優しい女王
冬の童話祭2017のテーマを下敷きに作ってあります。
今日も天気は荒れていた。
白い闇かと見間違うほどの酷い吹雪が、防寒具に身を包んで懸命に嵐に立ち向かう少女の頬を、冷たく叩く。
既に4月に入っているにもかかわらず、天気は変わらずこの調子だった。それどころか、12月の頃よりも吹雪は酷くなっているように感じる。
少女は、女王に真意を訊ねるために『塔』へ向かって歩いているのだった。
やがて辿り着いた『塔』は、吹雪を裂くようにして、堂々とその威容を見せつけている。
その鋭利な立ち姿は、来るものを拒む衛兵のようにも感じられた。少女は勇気を振り絞り、その「塔」の門を叩く。
「すみませ~ん。すみませ~ん!」
手袋に包まれた手で、必死に鉄門をノックする。
やがて、門が開いた。出迎えたのは、冬の女王その人。
「なに用か」
「訊きたいことがあってきました」
必死で話す少女に、女王はしばし片目をつぶって考えた後、門を大きく広げる。
「入っていらっしゃい」
少女は女王の後についていった。
通されたのは、暖炉の付いた小さな部屋。暖炉の中では、赤々とした焔が、少女を歓迎するかのように踊っている。
「大したもてなしはできないけれど……」
女王はそう呟きながら、焔のそばに置いてあった鍋から、湯気の立つココアをマグカップに注いで少女に渡す。
「わぁ~! ありがとうございます!!」
少女はかじかんだ手にマグカップを受け取り、くるくると表面で回る泡を見つめたあと、女王の顔を仰いでにっこり笑った。
「立派なごちそうです!!」
そのままココアを一口すする。
冷え切った体に温かいココアが流れ込み、身も心もふんわりと緩んでゆく。
その表情は、微笑ましくなるほど笑み崩れていて。
女王は、ひどく優しい目つきで少女を眺めていた。
しばしの間、部屋に沈黙が横たわる。
時折、ココアをすする音が、二人の間で響いた。
少女がココアを飲み干し、マグカップの底が見えるようになった頃。
「それで?」
女王が切り出した。
「話というのは私が出ていかないことだねぇ」
少女はカップを置き、女王の顔を見上げる。
「そうなんです」
少し迷ってから、その目に決意を宿して問いかける。
「なぜ、女王様は、春の女王様と交代しないんですか?」
女王は目をつぶり、椅子の背もたれに沈み込む。
「なぜ、そのようなことを訊く」
「家族が困っているからです!」
少女は身を乗り出す。
「私たち人間にとって、冬は厳しすぎます。たくわえていた食べ物はすべて食べきりました。家畜に食べさせる草も生えてきません。なにより寒さで人が死んでいきます。お父さんもお母さんも、寒さに震えながら私たち子供に自分たちの毛布と食べ物を与えるんです。このままじゃ、お父さんたちが死んでしまいます!」
手を振り、足をバタバタさせ、必死で女王の慈悲に訴える。
「お願いします。お父さんたちを助けてください! 春の女王様に会わせてください!! お願いし……」
「愚か者!!」
女王が、悲痛な声を上げた。
「春が訪れなくなったのは、人が恵みを食い荒らすからじゃ!!」
女王が叫んだ。
「えっ?」
「……人が今ほど多くなかった頃、人が自らの分をわきまえておった頃は、一年はしっかり回っておったのじゃ」
大声を出して感情が落ち着いたのか、女王は遠い目をして語りだす。
「春が恵みを施す、夏が恵みを育む、秋が恵みをたくわえさせる、そして私が恵みを集める。私が集めた恵みを春が施し、そしてまた1年が巡る……」
「そうやって、恵みは自然と生き物の間を廻っていたんですね」
「その通りじゃ」
女王は、ココアを新しく注ぎ直した。少女は、寂しそうな女神と一緒に、場違いなほど優しい味のするココアを味わう。
「しかし人は、次第にその輪を乱すようになった」
ココアをすすって、女王は必死に何かを整理しているようだった。
「安定を求め、森を切り開き、採らずともよい恵みを集めるようになった。それはその集団を治める者の下にたくわえられ、人はその力を増していった。しかし人に集められた分の恵みは、もともとは他のものたちが享受していた恵みじゃ。そのものたちは、足りなくなった分の恵みを求め、さまよう事となる……」
いやな沈黙が下りた。
「その足りなくなった恵みは、どうされたと思う?」
女王は少女に訊ねる。
「えーっと……。生み出せなくて、さまよった子たちが死んじゃう……?」
目をウルウルさせながら、少女は答えた。
