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そうさ

LINKAED関係者の死の謎を追う中でかつての友の影を見るミナト。一体何が起ころうとしているのか、ミナトは捜査を続ける。

虚数遊戯(中)

 

 いつもの様に庁内を課室に向かって出勤していると後ろからトタトタと走り寄ってくる音が聞こえる。

「おはようございます、加島さん。昨日は遅くまでお疲れ様でした。」

「ああ、お疲れ様。」

足を止めずに佐々の方をチラリと見るミナト。佐々はそのミナトの右手に見覚えのある紙袋が下げられている。

「加島さん、それって昨日黒井さんから借りてきたHDDですか。」

二人の目線がミナトの持つ紙袋に注がれる。

「ああ、早速データの復旧を試そうと思って。」

そう言うと課室へと二人並んで向かう。課室の扉を開けると中にはまだ課長である伊豆のみが在室していた。伊豆は読んでいた書類から目線を上げて、

「よう、おはようさん。二人仲良くご出勤か。」

「課長、疲れているなら仮眠室が空いていますから、ゆっくりして来たらどうですか。そうしたら正しく物事を認識出来ていないその目と脳みそも少しはまともになるんじゃないですか。」

つまらなそうにいつもの調子で伊豆とやり取りするミナト。その隣では佐々が二人のやり取りを楽しそうに見て笑っている。ミナトと佐々はそんなやり取りの中で各々、自分の席へと座る。伊豆は少しだけミナトの様子を窺うと、

「ところで加島、昨日の捜査はどうだったんだ。」

ニヤニヤとミナトを見つめる伊豆にミナトもその意を察し、今日は随分と上司が上機嫌なものだと感じる。

「収穫ゼロ、という事は無いですが、明確な手がかり、というものも出てきませんでした。とりあえずの糸口は見つけてきましたよ。」

ミナトの目線が床に置かれた紙袋へと向く。そうして今度は伊豆の方へ視線をやる。ミナトと目を合わせた伊豆はその顔を見ると満足気な表情をして先程まで広げていた書類に再び目を落とす。佐々は自分の席からその様子を見ていて、ミナトが苦笑いを浮かべて少し困った様な顔をしているのを見た。しかし、何故か表情の下には嬉しそうな雰囲気を感じた。しかし、それはあくまで佐々の主観であり、自分がそう感じた事は佐々自身、ミナトとの付き合いの浅さからその主観に自信を持てなかった。ただ、自分の仕事に戻った伊豆からもミナトからも剣呑な様子は見て取れなかった。

始業の時間が過ぎると遅れて出勤する者は無く、課員全員が在室していた。

「それじゃあ、朝礼を始める。何か報告がある者は居るか。」

チラリとミナトの方を伊豆が見るが、特別反応は無い。それは他の課員も皆一緒で各々ルーティーンワークを行っている。それを確認すると伊豆は最低限の事だけを話し、早々に朝礼を切り上げる。室内でそれぞれが黙々と業務を行う。暫くの間、静かな室内で作業する音だけが響く。すると突然ミナトが立ち上がり、反対側から最下座に位置する佐々の横から背へと周り、彼女の右隣に座る先輩課員の元に行く。

「すみません。妻木さん宜しいですか。」

落ち着いた声でミナトが話しかけると面長なシュッとした男性が振り返る。スクエア型の眼鏡とその奥の切れ長の瞳で彼からより理知的な印象を垣間見える。

「何だ、加島。」

ミナトの方へ椅子ごと振り返る彼は妻木ケースケ。ミナトによりやや年上で彼からすれば直近の先輩にあたる。

「妻木さん、以前システム部にいらっしゃいましたよね。」

「ああ、2年程所属していたが。それがどうかしたか。」

ミナトは自分の席から持ってきた紙袋を妻木のデスクに乗せる。少し驚いた様子の妻木の前にミナトは紙袋から黒いから預かったハードディスクを取り出す。

「このハードディスクなんですけど、中に監視カメラの映像データが入っているんですが、三ヶ月分しかデータが残っていなくて。あとは自動的に削除されていて。その削除されたデータをサルベージする事は可能でしょうか。」

妻木は目の間のハードディスクを手に取って、ゆっくりと筐体を全体にわたって調べる。しばし、二人の間に沈黙が訪れる。横目でその様子を見ていた佐々は初め、そのまま席に座っていたが、昨日の事を思い出し、居ても立っても居られなくなった。そして静かに席を立つと妻木の反応を待っているミナトの後ろに歩み寄る。二人に待たれている妻木だったが、特に気にかける事なく筐体を調べ続けている。佐々がミナトの後背に来て間もなく、筐体を机の上に戻すとミナトの方へ向き直る。その後ろに居る佐々の存在にはそれ以前から気付いていた様で、

「随分古いものを持ち出してきたな。好事家にはたまらない品物だろうな。実際やってみないと分からないが、状態も悪くないし、データの復元は可能だと思うが。こんなのどこから持ってきた。一体何を調べている。」

詰問口調で少し強くミナトに問いかける妻木に対してミナトは少し考える素振りを見せた上で伊豆の方を見る。その視線に気付いた妻木も同じ方向を見る。彼らの視線に直ぐに気づいた伊豆は何気なく話は聞いていたのだろう、ミナトと妻木を一度ずつ見ると目線を書類に戻し、軽く手を挙げて許諾の意思を表す。

「実はこの間の大学教授の死亡事件なんですけど、以前にも似た様な事件があったのを見つけて。もしかしたらそのハードディスク内に手がかりが残っているかもしれなくて。」

妻木は静かにミナトの話を聞き、伊豆の方をもう一度、今度は顔を上げる事無く見ると、

「分かった。データの復旧をやってみよう。課長、少し席を離れてシステムセンターの方に行ってきます。」

伊豆が再度軽く手を挙げて許可すると、妻木は自身の作業を一度戸締まる。机上の筐体をタオルに包み、再び紙袋へ仕舞う。ミナトと佐々が妻木の席から離れると、妻木が立ち上がり、席を離れる。「ありがとうございます。」とミナトがすれ違う妻木に声をかけたので、佐々も急いで同じ様に礼を述べる。聞こえているのかいないのか、そのまま妻木は課室から出て行く。それを見送った佐々は同じ様に扉を見るミナトの様子を窺う。するとミナトは佐々の方を振り返ると、

「それじゃあ、俺達も行くぞ。」

それだけ言うと直ぐに自身の席へ戻り身支度を始める。惘然とミナトの行動を見ていた佐々は我に返る。

「えっ、行くって。一体どこへ行くんですか。」

身動きも取れずに立ち止まったままにミナトを見つめる佐々にミナトが手を止める事なく答える。

「どこって、帝都工大だ。桜木教授の周辺、もう一度調べるぞ。」

出掛ける準備を終わらせるとミナトは部屋を出ようとする。

「ちょっと待って下さい。今準備しますから。」

ミナトを引き留めようとしながら佐々は急いで自分の席へ戻り、出掛ける準備を始める。そんな佐々を一瞥すると結局ミナトは佐々を待つ事なく課室を出る。ミナトが出て行った事に気付き、佐々は更に焦りだす。その様子を見ていた老兵、種田ヨシクニが見かねて声をかけた。

「佐々、少し落ち着け。加島の奴なら大丈夫だから一呼吸してから準備を整えろ。」

抑えられた高さの声で宥められた佐々は一度手を止めて、言われた通りゆっくりと大きく一つ深呼吸する。それで落ち着いた佐々は散らかった自分のデスクを片付けるとミナトが去った扉へ向かう。その一連の様子を周囲の課員達が横目で見ている中で、種田と伊豆は扉を出て行く佐々の背中を見送る。どことなく二人で顔を見合わせると思わず互いにフッと笑みをこぼしてしまっていた。

          

ミナトより随分後に庁舎を出た佐々だったが、駐車場に向かうといつもの車がエンジンを起動させながら変わらずにそこにあった。

車中ではミナトが運転席で腕を組んで目を閉じて座っている。助手席の扉をゆっくりとあけ、中に座るとミナトに静かに話しかける。

「すみません、加島さん。遅くなりました。」

助手席に座った佐々は隣のミナトを見る。

「目的地に向けて出発。」

既に目的地を設定していたのだろう、ミナトが音声指示をすると車は東京職庁を出発する。

静かな車内で二人は特に気まずい雰囲気になる訳でもなく、黙々と時間が過ぎる。佐々も随分と慣れきり、ミナトの沈黙もある種心地良さも感じている。そのまま暫くすると帝都工業技術大学へと到着する。事件が落ち着いて、平日の日中である事もあり、構内には多くの学生が行き交っている。その構内を二人は目的地である研究棟へ向けて歩いて行く。佐々の少し前を歩くミナトは時々周囲の学生の様子を見ながら歩みを進める。周囲の学生からは随分と好奇な目線を向けられるが、特段騒ぎになる事もない。二人が何事もなく研究等へと到着すると現場である桜木教授の部屋へと向かう。既に部屋の封鎖は解かれており、室内は以前来た時と同様であった。

「やっぱり何もありませんね。」

部屋を見て回る佐々は未だに入り口で部屋全体を見渡すミナトを見る。黙りこくったまま暫く何かを考える様にすると突如踵を返し、部屋を出て行ってしまう。佐々は何も言わずに出て行ってしまうミナトに嘆息しつつ、その後を追う。直ぐにミナトに追いつくとその行き先を尋ねる。当のミナトは棟内を出口に向かって歩くとそのまま研究棟を後にして構内を進む。佐々は戻るものかと思っていたが、その足は構内のより奥へ向かっていく。自分達よりも少しだけ若い学生達の中を抜けて行くと、ミナトはとある建物に入っていく。そこは大学内で最も大きな建物、学生課や学務課と云った学生生活に関するものや教鞭を採る教授や講師などの教務室、各種会議室などがある管理棟。学生達の間では’事務所’などと揶揄されているらしい。建物内に入った二人は入り口の直ぐ傍にある案内板を見る。ミナトはその案内板をしばし見ると迷いなく歩き出す。一階部分を少し行くと流石に見慣れぬ姿の二人組に不信感を覚えたのか、近くの事務カウンター事務員と思しき男性が二人の元に近付いて来る。

「すみません、何か御用でしょうか。こちらからは本校の関係者以外の立ち入りは禁止されているのですが。」

言葉自体は丁寧で柔らかい物腰ではあるもののその目には疑念の色が隠せずにいる。よく考えればもうすでにひと段落付いており、現場の保全も解かれている事件なのだから勝手に現場に立ち入ったのは明らかに失敗だった。

勿論構内に立ち入る際は大学のセキュリティに対して許諾は得ているのだが。佐々は事務員の男性に手帳を提示する。

「失礼しました。私東京職庁の佐々と申します。こちらは加島。桜木教授の件で確認したい事があってお伺いしました。」

佐々が流暢に訪問理由を述べている間、隣でミナトはその様子を静かに見ている。

「それでですね。我々としては…。」

とそこで佐々の話が止まり、ミナトの方を見る。そういえば道中何故ミナトがこの建物に訪れたのか、詳細を聞いていなかった事を佐々は今更ながら後悔する。後輩から助け舟を求められたミナトは佐々から目線に気付いたもののその目線を合わす事ない。

「それで学長に桜木教授についてお聞きしたくて、コチラにお伺いさせていただきました。」

自然な流れで佐々から話を引き継ぐとミナトは先程見た案内板を指差し、

「あちらで確認させて頂いたら、ここの四階に学長室がある様だったのでそちらへ取次いでいただいても?」

男性職員は困った様に目を逸らすと、「少々お待ちください。」と言い残し、事務所の中へと戻る。二人が暫くその場で待っていると先程の職員とは別の壮年の男性が出てくる。

「お待たせしました。私当校の事務課長をしております、仙内と申します。」

やや小柄な仙内は綺麗に張った背筋を前方へ深く折り一礼する。

「ウチの職員から話を伺ったのですが、当校の学長に会いたい、という事ですが、アポイントメントなどは頂いておりましたでしょうか。」

笑顔を保ったまま二人に尋ねる。佐々は困った顔でミナトを見る。ミナトが仙内を見返しながら、

「いいえ、アポはとっていません。しかし、学長がコチラにいらっしゃればお話をお伺いしたかったのですが。」

「アポはないのですか。確かに学長は在籍しておりますが、スケジュールがいっぱいで今すぐ時間をとるのは難しいですね。」

仙内はAR画面を見ながら何やら確認している様子で答える。実際にスケジュールを確認しているのかは二人から認識できないが、ミナトは仙内がそんな事ではなく、他の事をしていると感じた。

「それに桜木教授の件については既に解決した、と伺っておりますが。何かありましたか。」

動かしていた右手を止めて相変わらずの笑顔でそれでもどこか詰問調に聞いて来る仙内の視線に対し、ミナトは臆する事もなくその視線を見返す。

「少し気になる事があって桜木先生の事について改めてお聞きしたくて。事故直前に先生の周りで何か変わった様子がなかったか、再度お伺いさせて頂けませんか。」

仙内に応える様にあくまで丁寧な対応でやり取りする。傍目から見ると非常に落ち着いたやり取りに見えるが渦中に居る佐々は二人の間の緊張感に動揺してしまう。ほんの僅かの間目線を交わしたミナトと仙内がその視線を同時に外すと、

「申し上げました通り、その件に関しては既に解決しているものと当校では認識しておりますし、その手の質問に対しては事故当時にすべてお答えしている筈ですが。」

確かに捜査資料には大学側から聞き取った内容があったが、その中身は他の部分と同じで『特に記載事項なし』とのみ書いてあり、参考となり得る事はなかった。しかし、ミナトはそんな素振りを見せる事もなく、

「ええ、そうなのですが、時間が経てば改めて思い出す事もあるだろうと考えたので。再度ご協力頂けませんか。」

重ねて仙内に依頼するミナト。仙内はその姿に困った様子を見せるが、

「そう申されましても、学長は時間がとれませんし、今頃聞かれても新しい話が出てくる事はないと思いますよ。」

そうこう答えると仙内は二人に返る様に促す。

「申し訳ありませんがご協力出来る事はない様です。どうぞお引き取り下さい。」

出入り口の方へ向けてミナトと佐々の二人を誘導する。佐々は仙内に対して何か言い返そうとしたが、ミナトはその佐々を制する。

「分かりました。突然失礼しました。」

静かにそう言い放つと仙内に一礼し、その場を去る。不満気な佐々も仕方なくミナトに付いて出口へと向かう。後ろ髪を引かれる様に何度か後ろを振り返るとそこには笑みを浮かべたまま二人を見送る仙内がたっている。

そうしてとうとう二人が管理棟から出ると最後に振り返った佐々が見たのは笑顔が落ち、能面の様な無表情に戻った仙内の顔。彼は佐々に見られたのに気が付いたのか、直ぐに事務所の方へ振り向くと早足で自身の席へと戻っていった。

何も得るものの無く管理棟を後にした二人はひとまず車の所まで戻る事にする。

「いいんですか加島さん。あれ、絶対何か隠しています、って。」

未だ諦めきれない佐々は隣を歩くミナトに食い下がる。それを聞いていたミナトは何か考え事をしていた様で、佐々の言葉に反応が遅れる。

「うん、ああ。そうだな。だが、そうじゃないかもしれない。」

ミナトの言葉に佐々は小首をかしげる。

「さっきの仙内という男。あれは典型的な中間管理職だ。あの男は単純にこれ以上無闇に事件を掘り返して欲しくないのと構内に警察が出入りするのが嫌なだけかもしれない。どちらも大学の評判に関わるからな。単純に面倒臭がっているだけかも。」

仙内の様子を思い出す佐々は彼の自信から見た時の姿は正直慇懃無礼な様に感じられ、ミナトのその見解にも腑に落ちるものがあった。そのまま二人が大学構内から出ようとすると突然後ろから声を掛けられる。

「あの、すみません。警察の方ですよね。桜木教授の件を調べていらっしゃるって。」

声をかけてきたのは小柄なボブカットの女性。その様子からこの大学の学生である事は容易に窺い知れる。丁度同じ位の目線で佐々の方が女学生の問いに答える。

「ええ、桜木教授の件が他の事件と関連している可能性があって、少し調べ直す必要が出てきたので。」

佐々の説明を聞いていた女学生は彼女が話し終わるとしっかりと佐々とミナトの方を向きながら明朗に話す。

「そうなんですね。実は桜木教授について少し気になる事があって。少々お話しできませんか。」

佐々がミナトの方を見ると暫くミナトが女学生と目線を合わせる。

「分かった。それじゃあ話を聞かせてもらおうか。」

「あっ、この近くに喫茶店とかってあります?そこでお話聞きます。」

何故か若干楽し気に女学生へ尋ねる佐々。余程昨日の黒井家でのひとときが楽しかったのだろう。

「それだったら学校の直ぐ近くにコーヒーショップがあるのでソチラで如何でしょうか。」

「では私たちの車で移動しましょう。」

少し弾んだような足取りで二人の先を行く佐々。女学生はミナトと同じ様に落ち着いた足取りで歩く。ミナトは横目で彼女を確認しつつ、前を歩く佐々を見ると思わず頭を抱えてしまいたくなった。

三人は車に乗り、大学から車で十分程の処にあるコーヒーショップに向かう。目的地入力の際、今から向かう店が大手コーヒーチェーン店である事が発覚した佐々はガッカリした様子で助手席に深く腰掛ける。後部座席からはその様子が見えなかった様子で女学生はぽつぽつと話をする。

彼女の名前は(くくり)ヒナ。東京工大三回生で桜木教授の講義を受講していたこともあり、教授とは面識があったらしい。

コーヒーショップに着くと案の定店内には学生らしき若い客達が随分と居る。三人は店の奥の四人掛けのテーブル席に座ると早速店のローカルネットに接続してメニューを確認する。

「お好きなものを選んで下さい。ここは私達の方で支払いますので。」

佐々がメニューを見ている泳の様子を窺い、声をかける。顔を上げて少し目を丸くした。どうやら佐々達にご馳走される事に対してミナト達が思っていた以上に驚いたらしい。泳から希望の商品を聞くと佐々も自身の飲みたい商品をミナトに告げる。横から告げられたミナトは佐々の顔を凝視する。互いに顔を見合わせる形になった二人は徐々にそれぞれが不思議そうな表情になる。

「加島さん、お支払いお願いしますね。」

見合っていた佐々が笑顔を浮かべてミナトに対する。そんな様子の佐々にミナトは更に顔を不可思議に歪める。口を開けず、困惑するミナトをニコニコと見つめる佐々、二人の様子をそれまで静かに座って見ていた泳は急に笑いを一つ吹き出すとそれまでの表情を崩す。ミナトと佐々が揃って泳の方へ顔を向ける。

