#02 悪魔崇拝と生贄
俺は自室に戻って荷造りを始める。
と言っても、俺の私物はあまり多くない。
ほとんど親から何も買い与えてもらえなかったからだ。
思えば、本当に最低な人生だった。
物心ついた時から、優秀な兄と無能な弟。
あらゆる人間から区別、いや差別されて育ってきた。
兄ばかりが良い物を持ち、良い待遇を受ける。
一方、俺には何もない。
食事にも大きな差があった。
使用人の態度も兄と俺とでは露骨に違った。
そして兄は事あるごとに俺を虐める。
苛立てばすぐに俺を殴り飛ばした。
正直、この家での生活に未練なんてこれっぽっちもない。
むしろ、追放されて清々してるまである。
「ディノ様……」
そんなことを考えていると、一人の女性が俺の部屋に入ってきた。
メイドのイリナだ。
俺と同い年の、金色で単発の女の子。
ああ、そういえば。
君だけが心残りだ。
イリナは使用人の中で唯一俺のことを気にかけてくれた。
彼女だけが俺に優しくしてくれた。
使用人が嫌がらせで俺の食事を一週間以上も取り上げられた時も、彼女がこっそり食事を差し入れてくれたから、俺は生き延びることができた。
家を追放されるということは、彼女と二度と会えないということだ。
それだけが少し寂しかった。
「本当に、家を出ていくのですね」
「ああ。父が決めたことだからな。俺にはどうすることもできない」
「一人でどうなさるおつもりですか?」
「仕事を探すよ。俺にでもできることはあるはずだ」
そこまで言うと、イリナが俺の手を掴んできた。
「……どうした、いきなり」
「ディノ様。よろしければ、私も一緒に連れて行ってくれませんか?」
イリナが俺の目を真っ直ぐ見ながら言う。
何故そんなことを?
俺についてきたって何の特にもならないのに。
「覚えていますか、ディノ様。私が使用人になって間もない頃、ディノ様に助けてもらったことを」
あれは……。
俺とイリナがまだ幼かった頃。
新人のイリナに使用人たちが嫌がらせをしていた。
それを俺が庇い、使用人はやむなくイリナへの嫌がらせを辞めた。
あの頃は、今ほど俺の扱いも酷くなかったからできたことだ。
「そんな昔のことに恩を感じて、俺についてきたいって言うのか? そんなことしても、君に迷惑がかかるだけだぞ?」
「いいんです、それで。私は貴方のお側に居られれば、それでいいんです」
イリナの目は、本気だ。
本気で俺と一緒にいたいという覚悟を感じる。
「ありがとう、イリナ。君と一緒にいれば、どんな苦労にだって立ち向かえる気がするよ」
「……ディノ様」
俺とイリナが新たなる旅路に胸を膨らませ、抱きおうとした瞬間、
「すまんが、それは無理だ」
父が部屋の中に入ってきた。
「父上!」
「さっきは家族の手前ああ言ったが。ディノ、私はお前を家から追い出すつもりはない。身内の恥は身内が処分しなければならない」
そう言って、父は何人もの兵士を連れてきた。
明らかに不穏な気配。
俺はイリナを庇うように兵士たちの前に出る。
「何のつもりだ」
「ついてくればわかる。抵抗しなければ、手荒な真似はしないぞ」
俺は父に言われるがままにするしかなかった。
兵士は武装している。
その気になれば、俺とイリナなんて一瞬で始末することができる。
イリナの安全を考えれば、従うのが懸命だ。
「わかった。だが、イリナの安全だけは保証してくれ」
「ああ、大事な晩餐だ。丁重に扱うとも」
晩餐?
何のことだ?
意味がはわからないが、父からの説明もない。
そのまま俺とイリナは屋敷の奥へ連れて行かれた。
今まで立ち入ったことがない屋敷の地下室。
その際奥まで連れて行かれたところで、俺は驚愕の光景を目にする。
「これは……?」
巨大な大穴。
底の見えない、果てしない大穴がそこには広がっていた。
「なんで屋敷の地下にこんなものが?」
「これは冥界に繋がる穴だ」
ようやくここで父が説明を始める。
「この穴の底には太古の時代、最強と恐れられた魔王の魂が眠っている。我ら一族はその加護を受け、強いギフトを持った人間が生まれやすいようになっていた」
魔王?
