隣の席から、アンリネッタがひそひそと声を掛けてくる。


「な……何でもない」


 私の声が小さく掠れたのは、教師の目を避けたから、だけではない。


 アンリネッタはこちらを見て瞬きし、それから大きく目を見開いた。


「……え? 真っ赤! それに、顔が……あれだけ無表情だったのに……あんたの表情、動いてるじゃない」

「そ、そう?」


 私はそっと自分の頬に触れた。


 私がこの世界に転生して16年。徐々に死んでいった感情と表情筋は、ちょっとした言葉と行動だけで一気に復活してしまったらしい。それは、枯れた草に少しの水を与えるような奇跡で。


「どうしたの? 何があったの」

「いや……………真性ツンデレって、恐ろしいね」


 好奇心にイキイキとしたアンリネッタの声に、私はただそれだけをボソボソと呟いて、熱くなった頬を机に伏せた。



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