「ごめんなさい。お二人の様子があまりにも微笑ましくて。警察の方ってもっと怖い方だと思っていました。」

それまでは学生とはいえ随分と大人びた雰囲気の子だと感じていたミナトだったが、その笑った顔は実際の年齢よりも彼女を若く見せた。ミナトが自身の端末で三人分、商品を頼むと数分すると配膳用ドローンが三人分の注文商品を運んでくる。三つともミナトの前に置くとドローンは速やかに戻っていく。目の前に置かれたカップをそれぞれの前に差し出すと、ミナトは自身が頼んだブラックコーヒーをそのまま口にする。同じ様に他の二人も自分の飲み物を口にするとミナトが静かに泳の方を見直す。

「それで我々に話したい事とは。」

「うわあ、単刀直入…。」

隣で小さく呟く佐々の声を聞き流しながらミナトは泳の方へ目線を合わせる。彼女は佐々がミナトを茶化す様子に気付かなかった様で、

「はい、お二人は今、桜木教授の事件以外の事で桜木教授について調べている、という事ですよね。」

「ええ、詳しい事は申し上げられませんが、ある事件について桜木教授について少し詳しく知りたくて。それで私達は事件前後の教授の様子について大学の方々にお伺いしようとしたら、まあ冷たくあしらわれてしまった、という訳です。」

横から不服そうな顔をした佐々がミナトから話を奪う。

「そうだったんですね。職員や先生達は多分協力してくれないと思いますよ。学校の面子の方が大事でしょうから。」

「ああ、そうでしょうね。」

「学生の方も話を聞ける子は少ないと思います。桜木教授、ゼミとかも持ってなかったし、講義自体もそれほど人気がある訳じゃないかったですし。」

佐々は泳の言葉に疑問を覚える。

「桜木教授って、電子工学じゃ第一線の人物ですよね。そんな人の授業が不人気なんですか。」

「ええ、桜木教授の講義は良く言えば実践的、悪く言えば単位を採るのが面倒くさい、そんな講義でした。お二人は教授の研究内容をご存知ですか。」

問われた二人は一瞬顔を見合わせる。

「私は一般的な知識程度ですよ。LINKAEDと脳との電気信号のやり取りに関する技術の開発に携わった方、って事位ですかね。」

本当にその位の認識なのだろうし、世間一般的にも同様だろう。続けてミナトが口を開く。

「正しくは生体電気信号の人工的発生とその操作。そしてその技術による外部通信端末との情報通信交換の研究、といったところですか。」

ミナトは事件の後桜木教授の研究について少し調べてみたが、彼の研究テーマの胆は脳内ニューロンで発生する電気信号を工業的・機械的に模倣・コントロールする技術であった。

「はい、桜木教授は外部端末からの人工的な電気信号と脳の発する電気信号を、互換性を以てやり取りする技術を研究していて、それがLINKAEDの基盤となったんです。そんな先生だから初めは学生も結構集まるんですけど、講義が専門的になり過ぎて、急激に受講者が減っちゃうんです。だからカリキュラムも中盤位になると初めの五分の一位の人数になるんです。」

泳が自分のアイスティーを一つ口にする。佐々は飲んでいたカフェオレを机上に置く。

「でも泳さんは桜木教授の講義をしっかりと受けていらしたんですよね。お好きなんですね、その分野の事が。」

「ええ、中学生位から。最初はどちらかと言えば脳科学の方に興味があったんですけど。周りからは女の子がそういう事に夢中になる事に白い眼を向けられた事もありました。でも高校の時に桜木教授の著書を読んでこの人の元で学んでみたい、と思って。」

そう語る泳の目は徐々に輝きを帯びていた。

「実際に大学で桜木教授の講義を受け始めたのは二回生からでしたが、思っていた以上に私にとっては充実していました。ただ教授は講義よりも自身の研究を優先する方でした。講義以外の時間はほとんど研究に当てていましたから。だから教授の事は学内でも詳しく知っている人はほとんど居ません。」

「そんな桜木教授の事、泳さんは良くご存じなんですか。」

少し熱を感じた佐々が桜木教授の実像が思っていたものと異なっていた事に強いギャップを覚える。

「ええ、教授自身あまり学生と関わりを持とうとしてなかったので。ただ私はどうしても教授からもっと詳しく教えを請いたいと思って何度か教授の研究室にお伺いして研究のお手伝いをお願いしました。最初の内は教授も全く相手にされてなかったんですけど。」

いつの間にか少しずつ笑顔を漏れ出しながら話す彼女の様子をミナトは意外に感じた。

「でも重ねてお伺いする内に徐々に教授も私が部屋に居ても何も言わなくなって、最終的にはほんちょっとだけですけど助手みたいな事もする様になりまして。」

「研究にも携わった、と。」

「いえ、私は資料の整理とか荷物の片付けとかがメインで実際の研究にはほとんど関わっていなくて。何となくの内容は知っているんですけど、多分その方面ではお力になれないかな、と。」

とうとう痺れを切らした佐々が話の本題を持ち出す。

「では、泳さんがご存知の事とは一体何なんですか。」

「すみません。余計な話が長くなってしまって。実は桜木教授には研究を共有していた人物が居た様で。」

泳の言葉にミナトは口をつけていたコーヒーを呑む手を止め、佐々は思わず身を乗り出す。

「それってどんな人物でした?男性でした?女性でした?歳は、髪型は!」

興奮する佐々を彼女の目の前にあるカフェオレを避けながら宥める。

「申し訳ない、泳さん。ウチの佐々が失礼を。もう少し詳しくお話を伺えますか。」

佐々を椅子に座らせたミナトは佐々の様子に面食らっていた泳に声をかける。

「は、はい。ええと、実は私自身はその方に会った事もないんです。ただ、教授とお話しなさっているのを聞いた事があって。」

「聞いただけ、ですか。」

「はい、教授の部屋へお伺いすると扉に鍵がかかっている事があって、室内から話し声の様なものが聞こえてくるんです。でも、その話の内容までは聞き取れた事はなくて。」

「その声、性別とかって分かりますか。」

「先程も申し上げました通り、私が聞こえたのは教授と誰かと話している、程度で声も教授は比較的聞こえていたんですけど、相手の方はあまり。でも多分、男の人だったと思います。それも割と若い感じだったと思います。」

「若い男…。」

「ええ、声の感じが。ハッキリと自信をもって言い切る訳じゃないですが、扉の外から聞いていてもそう感じる様な声でした。」

「そうですか、でも実際にその姿をご覧になった事はないんですよね。」

「はい、声だけしか。それが妙なんですよね。会話が終わるまで扉の外で待っていたんですけど、部屋から誰かが出てくる様子がなくて。それにその後教授の部屋に入っても教授以外には誰も居なくて、それがずっと不思議だったんです。」

「まるで幽霊、みたいですね。」

やっと落ち着いたのか、佐々は泳の話を静かに聞き、時折相槌を打つ。

「幽霊…。そうですね。本当にそうかもしれません。そういう事があった後の教授は決まって難しい顔をしていて。そんな時は本当に何かに憑りつかれた様になって。」

目を伏せた泳の言葉が濁る。彼女の見た桜木の様子は余程だったのだろう。口篭もってしまった泳を見たミナトは話を切り換える。

「ところで先程会話の内容は聞き取れなかった、とおっしゃっていましたが、もし思い出せるなら何か聞き取れた言葉とかがあれば是非思い出して頂きたいのですが。」

沈んでいた泳の顔がミナトの顔を確認した後、考え込む素振りを見せる。

「何か些細な言葉でいいんです、思い出せる事はありませんか。」

考え込む泳に佐々の言葉がかかる。言われた泳は更に深く考えると、スッと顔を上げたかと思うと目を大きく開き、ミナトの顔を見つめる。

「そういえば、言葉の意味は全く分からなかったのですが、時折聞こえてくる言葉の中で何回も出てきた事があります。」

「それはどんな?」

「話の脈絡とか、その単語の意味は分かりませんでしたが。」

そしてミナトはその言葉を聞くと飲みかけていたコーヒーを一気に飲み干した。

「‘ヌル’と‘シード’、と。」

        §

結局その後ミナトは一言も発する事なく、その様子を気にした泳に気を使い、終始佐々が話し相手になっている様な状態だった。しかし、その後の話でもその謎の人物については明らかになる事はなく、泳からも特段それ以上の情報を得られなかった。

「何か他に思い出したら連絡して下さい。」

佐々は泳と連絡先を交換した。年が近いせいもあり、何となく二人は親しげであった。

コーヒーショップの前で泳と別れた二人が車に戻る前に時間を見ると間もなく夕方と言える時間に差し掛かっている。車内に座ったミナトは唐突にどこかへ連絡し始める。伺う様にミナトを見ていた佐々だったが、会話の内容からその相手を察する。

「今の、調布東署の熊谷さんですか。こないだ会った捜査本部の。」

漏れ聞いた内容から佐々がミナトの話し相手を推考する。

「ああ、もう既に本部は解散していて、今は通常業務に戻っているらしい。事件の遺留品はまだ調布東署にあるらしい。」

「じゃあ、まさか今から?」

「ああ、もう一度調布東署へ行ってみよう。」

妙に焦っている様な感じのミナトは行き先を音声入力する。車は静かに調布東署へと向かう。前回訪れた際は押収されていたPCに対しては直接調査した訳ではなかった。ミナトは今になってその時に一度自身の手でPCに触れたおくべきだった、と珍しく後悔した。ただ、あの時普通に調べていても何も気付き得なかったとも思う。先程の泳の話を踏まえた上でこそ辿り着ける可能性が出てきた。

「まるでゲームだな。」

「えっ、何か言いました?」

思わず漏れ出た独り言を耳聡く佐々が聞いていた。

「いや、何でもない。気にするな。」

そう言われた佐々は不思議そうな顔をしながらも前方に向き直る。

二人は調布東署に到着すると署のローカルネットへ接続し、ポリキュットを経由して遺留品の調査申請を行う。すると数分で申請の許可がLINKAEDへと届く。通常であれば担当部署長の認可が出るまで数十分から数時間かかる事が多いが、ミナトが事前に熊谷に連絡を入れていた結果、どうやら熊谷の根回しが事前に済んでいた様だ。許可が下りると二人のAR上に目的の遺留品保管室へのルートが表示される。二人はその案内に従い、署内を移動する。再び署内でも奥まった所まで足を運ぶと使用頻度の少なさそうな扉を開ける。部屋の中には戻る宛の無い遺留品たちが並んでいる。聞いた話では大学側は押収された遺留品の中の大学備え付けのものに関しても引取を拒否したらしい。更に教授自身、独り身で家族も皆他界しているために彼の遺留品の一切、引き受け手が居ない。そして、結果としてその全てがここに保管してある。

ミナトは室内に踏み入ると何かを思い出したかの様に急に立ち止まる。

「急にどうしたんですか。」

思いかけずぶつかりそうになった佐々がミナトを見上げる。「ちょっと待て。」とだけ言うとARを操作する。ミナトはメッセージの作成画面を表示すると熊谷へメッセージを送る。

「一応、熊谷巡査に一報入れておく。」

手早く根回しの御礼と現状報告を熊谷に入れる。メッセージを送り終わると陳列してある遺留品の間を抜けて目的のものに辿り着く。いくつかの段ボールと一緒に保管してあるパソコンを取り出す。保管用の保護シートを外すと、電源を入れて起動させる。まだ内臓バッテリーに電力が残っていた様で滞りなく画面が立ち上がるといくつかのアイコンが並んだデスクトップ画面が表示される。研究に関連しそうな名称のフォルダーが確認出来るので筐体の内のデータは事件当時そのままに残されている。ミナトは保管してあるデータを順番に確認していく。デスクトップ上にあるフォルダーを全て確かめていく。それらのフォルダーの中にあるのは桜木が研究で使用していたものと思われる資料が数多く保管されている。一つ一つ確かめているミナトに対して、佐々は手持無沙汰になり、ミナトの背後から画面を覗き見る。その視線に気付いたのか、

「佐々、暇なら教授のLINKAEDの方を調べておいてくれ。そっちの方にも何か残っているかもしれない。」

やるべき事が出来、嬉しそうに返事をしてLINKAEDが入っている段ボールを開けて中から取り出し調べ始める。その様子を確認したミナトは再び自身の作業へと戻る。開いていたフォルダーを閉じると次のフォルダーを開く。中身はやはり研究資料。一つ一つ時間をかけて読み込めば。相当の資料価値があるものばかりだろう。しかし今はそこまで熟読する事はない。後に然るべき機関にでも提出しておくことにする。一通りデスクトップ上のフォルダーを調べ終えると他のPC内のデータを調べ始める。そちらにも多くの研究資料が保存されており、また時間がかかりそうだ。しかし、ミナトはフォルダーを調べている途中で違和感を覚える。ミナトはパソコン内のメーラーを起動する。国内に留まらず海外研究者ともやり取りしていた様だ。他にも様々な企業からのオファーも来ており、教授の凄さが改めて分かる。しかし、見つかるのはやはり研究関連の資料ばかり。ではこれらの資料を作成する際にはこれだけで充分か、否。あの研究室で研究するにあたり、外部からの情報収集が必須となるだろう。むろん桜木自身のLINKAEDを使用しての情報収集は可能であろう。しかしあの大学のアクセスセキュリティは相当高い上に桜木のLINKAEDの形跡を見る限り、私物のソレを使用していた様には見えない。ならば桜木は研究を行う上で外部とのアクセスで使用していたのはメーラー同様この端末であろう。にも関わらず、その端末の中にはメーラー以外では外部とアクセスをとっていた様子が見られない。基本的には学内ローカルネットワークを経由してパブリックアクセスを行っていたのだろう。恐らく大学のローカルネットの履歴を調べればその痕跡が見つかるだろう。しかし、そのアクセスに使用していた端末に痕跡が残っていないのはあまりにも不自然ではないか。ミナトは調べていたフォルダーを閉じるとインストールしてあるウェブブラウザを起動する。開いたブラウザは一般的に使用されているもので特に変わったところはない。しかし、そのブラウザに通常使用者が使うと必ず残るはずの検索履歴が一切残っていない。ミナトは再びメーラーを展開する。現場に残っていた研究資料から桜木が最後まで行っていたのは間違いなく彼が長年培ってきた研究。では、何故情報端末から何も参考引用が見つけられないのか。ミナトは自身のLINKAEDをパソコンへ無線接続を試みる。すると案の定アクセスに際してロックがかかっており、解除するにはパスワードの入力が必要となっている。そこでミナトはLINKAEDにインストールしてあるソフトを起動する。慣れた手つきでソフトを操作すると接続されている桜木のパソコンへの介入を始める。それは自作のハッキングソフト。普段は使う事はないがこういった捜査上で稀に使用する事がある。趣味程度で作成したソフトだが、その性能は専門家が見れば目を丸くする事だろう。ソフトはテンポ良くパソコンの解析をしていく。ものの数十秒で堅牢な筈のセキュリティが解除される。自分のLINKAEDとパソコンの接続を確認したミナトはLINKAED側からパソコンのシステムへとアクセスする。そこでミナトは最近パソコン内から削除されたデータを検索し始める。通常削除されたデータは表向きパソコン上からは見つけられない様になるが、実際はシステム内に残留する。しかし通常の手段ではそれを見つける事も元に戻す事も出来ない。それらには専門のソフトを使用して然るべき手順に則らねばならず、この手の事に関してはその黎明期から旧態依然として変わらない。そこでミナトは警察が捜査で使用する復旧ソフトを使用する。無論、一警察官がその様な捜査用のソフトを所有するどころか持ち出す事も許されていない。当然ここにあるのは正規の手段の為ではない。故に通常の捜査では使用しない様にしているのだが、今回に限っては時間が惜しい。ミナトは言葉にしづらい不安と焦燥感を感じていた。ソフトが削除されていたデータを画面上に羅列する。やはり、ここでも多く出てきたのは研究資料。その羅列された一覧に目を通すミナト。しかし、求めているものは見つからない。

「やっぱり特に変わったものはありませんね。

このLINKAED。というか、ホントに必要最低限のアプリだけ入ってる感じですよ。いくら学者先生でももっと生活感出ると思うんだけどなぁ。」

一通り桜木のLINKAEDを調べ終わった佐々が後ろでつまらなそうに呟いている。それを聞いていたミナトは突然振り向くと佐々の持っていたLINKAEDを奪い取ると目の前のPCと有線接続させる。普通は他者のLINKAEDを外部の人間が操作する事は困難だが、有線接続である上、元々同一使用者間の端末で生前から端末リンクが常時設定されていたので、双方どちらかで認証する事で使用可能になっていた。PC上に表示された認証用のロックにミナトは再び自前のハッキングソフトで解錠を行う。今度はほんの十数秒でパスコードが解除される。リンクされた二つの端末をミナトは自分のLINKAEDで改めて確認する。佐々の言う通り、桜木のLINKAED内はPCの様に不自然さを感じる。ミナトは期待を捨て、それぞれの端末内の探索を行うが、自分でも分かるほど脱力している。気を抜いたミナトは桜木のLINKAEDの中に見慣れぬアイコンを見つける。それは市販されているアプリでは見た事なく、初めて目にするものであった。

「佐々、お前ちゃんとLINKAEDの中のアプリを確認したか。」

「えっ、はい。一応一通り目を通しましたけど。そういえば見慣れないものがありましたけど、起動しようとしても反応なかったんですよね。多分壊れてるんじゃないですか。」

驚いて早口で答える佐々の言う通り、ミナトがそのアイコンを起動しようとしても何故か全く反応せず、それは何度行っても同様であった。宙に浮くその妙なアイコンを暫く見つめるとふとPCの方の削除されていたリストの最終項、先程まで空欄であった部分に桜木のLINKAEDに入っていた謎のアプリと同じ様なアイコンが表示されている。

「隠しフォルダーか。」

「隠しフォルダー、ですか。」

「ああ、おそらく教授のパソコンとLINKAEDの二つが接続状態になって初めて表示される仕組みになっているんだ。しかし、何故PCの方は削除されているのにLINKAEDの方はそのままなんだ。しかもハイド状態が解除された状態で残されている。」