女王はその様に優しい顔を見せながら、しかし悲しげな瞳で言った。
「春がその身を削って無理やり生み出したのだよ」
少女がハッとした。
「もしかして春の女王様……」
「自らの身を切って恵みを生み出しても、彼女の身を回復させるものはない。今では衰弱しきって立てもせん」
「そんな!!」
少女は涙をあふれさせた。
「女神さまに救っていただいていたのに、私たちは……」
「そなたが泣くことではない」
女王は優しく微笑んだ。
「春のために泣いてくれること、嬉しく思う。しかしそなたらが悪いわけではないのだ」
女王は、ココアを飲んで天井を見上げた。
「春はもともと施す者。どんなことがあろうと、恵みが必要なものを捨て置くことはできんかったろうし、それに人の全てが春の身を削らせたわけではない」
少女はじっと、女王の話を聞く。
「そなたら、自然と接する者たちは、恵みの大切さを知っておる。例えば木の実を採るのでも、森に生きる動物たちのために、すべての実は取らずにいくらか残していくだろう」
「えっ、当然でしょう?」
「それを知らない者もいるのだ」
「そうなんだ……」
ふと、少女は悟った。
「女王様、あなたは春の女王様に少しでも多くの恵みを引き渡すために……」
「そのとおりよ。春が『塔』へ入ろうとするのを突っぱねて、4月にもなるのに居座っておる」
「やっぱり……」
少女はグッと黙り込んだ。
その目は、前髪に隠れて窺えない。
「しかしそれもまぁ、そろそろ限界であろうよ。これから、少し遅めの春が来る……」
女王は、なんとも言えない目をしてそう言った。
本当は座を渡したくないのに、春に座を渡せば彼女がまた無茶をすることは、分かりきっているのに。
彼女は座を明け渡す以外の選択肢を持たない。
彼女の振る舞いで、悲しむ者がいることを、その身に染みて、分かっているがゆえに。
ゆえに彼女は、悪あがきを試みる。
恵みの大切さを、人々に分かってもらうために。
このままでは、人間達も女王達も、滅びの一途を辿ることになると、知らしめるために。
不器用な彼女には、このような方法しか思い浮かばなかった。
「わかりました」
少女の声が、唐突に響いた。闇を裂く光芒のように。
「女王様、本当にありがとうございます。ココア、美味しかったです」
心の底からにっこり笑うと、少女はそのまま『塔』を飛び出した。
いつしか吹雪はその勢いを弱め、雲も心なしかその厚みを減じている。
春の気配が、一歩ずつ近付いて来ているようだった。
少女はその足で、王城へ向かった。
物々しい警備に、女王のことで話があると告げ、謁見の間へ取り次いでもらう。
そうして出てきた王様は、ガリガリに痩せ細っていた。
「女王様のことで話があると言うのはお前か」
「はい、お初にお目にかかります」
「して、内容は?」
「女王様が死にます」
「「なんだと?!」」
城内が騒然となった。
「戯けたことを抜かすな! 女王様が死んでは、この世界はどうなる?!」
「滅ぶでしょう。我々人間のせいで」
「ふざけるな!!!!」
その場にいるほとんどの人間が、口々に少女のことを罵る。
「女王様が亡くなるなんて、あるはずがない!」
「この嘘つき者を処刑してしまえ!」
「「そうだそうだ!!」」
少女は、王様の目をしっかりと見つめ、まんじりとも動かない。
王様は、その場で唯一、何も言葉を発さずに、少女のことを見ていた。
「騒がしいぞ。……静まれ」
王様の一言で、一気にその場が静まり返る。
静かになったその場で、王様が口を開いた。
「そなたのその言葉……、本当のことだな?」
その目は、静かに少女を見つめている。
「はい。冬の女王様は、春の女王様が心配で悲しい目をしていました。あの目は嘘なんてついていません」
また騒がしくなりかける城内に喝を入れ、王様は宣言した。
「これより、国内の全ての者に通達をする。女王様の寿命をこれ以上削らずともよいよう、生活は質素倹約を心掛けよ。また秋の収穫を終えた段階で、女王様に対する感謝を表すために、とれた恵みを奉納する祭りを行うこととする。貴族や騎士たちも、すべからくこれを心掛けよ。違反する者は、打ち首とする。以上!!」
こうして王様が出したお触れにより、春の女王様は無理をする必要がなくなり、四季はまた、正常に廻るようになった。
一番初めのお触れにあった褒美は、少女が受け取ることを辞退し、その代わりに女王様がおわす『塔』に、春の女王の療養のためにと、納められたのだった。
めでたしめでたし。