縁結び
某通信講座での課題として書きました。
原稿用紙のレイアウトに合わせて文字数を調整しているため、ウェブでは読みづらいかもしれません。
「彼と結婚することにしたの」
夏の長い日が沈む夕暮れ時。南行徳にあるダイニングバーで、彩花の十五年来の友人である裕美子は、とても嬉しそうに言った。
「そっか、おめでとう。結構早く決めたね」
たしか前に会った時は付き合って半年と言っていたから、出会って一年ほどで結婚を決めたことになる。昔から裕美子は、おっとりしているように見えて、思い切りがよかった。
「さすがに人生の一大事だから、かなり考えたのよ」そう言って冷酒の入ったお猪口を一気に空けると、再び手酌でなみなみと注いだ。
裕美子は、千葉の県立高校の一年生の時に、席が隣同士になって以来の親友だった。彩花は新潟の生まれだったが、中学卒業と同時に父親の転勤により、津田沼に移り住むことになった。入学式の日に、知り合いが一人もおらず不安な気持ちで席に座っていた彩花に、裕美子は声をかけてくれた。あとでそのことを聞くと「警戒心むき出しの猫みたいだったから」と、おかしそうに言われてしまった。
千葉のことなどなにも知らなかった彩花に、生粋の津田沼っ子である裕美子はなんでも教えてくれた。高校卒業後は別の大学に通い、彩花は門前仲町の共済団体、裕美子は幕張の旅行会社と、まったく違う道を歩んでいるが、今に至るまで付き合いは続いていた。
「ねえ、聞いてる?」いよいよ怪しくなってきた滑舌で裕美子が彩花にからんできた。
「ごめんごめん、聞いているよ」
物思いにふけりかけた彩花は、ごまかし笑いを浮かべて裕美子に向き直った。
それから十分にお喋りを楽しみ、店を出たのは二十二時を過ぎた頃だった。彩花の住まいは、店から自転車で五分ほどのところにあるため、津田沼の実家に帰る裕美子を送りに、自転車を引きながら駅まで歩いていった。
「大丈夫?」少し怪しい足元を彩花が気づかうと、「大丈夫よお」と裕美子は笑った。
「ところでさ」間を置いて、裕美子が言った。
「彩花は、また彼氏作らないの?」
裕美子を見ると、あいまいな笑顔で彩花を見つめていた。もしかして、以前の彼のことを気にしているのだろうか。確かに別れる時に色々あったが、もう五年も前のことだ。ふと彩花は、長いこと色恋から離れていたことに気がついた。確かに、三十も目前となり、そろそろ新しい出会いが必要かもしれない。
「そうだね。また作ろうかな」
「本当?」裕美子は、嬉しそうに言った。
「じゃあ今度、いい人紹介するよ」
「まあ、期待しないで待ってるわ」
そう言いながらも、どこかで期待している自分に苦笑をしながら、駅前の商店街を歩いた。駅はもう目の前だった。
「ほら、着いたよ。乗り過ごさないでね」
「はぁい。そうだ、今度お守りあげるよ」
「お守り?」
「そ、縁結びの。前にバリ島に行った時にもらってね。私もそれで彼に出会えたんだ」
「へえ、そうなんだ」
数日後、仕事から帰った彩花がポストを開けると、裕美子から封筒が届いていた。
お風呂で仕事の疲れを落とし、扇風機で涼みながら封筒の口をハサミで切って中を取り出すと、平たい木片がひとつ入っているだけだった。しかしそれは、よく見ると頭と胴体がある、人形のようなものだった。
「これが縁結びのお守り?」イメージとのギャップに戸惑ったが、こんなお守りもあるか、と軽く考えた。しかし考えると彩花には、職場でもそれ以外でも、特に気になるような相手はいなかった。どうしたものかと考えていると、ふと高校時代の先輩が思い浮かんだ。
「司先輩、今どうしてるのかな」
柊木司は、裕美子と同じ吹奏楽部で、一年先輩だった。彩花が高校二年の時に知り合い、二人で遊びに行ったこともあったが、結局は恋人未満の関係のまま、司が大阪の大学に進学し、そのまま疎遠になってしまった。
あの時、もう少し積極的になっていたら、どうなっていたのだろうか。目の前の人形に視線を落とした。改めて見ても、ただの木片にしか見えなかった。
(でもまあ、ものは試しだし)
彩花はパンと手を合わせると、声に出してお願いをしていた。
「司先輩とまたご縁ができますように」
一瞬の後、自分の行動に照れくさくなり、一人笑いこけた。そしてひとしきり笑うと、そそくさと片付けを済ませ、ベッドに入った。
翌日、帰宅後にスマホを立ち上げると、通話アプリにマークがついていた。開くと、メッセージが来ていた。名前は「柊木司」。
「司、先輩?」
名前を目にした途端、心臓が大きく跳ねた。すぐには信じられなかったが、大きく息を吸い、わずかに震える指先でアプリを開いた。
(お久しぶり、柊木です。お元気ですか?)