ミナトは復旧されたアプリを確認する。そしてそのアプリを起動すると連動する形でLINKAEDのアプリも起動する。中身はどうやらチャットトークアプリの様で画面上には通話やファイル添付などのアイコンがあり、一般的なその手のアプリと大差ないようである。更にミナトが調べるがアプリ内には過去の通話履歴や連絡先といったものが一切残っていない。通常であれば復旧した段階で関連するデータも付随して元に戻るのだが、どういう訳かこのアプリの中は完全な空であった。

そこでミナトはこのアプリ自体のデータ解析を始める。のプロパティ情報を確認する。するとやはり正規で販売しているアプリではなく、何者かによる自作のものである様だ。そして製作者の欄でスクロールを止めたミナトの後ろから画面を覗き込む佐々が言う。

「この製作者の名前、なんて読むんでしょうか。ゼロ?シータ、かな。あとは…。」

     『『θ』』

「‘ヌル’」

零す様に呟くミナトはその文字を見つめる。

「加島さん…?」

身を乗り出した佐々の声は加島に届いていない。異変を感じた佐々はもう一度強くミナトに呼びかける。その声にミナトはようやく沈殿していた意識を取り戻す。

「ああ。すまない。ヌルっていうのはプログラミング言語で〈何もない〉、ドイツ語なんかだと〈ゼロ〉を現す言葉なんだが。」

言葉尻を濁すミナトに佐々が。

「ヌルって、どっかで聞いた事がある。」

「泳と言う学生が言っていた。桜木教授と何者かが話している時に聞こえた言葉だ。」

そして、

「ヌル…」

もう一度その言葉繰り返すミナト。佐々は横で何やらAR画面をイジっている。少しの間考えをまとめていたミナトはひとまずここでの用件は済んだと判断する。

「とりあえず、このアプリを調べてみよう。データを持ち帰る。」

ミナトが件のアプリのバックアップをとろうとする。すると突如目の前のAR画面に警告メッセージが表示される。数秒間の警告表示の後、桜木のPCとLINKAEDが勝手に稼働する。動き出した二つの端末は展開されていた例のアプリをそれぞれ削除し始める。佐々が動揺しているとミナトは即座にPCの方の稼働を止めようとする。しかし、PCはミナトがキーボードを操作して打ち込むコマンドを全く受け付けず、削除作業が進行する。そしてミナトが苦い顔すると同時に画面上に

《ソフトはPC上から完全に削除されました。》

と表示される。珍しくミナトが顔を伏せ、悔しさを滲ませている。その様子を声もかけらずに見ていた佐々だったが、ふと先程から自分の行っていた行為を思い出す。

「あの、加島さん。」

ミナトの背中はピクリともしない。

「あの、役に立つか分からないんですが。さっきのアプリ、開いている時ずっと動画撮ってたんですけど。何かに使えませんか。」

するとようやくミナトがゆっくりと佐々の方へ振り向く。

「…分かった。そのデータ、俺に送っておいてくれ。」

そう言いながら起動していたPCやLINKAEDをシャットダウンしていく。佐々は言われた通り、動画データをミナトへと送信する。

「ありがとう。」

「えっ、何か言いました?」

「いや、何でもない。」

二つの端末の電源が落ちた事を確認すると、それぞれを元の保管箱に入れ、あるべき場所へと戻す。ミナトは立ち上がり、部屋を後にしようとする。後ろから小さな歩幅が付いて来るのを耳で確認すると意識を転ずる。

(ヌル、そしてシード…。)

二つの言葉を脳内で反芻する。


二人は調布東署を出る前に熊谷の居る刑事課まで顔を出した。本庁同様人員削減の中でかなりの少人数の刑事達。その中で見知った熊谷に声をかける。突然の来訪故か、とんでもない驚きの表情を見せた熊谷は随分と困っている様だった。残念ながら部署長は留守にしており、ミナトは熊谷に作業終了と協力のお礼を述べると直ぐに部屋を立ち去る。その後に続こうとした佐々は熊谷に呼び止められる。

「何か見つかったか。」

特段期待して聞いている様子は全くなく、後で報告するのに念の為に聞いているのだろう。何故かその態度に無性に腹の立った佐々は

「さあ、どうでしょう。見つかったと言えば見つかりましたし、見つからなかったと言えばそうだったので。とりあえず報告出来そうな事はありませんでした。」

と言い放つとミナトの後を追い部屋を出る。最後まで見届けたわけではなかったが、佐々の言葉を聞いて熊谷は自分よりも若輩で階級が下の佐々の予想外の反応に唖然とした顔をしていたのは間違いない。


調布東署を出た二人は既に外では陽が落ちている。一度本庁へ戻る事にしたミナトはずっと難しい顔をしている佐々を横目に敢えて触れない様にする。そして佐々は黙りこくって、ずっと前を見ている。暫くそのままの空気を車内に漂わせたまま本庁へ向かう。

「加島さん、何か気付いたんじゃないですか。泳さんの話とあのヌルってアプリ。何か引っかかってますよね。そこからずっと加島さん、焦っている様にも見えますけど。」

間もなく本庁に着きそうな中、佐々の先程の難しい顔が何となく淋しそうな顔に変わっていた。

「今日は本庁に戻ったら一旦解散でいいですよね。」

突然の言葉にミナトは少し驚く。そんな様子のミナトを見た佐々が更に続ける。

「なんか加島さん、このまま一人で捜査を続けていきそうで。頼りないと思いますけど一応これでも加島さんの相棒、バディなんですから。」

佐々の心配そうな瞳にミナトは言葉が出てこない。結果として少しの間目を合わせていた二人だったが、突然佐々は恥ずかしがり、視線を外す。ミナトは思わず笑ってしまう。

「大丈夫だ。今日の捜査はここまでだ。安心しろ、独りで勝手に捜査しない様に気を付けるよ。一人、頼りなくて世話の焼ける相棒が居るからな。」

佐々は更に恥ずかしそうにして顔をやや赤らめる。車が本庁へ着くと二人はそのまま課室に戻る。今日の分の日報を書き終えたら今日は早々に返ろうと思ったミナトは直ぐに自分の席へと座る。するとミナトのデスク脇に妻木がやって来た。

「戻って来て早々悪いが、ちょっと来てくれ。頼まれていたデータの復旧が終わったぞ。」

振り返り、妻木と視線を合わせたミナトは即座に妻木に従い彼の席まで行く。その様子を見ていた佐々も二人が自分のデスクの後ろを通るとそれに付いて行く。妻木のデスク上には既に例の筐体がPCと接続されている。妻木は席に座るとデスクトップ上でPCを操作し始める。二人はその背中越しに操作される画面を見る。

「あと、復旧できたのは過去一年分のデータだけだ。そして、これが福杉助教の亡くなった日の監視カメラの映像データだ。」

妻木は表示された日時の一覧から福杉の亡くなった日時の動画データを選択する。画面全体に再生される動画。映像は丁度日を跨いだ午前0時からスタートする。妻木は早送りでその動画を流し始める。時刻はそのまま進んでいくが、ずっと何の変化も起こらないまま。映像の中では陽が差し始め、朝の六時を回り始めた頃から少しずつ人や車の往来が増えていく。そして七時から八時過ぎにかけて通勤通学の波がカメラの前を通って行く。しかし、店の開店時間である九時半には往来が随分と落ち着き始めている。店の方は平日という事もあり、開店してからしばらくは客足がなかったが、お昼前位からランチの為か徐々に店内へ入っていく客の様子が見受けられる。そのまま程良く客が出入りする時間が続いている。出入りするのは近所の主婦や学生が多く、常連である様子が見て取れる。ランチタイムが終わると再び客足は落ち着き始め、そこから夕方までは一休みに来る客や軽食をとりに来る客がカメラの前を通り過ぎる。十七時を過ぎると今度は会社帰りの人々が息抜きで入れ替わりお店に立ち寄る。

気付けば画面上の時刻は閉店時間の十九時が近付く。すると閉店間際の店先に一人の男が現れる。男は店の前で立ち止まる。残念ながらその場面では画面が見切れており、男の足元しか見えない。数秒間立ち止まった男はその足を喫茶店の方に向けて歩いて来る。カメラの前を通り過ぎ店の中に入っていった男は四十代位で比較的キッチリとした格好をしている。男は店に入ると閉店時間までのおよそ二十分間出て来ず、店の閉店と共に去って行った。黒井が店を閉じるとその後は特段変わった事はなく、カメラの前を通る人波は時間帯が遅くなっていくに連れて明らかに少なくなっていく。二十三時を過ぎると完全に人通りは無くなり、暗い夜道だけを映し出す。そしてそのまま時刻が二十四時になると映像が終了する。正味十分程で動画を見た三人だったが、

「特に変わった様子はありませんね。やっぱり加島さんの勘違いなんじゃないですか。」

「そう簡単に決めつけるな、佐々。ミナトがただの勘だけで動いているとは思えない。何か引っかかる事があったんじゃないか。」

妻木が佐々を制し、ミナトへ問いかける。じっと画面を見ていたミナトは、

「分かりません。だけど今の映像の中に何かきっかけがあるはずなんです。」

ほんの少し黙り込むミナト。二人はミナトの次の言葉を待つ。

「一度黒井ご夫婦に今の動画を見ていただきましょう。お二人なら今の映像から何か気付くかもしれない。佐々、黒井さんにアポの連絡を入れてくれ。出来れば早い方が、明日が大丈夫なら明日良い。頼んだぞ。」

「分かりました。」

佐々は小走りで給湯室へ向かうと何やら声がする。どうやらそちらで黒井に連絡入れている様だ。一方でミナトは妻木と二人でPCの中のその日の映像データをミナトのLINKAEDへコピーする。コピーが終わる頃に丁度佐々も給湯室から戻る。

「加島さん、黒井さんとのアポとれました。明日の昼過ぎであれば、という事です。」

「分かった。ありがとう。」

キョトンとした顔の佐々をミナトと妻木が不思議そうな顔をして見る。

「加島さんから初めてまともに褒められました。」

驚く佐々はミナトの方を凝視している。言われたミナトはそこで初めて自分の発言を顧み、「ああ、そういえばそうだったか。」

それだけ言うとミナトはPCに接がれていたハードディスクを取り外す。

「ついでだ。このハードディスクも返そう。まあ、まず話はそれからだ。」

ミナトはハードディスクを自身のデスクへ持って行くとそれを筆頭に手早く机の上を片付け始める。

「今日はひとまずお開きだ。課長、今日はあがらせて頂きます。」

既に身支度を終わらせたミナトはそう言いながら課室を出て行く。

「何も言っていないんだけどな。全く勝手だな、アイツは。」

伊豆は深く溜息をしながらもその口元は笑っている。妻木は何も無かった様な顔をして既に自身の仕事に戻っている。佐々は未だ付いていけない課室の雰囲気に戸惑いながら自分も帰り支度を始める。佐々本人は全く気付いていないが、そんな様子を見ていた他の課員達の眼差しが妙に生暖かいものが込められていた。

          §

ミナトは帰宅中の車の中で佐々から送られてきた動画を見ていた。動画中に映し出される製作者の名前。

(あり得ない…)

ミナトは佐々にその読み方や由来を教えたが、一つだけ隠している事、言ってしまえば嘘をついている事がある。あの文字は素直に読めば「シータ」、佐々の読み方に間違いはなかった。しかし、ミナトはそれを「ヌル」と呼んだ。

ミナトはくすんだ記憶を掘り起こす。


『ミナト、このマークどう思う?』

『なんだ。シータ?それがどうした。』

『違うよ、形はシータと同じだけど、これは‘ヌル’って読むんだ。』

『ヌル?プログラミング言語のか。なんだってわざわざそんな事を。』

『そんな冷たい事を言うなよ。ヌルって不思議な表現でドイツ語だと素直にゼロ、って意味なのにプログラミングの世界ではゼロ、ではなく、〈何もない〉、つまり空白を表すんだ。面白いと思わない?ヌルという言葉は〈何もない〉、という意味を持ちながらも一転してゼロ自体が存在している、という意味も持つ。存在しないのに存在している。不確定的認知領域、そんな存在なんだ。』

《妙に熱く語っているな。何か研究に進展でもあったか。》

『それでそのマークがどうかしたのか。研究に役立つもの、とでも。』

『違うよ、ミナト。これはある意味僕たちの研究そのものなんだ。このヌルがいずれ技術的特異点(シンギュラリティ)の中心点となる。』

『随分大それた事を言うな。この記号が技術的特異点か?一体どう影響する?』

『ミナト。これはただの記号じゃないよ。そのものなんだ。まあ、君ならいずれ分かるよ。』


最後まで何も言わないまま居なくなってしまった彼は果たしてあの時何を見ていたのだろう。舗装された道路を静かに進む車の中でミナトは表示されている映像をとじると目を閉じる。学生時代に何度も通った研究室を思い出す。あの泳という女学生とは違い、強い熱意を以て居た訳ではなく、ただ何気なく居心地が良くて居ただけ。それでもその時間が一番記憶に残っている。ミナトはひとつ思い立つとLINKAEDから検索エンジンを参照する。ある人物の名前を入力する。出てきた検索結果の多くはミナトが既知のものばかり、随分と長い間会っていない-それこそあの彼と同じ位-、特段連絡をとっていた訳でもなかったので、近況といったものは全くない。そんな中、気になるトピックを見つけたミナトは画面をタッチすると記事を読み込む。その記事を読んだミナトは車が自宅に着いたのにも関わらず、車から降りる事なく暫く車の中で虚空と睨み合いを続けていった。

          §

翌朝いつもの通りミナトが出勤すると既に佐々が出勤して来ていた。妙に楽しそうにしていたが、ミナトはその様子を無視して着席する。

「ちょっと来てくれるか、加島。」

上座の伊豆に呼ばれると慣れた様に顔色一つ変えずに席を立つミナト。

「悪いな、朝一から調布東署の藤峰って課長から連絡があってな。」

やはりな、と思ったミナトだったが、表情には全く出さない。そんな事知ってか知らずか伊豆が続ける。

「要は自分達の縄張りの中でケリの付いたヤマを荒らすな、という文句だ。」

「すいません。ご迷惑おかけします。」

謝るミナトの顔は相も変わらい。そんなミナトを起こる訳でもなく伊豆がニヤリとする。

「まあ、当然適当にあしらっておいたが。何せ向こうも中間管理職だ、面倒な事は避けたいというのも人情だろう。」

「分かりました。以後留意しておきます。」

そうほんの微かに笑みを浮かべながら答えたミナトに伊豆は言う事は言ったと戻る様に促す。聞き耳を立てていた佐々はしかし、それがこの課では日常茶飯事である事をここ数日で強く学んでいた。朝礼が終わると佐々は黒井との約束にはまだ時間があると思い。これまでの事件の経緯を改めてまとめようとした。ところが向こう側でミナトが出掛ける準備を始めていた。

「加島さん、約束の時間は午後ですよ。そんなに急がなくても。」

チラッと佐々を見ると準備を進めながら、

「いや、黒井さんのところに行く前に寄りたい所がある。早く準備しろ。」

当然とばかりに、それだけ言うとミナトは準備を済ませて部屋を出る。佐々も急いで準備するとミナトを追いかける。佐々が車に乗り込んでも行き先を告げないミナトに渋々口を開く。

「加島さん、これどこへ向かっているんですか。」

駄目元で尋ねた佐々に返ってきたのは意外な答えだった。

「東都中央大学。俺の母校だ。」

思わぬ返答に佐々が驚くが更にミナトが続ける。

「そこに人工知能の研究をしている教授が居るんだが。」

そこでミナトの言葉が一度止まる。それに気付いた佐々はミナトの表情を窺う。一瞬見えた表情は前にも見た様な表情。直ぐに話を再開させる。

「実はその教授なんだが、一年以上前から行方不明になっている様なんだ。この教授はLINKAEDやHoffeに関連している訳ではないが、もしかすると一連の死に関係あるかもしれん。」

佐々は教えられた教授について調べてみる。確かに彼自身は研究者としては一級だったが、公益の研究機関に携わった経歴は無い。様々な情報に目を通していると佐々はひとつの疑問に思い当たる。

「でも、どうやってこの型に探り当たったんですか。こないだ探した時は全く出てきませんでしたよね。」

佐々の問いにミナトは数秒の間を空けて、

「俺の恩師と言っていい人だ。」


ミナトはその後何も言わずに車の中は沈黙のまま大学に到着する。門をくぐり構内へ入ると学内ローカルネットへと自動接続され、生体認証からミナトは卒業生として、佐々は未登録の来訪者としてそれぞれ来訪事由を求められる。「その他」の事由を選択すると、門の傍にある守衛室へ促される。前回帝工大へ入った際は以前現場を訪れた際の警官としてのログを参照し、特段問題なく構内を闊歩する事が出来た。二人は年配の守衛に対して警察である事を告げると事務局へ行きたい旨を伝える。守衛は内線でどこかへ連絡すると二人のAR上に事務棟への案内が表示される。事務棟へ向かう途中、構内を歩く二人。ミナトは勝手知ったる、の言葉通り迷う事なく進んで行く。その視線は周囲に配られる事もなく行先だけを見ている。

「懐かしい感じしますか?」

「うん、ああ、そうだな。卒業以来だからな。五年ぶりか。」

「その割には全然そうは見えませんけど。」

「そうか。」

「はい。加島さん、構内に入っても特別構内に興味を持った感じも無いですし、なんて言うか、その、学校嫌いでした?」

佐々はミナトの歩調に合わせ、少し早く歩いている。その視線は今ミナトの横顔へ向けられている。

「別にそんな事はないが、まあどこにでも居る普通の学生だったよ。」

ミナトの学生時代を思い浮かべた佐々は思わず、吹き出してしまう。ミナトは怪訝な顔をして佐々の方を見る。

「すみません。だって、加島さんが普通の学生として過ごしていたって想像すると思わず。」

「一体どんな想像していたんだ。」

互いの普通、に齟齬を感じた二人はいつの間にか事務棟へ着く。受付へ行くとこちらでは女性の自動案内ホロが現れ、用件を尋ねてくる。ミナトが手帳を提示し、責任者への面会を求めると「しばらくお待ち下さい。」とだけ言って消えるホロ。一分程すると建物の奥から小走りで男性が駆け寄ってくる。

「申し訳ありません。お待たせ致しました。総務課長の栗山です。本日はどの様なご用向きですか。」

栗山は二人の素性を既に確認してきた様で開口一番、ミナト達へ用件を尋ねてきた。その様子は特に緊張している。という訳でもなく、純粋に二人が尋ねて来た理由が分からない様だ。

