はじまりのマナー
「おう、おめえら! メッチャうまいもん持ってきてやったぞ!」
しけった洞窟の中に野太い声が響く。
続いて、ドスドスと振動を伴う足音。
すぐに巨体が洞窟広間に姿を現した。それも二体。
薄暗がりの中、赤い瞳を光らせながらのっそりのそりとオーガ達が蠢き出す。
酒盛りの後なのか、寝起きなのか。
鈍い動きに、大きな伸び。
「ああ、鉄兜の旦那。メッチャうまいもの? そりゃ何だい?」
鉄兜と呼ばれたオーガは見上げんばかりのその巨体を揺らして笑う。
「久しぶりの生肉だ! しかも獲れたて新鮮な奴だぞ!」
そして、肩に担いでいた大袋をテーブルの上に投げ出した。
重い音と共に転がる大袋。
もぞもぞと中身が動いている。
オーガ用の巨大なテーブルの周りに集ったオーガ達は顔を見合わせ、互いに野卑な笑みを浮かべあう。早くも涎を垂らしつつ、
「お、こりゃあ熊かな?」
「ばか、こんな小せえ熊がいるかよ」
「じゃあ、子熊だ」
ニコニコニタニタみんな嬉しそう。なのに、その会話に鉄兜は盛大なしかめっ面。
「まったくおめえらときた日にゃあ、揃いも揃って阿呆でいけねえ。俺達が今まで何喰って生きてきたのかすら忘れちまったのかよ? 俺達はなんだ? オーガだぞ? オーガのご馳走なんざ決まってんだろ!」
そして、自分の後ろに控えていたもう一人の巨体、傷顔のオーガに顎で指し示す。
「見せてやりな」
傷顔は黙って頷く。傷顔も肩に大袋を担いでいたが、それをテーブルに投げ出し、それから最初の大袋に手をかけた。結わえてあった紐をごじょごじょ太い指でいじっていたが、急に目を三角にして牙を剥くと、
「ええいめんどくせえ!」
ばりばりと袋の端を噛みちぎってしまった。それから、袋を逆さに持ち上げ、中身をジャガイモみたいに転がした。
頭からテーブル上にまろびでて、でんぐり返しを二回ほど繰り返したのは少女だった。ほっそりとした身体に腰まで届く金色の長い髪。
「……くっ……!」
自分の周りに居並ぶ巨大な怪物達を前に、少女は唇を噛んだようだ。美しい顔を青ざめさせている。
オーガ達が、わっ、と盛り上がった。
「おお! 人間だ!」
「え、いいのかよ? 食っちまっても!?」
「ああ、お替わりもいいぞ」
気取った態度で、鉄兜はもう一つの大袋に手をかける。こちらは器用に紐をほどき、同じように中身を転がした。
転がり出たのは少年だ。栗色の髪に高価そうな外套を身につけている。
「へえ! 二匹も!」
「俺、人間食うのすげえ久しぶりだ!」
だが、オーガの一人が露骨に肩を落とした。
「……でも、これじゃあなあ……」
「なんだ、おめえ、文句あんのか?」
「いや、鉄兜の旦那よ。見てくれよ、このメスの方。全然肉付いてねえ。俺はメス人間の胸肉が好物なのに……全然ねえ!」
少女が、うっ……、と声を詰まらせ胸に手を当て俯いた。恐怖の所為なのか、酷く震えている。何か大変なショックを受けているようだ。
と、オーガの一人がまた声を上げる。
「それにこのメス人間、毛だらけだなあ! 俺は頭から丸かじりするのが好きなんだけど、毛深いと歯に挟まって、その、いがいがしちまうんだ」
「わ、わたし、毛深くなんか……!」
「頭の毛なんざ毟ればいいだろ。それよりこいつ血色が悪いぞ? 育ちが遅いんじゃないか? 病気なんじゃ……」
「育ちが遅……貧乳は病……」
少女は再び胸を押さえ、苦しそうに喘いだ。
「うるせえ! 文句あるなら食わせねえぞ!」
鉄兜が唸った。それから大仰に手を振る。
「それに、こっちのオスの方ならメスよりは食いでがあるだろ!」
そう示された外套姿の少年はすっくと立ち、テーブル上からオーガ達を見つめている。腕を組み、眉間に皺を寄せたまま。
「……オスにしてはこいつも小せえなあ」
「まだ子供なんだろ。その分、肉も軟らかくてうまい」
「だったら俺はたっぷり肉のついて柔らかいメスの方がいいなあ」
それらの会話を少年は顔色一つ変えずに聞いていた。通った鼻筋はどこか貴族的で、こんな場面でも周囲を睥睨している。自分の倍はある大きさの人食い鬼達を前にして、恐怖の色がない。むしろ、テーブルの上に立つことで、オーガ達と同じ高さの目線になりこちらの方が堂々とさえしている。
「あー、うるせえうるせえ! もう面倒だ! さっさと人間二匹、切り分けて食っちまおう! おい、斧持ってこい!」
鉄兜が喚く。と、オーガ達も口々に喚き始めた。
「おい、俺にメスの頭の部分くれよ! 尻肉もつけてくれ!」
「ふざけんな! メスの胸から尻までは俺にくれ!」
「おめえはオスの足でも囓ってろ!」
と、
「はあああああ~~っ!」
クソでかい溜息に、思わずオーガ達も動きを止めた。鉄兜も目を瞬いて、その溜息の主、テーブル上で頭を振る少年を見た。
と、少年は眉を八の字にした上で笑みを浮かべる。苦笑、という顔だ。
「ああ、これは失礼。別に皆さんを馬鹿にしたわけではないのですが」
「ああ? なんだおめえ?」
「いえ、失礼ながら、皆さん、人間を食すのに、その、慣れてらっしゃらないようなので」
「……はあ?」
人食い鬼は間の抜けた声を漏らした。
少年は困ったような笑みを浮かべたまま、人差し指をピンと立てる。
「あー、私の見立てが間違っていなければ……皆さん、ここ10年は食人をされていませんね?」
「ああ、血風党の乱が終わって以来、人間を食うなんて……」
少年は、ぱん、と手を叩き、得心したように何度も頷く。
「道理で。道理で皆さん、古臭い、時代遅れな人間の食し方しか知らないわけだ」
鉄兜が眼差しを鋭くし、少年を睨みつける。
「さっきから、何言ってんだおめえ?」
少年は、ここが大事なポイントですよ、と強調するかのように、再びピンと人差し指を立てて言った。
「知っていましたか? 人間を食べるときにはマナーがあるんです」