司先輩だ、直感的に彩花はそう思った。
(彩花です。お久しぶりです!私は元気です。連絡もらえるなんて、本当にびっくりです)
すると、すぐに返事が返ってきた。
(元気そうでよかった。仕事終わったの?)
司との会話はとても楽しく、終わったのは三時間も経ってからだった。彩花は、透き通るような司の声が好きで、通話に切り替えたかったのだが、なぜか司に断られてしまった。
それにしても、と彩花はベッドに横になりながら考えた。やはり裕美子が送ってくれたお守りのおかげなのだろうか。本当なら、逆に怖い気もする。それでも彩花は、心が満ち足りているのを感じていた。
それから、夜毎司と会話をするのが日課になり、数日経ったある日のことだった。
(先輩、今も大阪に住んでるんですか?)
彩花は司が今どこにいるのか、聞きそびれていたことに気がついた。近くならすぐ会いに行けるのに、そんな期待もあった。
(違うよ。どこにいるのかは……今度招待するから、自分の目で確かめてみてよ)
変なことを言うな、と思った。自分の目で確かめる?しかし彩花には、司とまた会えるということの方が重要だった。
(本当ですか、絶対に招待してくださいね)
(うん、近いうち、必ず)
その日彩花は、一日も早く司と再会できることを祈りながら、眠りについた。
週末になり、自宅で夕飯を食べていると、スマホが鳴った。裕美子からだった。
「彩花?ねえ聞いてよ」
それから三十分、結婚に至る手続きについての愚痴を話しきり、一息ついた裕美子に、彩花は「そういえば」と話しかけた。
「裕美子、お守りありがとうね」
「うん。見た目はアレだけどね」
「ううん、さっそくすごい効果があったよ」
「へぇ、そうなんだ。誰、どんな人」
「裕美子も知ってるよ。高校の、司先輩」
「……」
「いきなりスマホにメッセージが来てね。それから毎日やり取りしてるんだ」
しばらく、裕美子から返事がなかった。
「裕美子?」
すると、ひどく真剣な声で裕美子が言った。
「ねえ彩花、それ、いたずらだよ。ううん、もっと悪いかも」
「何言ってるの」
「あのね、彩花。司先輩、五年前に病気で亡くなっているんだよ。あの頃は彩花も大変だったし、言えずじまいだったんだけど」
「そんなはずないじゃない」
「本当なの。だからね、その人とはもうやり取りしちゃだめだよ。死んだ人の振りをしてるなんて、普通じゃない」
「うそ」突然の話に、彩花はただスマホを固く握りしめて、そう繰り返した。
「……ねえ、これからそっちに行」裕美子がそう言いかけた時、ブツンと音がして、通話が切れた。同時にメッセージの着信音が大きく鳴り響いた。画面に表示された送信者の名前は「柊木 司」。これが司でなかったなんて、とても信じられない。きっとなにかの間違いだ。彩花は祈るようにアプリを開いた。
(これからむかえにいくよ)
開くと、唐突にそう書いてあった。
(司先輩?)
(これからむかえにいくよ)
あきらかに様子がおかしかった。
(本当に司先輩なんですか)
(これからむかえにいくよ)
相手は同じ言葉しか繰り返さなかった。彩花は、重く冷たいものが、じっとりと背中に貼りついているような感覚を覚えた。
(誰なんですか)
(これからむかえにいくよ)
(やめてください)
(これからむかえにいくよ)
(来ないで)
(これからむかえにいくよ)
(これからむかえにいくよ)
(これからむかえにいくよ)
「やめて!」
彩花はスマホを部屋の反対へ投げつけた。しかしその後も、スマホからはメッセージの着信音が鳴り続けていた。それは、耳をふさいでもはっきりと聞こえた。
どのくらいそうしていたのか、気がつくと着信音は鳴り止んでいた。
(終わった?)
彩花はゆっくりと手を外し、深く息をついた。その瞬間、背後から何か冷たいものに抱きつかれた。あまりの冷たさに身じろぎすることも、悲鳴も上げることもできなかった。そのうちに、脇から氷のように冷たい腕が差し込まれた。そしてその手が彩花の首にかかり、ゆっくりと、強く、締まっていった。
「きたよ」
耳元で、誰かがささやいた。いや違う。それは確かに、懐かしいあの司の声だった。