「急に申し訳ありません。御校の教授である御堂ケンユウ氏について調べておりまして。一年程前から行方不明だと言う事ですが、研究室は居なくなった時のままですか?」

「ええ、確かに御堂教授の失踪後、臨時で講師を雇って講義の穴は埋めていますが、研究室自体はそのままにしてあります。ただ、流石にそろそろ片付けなければならない、とは思っているのです。」

栗山は困った様な顔をして頭を抱える。

「そうですか。因みに片付けた機材類はどうなりますか?」

「そうですね。パソコンなどの電子機器は基本的に大学側の備品ですからデータを全て消去した上で別の研究室へ使ってもらいますよ。それから、それ以外の備品や私物は必要がない限り処分してしまいます。」

栗山は先程の少し気を張った様子から徐々に柔らかい態度へと変化する。

「なるほど。それでは申し訳ありませんが、教授の研究室を拝見させて頂いても宜しいですか。」

いつも通り、端的に話を進めていくミナト。栗山も他意無く、念の為に捜査目的を尋ねる。

「御堂教授の失踪とある事件が関係しているかもしれず。その為に教授について多少調べを着けておく必要が出てきました。」

そう聞いた栗山も疑う事ない。

「それではご案内いたします。」

そうして人の好さそうな彼は自ら二人の案内を買ってでる。

「いえ、お忙しい中お手を煩わせません。場所なら知っています。卒業生なので。キーロックさえお預かり願えれば。」

「ああ、そうでしたね。では。」

栗山がARを操作すると直ぐミナトのAR上に栗山との接続回線が構築される。ミナトが電子キーを栗山から受け取ると、

「鍵はお帰りの際、もう一度こちらに寄って返却していただく様お願いします。」

「分かりました。ありがとうございます。」

二人揃って頭を下げるとミナトの先導で事務棟を立ち去る。

「そういえば御堂教授の失踪ってどんな経緯だったんですか。」

前を歩くミナトに佐々が質問する。

「昨年の春先の話だ。ある日突然御堂教授が大学に姿を現さなくなった。最初大学側も体調不良なんだと思って気にしていなかっただが、二、三日しても連絡すらとれない状態だったので警察に連絡したんだ。警察も御堂教授が独り身だったので遠方に住んでいたご両親にも連絡してみたんだが、そちらにも特に何も連絡は入ってなかった。それで教授の自宅も調べたが、自宅のログを調べると連絡がとれなくなった前日から部屋に戻った形跡がなかったそうだ。それから警察もそれなりに捜査していたのだが、結局何の手がかりすら見つからなかった。」

「LINKAEDの生体ログとかで痕跡は見つけられなかったんですか?」

「ああ、それも調べたが、記録された生体ログは大学に居たところまで。その後はパブリックラインに接続した形跡はない。つまり、教授はこの大学を出た瞬間消失した。」

佐々もそれが異常である事には納得する。LINKAEDは着用者以外の者が無理に外そうとしたり、破壊しようとすると警告の後、通報されるようになっている。

とすると教授は自らLINKAEDを外して姿を消した或いは本当に神隠しにでもあったか。ミナトの誘導で御堂の研究室へ到着する。ミナトがロックを外し、部屋の中へと入る。かつて自身が学生時代を過ごした時とほとんど変わりない部屋の様子にどことなく安心するミナト。佐々は多様な機材や資料の溢れる部屋に無用の好奇心を寄せている。

「失礼します。」

元気よく部屋の中心へと進んで行く佐々はとりあえず身近な棚から調べ始める。五年前と変わらない景色を眺めながら部屋の中を観察していた。御堂、その痕跡はあまりにも突然消えていた。そしてミナトはその様な現象を他にも知っていた。御堂の失踪と同じ様に突如消えた人間。そこまで思い至るとミナトは一度思考をリセットする。目の前では佐々が室内を隈なく探そうと奮起している。その彼女の横を通り過ぎミナトは部屋の奥に設置してあるPCへ歩み寄る。PC周りのデスクは比較的綺麗に片付けられており、掃除も行き届いている。PCの電源を入れるとデスクトップが起動する。捜索に際し、警察もこのPCを調べた筈だが、これもまた特に手がかりとなりそうなものはなかったとの事だ。ロック画面が表示され、パスワードを要求する。ミナトは自分のLINKAEDを接続し、桜木のPCの時の様に自作のソフトでパスワードを解析しようとした。いつの間にか傍には佐々が来ておりミナトの作業を眺めていた。すると突然ロック画面が消え、プログラミング画面が表示される。画面上では勝手にプログラミングコマンドが入力されていく。それと同時にミナトのAR上にはPCとの接続に異常を感知した旨のメッセージが表示される。ミナトは瞬時に接続をダウンしようとしたが、寸でのところで手を止める。PC上ではプログラムの進行が続いている。心配そうに横でミナトを見る佐々に対して、画面を凝視して出方を待つミナト。するとプログラムの進行が止まり、画面上が一度プラックアウトすると真っ白な空欄が画面の中心へ浮かび上がる。

「二重ロックが…。」

ミナトは出現したパスワード欄に対して自身の解析ソフトを使用するつもりでソフトのアイコンを押そうとする。しかし、AR上のアイコンに触れる寸前でその指を止める。記憶の中で強く残る光景を思い出す。



『ミナトは卒業したら直ぐに警察学校か。暫く会えなくなるね。』

『お前は確かシステム系の会社だったよな。』

『うん、高遠システムズって会社。中小だけどHoffeの系列の中でもかなりの有力企業だそうだよ。』

『だそう、ってお前な。自分の入社する会社だろ。もっと知っておかなきゃダメなんじゃないか。』

『別にいいんだよ、知るべき事だけ知っておけば。あとは蛇足に過ぎないから。』

『そうか。』

『・・・・。』

『何だよ。』

『いいや。こうして毎日の様にミナトの顔が見れなくなると思うと淋しいなと思って。』

『気色の悪い事言うな。残念ながらそういった趣味は無いぞ。』

『安心して、僕も特別その気はないから。』

『君達二人は最後の最後まで私の研究室を談話室か何かと勘違いし続けている様だな。』

『いやだな、御堂先生。僕達は在学中お世話になった先生に御礼の挨拶に来ただけなのに、連れない事言わないで下さいよ。』

『そう思っているなら出来るだけ速やかに出て行ってくれるかな。お前たちも卒業祝いの席の一つや二つ誘われているだろうが。』

『基本断りました。』

『俺も。面倒なので。』

『お前らな。本当に社交性の欠如した連中だな。』

『それは教授も一緒でしょ。』

『ああ、ミナト、手厳しい。』

『本気で追い出すぞ、お前ら。』


もしかしたらキチンと笑ったのはあの日が最後かもしれない。ミナトが更に記憶を問い質す。蘇るのはとある飲み屋の中、周りは喧しく、他人の話など聞いていない。


『でも、ホント久しぶりだね、ミナト。ひとまず警察学校卒業おめでとう。』

『ああ、ありがとう。お前の方は順調か。』

『え、ああ、うん。実に〈順調〉だよ。』

『暫く見ない内に随分痩せたか。お前が、会社に馴染めないからストレスで痩せた、なんて思わないが。』

『そうかな。まあ、確かにもしかしたら僕にとってこの半年が山場だったかもしれないな。』

『そうなのか。随分大変そうだな。』

『ミナトはどうして警官になったのさ。』

『どうして?そうだな。まあ、悪い奴を捕まえるため、かな。とでも言っておこうか。』

『フフッ、そうか。やっぱりミナトは凄いな。でも、やっぱりアカネちゃんの事もあったんでしょう?』

『・・・。さあどうだろうな。もしかしたらそういう熱い心や正義感よりは合法的に出来る事が増えるから、かも知れないぞ。』

『それはないな。ミナトは完全合理主義だけど血も涙もない機械じゃないよ。それは僕が一番良く分かっている。』

『さっきからまどろっこしいな。何が言いたいんだ。』

『ミナトの正義も僕の正義もきっと出発地点は一緒なんだ。だけど、選んだ答えは違う事に少し寂しくなってしまってね。』

『本当にお前、何言っているんだ。飲み過ぎじゃないのか?』

『うん、ああ、今はまだミナトには分からなくていいよ。これは、そうだな、’独白’ってやつだよ。でも、きっといずれミナトが追い付く日が来るよ。』

『・・・。』

『そんなに見るなよ。恥ずかしいじゃないか。うん、確かに飲み過ぎたかもしれない。僕は今とても気分がいいんだ。

『そうかい。そりゃあ良かったよ。阿呆みたいに心配してしまったじゃないか。』

『ありがとう。でもミナト、これだけは覚えておいて。扉を開けるのは’シード’、そして全ての始まりも’シード’だよ。』


アイツに会ったのはあれが最後だった。あの後完全に消え去った一人。ミナトは記憶の中の言葉を口にする。

「’シード’」

それと同じにしてPCのタッチボードを使い、今口にした言葉を打ち込む。すると画面は再びブラックアウトすると今度は音声プレイヤーが起動する。自動再生したプレイヤーからは男性の声が流れてくる。

〈この音声データが然るべき時に届く事を祈る。あの二重ロックを正規の手順で解いたとしたらこの音声を聞いているのは加島ミナト、君だろう。今君が置かれている状況は過去を生きる私には分からないが、まあ推して知るべきだろう。まず、第一に今君が居るその時点でこの私、御堂ケンユウはまずこの世には居ないだろう。万が一肉体は現存してもそこには今ここに居る私は存在しない。だからこそこの音声データはある種私の’遺言’とも言える。

さて、君が何を求め、ここに至ったかに関しては言及を差し控えるとして、私が君に伝え得るものはすべて伝えてみようと思うが、あくまで私の視点から見た恣意的な内容なので多少正確性には欠ける事は了承してほしい。〉

声は淡々と流れ、聞いていた佐々はミナトの方を見て、様子を窺うとその動きに気付いたミナトが、

「間違いなく御堂教授の声と話し方だ。」

すると二人はほぼ同時にある事に気付く。

「加島さん、これ。」

ミナトは佐々が指差す画面を見る。そこにあったのは恐らくこのデータが録音された日付だろう数字。

「これって。」

「ああ、教授が失踪した日だ。」

音声データは続きを流す。

〈私の研究の内容はわざわざ説明しなくても知っているな。君達の在学中、研究そのものはトライアンドエラーの繰り返しだった。例の〈テンマ〉の学習能力と’人格’の形成を再現しようと試みたが、終ぞ完成させる事は出来なかった。何が足りなかったのか、結局私はそれが何なのか分からないままだ。だから、アイツの知っている事が君に必要な事になると思う。そう…〉

「「鏡コウヤ」」

パソコンの音声とそこに居るミナトの呟きが重なる。

〈鏡はここに来た時点で同じ分野の研究者達にも引けを取らない知識や技術を持っていた。そして彼のおかげで私の研究はそれまでの停滞から僅かずつだが歩みを進めた。そんな鏡が卒業後に選んだのが高遠システムズだった。無論企業としては我々の分野に於いて優れた企業だが、鏡の実力ならもっと専門性の高い企業にも入れた。それが私には不思議でならなかった。だからか、私は卒業の半年位経ってアイツがここを訪ねて来た時あまり驚かなかった。そうだな、丁度失踪する直前だったな。フラリとここに立ち寄ったアイツが何となしに世間話をして、ああそういえば何日か後に君と会う約束している、と言っていたな。まあ、ともかく帰り際アイツが何の気ない様に聞いてきたんだ。

『御堂先生、技術的特異点はいつ訪れると思いますか。』

私が「近いうちに訪れるのではないか。」、そう答えた。

『もし、その時が来たら先生はどうしますか。』

いつもの様にニコニコはしていたがどことなく不気味な感じがしたな。

『真正面から向き合うさ。科学者として何をすべきか、何が出来るかを自身に問おう。』

『先生ならそう答えると思っていました。今日は楽しかったです。ありがとうございました。』

最後まで笑みを絶やす事なくその日は出て行ったよ。そしてアイツは姿を消した。私も教え子が消えた事に関心がなかった訳ではなかったが正直自分の事を優先して、その後は以前と変わりない様な生活を送っていた。そうしてそんな記憶も薄れていき、思い出そうともしなかった私の前に、つい数日前鏡が現れた。四年前、最後に会った時と変わらない様に私も驚いた。いつもの様に部屋の内へ入って来たアイツは簡単に挨拶を済ませると、私の研究の様子について聞いてきた。知っている通り、ここ四年の間私自身は大きな功績は生み出せていない。鏡はそれを踏まえた上で話を続けた。


『御堂先生、僕の研究に協力していただけませんか。』

『協力?鏡、四年も行方をくらまして、急に何を言い始める。』

『そうですよね。先生、聞いたらきっと驚くと思いますよ。』

『なに?』

『先生、僕は新しい知性と出会ったんです。そう、先生達が追い求めてきたものに。』

『お前、まさか?』

『先生、僕達は今まで既定路線の研究開発を続けてきたんです。それはずっと正しかったし、それで良かったんです。けれども、それでは届かない。だから至るべき道を変えなければならない。先生、僕達と一緒に来て下さい。あなたなら理解出来る筈です。』

『何を理解するというのだ。』

『先生、分かっている筈です。どだい、人が何かをゼロから作り出すなんて不可能なんですよ。それこそ我々科学者が最も拝すべき原理です。エネルギー保存の法則や質量・エネルギーの等価性、因果律。何かが生まれるにはもととなる何かが必要なんです。』

『しかし、それは物理原則であり、総じて我々が題する人工知能の誕生には必ずしも因するものではない。』

『いいえ、先生。人工知能の開発も所詮は化学。因果律つまり等価交換の規則下からは逃れられない。しかし、それは縛りではなく、規則性、そして科学で重要な再現性を付帯する定礎になるものです。』

『科学の再現性については否定しない。だが、重ねて言うがそれを人工知能の研究に当てはめるべきではない。私達は無限にあるプログラムの数列の中から砂金を探す様に僅かな可能性を、新たな知性が誕生する事を目指してその生涯を捧げている。そして、私はその歩みを否定しない。』

『アハハ、研究者のカガミですね、先生。分かりました。今日のところは諦めて帰りますね。ただ、完全に諦めた訳じゃありませんから。もう少し検討してみて下さい。またお伺いさせて下さい。』

『何度来ても答えは変わらない。無駄な事は止めたまえ。』

『そう言わずにまた相手にして下さいよ。ではまた。』


鏡はそう言って私の元を去って行った。アイツが実のところ何を以て私のところへ来たのかは分からない。だが、アイツの言うところの’新たな知性’が本当に我々の考えてこなかった方法で生み出されたのか。それが分かるかもしれない。実は先日、本当に鏡から再度連絡があった。今日また研究室に来ると言っていた。これからもう一度鏡に会う。勿論以前の誘いを断るつもりだ。ただ何が起こるか分からない。そして何より科学者である私が言うのもなんだが、嫌な予感がする。だから念の為にこの記録を残しておく。アイツの手の届かぬところに。私に万が一の事があった場合には加島、頼むぞ。アイツの行こうとしている処は我々の理想とは程遠いものになるだろう。ただ、その正否はお前自身の目で見て確かめてみてくれ。それではな、恐らく二度と会う事はないと思うが、さらばだ。我が生徒よ。〉


流れていた音声はそこで止まり、再生ソフトが自動的に停止する。部屋の中には静寂が漂う。ミナトは画面を見つめたまま、完全に停止してしまっている。佐々はミナトの傍から離れ、近くの椅子を引き寄せ座る。ミナトはまだ画面を凝視したまま、

「加島さん、加島さん!」

部屋中に響き渡る様に呼びかける佐々の声にようやくミナトが反応する。視線を佐々の方へ向ける。ただ、ミナトが口を開く様子はない。

「加島さん、さっき言っていた鏡コウヤって人、誰なんですか?」

意を決した、静寂を破る佐々の問いかけにミナトは僅かな間だけその質問を噛み砕く様に逡巡すると教授の席から立ち上がり、佐々の方へと歩み寄る。近くのデスクに寄り掛かり、やっと口を開く。

「ああ、鏡コウヤっていうのは俺の幼馴染でな。御堂教授の唯一の弟子とも云える男だが、今の音声データで教授が言っていた通り、今から五年前に姿を消した、筈だった。教授の言う通りなら昨年教授が失踪する前に姿を現していた事になる。」

「何か今回の件に関わっているんでしょうか?」

「分からない。だが、タイミング的に見て教授の失踪について、何らかの関与をしているのは間違いないだろう。それに…。」

そこで言葉を切ったミナト。佐々は次の句が続くと思い、身構えている。

「いや、何でもない。」

ミナトは寄り掛かったデスクから再び教授のデスクへ座る。電源が着いたままのPCはトップ画面のままである。

「ともかく、御堂教授は居なくなる直前、鏡と会っていた可能性が高い。そしてこの失踪がすべてを解決する糸口になるかもしれない。」

佐々と話ながらPCのデータを確認していく。やはり失踪した当時と同じで研究データ以外には特に変わったものはない。そこでミナトはようやく気付く。先程再生された音声データがPC上のどこにもない。勿論ミナトのLINKAEDにもその姿はない。どうやら一度通して再生が終了すると自動で消去される様にされていたらしい。その念の入れ方に御堂の事を思い出し、少し懐かしくなる。ミナトはPCの電源を落とすと席を立ちあがり。そのままの足で部屋を出る。突然のミナトの行動に佐々は一瞬焦ったが、直ぐに一つ、溜息を大きく吐くと急いでミナトの後を追う。

扉を開くと部屋の正面の壁に背を預け待っているミナトが居た。

「流石に気付くか。」

部屋からゆっくり出て来た佐々へミナトが近付くと彼女が閉めた扉にアクセスし、電子ロックをかける。

「なんか、もう慣れてきました。」

少し呆れた様にミナトを待つ佐々。錠をしたミナトと佐々は二人とも続く言葉もなく、研究棟を後にした。


二人が去った研究室には再び静寂が訪れる。すると鍵のかかっている筈の部屋の扉が開く。音もたてずに入って来たのは一台の掃除用ドローン。円柱状のボディの足元は床を掃除する為に腰蓑の様なゴミの収集口が設けられており、ボディそのものには小さな収納口がいくつかある。そこからは雑巾やへらなどの掃除道具が収納されている。ドローンは室内を脇目も振らず、教授のデスクへ向かう。置物となっているPCの起動ボタンを収納口のアームで起用に押して起動する。電源の入ったPCにドローンがアクセスするとPC内のデータが次々と消去されていく。ものの数分でPC完全に消去される。無論隠されていた音声データの痕跡など最初から無かった様だ。気付くと画面上は真っ暗になっており、その中央に「θ」の文字。