そんなの創作上の存在だ。
世界のどこにも魔王が存在したなんて証拠は残っていない。
「信じていないようだな、だが断言する。魔王も、その配下の悪魔たちも実在した。そしてその魂は国中に眠っている。このライナーク公国の貴族は、その悪魔たちを崇拝し、対価として力と名誉を得ているのだ」
突拍子もない話だ。
まるで信じがたい御伽噺。
だが実感として感じる。
この穴の底には何かヤバいものが眠っている。
異様な寒気が全身を走った。
「そして対価を得る条件は、穴に生贄を放り込むこと。特に一族と血縁関係のある生贄は価値が高い」
父が気味の悪い笑みを浮かべながら俺を見る。
そこまで聞けば嫌でもわかる。
俺は悪魔の生贄にされるんだ。
「ディノ! お前が生まれてから私は恥しかかいてこなかった! 弱者は罪だ! 役に立たん無能など、我がボロス家には必要ない! だがお前は生贄としてなら価値がある! その命を持って、私の役に立てることを誇りに思え!」
そんなクソッタレな台詞をぶちまける父。
ふざけるな。
これが親のやることかよ。
いや、この男は父親でも何でもない。
人間ですらない。
コイツこそが本物の悪魔だ。
「ふざけるな! そんなことのために、俺もイリナも死んでたまるかってんだ!」
「ん? 何を言ってるんだ? 生贄はお前一人だけだぞ、ディノ」
そう言って父はイリナの手を無理やり掴む。
「この娘はディナーになるんだよ! 最も美味い肉を知っているか? それは牛でも豚でも鳥でもない、人間の肉だ。特に草食の人間の肉だ。大穴を見られたからには、この娘を生かしておくことはできない。ありがたく頂くとしよう」
舌なめずりをする父。
それを聞いて、未だかつてないほど俺はキレる。
「そんなことさせるかァァァ!」
俺は叫びながら、怒りに任せて父に殴りかかる。
しかし兵士に阻まれた。
非力な俺は兵士の一人にも勝つことができず、拘束される。
鎖で全身を縛り上げられた。
不思議な鎖だ。
触れているだけで力が出せなくなる。
まるで魂を直に縛りつけられているようだ。
「兵士、さっさとそれを穴に落とせ。お別れだディノ。まあ、来世ぐらいは幸せになってくれ」
父が言うと、兵士が穴に向かって俺を運んでいく。
クソ!
俺は何もできないのか。
兄や父の言うとおり、俺は本当の無能なのか?
俺には何もない。
女の子一人すら助けることができない。
俺にそんな力はない。
何か一つでもいい。
俺にできることはないのか?
……いや、ある。
一つだけ、俺にしかできない才能が。
「聞け、魔王! 穴の底にいるんだよな? だったら俺の頼みを聞け!」
俺は全身全霊で叫んだ。
穴の底に魔王の魂が本当にあると言うのなら。
俺の『憑依』のギフトなら。
魔王の魂を俺の体に憑依させることができるかもしれない。
俺は今まで憑依の能力を使ったことがない。
だからこれは、まごうことなき博打だ。
「俺の体を好きに使え! その代わりに、イリナを助けてやってくれ!」
「気でも狂ったか、ディノ」
父が俺を嘲笑う。
ああ。
笑えよ。
俺は惨めだ。
何の実力もない。
努力もしていない。
ただ都合の良いことに賭けているだけ。
明日晴れるといいなとか。
今日の夕飯は好きな物だといいなとか。
そんなちっぽけな願いだ。
何の確証もない夢物語だ。
だが。
それでも。
俺は賭けるしかないんだよ。
それしかイリナを助ける方法はない。
だからこそ本気になる。
だからどうか──
誰でもいい。
魔王でも。
お前がどんな悪党だったとしても……。
どれだけ大勢人を殺していたとしても……。
お前に頼る以外の方法はない。
──俺に力を貸してくれ!
『小僧。貴様の願い、しかと聞き入れたぞ』
それは誰にも聞こえない声。
けれど俺の魂には、しっかりとそれが聞こえていた。
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『次回 #03 魔王降臨』