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ずっとそばにいて

作者: はまち

 インスタントコーヒーを探していたら、乾麺タイプのそばを見つけた。

 これなら年越しそば食べられたんじゃないか。悪いことしたなあと反省しつつ、バレてしまっても事なので引き出しの奥のほうへと追いやっていると、ふくらはぎを足裏で小突かれた。

「今から茹でてよ、それ」

 新年早々不機嫌な同居人がスウェットに薄手のダウンジャケットを着込んで、袖をしゃかりと言わせて麺つゆを突き出してくる。

 部屋のなかでも妹の吐く息は白く、過ぎてしまったクリスマスのトナカイを思わせる鼻の頭はやはり寒そうに映った。

「明日っつーか、今日の朝でよくない? 今、トースターで餅も焼いてるし」

「は? 一緒にやってくれないと訴える。平成最後の年越しそばがあったのに茹でなかった罪で禁錮三十一年だから」

 しゃかっと麺つゆがこちらの胸元まで伸びてきたので、たまらず受け取ってしまった。

 踵を返した様子から、妹にとってはそこで会話は終了ということになったらしい。

「ちょっと、凛心」

「うっさいもう、年越しそば茹でなかった人が名前で呼ばないで」

「じゃあなんて呼べば」

「知らん」

 居間へ帰る足音と共にコミュニケーションのシャッターが降ろされたので、仕方なしに鍋に水を張った。

 鍋底から大きな気泡が立ち昇ってくるのを見計らって、乾麺を入れる。そばがひとりでに踊るのを確認して、すこしだけ火を弱めた。

「ごめん、悪かったから許して」とか、「新年に怒ってると一年中そんなだよ」とか、「お餅、一個多く入れたから」とか考えて、最後のそれを選ぶことにした。

 結局、凛心のために役に立ったこと、ないしなあ。

 歳上なのに迷惑かけてばっかだし、お餅一個分の優しさしか与えることができないのだ。

「今年もこうして、年を越しちゃったかぁ」


 おそばはすぐに茹で上がったのに、麺つゆを薄めておくのを忘れてしまったから、茹でていた湯で誤魔化した。多分、妹は味には疎いほうだから気づかないはず。

 お椀にそばを取り分けて、誤魔化し麺つゆをざばっとかけて、焦げた餅を載せて完成。

 年も越したし、精度とかそういうのよりも体が温まればいいかなと思う、こういうのって。

「ほら、できたよ。あの、お餅。一個多く入れといたから」

 妹の顔を見に行くと、スマホでTVをつけたままこたつに突っ伏していた。

 寝息は規則よく、時折声も漏れて可愛らしい。

 このまま寝かしておこうか迷って、それでも食べさせないと禁錮三十一年の刑に処されそうだから、鼻先をちょんとつついて起こしてあげた。

「んぁ、朝ぁ?」

「あけましておめでとう。凛心」

「だから、名前、呼ぶなってぇ」

 寝起きの凛心は途端に子どもらしくなる。頭を撫でてしまいたくなるぐらい。

 そう、本当はそんな年頃なのだ、凛心は。

「あれ、アタシのだけお餅、多い。なんで」

「それはその、年越しそば忘れてたから。お詫びに」

 申し訳無さを身体中から放って、「ささ、そんなことよりおそばどうぞ。伸びちゃうし」とお椀を差し出す。

 すると、凛心は「そういうの、そういうのだよね。お姉ちゃんって」とため息をついて、麺をすすりだした。

「うん、そういうの」言ってへらへら笑ってみる。

「わかってないでしょ、それ」へらへらが止まる。

 突然静けさが訪れ、そばをすする音だけが居間を色付けた。

 あのさ。あのね。

 元旦ぐらいは家にいようよ。

 私のためとか、生活のために自分を売らなくてもいいから、一緒にいようよ。

 そんな思いがぐるぐる廻りはじめて、どこから言おうか、食べたそばの麺の数ほど悩んでいると、妹が騒ぎ始めた。

 はじめは呻き、次に咳込み、最後にまた地鳴りみたいに呻いた。

 お椀には食べかけのお餅が浮かんでいて、起きたことへの理解は早かった。

「凛心、ちょ、凛心ぉ」

 私はとにかくキッチンに走って、すっかり冷めたそばの茹で汁をたコップいっぱいにすくい、妹に飲ませた。

 凛心はううと苦しんで、苦しんで、やっと飲み干せた。

 ふうと息をつくと、妹は私を睨んでくる。

「お姉ちゃん、嫌い。お餅を多くいれるから」

「ごめん」

「これ要らない。もとはお姉ちゃんのでしょ」

「ごめん」

「しかもこのおそば、ちゃんとつくってないでしょ」

「わかったの?」

「わかるに決まってるじゃん。それにどうせお姉ちゃんだし」

 凛心はずずいとつゆを啜って、「はぁ、もうどうしよもな」と呟いてから、「明日は家にずっといるから」と突っ伏した。

「えっ、うん? 本当に?」

「年越しそばは忘れる、麺つゆがあるのにかけそばもろくにつくれない、お餅は焦がす。二年ニートやってなんで料理の一つも上達しないの?」

「ニートってそういう生き物だから」

「あっそ。じゃあ明日はそんなニートにおそばつくってあげる」

 凛心がすこしだけ、笑ったような。そんな気がした。その視線に気づいたのか、凛心はすぐに目を逸らした。

「またおそば?」

「うるさいな、私がいないとおそばも買えないくせに」

 うん、まあ、そうなんだけど。

「ねぇ、凛心」

「もう眠いから朝にして。餅に喉につまらせるなんて死んだおばあちゃんみたいで嫌だから、早く初夢見て忘れる」

 そっか、うん。そっか。

 妹の言葉とくれたお餅を咀嚼していると、また朝でいいかなという気分になってくる。

 そうして朝がきて、また怒られて、私たちはまた一つずつ、姉妹に近づいて。

 いずれやって来る終わりのことと、姉妹として振る舞うようになった昔のことは忘れ続けながら、生き続けていくのだろう。

「ねぇ、凛心」

 私は、お姉ちゃんに、なれていますか?

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