「流石は先生。隠しファイル、しかも限定条件に加えての専用コードによる解錠のみとは。普通だったらまず気付かれない仕掛け。見事ですね。まあ、おかげでようやく鬼ごっこらしくなってきました。仕掛けが無駄にならなくて良かった。」

その声がするのはPCのスピーカーか、ドローンの中からか。PCの電源が消えると何事もなかった様にソレは研究室を出る。後に残されたのは主を失った数多の資料達。かつてその部屋に響いた若人の声はもはやどこにも残っていなかった。


滞りなく研究室のキーを返し終わった二人はそのままの足で黒井宅へ向かう。時刻は既にお昼を回っており、道中の飲食店は賑わいを見せている。しかし、ミナトはそういった様子に気付いていないのか、特に気にかける事もなく座っている。佐々もミナトの様子を窺いながら何も口出さない。車内は黒井宅まで到着するまで一貫して静かなものであった。約束の時間には大分早かったが、二人が黒井宅に着いた時、店はランチに足を運ぶ客が随分と落ち着き始めたタイミングだった。店の中に入るとミナトと佐々は空いている一番奥のテーブル席に座る。二人が入店してきた事に気付いた黒井は笑顔を見せて軽く頭を下げる。すると今度は奥の厨房から黒井の奥さんが二人の座るテーブルへ水を運んでくる。

「ごめんなさいね。もう少ししたらゆっくり話せると思うから。」

「いえ、私達も随分早く着いてしまったので。お気になさらず。」

佐々と奥さんはにこやかに談笑を続ける。ミナトはそれを眺めている。そんなミナトの様子を見た佐々が、

「そうだ、加島さん、折角だしここでお昼頂いて行きましょう。」

ニコニコしながら提案をする。ミナトは薄々感じていたがどうやら佐々はここで昼食とろうと道中から画策していた様だ。ミナトは諦めた様に溜息をつく。

「しょうがない、分かった。折角だから頂くとするか。」

「そうこなくっちゃ。奥さんランチのAセット下さい。加島さんはどうします?」

恐らく来店した時からテーブル上のメニューを確認していたのだろう。すぐさま注文を決める。ミナトも特に迷う素振りもなく、佐々と同じものを注文する。満面の笑みでテーブルを去る奥さんの後ろ姿を見送ったミナトだったが、ふと目線を戻すと佐々と目が合う。

「加島さん、何か隠している事ありません?何となくそんな気がするんですけど。」

「いや、特段何もないが。」

ミナトは目線を逸らす事もなく佐々を見返している。佐々は交わした視線を解くと今までで一番大きな溜息をつく。

「加島さん、さっきの御堂教授の部屋では随分様子がおかしかったから。勿論加島さんの知人が関わっているのもあるんでしょうけど、何かそれ以上の事と言うか、上手く言えませんが。」

水を一口飲み、喉を潤す佐々。ミナトもそれに合わせて水を飲み一息つく。

「課長から二十年前の研究所爆破事件については聞いていたな。」

「はい。加島さんのご両親が亡くなられて、妹さんと二人助かった、って。」

「ああ、そして鏡コウヤもその事件の被害者だった。ヤツもその事件で両親を失った。事件の後、養子としてある夫婦の元で育てられたんだが…。」

そこでミナトの言葉が止まる。佐々が傾注してミナトの言葉を拾おうとする。

「いや、まさかな。だが、コウヤのヤツが何かやるとしたら二人に。最後に会った時は。だとしたら、いつからだ?何を企んでいるんだ。」

ブツブツと独り言になっているミナトを見た佐々は大きな声でミナトへ呼びかける。その声に若干驚いた様子のミナトは再び佐々へ意識を向ける。

「スマン、話を戻そう。鏡自身も優秀なプログラマーでな。自分でも人工知能の開発をしたりもしていてな。御堂教授も何だかんだ重宝していたからな。ただ、大学を卒業した1年ほどで姿を消した。」

「御堂教授も言ってましたけどその鏡さんって方、そんなに凄い方なんですか。」

「凄い、というか、変わっていると言った方がしっくりくるかもしれないな。どことなく厭世的というか、世の中に興味がないというかな。とにかく、長年の付き合いから言わせる胡散臭いヤツだった。」

「でも、どうしてそんな人が今回の件について関係してくるんでしょう。教授のメッセージから何かやるのに御堂教授の力を必要としていたみたいですけど。」

「それだけじゃない。今まで調べた桜木教授や福杉助教も恐らく同様の接触を受けていた可能性が高い。そしてその接触で何らかの事件が起こった。」

「一体何が…。」

「それは分からない。ただ前にも言った通り、LINKAEDの開発に携わった人物の動向が関係してくるかもしれない。そろそろ麻生化学から関係者リストが送られてくるはずだが。その中に手がかりが見つかるかもしれない。」

「もし、その人達が関わっているって言うなら、それってLINKAEDに関わる事でしょうか。」

「可能性としては高いな。ただ、今更LINKAEDに対して何を企んでいるか、だ。」

LINKAEDが実用化され、世界中に流布され始めた際、当然と言うべきかそのセキュリティを突破して他人の情報を盗みだそうとする輩が続々と出現していった当初は強力なセキュリティソフトで対策を打っていたがそれらのソフトも次々と突破された。そこでHoffeが選んだ解決策はAIによるリアルタイムなセキュリティの再構築。このソフトをインストールしておく事で外部からの不正なアクセスを感知するとそのアクセスに対して専用のAIサーバーが継続的に障壁、所謂ファイアウォールを更新・構築し続ける。そしてAIサーバー自体にもセキュリティ対策として、治安維持を目的としている伽藍をバックアップとして自己のファイアウォールも再構築し続けるシステム。これによりLINKAEDに対するセキュリティは強固なものとなった。今現在これらのシステムへの介入は重罪にあたり、これを試みる者はほとんど現れていない。

「LINKAEDのセキュリティを突破するのは至難の技だ。それこそセブンズブレインでも持ち出さない限り突破するのは不可能なほどに。」

「じゃあ、どうして。それが分からない人じゃないんですよね。」

「ああ、鏡のヤツはそんな事なぞ当然理解している。だからこそ本当に分からないんだ。LINKAEDをシステム的に崩せないのは重々承知なのにわざわざLINKAEDの周りにいるのには理由があるはずだ。」

二人が真剣に話し込んでいるところに奥さんが両手にランチトレイを器用に持って来る。

「お待たせしました。Aランチ二つです。」

二人の前に出されたトレイにはオムライスをメインにサラダとスープが添えられた昔ながらのランチボード。それを見た佐々は寸前の難しい顔が途端明るく笑顔に変わる。

「加島さん、見て下さい。美味しそうですよ。早くいただきましょうよ。」

「いや、お前な。」

呆れた様子で佐々を見たミナトも目の前に出された食事に自身珍しく、食欲をそそられ、既に食べ始めている佐々に続いて食事を摂り始める。


結局食後のデザートとコーヒーまでしっかりといただいたところで黒井が二人のところに来る。

「お待たせしました。如何でした。ウチのランチは。」

相変わらず柔らかい笑顔で二人に尋ねる。

「大変美味しくいただきました。」

佐々が笑顔で返すと黒井も嬉しそうに笑顔を見せる。

「黒井さん、コチラありがとうございました。お返し致します。」

ミナトが借りていたハードディスクが入っている紙袋を返すと黒井が中を確認する。タオルではなく、キチンと緩衝材を巻いてそこに敷いたタオルの上にのせてある事を視認した黒井。

「はい、確かにお返しいただきました。」

「設置の戻しもやりましょうか。」

ふと思い至ったミナトの提案に黒井は首を横に振り、「大丈夫です。」と答える。ミナトは席を立ち、佐々の居る方へ回ると黒井に今まで自分の座っていた席へ腰かける様に促す。

一瞬戸惑った黒井だったが、ミナトが再度勧めると席へ座る。ミナトも佐々に目線で奥へ詰める様に要求する。佐々が詰めて座り、その横へミナトが腰かける。

「ところで黒井さん、コチラの男性に見覚えありませんか。」

ミナトが黒井に見せたのはあの日カメラに映っていた壮年の男性。

隣の佐々が驚いたような顔をする。

「こないだお話しした大学の先生が亡くなった日にこちらのお店に来ていたのですが覚えていませんか。」

記憶を辿り、唸る黒井とそれを見守る二人。そこにどうやらコーヒーのお代わりを持って来た奥さんが声をかける。

「お代わり、どうぞ。」

二人の空いたカップにコーヒーを注ぐと、別に持って来た空のカップを黒井の前に置き、写真を見つめて唸る黒井の前で中身を注ぐ。

「あら、この人。」

どうやら注いでいる際に黒井の持つ写真が視界に入った様だ。

「見覚えあるんですか。」

思わぬ伏兵に佐々が喰い付く様に尋ねる。

「ええ、確か。前におっしゃっていた大学の先生が亡くなった事件の会った位の時だったと思います。お一人でいらしてあちらの窓際の席をご希望して座られました。コーヒーを何杯か召し上がって二・三十分で出て行かれましたね。」

記憶を呼び起こしながら奥さんが答える。ふと、ミナトが気になった事を尋ねる。

「随分前の事なのに詳しく覚えていらっしゃるんですね。」

「ええ、その時だけの一見のお客さんで普段だったら特別覚えている訳ではないのですが、そのお客様少し変わってらっしゃって。」

「というと?」

「ええ、席に座られてからお帰りになるまでずっと窓の外を見てらっしゃったんですが。そういうお客様も時々いらっしゃるにはいますが、その場合ほとんど人を待っていらっしゃったり、前の道の行き来を見ていたりするんですが、その方は外を見てはいるんですが、ひたすら向かいのマンションの方を見ていて、その目がとても怖くて。」

その時の事を思い出したのか、奥さんは顔を顰めている。

「何て言うか、お顔は柔和そうで時折微笑んでいる様に見えるんですが、その、目が。」

「目?」

「目が怖いというか、そう感じる様な冷めた感じで、正直不気味な方だったと覚えています。」

奥さんの言葉が終わると、場は静まり返る。ようやく黒井が唸ると一言漏らす。

「そうだったが、私は全然覚えていないが。よく覚えていたな、お前。」

「ええ、私も写真で顔を見るまでは全然思い出せなかったけど、これ見てハッと思い出したの。」

奥さんは先程の暗い雰囲気から少し明るさを取り戻し、黒井と二人当時を思い出し、話に華を咲かせている。ミナトはそんな奥さんに

「申し訳ないですが奥さん、その男、他に何か変わったところありませんでしたか。」

再び考え込む奥さんに他の三人の視線が集まる。その視線に晒されながらも「アッ。」と言うとミナトへ向き直る。

「そういえば、お帰りになる間際、誰かと話している様でした。」

「誰か、ですか?」

「はい。多分電話か何かだと思いますけど、その時は顔だけではなく体の向きもあのマンションの方を向いていました。」

奥さんの目線が店の向こうへ向けられる。

「その時の会話の内容、分かりますか。」

「いえ、話の内容までは。声もそんなに大きくありませんでしたし。特に注意して聞いていた訳ではないので。ただ、話の前後は分かりませんが、少し聞えてきた言葉だとLINKAED、とか、計画通り、とか。なんだが随分険しい顔で話していたと思います。」

それを聞いた佐々は少し熱の籠った様子でミナトの方へ向かう。

「加島さん、凄いですよ。きっとこの男何か知っているんですよ。」

しかしミナトは至って落ち着いた様子で考え込んでいる。

「佐々、先走るな。まだ何も確証を得た訳じゃない。」

「すみません。つい…。」

二人のやりとりを見て奥さんが不安そうな眼差しを向けてくる。

「何か私の言った事で変な所があったでしょうか。」

「いいえ、何も問題ありません。あと他に何か覚えている事はありますか。」

僅かに考えた奥さんであったが、他には特に思い出せる事はない様だった。

「すいません。あまりお話し出来る事もなくて。」

「私なんか、何も覚えていなくて。何回か来てくれたお客さんだと覚えているんですけどね。」

夫婦揃って申し訳なさそうにしているのを見た佐々は堪らず、

「いえいえ、本当にありがとうございます。とても参考になるお話を聞けました。ね、加島さん。」

「ああ、お話伺えて大変助かりました。」

二人がそう言うと夫婦も表情が明るくなった。


黒井の喫茶店を後にした二人は店を出るとミナトが足を止める。佐々は手に奥さんから渡されたお土産-中身はランチメニューの一つであるサンドウィッチ-を掲げている。

「でも、どうして、あの男の画像を見せたんですか。」

「あの日喫茶店に来た客で犯行の時間を思われる時間を考えた場合、どうにもあの男が気になってな。もしかして、と思ったんだ。」

すると、ミナトの動きがピタリと止まる。

「どうしたんですか。」

「男はあそこの席からマンションの方を眺めていた。」

ミナトは振り返り、店の方を見る。窓の向こうには誰も居ない席を見る。

「福杉助教の死亡推定時刻は帰宅した後の十九時から二十時半までの間。丁度男がこの喫茶店からマンションを見ていた時刻と重なる。男は、ここから何を見ていた?」

自問自答の様な言葉だったが隣の佐々にはしっかりと聞こえている。

「男が福杉助教を殺害した犯人だとするならば喫茶店を出て行った跡に先生を殺害した、って事ですかね。」

「何の為に?」

「えっ?」

「何の為にわざわざこの喫茶店に足を運んだ。助教授のマンションのセキュリティや部屋に一切何の証拠も痕跡も残していないにも関わらずこっちでは随分堂々としているもんだ。まるで一貫性がない。」

「それじゃあ、男は何者なんでしょうか。ここでマンションを見ていただけ、って事だと偶然って考えられますし。」

「何にしてもこの男が何かを知っている、という事を考えて動こう。」

二人が近所の駐車場に停めていた車に乗り込む頃には日は傾き始めていた。


署に戻る途中、先程食べたランチが余程気に入ったのか、力の入った様子でオムライスについて話し始めた佐々は今や話が広がり、現在は食文化について何故か熱く語っている。

狭い車中、黙って佐々の話を聞いているミナトの元へ一通のメールが届く。佐々の話を聞き流しながらAR画面からメーラーを開く。途中でその動作に気付いた佐々も話を止め、ミナトの動きに注視する。しばし虚空を見つめるミナトを見る佐々。一通り目を通し終わったミナトが一息つく。

「加島さん、何かあったんですか。」

「例のLINKAED開発に関わった人物のリストだ。この人物達が現状、消息を確認出来るか。今、伊豆課長にリストを送って照会してもらう。」

そう言うとミナトはAR操作し、受け取っていたリストを伊豆へ送る。再び息をつき、深くシートへ腰かける。

「加島さん、そのリストどんな内容でしたか。」

恐る恐るミナトが尋ねるとミナトが体を起こす。

「確認しよう。リストは開発に携わった人間、主にそのシステムの設計・開発に関わった人物達だ。もっと言えば、技術的な面で関わった人達だ。勿論桜木教授や福杉助教の名も確認とれたが、数十人程の研究者や技術者の名前が並んでいた。が、果たしてこの内にどれだけの数が引っかかるのか。」

「引っかかる?やっぱり二人以外にも何らかの事件に巻き込まれている人がいると?」

「ああ、間違いなく何かが起こっている。彼らがLINKAED開発に関わっている以上、鏡或いはさっきの男が接触していないとも限らない。まず、安否情報が第一だ。順調にいけば今日明日にはある程度情報も揃うだろう。」

「そのリスト、私にも送っていただけませんか。私も確認してみたいです。」

真剣な佐々の顔を見返すミナトはスッとARの操作をする。すると直ぐに佐々のLINKAEDにメールが届く。開くと何のメッセージも書かれていない本文と一つの添付ファイル。佐々は添付ファイルを開き、関係者のリストに今度は佐々が通してみる。そこに載っている名前は佐々にとっては馴染みのないものばかりで、今この状況でなければ桜木や福杉の名さえ気にかけずに読んでいた事だろう。

「乗っている人物で誰か気になる人物は居るか?」

リストを読む佐々は急な問いかけに反応が遅れる。

「えっ、はっ、ハ、ハイ。えーと。」

何故か忙しなく手元を動かしてリストの名前を行き来する佐々。

時間が経つにつれ、ミナトの顔が徐々に苦虫を噛み潰した様になっていく。

「皆、その世界では著名な人物達でそれぞれがトップランクの専門家達なんだが。ああ、そうか、お前さんの感覚じゃそうなのか。」

そんなミナトの言葉に佐々は申し訳なさそうにする。ミナトは軽い笑みを見せる。しょぼくれた佐々が面白かったのだろう。不満気ながらも直ぐに笑顔を見せる佐々。そうして何故か再び佐々のグルメ論が始まるとは流石のミナトも計算出来なかった。


「出たぞ。」

課室に入ると挨拶も早々に伊豆からの二人に言葉がかけられる。何の事か分からず不思議そうな表情の佐々に対し、ミナトは即座に伊豆の元へと歩み寄る。

「随分早いですね。」

「いや、また半分も終わっていないんだが。ミナト、お前の想像以上だ。もう既に調べがついている数だけで三名、行方不明或いは死亡の確認がとれた。それもここ一年の間に。」

伊豆はリストが印刷された用紙をミナトへ差し出すと、ミナトがそれを手に取り確認する。

二十人程の名前が並ぶ中で三名の名前にラインが引いてあり、名前の横には『死亡』或いは『行方不明』とあり、更に死因等も書き添えられている。

「今残りの人物達も調べてもらっているが、この調子だとまだ出てくるだろうよ。」

死亡者が二人、行方不明が一人。日付は飛んでいるが、伊豆の言う通り全て約一年以内で起こっている。間違いなく御堂の元に鏡が訪れてから後に。

「今課員全員で調べている。早けりゃあ明日の昼までには一通り調べが着くだろう。」

伊豆の言葉にミナトと佐々は課室を見渡す。課員はそれぞれ自分の席に座り作業しているが、皆今の言葉にこちらを見る。各々表情はそれぞれだが、一貫して嫌な顔をしている者は居ない。

「ありがとうございます。しかし、随分と協力的ですね。課室全員を動かしてくれるだなんて。」

コチラを見る課員達の顔を見渡し、再度伊豆の方を見る。伊豆は薄く笑うと、

「なに、お前さんがここまで執心しているのも珍しいからな。力を貸さない訳にはいかないだろう?」

ニヤニヤしながら伊豆がミナトを見上げる。

佐々が横目にミナトを見る。少し驚いた様な顔をしていたが次第に呆れた様に笑う。

「それは、それは。お気遣いありがとうございます。ではお言葉に甘えてもう一つお願いしてもいいですか?」

それまでほくそ笑んでいた伊豆の表情が急に強張る。そして同時に背後の課室の空気が冷つく。嫌な予感を感じ取った佐々は早々にこの後の展開に頭が痛くなる。固まっていた伊豆が深く息を吐くとミナトに応える。

「それで、なんだ。そのもう一つのお願いって。」

「この男、コイツについて調べて欲しんです。」

「この男は?」

「福杉助教の死亡時、近隣の喫茶店で目撃されている男です。まだ事件にどう関わっているか、そも関わっているかどうかも分からないんですが。」

「きな臭い、という事か。珍しいな。お前が感覚を信じる様な捜査をするとはな。どちらかと言えば俺やヨシさんが好む様なやり方だな。」

チラリと二人の陰から自分の席に座る種田を見る。あまり機械操作の得意でない種田はARの操作に苦闘しながら「こっちに振らんで下さい。」と困惑している。伊豆と佐々は種田の様に笑いを浮かべるが、ミナトはしっかりと伊豆の方を向いている。

「感覚ですか。そうですね。こんな勘に頼る様な事普段はしないんですけど。ただ、教授の死の状況やこの男の行動に整合性が感じられないんです。」

「整合性、ですか。」

横にいる佐々が初めてミナトの口からきく言葉に思わず、言葉を繰り返す。

「そうか。お前がそう言うなら余程だろう。分かった。この男についての調べも同時に行おう。」

伊豆が立ち上がり何かを言おうとしたところをミナトが制す。

「ついでなので、さっきのリストの中の死亡者や行方不明者の周辺でこの男が目撃されていないかどうかも同時に進めて下さい。」

立ち上がる途中だった伊豆は中腰の状態で止まる。そしてゆっくりと顔を上げると笑顔とも困り顔とも言えない、言葉にし難い表情で二人を睨みつける。ミナトは表情を変えずにじっと伊豆を見つめている。溜息をつき、頭を落す伊豆。佐々が更に気温が下がった様な後背に『ほら、こうなったぁ。』と表情に出さずに心で泣いているのにミナトは変わらず無表情であった。


その晩、ミナトは自宅に戻ると直ぐに時刻を確認する。時計は十九時半を回ったところ。普通の家庭であれば夕食も終わり、床に就く前のゆっくりとした時間を過ごしている筈だ。AR画面からしばらく手を付けていなかった連絡先を選ぶ。大きく表示されたのは鏡コウタの実家。そうして電話口に女性の声で「もしもし」と出る。

「ご無沙汰しております。加島です。加島ミナト。」

電話口の声はミナトの声を聞くとパアッと声が明るくなる。

「あら、ミナト君久しぶり。元気にしてた?」

声の主、コウヤの義母である鏡イズミは以前と変わらぬ優しいトーンでミナトと話す。

「はい、変わりなく。お二人もお元気ですか。」

「ええ、私も主人も元気にしているわ。最近二人でよく近所を散歩してるの。そのおかげかしら。」

「それは良かった。」

「愛花さんも元気ですか。」

「ええ、大学生活が楽しそうでいいんだけど。目が届かない分心配で。」

「愛花さんなら大丈夫ですよ。」

「そうかな。ミナト君も身体大丈夫?お巡りさんって大変でしょ・不規則な生活になったりして、ちゃんとご飯食べてる?」

優しい声でかけられる言葉がミナトにはとても暖かく感じられる。変わらないな、この人は、と心の中で思うミナト。学生の時からずっとこの人はこうだった。幼い頃両親を亡くし、以来祖母の元で育ったミナトとアカネにとって近くにいた鏡夫妻はある程度理想の夫婦像であった。特に母親の記憶がほとんどないアカネは随分とイズミに懐いていたものだった。

「はい。最低限健康的な生活は送っている筈です。」

すると向こうの電話から「フフフ」と笑い声がこぼれてくる。

「本当に変わらないわね、そういうところ。まあ、元気そうならそれでいいわ。それでそうしたの、私達に何か用事?」

昔からミナトを知っているイズミは無意味にミナトが行動しない事をよく知っている。そしてイズミの応対にミナトもやり易い。

「はい、その後コウヤのヤツから何か連絡ありましたか?」

単刀直入なミナトの質問に顔が見えなくとも向こう側で空気が強張るのが分かる。僅かな間が空いた後イズミの声が聞こえる。

「いいえ、何も。行方が分からなくなってから一切にこっちには連絡はないわ。何かあったの?」

「特に何も無かったんですが、何となく気になって連絡させて頂きました。」

仕事柄幾度となく似た様な嘘をついてきたが、この時ばかりはミナトも心にしこりの様なものを感じた。

暫く黙ったままだったが、イズミはまた声を明るくすると、

「そう、ありがとうね、心配してくれて。あの子から連絡があったらミナト君にも直ぐに報せるからね。」

「ええ、お願いします。私の方も何か分かったら連絡させてもらいます。」

「うん。身体だけ本当に気を付けて。」

「皆さんも。今度顔出します。おやすみなさい。」

「はい、おやすみなさい。」

暖かい声で通話が切れるとミナトは自身のベッドに腰掛ける。着替える事もしないまま、ルームデスクの上の写真立てを見る。相変わらず伏せたままの写真立ては良く見ると随分と古いものである。

「おやすみなさい、か。」

ひとりごちに呟く。暫く口にしていなかった言葉だ。ミナトはそのままベッドへ倒れ込むと腕で目を伏せる。特段眠い訳ではないが何となく動きたくない気分に襲われる。自分でも珍しい事だと思いつつ、ミナトは幾許の間そうしていた。

         §

三木は憤っていた。原因は単純なもので男から「暫くは連絡をとるのを止めましょう」と連絡があったきり、本当にその直後から連絡がとれなくなっている。この一年あの男とのやりとりは三木にとっては自分の中の正義を示していくのに重要な事項となっている。自分一人では成し遂げられない事を男或いは男達との協力でなしてきた。それは渇いた土に水が沁み渡る様に三木の中で吸収されて自身の人生において書く事の出来ない事になっている。それ故禁断症状の様に男と話せぬ事に我慢がならない。

「失礼します。社長、先日お話しした新しい警備管理プログラムのプロジェクトですが、メンバーの選出が終わったので確認していただいて宜しいでしょうか。」

そう言って三木の元へやって来たのはまだ三十歳前の男性社員。三木の会社の中でも取り立て優秀な社員であり、この若さで大事な仕事をいくつも任せている。彼らの年代は生活の中に当たり前にAR・AI・LINKAEDなどの技術が溶け込んでいる生活を過ごしており、三木の様な狭間の世代にとっては好嫌し難い世代である。

彼から受け取った書類に目を通し、内容に不備がない事を確認した三木は努めて先程からの憤りを抑え込んで指示を出す。

「いいだろう。問題ない。それでは早速プロジェクトを進めてくれ。」

「はい。」

一礼して三木の元を立ち去るとその社員が他の社員に声をかけているのが見える。実に優秀な男だ。自身の部下への評価を改めて高めていくと共にやはり若者が育つのを見るのは素直に嬉しいと思う。機械相手ではまず得られぬ心地良さ。確かに世の中には一台数万円程度の機会にすら劣る人間がゴマンと居る一方で彼の様に人である故成長目覚ましい者も居る。そこには人として美しさがあり、正義がある。三木はガラスの向こうで集まる社員達を見ながら椅子から立ち上がるとARを操作して男に連絡を入れてみる。しかし、やはり男にはつながらない。今度はメッセージで連絡をとりたい旨を送る。送信エラーで返ってこない事から男にはこちらからの連絡は届いている様だ。無意識に部屋を歩き回っていたのだろう、いつの間にか扉から最も遠いデスクの更に奥の窓際に居た。その場で暫く待ってみたが、男からの音沙汰は一切無い。窓の外にはいつもと変わらぬ風景が映る。三木は深く息をつくとデスクに戻ろうとするが、その途中で足を止め、再び窓に寄ると上げられているブラインドを一気に下す。日が指さなくなった部屋で少し暗くなった中、三木は自分で下したブラインドを静かに見つめていた。

          §

翌日ミナトが出勤すると部屋の中には既に伊豆と佐々が居た。

「おはようございます、加島さん。」

「おはよう、加島。」

課室に入って来たミナトに二人が挨拶する。

「…。おはようございます。」

普段より随分と早い時間に出て来た筈のミナトだったが、いつも一番に出勤している伊豆はともかく佐々も居る事にミナトに少し驚く。見ると佐々は既に例のリストの人物を調べ始めている。ミナトに後ろから覗き見されている事に気付いた佐々がビクッとなって後ろを振り返る。

「ビックリした。気配を消して後ろに立たないで下さいよ。驚くじゃないですか。」

怒る佐々を無視してミナトはその手元のリストを見る。昨日の段階よりまだ一人しか確認がとれていない様だった。

「担当の所轄へ連絡入れているんですけど、まだ朝だから中々返信が無くて。一人は無事を確認出来たんですが。」

見るとリストには既に確認をとったと思われる名前以外に二人、丸印が付けられた名前がある。

「当然だろ。誰が他所の管轄の人間から事件性の無い安否確認を喜んでやるんだよ。適当に後回しにされるのが当たり前だ。」

「えー、それってどうなんですか。いくらなんでも酷くないですか。ちゃんと仕事してほしいですよ。」

佐々はふくれっ面で文句を言っている。

「お前のその情熱は買うがな、あんまり気張り過ぎるなよ。」

ミナトは佐々の頭をポン、と叩くと自分の席へ向かう。腰かけたミナトは自身も例のリストを取り出すと再び一通り目を通す。昨日の段階でリスト内の大凡半分にあたる二十八名の安否確認はとれている。そしてその内三名の死者と二名の行方不明者が確認できた。彼らの所在は全国に点在しており、桜木・福杉を含め、七名の人間が全く異なる場所でその身に何か起こっているミナトは御堂の言っていた事を思い出す。

「シード、ヌル、人工知能、技術的特異点、新しい知性、御堂教授、桜木、福杉、鏡コウヤ…。」

思い浮かんだ言葉を口にしていく。何度も繰り返し思考を重ねる。鏡の目的は分からないが明らかにLINKAEDを利用して’新しい知性’とやらをどうにかしようとしている。ただ、ここまでヤツに狙われているのは御堂を除けばLINKAEDの基礎を築いた人間達。但しその分野は完全に分かれている。電子工学、脳科学。他にも神経学や量子学、通信科学など全く別個の研究者達である。一見関連性の無い彼らを唯一繋ぐのはそのLINKAED。ミナトは自身の首にあるソレを撫でる。万が一鏡がLINKAEDに何か仕掛けをしようとしたのなら彼らは一体何をヤツに問われたのか。これだけ情報があるのに鏡の目的が見えない。ミナトは何度も考察を重ねる。何か大事なものを見落としていないか、何処かに重大な欠落は無かったか。繰り返し沈考しているミナトは突然の声に驚く。

「おい。加島、聞いているのか。」

上座でミナトに大きな声をあげているのは伊達である。

「お前中心の捜査だぞ。ボーっとしてるな。しっかりと話を聞いておけ。」

周りを見ると既に課員全員が揃っており、朝のミーティングが始まっている。

「すみません。少し考え事をしていました。」

普段話を聞いていなさそうでしっかりと周りの話に耳を立てているミナトが伊豆に注意されているのが珍しく、課員全員が彼の方を見ている。

「まったく、考え事もいいがあまり行き過ぎるな。とりあえず話を聞いていなかった加島の為にもう一度確認する。現在我々はウチの管轄で起こった大学教授の不審死を皮切りに類似した詩を調べていたところ、LINKAEDの開発に関わった人物の中に似た様な不審死をした人物が見つかった。よってこの一連の死に関係性があるものとし、Hoffeから届いたリストを元に同様の死亡者を確認。今現在、リストの約六割を調べ終わったが、先の二名と合わせて計五名の死亡者と二名の行方不明が確認出来た。諸君には引き続きリストの人物の安否確認をお願いしたい。」

足早に話を進めていくとそこで話を切り、チラリとミナトの方を一度見た後に再び課全体に目をやる。

「それから、加えてだが今から送る写真の男についてだがコイツについても調べていく。加島がアタリを付けた人物だ。コイツの身元、それからリストの中で死亡或いは行方不明になっている人物に接近していないかも調べる。特に死亡・行方不明の時期の前後を重点的に。」

伊豆がそこで言葉を切ると課員達にそれぞれ役割を割り振る。

「・・・。それじゃあ、クニさんは新野の事宜しくお願いします。」

「ああ、分かった。」

「軽くお荷物扱いっすか。ホント凹みますわ。」

グダグダ言ってねぇでさっさと行くぞ。リストの洗い出しは他の連中がやるんだ。俺らは死亡者や行方不明者の詳細な情報を集めるぞ。」

終始不満気な新野はまだごねている様だ。

「別にわざわざ行かなくてもポリキュット経由でいくらでも問い合わせられるでしょ。」

すると新野の頭に種田の拳骨が軽く飛ぶ。

「馬鹿野郎、現場に行って分かる事もあるかもしれんだろう。いいから黙って行くぞ。」

新野が嫌々種田の言葉に従う。次々と作業が割り振られ、最後にミナトと佐々が呼ばれる。

「それで、最後に加島と佐々。お前達から連絡があった通りに画像の男の身元を調べてくれ。俺の方から顔認証追捜(フェイストレース)システムの使用許可を申請しておいた。後から認証コードを送っておく。」

それを聞いた佐々の顔が僅かに喜悦の様子が見えたのをミナトは見逃さなかった。

最後に伊豆が「今日も程々に頑張ろう。」と一言締めると残っていた課員達はそれぞれ自身の仕事に取り掛かり始める。ミナトと佐々は二人で署内にあるモニタールームへ移動する。数台のモニターが設置された部屋に人影はない。

「いつの間に課長に男の写真送ってたんですか。」

「ああ、黒井さんのとこから帰る時に。早々に課長にFTの使用を申請してもらってたんだ。」

「そうなんですか。言ってくれれば良かったのに。私、FT使うの初めてです。」

ミナトが適当な席に腰掛けると、近くの椅子を引き、佐々が横に腰掛けて妙に高いテンションでパソコンの画面を覗き込む。

顔認証追捜(フェイストレース)システム、通称FT。街中に設置されてある治安カメラに映し出された個人の顔を認識し、記録された別の映像と照会、同一人物を特定できるシステムである。2000年代から実用化され始め、2010年代には識別率が90%を超えた顔認証システムが中国の「天網」を皮切りにAIを用いてセキュリティシステムや犯罪捜査に利用された。そして現在、街中に張り巡らされた治安カメラは市街地であればほとんど資格を作る事なく設置されている。そのデータは各管轄署のデーターサーバーを経由して伽藍へと集約される。そしてカメラの認識内で犯罪行為が起これば、それをAIすなわち伽藍が判断し、捜査官達へ情報を送信、速やかな事件解決へと導く。このシステムの確立により国内の検挙率は著しく向上、同時に犯罪率は大幅に減少した。一方で基本的に公の場に設置してあるカメラとはいえ、容易に個人の行動を特定出来てしまう危険を孕んでおり、その稼働に際しては有識者や市民から大きな反対運動が起こった。そこで政府と警察は予防策としてこのシステムの使用権限を限定し、一定の職級以上の人間の許可がないと使用出来ない様にした。それでも反対運動は収まらず、最終的に使用権限の制限と共に徹底したログの管理とAIによって操作手順の正当性を監視する事で一応の妥協点として運用にこぎつけた。ミナトは自身に届いていた伊豆からの認証キーとパスコードを確認する。それをポリキュットで介して無線接続した目の前のパソコンへ認証を行う。するとロック画面から切り替わり、システムのメニューが表示される。ミナトはメニューの中から《顔認証を登録する》を選択する。画面上からは、登録する顔をアーカイブ上から選択するか、画像データで行うか選択出来た。後者を選んだミナトが自身の持ちデータから例の男の画像をパソコンへ送る。パソコン上でも表示された画像を登録したミナトは再びメニュー画面へ戻る。

「へー、こういう風になってるんだ。加島さん随分慣れてますけど、使った事あるんですか。」

横から覗く佐々は興味心をむき出しにしてミナトの作業を見ている。少し興奮した様子の佐々にミナトは釘を刺す。

「これを使ったのは二・三回だ。普通にやれば一回で慣れる。それより少し煩いぞ。落ち着いて座っていろ。」

画面を見たままのミナトに注意された佐々がしょんぼりとして少し後ろに下がる。画面上ではミナトが登録していた男の画像データの解析が終わる。

「それでここからどうするんですか。男の動向を調べるんですか。」

後方から静々と聞いて来る佐々にミナトが淡々と調べを続ける。

「いや、まずは男の身元を特定する。FTシステム内には免許証の登録とシステムを連携しているから照会かければ一発で引っかかるだろう。」

そう言いながらミナトはシステムのオプション内から《アーカイブを参照》を選択する。するとアーカイブの選択画面が現れ、免許登録以外には過去の犯歴や公職者としての登録など、伽藍にアーカイブされているデータから参照出来る様になっている。画面に「検索中」と表示されるとミナトは椅子に深くかけ直し、検索が終わるのを待つ。

「見つかるのにどれ位かかるんですか。」

「登録されていれば早くて数十秒だが、まあ普通に一・二分ってところだろう。ただ、登録があれば、の話だが。万が一そんな事があればまた一から捜査し直しだな。」

今や身分証として一般有用されているLINKAEDだが、未だに運転免許証や社会保険証が別個に存在している現代においてもその有効性は侮れない。故に市民は自身の社会的アイデンティティーの証明であるLINKAEDと公共性を帯びた免許証などを独立性が保たれたまま、連携して利用している。なので、ほとんどの社会人は身分証として圧倒的に取得しやすい運転免許証を登録している。

(本当にそれに登録されていないとなると、それこそ鏡の様に・・・)

そんなミナトの危惧を払う様にパソコンから軽快な報告音が響く。「検索中」と表示された画面が切り替わる。新たな画面には件の画像の男の免許証が表示されている。

「三木ヒデアキ、四十二歳。住所は…、都内ですね。」

画面に表示された内容を確認しながら読み上げる佐々。それを聞きながらふと、ミナトはとある違和感に気付く。気になったミナトはLINKAEDを使って調べ物をしようとした。ところがLINKAEDにはロックがかかっており、操作が出来ない様になっている。

(そうだった。)

FTシステムは保安の為、システム自体が起動している間はアクセスしている全てのデバイスの捜査を固定して、操作出来ない様になっている。その事を思い出したミナトは三木の免許証を見ていた佐々に呼びかける。少し驚いた様だったが、直ぐに返事をした佐々にミナトが続ける。

「佐々、ネット検索でこの男を調べてみてくれ。俺の記憶が正しければ直ぐに検索にひっかかる筈だ。」

そう言われた佐々は不思議そうにミナトを見ながらも自身のLINKAEDから男、三木の名前を検索する。すると、検索結果の一番初めに大手のオンライン百科事典の項目がヒットする。

「三木ヒデアキ、フローディアシステムス社社長。フローディアシステムスって確か。」

「ああ、ここ十年くらいで急成長したシステム会社だ。主だって、企業用の管理ソフトや社内ネットワークを請け負っている会社だが近年は公的なセキュリティソフトやインフラシステムの開発・構築も行っている。業界内では今一番やり手の会社だ。」

佐々が事典の中からリンクする企業アドレスへと移動する。

「社員は63名。そんなに多い訳じゃないんですね。」

「人数は多くないが関東圏じゃなく、地方の大きな都市でも仕事を請け負っている筈だ。」

「加島さん、随分詳しいんですね。」

「うん。ああ、まあな。」

珍しく歯切れの悪いミナトであったが、佐々が気にせず検索を続けている。

「結構凄い人なんですね、この三木って人。有名な雑誌の取材とかも結構受けているみたいですよ。ほら、コレとか。」

そう言って佐々がミナトに記事を共有しようとLINKAED同士をアクセスしようと試みたが、拒否される。

「アレ、加島さんのと接続出来ない。えー、こういうのものダメなんだ。」

「FTとの接続中はFT以外のシステムやデバイスとはコンタクトがとれないからな。完全に外部とは隔絶される。そうでもしないとこのシステム自体が認められないからな。」

「…、そうですよね。」

良く理解していない様子の佐々にミナトは嘆息しつつ、

「こうでもしておかないと外部からの不正なアクセスに対して脆弱になる。それ以上に市民からは俺達警察官がFTシステムを悪用する事の方が怖ろしいらしいからな。そう言った意味では分かり易いプロパガンダの意味もあるんだろう。とにかくこのシステムについてはトップランクのセキュリティが働いているんだ。」

「そんな凄いシステムなんですね。」

「だからこそFTシステム自体が伽藍のバックアップを受けながら独立して稼働している。」

ミナトの話の意図を理解したのかいないのか佐々は何故か納得したような顔で話を聞いている。

「それで話は戻るが三木について他に何か見つかったものはあるか。」

徐に手を動かしながら既にミナトの視線は画面へと戻っている。佐々はいくつかのサイトに目を通すがどれも三木の会社の業務に関する内容ばかりで三木本人に関して語られているものは皆無であった。

「専門的な記事ばっかりですね。クライアントとの付き合い方とか。なんか本人はあんまりお金に興味がない、って言ってますね。ええ、なるべく利益は社員に還元する、ですって。滅茶苦茶給料良いらしいですよ、ここの会社。」

それに続いて隣でブツブツと不満を零し始める佐々を無視してミナトが作業を継続する。

「何調べているんですか。」

不満を零し終えたのか、ミナトの作業を覗き込んで来る佐々。

「桜木教授が亡くなった日の三木の足取りを確認している。当日奴が大学の近くに行っていたら何か手がかりが掴めるかもしれない。」

画面は再び「検索中」の表示が出ている。暫くすると検索結果が表示される。都内の地図が表示され、その地図上の何ヵ所かにアイコンが出現している。一つ一つのアイコンにカーソルを合わせると治安カメラのナンバーと日時が表示される。それとは別に地図欄の左側には時間順にカメラのナンバーが一覧に並んでいる。

「確か桜木教授の死亡推定時刻は…。」

「最後に生存が確認されたのは二十時頃でその後遺体で発見されたのが翌七時頃。検死で恐らく午前0時迄の間に亡くなったのではとされています。」

佐々が即答するとミナトは彼女をじっと見た後、何も言わずに画面を操作し始める。

「二十時から〇時までの三木の足取りを確認するんですね。」

画面を見ていた佐々も作業内容に気が付いたのか、画面を食い入る様に見ている。

「三木は当日十九時頃には自社に居た様だ。会社の前のカメラに建物から出てくるのが映っていた。」

「その後は大学とは関係ない方向へ向かったみたいですね。」

二人は時間順になったカメラ一覧を地図に照らし合わせ経路を確認する。

「ああ、十九時半前にはコンビニに寄っている様だ。それでその後は家に戻ったとみていいだろう。この住所ならさっき見た奴の住所に近い。」

ミナトはコンビニの駐車場の三木の顔を確認する。その顔を落ち着いており、とても人の生死に関わっている様には見えない。

「あれ、加島さん。カメラもう一台記録がありますよ。ってこれ帝工大の近くじゃないですか。」

佐々が指差すカメラのナンバーを選択すると記録された映像が表示される。三木は真っ暗な路地の中、先程コンビニで乗っていた別の車に乗っている様で僅かな街灯に照らされたその車の傍で何をするわけでもなく一点を見つめている。そこは桜木の勤めていた大学に面する通路。元々人通りは少ない道は夜の暗闇でなお人の気配はない。

「何やってるんだろう。」

ミナトは表示された映像を再生させる。三木は止まった車から出ると数分間、大学の方を見つめたまま何をするわけでもなく、ただ静止画の様に立っている。そのまま動画は進むが三木は突っ立ったまま何一つ行動を採らない。ミナトは動画を三倍速にする。しかし流れる映像は変わり映えしない。そして動画の中の三木がようやく動く。だが、彼は踵を返すと何事もなかったかの様に車に乗り込む。そこで映像は一度止まる。映像の再生時間を見るとおよそ7分。ただ三木はその間立っているだけだった。

「何もしていませんね。」

怪訝がる佐々。ミナトも三木のその行動に疑問を覚える。そこで治安カメラの録画データを調べ、三木の映っていた時間の前後の部分も再生を始める。始まりは一台の車が停車する所から。車が到着すると三木は車内から五分程出て来ない。カメラの向きから中の様子を窺う事は出来ない。そうしてシーンは先程確認した場面へと映り変わる。ミナトは念の為三木が来る前と立ち去った後のそれぞれ十分間の映像を確認したが、特に不審な点はない。大きく息を吐き、画面の見過ぎで疲れた両目の目頭を軽く押さえる。

「これ、何かやっているとしたらこの到着してから車の中から出て来なかった間ですよね。五分位でしたけど。きっと中で何かやってたんですよ。それで桜木教授を。」

「しかし、何一つ確証がない。奴がただ居ただけだ。それだけじゃ何も証明出来ない。」

体を起こしたミナトは展開していたウィンドウを次々閉じていく。

「とりあえず一旦戻るか。」

何故か難しい顔をしている佐々を無視してFTシステムと自身のLINKAEDの接続を切断する。画面はスタンバイモードになり、次の出番を待つ。立ち上がり、出口へと向かうミナトに黙って付いて行く佐々。そしてモニタールームを出て、署内を課室へ向かっている途中、唐突に佐々がミナトを止める。

「待って下さい。加島さん。」

立ち止まったミナトは頭一つ分低い佐々が見上げたその視線とぶつかる。

「行ってみませんか。さっきの場所。」

ミナトも佐々の意図したいところを即座に理解する。

「だが、現場には何も残ってないと思うぞ。三木はただあそこに居ただけで周辺のものに触れた訳でもないし、奴自身のものを取り出していた様子もなかった。車中で何かしていたとしてもあの状態からは正体は掴めないぞ。」

ミナトは先程の映像を思い出し、佐々へ更なる意見を求める。

「でも、実際行ってみて分かる事もあるかもしれないじゃないですか。もしかしたら三木が車の中で何かやっていたのが分かるかもしれないし。」

ミナトを見返し、佐々は自分の意見を述べる。

「かもしれない、ばかりだな。」

「…。すみません。」

目に見えて肩を落とす佐々は諦めて課室に戻ろうと歩き始める。しかしミナトは急に進行方向を変えて歩き出す。

「加島さん、何処へ行くんですか。」

低い声でミナトの背に佐々が言葉を投げる。

「帝工大だ、さっさと行くぞ。」

歩を止める事なく下階へと向かうミナト。佐々はその背中と会話する。

「だって現場に行っても無駄だって。」

「誰が行かないなんて言った。俺は何が残っているのか、と聞いただけだ。」

「だから、何も無いかもしれないけど、行ってみようと思いました。」

ミナトに追い付く為に小走りでその背へ向かう。

「そうだ。何も無いかもしれない。だが、佐々。この件は初めから何も残っていなかっただろう。それでも何かあるかもしれない、と思ってここまできたんだ。なら別にこの現場に行かない理由はないだろう。」

「・・・。」

ミナトに追い付いた佐々はその横顔を見る。一瞬微笑んでいるかの様に見えたが、改めて見るといつもの仏頂面が目に入る。何となく悔しくなった佐々。

「ずるくないですか、その言い方。あの感じは絶対行くのを反対している人の言い方ですよね。」

「そうか。俺は別にそんなつもりなかったけどな。キチンと文面を理解しなくちゃダメだな。」

間髪入れないミナトに佐々がしかめっ面を浮かべて、きつくミナトを睨みつける。

「まだまだだな。精進しろ。」

それだけ言うと佐々から視線を外す。佐々は納得がいかないまま、ミナトの後をついて行った。


二人が帝都工業大学へ到着したのはお昼を二十分程過ぎた位だった。大学の周辺には丁度お昼休みの学生達が出歩いているのが確認出来た。特に変わった様子もなく、皆友人たちと楽しそうに歩いている。そうして二人が立っているのはそんな学生達からほんの僅かに離れた脇道、大学側には塀があり、その塀を車同士がようやくすれ違う事の出来る程度の道を挟み、空き地がある。空き地の他には塀の向こう側のブロックには学生向けの賃貸アパートや倉庫の様なものが並んでいる。お世辞にも綺麗な区画とは言えず、どことなくどんよりとした雰囲気が漂っている。そのせいもあってか、この道を通る様な学生はかなり少ない。日中、しかも出入りの激しい筈のこの時間帯にそれ程人気がない事から、夜間の人通りが容易に想像出来る。

「こんな所で何やっていたのでしょう。特に不審なところは無さそうですけど。」

二人は車から降りると塀伝いに道を歩いて行く。

「あ、ありました。アレじゃないですか、例の治安カメラ。」

少し歩くと佐々の言う通り塀とは反対、居住地側に一台のカメラが設置されている。佐々は二人でそのカメラを確認しに行くと、そのまま一人でカメラをチェックしながら三木の車が停まっていた辺りに駆けていく。ミナトはゆっくりとその佐々の後を追う。各々が周辺を見て周るが薄暗い道中には汚れや傷が目立つ一方で、それ以外に変わった点は無い。ミナトは映像の中で三木が立っていた場所に同じ様に足ってみる。目の前には2m反程の塀、この向こう側には大学のキャンパスが拡がっている。左右を見ると道なりに塀が続いていく。何か足場を使えば超えられない事もないだろうが、超えた所で構内のセキュリティに感知されてしまうだろう。そもそも三木は塀を超えるどころか、触れていなかったが。

「本当に何もありませんね。」

路上を調べていた佐々が塀を見ていたミナトの元へと来る。

「でも、だったら何やってたんでしょうか、こんな所で。」

何故かペタペタと塀と触り始めた佐々。

「何やってるんだ。」

「いや、なんかこう、抜け道とかないかなと思って。」

間の抜けた笑みを浮かべ言いながらも片手はまだ塀にくっつけられたままだ。二人の間に沈黙が漂う。珍しくキョトンとした顔のミナトが居る。そうして急激に顔を曇らせて踵を返す。その場に残された佐々も流石にミナトの空気を察し、肩を落とす。一方でミナトは三木の車が停まっていた位置まで行き、そこから再び塀の方を見る。周囲の街灯はかなり少ないが、三木の車が停まっていた場所は街灯に照らされる様だ。先程と同じく、そこには何の変哲もない景色が拡がっているだけで、じっと塀を見つめるミナト。その横に静かに歩み寄った佐々。特に佐々へ気を止めなかったミナトは今自分の居る場所、あの晩車が停まっていた周辺を見回す。すると突然横に居た佐々が、「あっ。」と大きな声を出す。流石にミナトも佐々へ向き直る。佐々は虚空を見ながら何やら操作している。

「加島さん、ここ大学のローカルネットにアクセスで出来ますよ。」 

佐々に言われたミナトも自分のLINKAEDで確認する。ネットワークの接続先の中に先日構内に入った際と同じネットワーク名が表示されている。その時はごく普通に出入り口を通ると自動的に一度オープンネットワークから切断され、ローカルネットワークに切り換わった。大学内のみで完全に独立させた接続であり、学生や職員などは皆構内に足を踏み入れると同時に自動的に接続され、部外者は案内の元で一時的な認証が必要なのは多くの大学で同様である。よって部外者が勝手にローカルネットにアクセスする事は出来ず、大学の敷地から出るとアクセスはおろかネットワーク自体が届かない状態となる。しかし、今二人が居るのは間違いなく敷地の外にある路上であり、本例ならばネットワークが探知できる場所ではない。ミナトは接続一覧をAR上に表示したまま、立っていた場所から動く。すると2mも行かない内に接続先から大学のネットワーク名が消える。同様に反対側にも向かってみる。再びローカルネットが表示され、先程立っていた地点を超えるまると今度は三歩と行かずにまた反応が消えてしまう。ミナトは幾度か往復して確認するが必ず同じ反応が返ってくる。

「これってまさかアクセス上のセキュリティホールですか。でもこんな所に穴があるなんて。」

「ああ、かなり狭い範囲だが、間違いなくネットワークの穴だ。」

「誰も気付かなかったんでしょうか。いくら何でもこんな所にセキュリティホールがあれば気付く筈では。」

「或いは…。」

「或いは?」

「いや、確かにこんな所だとしてもセキュリティホールがあるのに気付かない訳ないが。ちょっと待ってろ。」

ミナトは表示されている大学のネットワークにアクセスしてみる。当然の様にアクセスにはIDとパスコードの認証を求められる。

「やはりか。」

ミナトはそのIDとパスコードをオリジナルのハッキングソフトで解除しようと試みる。ミナトのAR上では解析を進めている黒いターミナル画面が表示されている。すると突然解析画面が停止し、エラー表示が現れる。

「?」

驚いたミナトは一度解析シークエンスを中止し、再度一から解析を行おうとする。しかし一度接続先一覧に画面が戻ると先程あった筈の大学のネットワークが消えている。

「加島さん。」

隣で同じ様にネットワークの消失を確認した佐々が

声をあげる。

「ああ、完全に消えたな。」

ミナトは先程行き来した範囲よりもより広く周囲を確認して歩く。

「この辺りにはもうアクセス出来る所は無いな。」

「何だったんでしょう。偶然ですか。」

「偶然にしては出来過ぎている。あの映像から奴がさっきのネットワークに気が付いていた可能性は高い。ただ、このネットワークが探知出来るのに条件があるのか、それとも不確定な形で出現するのか。」

大学の塀に寄り掛かり、考えをまとめるミナト。

「でも三木がここに居た時間を考えると最初からここにセキュリティホールが出現している事を知っていた、って事になりますよね。」

「ああ、となると三木はどうやってここにセキュリティホールが出現するか知っていたのか、という事になる。」

すると佐々が声を高くする。

「もしかしてここのネットワークシステムに三木の会社が関わっているんじゃないですか。それでその時にここに抜け穴を作っておいたとか。」

妙に自信満々にミナトへ話す佐々だったが、聞いている側のミナトの表情は変わる事ない。

「いや、ヤツの会社が取引先にしているのは公共施設の管理をしているところが多い。こういう学術機関に関しては繋がっている様な先は無かった。」

「じゃあ、どうして。」

またもや考え始める佐々にミナトは声をかける。

「ひとまず戻るか。」

歩き出したミナトに遅れる事なく佐々も返事を返しながら続く。すると佐々が思い出したかの様に、

「加島さん、その前に寄りたいところがあるんですけど。」

「ああ、安心しろ。恐らく俺も同じことを考えている。」

二人はそのまま車に乗り込むと大学の正面入口へと車を走らせた。


二人が戻って来た頃には日は随分と低い所まで落ちていた。あの後三度大学へと足を踏み入れたミナトと佐々は事務局でセキュリティホールの存在を大学側に伝えると今後の捜査の為状態を一旦保存してもらった上で新たに監視カメラとドローンによる現場警備する事で協力してもらう事を要請。事務局もはじめはセキュリティホールの存在に驚いていたものの事務局長の男性が現れてからは迅速に話が進み、一時的に警察による警備が為される事になった。

課室内には今到着したばかりの二人以外は既に在席していた。

「よし、全員揃ったな。では一度情報を整理する。全員傾聴してくれ。」

伊豆の号令に合わせて課全体の空気が引き締まる。ミナト達二人も席へと座ると再び伊豆の声が響く。

「今戻って来た加島達以外からは各自報告してもらっているから俺の方からまとめて説明する。」

課員全員のLINKAEDに伊豆からファイル付きのメッセージが届く。

「では、全員今送った資料を見ながら話を聞いてくれ。リストに会った関係者を一通り洗う事が出来た。合計四十三名全員の消息が分かった。結論から言うとこの内昨日まで判明したものを含めて死者七名、行方不明者四名、計十一名。例のリストの人物で被害に会ったと思われる人物達だ。」

ミナト達は配られたファイルから「被害者」のリストを選んで目を通す。桜木・福杉をはじめ、昨日までに判明していた顔ぶれに、新たに加わった顔ぶれにも目を通す。全員が一通り目を通した事を確認した伊豆は自分の席を離れ、デスクの前へとまわる。

「死亡した人物達はいずれも自然死或いは病死扱いとなっており、その死自体に不審な点はない、とされている。」

確かに死因だけを見ると心不全や心臓麻痺、多臓器不全などそれぞれ異なってはいるが、結果として、事件として扱われていない。

「また、この十一名の所在も八名は関東近隣で内五名は都内だが、残りの三名はそれぞれ北海道、仙台、神戸と全く違うエリアでいなくなっている。」

「三件だけ随分離れていますね。」

ミナトの隣に座る新野が課員の疑問を代表する。

「ああ、北海道の飯田博士、神戸の溝沼博士の死亡は確認出来たが、仙台の岡博士だけは忽然と姿を消した様だ。ただ、どちらにしても彼らが何故そうなったのかを知っている人物は周囲には居なかった。」

「結局は何も分からねぇって事ですかい。」

苦虫を噛み潰したような顔の種田が呟く。他の課員も一様に暗い顔をしている。すると手を挙げ、真っ直ぐに伊豆を見返す課員。その課員に部屋の全ての視線がいく。

「この方々が死亡したり、行方不明になる前に何か変わった事は無かったんですか?」

佐々は伊豆に指名されるとその場に起立し、発言する。すると佐々の質問に伊豆の代わりに真横の妻木が答える。

「残念ながらその辺は桜木教授とかと一緒であくまで事故で処理されている。だから彼らの死ぬ前の行動までは調べられていない。」

「でも、行方不明者の方はちゃんと調べられていますよね?そこから何か不審点があれば。」

「勿論行方不明の人物に関しても一通り資料を取り寄せて調べてみたが、誰一人その足取りがいつもと変わらず、周りから見ると本当に突然消えた、というのが軒並みの印象だ。」

「つまり手詰まり、という事ですね。」

妻木の更に奥から凛とした声で発言するのは野々村シオン。若くして警部補になった優秀な女刑事であり、数少ない佐々の知る数少ない女性刑事だ。

「まあ、詰まる話、そう言う事になるか。実際“伽藍”のアーカイブを見てもこれらの件に関して特筆している事は無い。」

「そうですか。」

残念そうに座る佐々がチラリとミナトの方を盗み見ると一人だけ佐々の方を向かずに顎に手をやり、何事かを考えている様子だった。

その後既に消息が分かっていた五名に関しての行動確認が報告される。しかし、内容は期待していた様なものはなく、亡くなった三人も行方不明の二人も『急に』以外にその状況に不審な点は見当たらない。どこからともなく嘆息が漏れてくる。澱んだ空気を察した伊豆は一度話を打ち切る。

「それじゃあ、最後に加島。お前たちの方から報告を頼む。」

自分の席に戻った伊豆がミナトの方を見ながら手元にあったコーヒーに口をつける。伊豆の視線に気付いたミナトではあったが、それに応える事なく、伊豆から逸らした視線をそのまま机越しに佐々へと移す。既に伊豆の言葉でミナトの方を窺っていた佐々と視線がぶつかる。ミナトは目配せだけで佐々へ報告を任す。佐々が驚いた表情をするが、ミナトはそのまま佐々から興味を失ったかの様に再び思索し始めている。周囲の課員から注目を浴びる佐々が今度は困惑する。この課に来てまだ日が浅く、全員の前での報告をした事の無かった佐々にとっては急な大役である。

「佐々、報告を頼む。」

一瞬ミナトの方を見た伊豆だったがそれには何も言う事なく佐々へと報告を促す。促された佐々は一つ息を吸うとその場に立ちあがり、自分達がまとめた捜査内容が書かれた報告資料を課員に配信する。そして大きくもう一度息を吸うと佐々が報告を始める。


佐々が報告したのはほとんど三木に関する事であったがその間ミナトがその報告に口を挟む事は無かった。

「つまり、お前達はその三木ってやつがやはり怪しいと考えている訳だな。」

種田の質問にミナトの方を見た佐々だったが、やはりコチラを向く事は無い。種田の方を向き佐々は答える。

「正直何とも言えませんが、この男が何らかの情報を知っている可能性が高いと思います。2つの現場近くで目撃されている以上少なくともこの男から話を聞く必要はあるかと。」

佐々はしっかりと種田の方を見る。続けて伊豆にも視線を向けると、横目でミナトを見る。

「しかし、それだけでは実際に三木本人を引っ張って来るのは難しいんじゃないですか。どうやって話を聞きますか。」

野々村が伊豆に向かって言うと伊豆も同意する。

「確かにただ現場の近くに居た、だけじゃ任意で引っ張るのが関の山だろう。何か物証は無いのか。」

今度は迷わずに佐々に尋ねる伊豆。立ったままだった佐々は少し崩れていた姿勢を整えると一同に配布した資料とは別に自身がまとめていた捜査メモを確認する。しかし、事前に目を通したが再度見直してみてもこれと言って伊豆の質問に返せるだけの原拠を持ち合わせていない。発する言葉の無い佐々が逡巡していると突如別のところから声が出る。

「死んだり居なくなった研究者達の周囲に三木が現れた可能性があると考えられます。もう一度FTを使って奴の動きを追うべきかと。」

立ち上がる事もなく、自身の席に座ったままの伊豆に向けてミナトが口を開く。その間ミナトは佐々の方を向く事なく、淡々と前だけ見ている。

「加島、簡単に言うがそうそうFTを多用出来る捜査なんて出来ないぞ。」

種田が腕を組みながらミナトの方へ振り返る。他の課員もあまり良い顔をしていない。

「こないだだって課長、割と無理矢理申請捻じ込んだんじゃないですか。」

種田が今度は伊豆の方を向く。伊豆がそれを受けると頭をかきながら答える。

「ああ、俺もそう思ってちょっと本腰を入れてやろうと思ったんだけどな。案外すんなり通っちまった、俺も驚いたんだ。」

少々不思議そうな顔をしていたが特に誰も気に留める事は無い。

「それにしたって流石に‘伽藍’だって簡単に承認しないだろう。FT使うのに‘伽藍’抜きじゃ無理だ。」

種田が難しい顔をしているがミナトは視線を崩す事なく伊豆をまるで睨め付ける様に見る。

その視線にぶつける様にミナトの真意をはかる様に彼を見つめ返す。そして最初に折れて視線を外したのは伊豆だった。溜息をついて何故か佐々の方を一瞥すると、

「分かった。この後直ぐに改めて申請を出しておくよ。」

再び片手で頭を抱える伊豆を種田も苦笑いして見ている。他の課員の何人かからも少し哀れみの視線を向けられた伊豆はその場に立ち上がるとチラリと壁にかけられた時計を見る、時刻は十八時をまわったところ。

「時間も時間だ。今日のところはとりあえずお開きにしよう。改めてFTの使用申請を出しておく。では解散。」

伊豆の一声で張り詰めていた空気が一気に緩む。新野は既に帰り支度を始めており、他の課員もほとんど自分の周りを片付けている。佐々はミナトの元へ駆け寄ろうと立ち上がる。するとミナトも机を回って佐々の方へ向かって来る。

しかし、ミナトが佐々の元へ来る事は無く、隣に座る妻木の処へ行く。佐々は落胆して崩れる様に席へと座り込む。仕方なく佐々も帰り支度をし始める。しかし支度をしながらも真横で交わされている妻木とミナトの会話に聞き耳を立てる。

「…。それで外部からセキュリティホールを外部から作り出す事は可能なんですか。」

おそらく今日の帝工大での出来事を話しているのだろう。

「お前のその話からすると、例の三木って男が外部から何らかの手段で学内のネットワークにセキュリティホールを作ってアクセスしたと?」

「可能性としての話です。あり得ますか?」

「うん、あり得ない、とは言えないというのが正直なところだな。話を聞くと加島達が見つけた穴も偶然だと考えているかもしれないが、そもそもあれだけの学術機関だ。セキュリティは相当厳しい筈だ。構内からでさえ容易に不正アクセスも困難だろう。」

「そうですか。」

「但し、普通ならば、だ。ウィザード級、或いはウル級のハッカーならば出来なくはない。この三木という男がそれ位の腕前の奴ならばな。」

ミナトが少し考える素振りを見せたで急に隣で片付けをしていた佐々が二人のところへ割って入る。

「それは無いと思います。三木について分かる範囲で調べてみたんですけど。三木自身は確かにシステム系の会社で社長をやってますが彼自身、プログラマーとしての腕前は中の上、と言ったところの様です。実際、三木は仕事を始めた当初は自身が中心になって現場にも出ていましたが、ここ数年は実務を社員に任せて三木は会社の運営に集中している様です。皮肉にその頃から業績は格段に伸びています。」

佐々は自身が調べをしていた三木についての情報を述べる。黙って佐々の話を聞いていた二人だったが佐々の顔をしっかりと確認する。

「佐々の話が事実ならさっきも言った通り、コイツにはセキュリティホールを外から作りだすのはまず無理だろう。」

「だったら偶然あそこに穴があったとか?」

「重ねて言うがそれも無いだろう。」

「じゃあ、私達があそこで見つけたセキュリティホールは何だったんですか。」

堪りかねて佐々が口を開く。妻木が今度は佐々の方を向き直す。

「正直それに関しては良く分からない。万が一何らかの理由でそこに穴があったとしても話を聞く限り、常時そこにある訳じゃない様だが。発生要因は分からんがさっきも言ったが普通そんな事あり得なんだ。」

妻木は不思議そうな顔をして天を仰ぐ。一方でミナトも難しい顔をしている。

「大学の方には穴の事は伝えてあるのか。」

「ええ、一応は。ただ、念の為に特にシステム的な対応を一切せずに現場に警備ドローンを配置する様に手配しましたが、あまり期待出来ないでしょう。」

「お前、まさか。」

「何ですか。」

「そのドローンに何か仕掛けたな。」

佐々は妻木のその言葉にミナトを思いきり見る。ミナトの表情は変わる事ないが、彼らにはミナトが何らかの小細工を行ってきた事が明らかなのが分かる。

「はあ、お前バレたら面倒だぞ。どうそネットワーク探知トラップでも組み込んできたんだろう。」

「駄目元ですがね。」

頭を抱える妻木は伊豆の方を向くが、伊豆はFTの申請をしているのだろう。何やらARを操作していてそれどころではない様だ。視線をミナトに戻した妻木は頭を抱えたまま、

「加島、ことが終わったらちゃんと後片付けしておけよ。」

「分かりました。終わったらリモートでちゃんと削除しておきますよ。」

二人のやり取りを見て佐々が微笑する。その様子をチラリと見たミナトは特段何も口にしない。

「妻木さん、話は戻りますが今警察で把握しているハッカーでそういうのやりそうな奴は居ますか?」

一度緩みかけた雰囲気が少し締まる。妻木も笑みを浮かべていた顔を僅かに険しくし、ミナトの目を見る。

「そういった連中に関しては基本的に監視の目が届いているし、そもそも彼らからすればわざわざ大学の外側からセキュリティホールを作るよりか内側から不正にアクセスする手立ての方が確実だろうよ。それにもし彼らが絡んでいたとするなら、まあまず痕跡を残す事は無いからそっちから追うのはまず無理だ。」

ミナトと妻木、二人が難しい顔で無言を貫いていると、佐々は立ち上がり三木の顔写真を妻木の机に叩き付ける。

「とにかく、どうにかしてこの男から話を聞きましょうよ。きっと周りを洗えば手がかりが出てくる筈です。」

強い口調で熱く話す佐々を僅かな驚きを以て見る妻木と表情を変えずに見るミナト。

「何にしても今の状況じゃあ、この三木から話を聞く為に動くのが最適か。とりあえず、FTで奴の動きが見えれば進展するだろうからな。」

話しながら自然に自身も片付けを始める妻木と未だ厳しい顔で立っているミナト、佐々はずっとミナトに視線を合わせるが特に反応は無い。

「お前達、さっさと帰れよ。ここに居ても解決する事は何も無いぞ。」

作業を終えた伊豆が机の上を片付けながら集まっている三人に言う。他の課員の何人かは既に居なくなっており、課室は倦怠感を帯びた、終業後特有の緩い雰囲気となっている。

「加島さん…。」

不服そうにミナトを見た佐々に対して、ミナトはそのまま自分の席へ戻る。妻木は続けて帰り支度を整える。二人の様子に佐々も渋々自分の荷物を以て課室を後にしようとする。部屋から出ようと扉に手をかけた佐々は足を止め、ミナトの方を振り返る。自分の机を片付けているミナトは平時と変わらない様子である。佐々はそんなミナトと目線を合わせる事が出来ないまま、課室を後にした。


扉を開けると暗く静かな空間が広がる。もう長年同じ様な生活を続けている三木にとっては見慣れた当たり前の光景だ。扉をくぐると玄関から廊下、その先のリビング・ダイニングまで自動で明かりが点灯する。脱いだ靴を玄関口に揃えると真っ直ぐキッチンへ向かう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、棚から適当に選んだコップへと注ぐ。一口でコップに入った水を全て飲み干すと、そのまま寝室へ行く。寝室へ入ると首に着けていたLINKAEDを外し、デスクの上に置くとクローゼットを開けて着替えを始める。

するとデスクに置いたLINKAEDが通知用の発信音を鳴らす。上着を脱ぎ、スラックスだけを部屋着に履き替えた三木は少しだけ躊躇した後にLINKAEDを再び首に着けるLINKAEDの起動と共に現れたAR上に着信アイコンが表示されている。アイコンをタップすると目の前に〈発信者不明〉の表示と共に聞き覚えのある声が耳に響く。

「こんばんは。突然申し訳ございません。」

そんなに間は経っていない筈だが随分久しぶりに聞いた声である様な気がする。

「どうしたんだ。暫く連絡は絶つ、といった話だったと思うが。」

動揺を悟られない様に努めて落ち着いた声で話す三木。それに気付いているのかいないのか、相手の男は特段気にかける様子も無い。

「ええ、そのつもりでしたが、状況が変わりましたのでご連絡した次第です。」

「状況が変わった?」

「はい。警察の方でどうやら彼らの件について調べている者たちが出てきている様です。」

「何?」

「実は連絡を絶った理由もそこにあったのですが、実際に少し前から警察内で不穏な動きがあった様な情報が確認出来ました。」

男の声は話している内容に対してひどく淡々としている様に三木は感じた。だが、やはりそれを相手に感じさせない様に引き続きの努力を行う。

「それで、そんな状況の中で君は何故私に連絡してきたのかな。」

三木は牽制の意味で男からの反応を窺う。しかし、通話の向こうの反応は全く見えてこない。

「ええ、警察全体では既に全ての事件について処理済みだったんですが、どうやら先日の桜木教授の件について’不審’と判断された様です。」

三木は桜木が死んだ日の夜を思い出す。それまでの〈作業〉と何ら変わらない夜だった。自分自身に特段失態も思いつかない。

「おそらくあなたの落ち度ではないと思います。桜木教授の死の状況に不審な点は無かった筈ですし、特別警察が気にかける要因は見つけられません。」

「ならば何故警察が動いている?」

「理由は分からないのですが’伽藍’が捜査事案として推挙した様です。」

「’伽藍’…。」

警察組織全体の捜査をカバーしている高高度AI。その存在は公にはなっているものの、実態としてのそのものを認識している者は少ない。三木もこの業界に関わってそれなりに経ち、様々な情報、それこそ中には機密事項など、が耳に入ってくる。一方でどれだけ居てもその全容が掴めない話もある。その中の一つがこの’伽藍’の話である。

「’伽藍’は最終的に刑事四課に総裁指示を出した模様ですね。」

「刑事四課…。聞き覚えが無い部署だな。」

三木が知る限り本庁の刑事課は全国でも数少ない三課まである警察本部である。しかし、四課に関してはそもそも例え大規模な本部でもあっても通常であれば存在し得ない。だから三木の感覚からすれば四課の存在は眉唾ものの都市伝説同然。

「言ってしまえば窓際部署みたいな所なんですが、どうやら省内でも扱いづらい者達の集まり、と言ったものですか。」

「そんな連中なら放っておいても問題ないのでは?」

そこで初めて電話口から笑みが聞こえた気がした。

「ええ、彼らが無能或いは軒並程度の捜査員であれば、放っておいても関係ないのですが、残念な事に中々に出来る方々の様で既に桜木教授以外の事も随分と詳しく調べられているそうです。」

三木も流石に口を噤む。男も三木に合わせる様に黙っている。暫しの沈黙の後ようやく三木が口を開く。

「それで、君は随分詳しく警察内部の事に通じている様だが、現状どこまで我々の関わりについて迫られているのかな。」

時間を置いてしまった事で失ったと思ったペースを取り返そうとする。しかし、男はそんな事を気にする事も無い。

「いえ、私も分かっている事は先程お伝えした事までで、私達の事に関してどの程度まで掴んでいるのかは不明です。」

飄々とした雰囲気の声に三木は多少の苛立ちを覚える。相手はその調子のまま話を続ける。

「ただ、彼らがあなたの元にいつ辿り着くかもしれません。くれぐれも気を付けて下さい。特に身の周りには。」

男の声は終始緊張感がない為か、まるで世間話でもしている様で、三木自身この男の事が本当に掴めない。

「どうかしましたか?」

気付かぬ内に黙ってしまったのだろう。男が本心の伴わない様子の心配していそうな雰囲気で言葉をかけてくる。

「いや、失礼。何でもない。ご忠告感謝する。君もせいぜい気を付けてくれたまえ。」

「ご心配ありがとうございます。兎にも角にも普通に生活していれば大丈夫だと思いますので、宜しくお願いします。」

「そうだな。それでもまあ、定型文にはなるが、万が一どちらかが警察に確保されたとしても…。」

「ええ、そうですね。お互いの事は警察には話さない。そういう事で問題ありません。」

男のこういうところが三木は好ましく感じていた。三木は自分が立ったままであった事に気付き、ベッドに腰を下ろす。そうして自分でも気づかないが、声がほんの僅かに張ってしまう。

「それで他に何か言うべき事はあるかな。我が友人?」

そんな三木に男は静かに言葉を返していく。

「そうですね。私からは特別業務連絡の様なものはありません。ただ、そうですね。私個人から質問があります。」

三木が少し息を呑む。男からその様な言葉を受けたのは初めてであったし、まさかそんな関心を持つとは思わなかった。

「珍しいな。君からそんな言葉が出るとは。それで何だね。質問とは。」

男は少し間を置き、ようやく口を開く。

「あなたはAIと人間が共に築く未来が想像出来ますか?」

突然の核心を突いた質問に三木は再び息を呑んだ。男は三木の答えを待つ。三木はベッドから立ち上がり、窓辺に寄ると閉じられていたカーテンを開く。そして窓向こうに広がっている街並を目に入れる。行き交人々の首元にはLINKAEDが光る。これらはもはや当然の光景である。三木は静かにその光景を眺め、徐々に腹の底の言い様の知れない泥の様な濁りを感じ始めていた。二人の間に長い沈黙が訪れる。そして幾何の刻が流れたか、三木が重く口を開き始めた。その時男は微笑んでいたに違いない。




               虚数遊戯(下)に続く




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