6-8 矜持
帰宅途中の電車内でヘルプを順に見ておくことにした。
基本情報には取り立てて新しい情報はなかったけど、パーティー系のメニューコマンドとかぼんやりとしか覚えてないことがちらほら。当分使わないだろうから、必要になったらまた見ることになるんだろうけどな。
他のことも順次見ていくか。普通のゲームだとほとんどがチュートリアルで知るようなことだ。他の内容もちらっと見る限りではおんなじようなもの。でもまあ、見とくか。この程度なら面白さを損なわないだろ。
いつもの通り、食事に風呂、明日の用意を終わらせてからダイブ。
ダイブしてすぐに喧騒が聞こえてきた。見ると作業所内には【木工】のサロと【裁縫】のシュラナ・サラーニナがいた。でも、肝心のアロがいない。
「アロは休憩中。だいぶ疲れて眠そうでしたわ」
「こっちにあるのが、アロが作った試作品ッフ。見てほしいッフ」
「二人とも【鑑定】は?」
「ないッフ」
「ありませんわね。仕事に使うものに関しては、見極める目があるつもりですけど」
あれか。いっぱい作ったりすると簡単な説明が見えるようになる設定。経験による見る目ってやつかな。
ちなみに二人は、邪魔が入らない場所で作業するためにここを使ってるようだ。
「あーっと、【細工】のポリーナとか来てない?それか、【皮革】の」
「残念。帰りましたわ。ペトロは来てません」
「そうか。じゃあ、シュラナ・サラーニナにちょっと聞きたいんだが、ペトロとどんな感じで協力してるんだい?」
ペトロの名前を出す前にシュラナ・サラーニナの返事がかぶさった。べ、別に名前を憶えてなかったわけじゃないぞ。
で、俺の問いに、彼女は首を傾げて言う。
「ごく普通ですよ。彼が選別して洗った毛皮を受けとって、皮から毛を抜いて後は紡ぐだけ。
簡単に言えば、ただそれだけです」
「あーっと、それですけど、皮から毛を取る作業をペトロに任せてみませんか?」
ちょっと恐る恐る提案したので、口調が丁寧になってしまった。でも、それでよかったと思う。
俺の言葉を耳にした途端、彼女の眼がツイっと細くなった。たったそれだけなのに、蛇に魅入られたように背筋が凍る。
……蛇人だからじゃないぞ、この目力は。
「それは、どういった、意味でしょうか」
彼女の声は、決して強くなく、感情的でもない。だが、真冬の氷よりも冷たい。
まだ理性が勝ってる。そう考えて言葉をつなぐ。……今更吐いた唾を飲めんしな。
「この間、お伺いした時には、『毛を抜くのは【皮革】の方が上手い』って言ってましたよね」
「それでもできた糸は、【裁縫】を学ぶ者の方が出来が良いのですよ」
「ええ。それも伺いました。だからこそです」
軽くシュラナ・サラーニナが首を傾ける。表情が変わらないので、一層怖い。
「【裁縫】の技術を持つ人には紡ぐことに力を入れていただいて、毛皮から毛を抜くのは上手な【皮革】側に任せる。
そうすれば、さらに質のいい糸になるんじゃないでしょうか」
「……」
「もちろん。常にそうしてほしいなどとは言いません。今回提出するために使う糸はそれにしてほしいとお願いしてるんです。
私は、私達が協力した成果として提出するなら、最高の物を出したいだけです」
ジッと俺を見つめる彼女。遠くで針が落ちる音すら聞こえそうな静寂。動くのはただ一人。傾けていた首をゆっくりと戻し、無表情のまま軽く目を閉じる。
あ、こう見ると結構美人さんだな。
目力を感じなくなったら、思考がそれた。
その瞬間。音もなくシュラナ・サラーニナが滑るように近づいていた。
「嘘は無いようですね。
……より良い糸を紡ぎ、作品を作り上げる。そのことに喜びを感じることは否定できません。しかし、私たちにも矜持があります。自分達の分野において、他を生業とする者に負けると評されるのは我慢なりません」
その気持ちはわかる。たとえ、それが事実だとしても、いや事実だからこそ、認められない気持ちは。
でも、それを乗り越えた先にこそ、新しい物があると思う。
……わかってる。自分ができなかったことを求めているのは。でも、彼女なら、この街の職人ならできると思っている。工房での、生き生きとした表情が、俺の身勝手な確信に力を与えてくれている。
矜持を持つなら、己ではなく、作に持て。祖父の言葉を理解したときには、すでに遅かった。今でもじくじくと胸を苛んでいる。人生をやり直す。ここは、現実ではなくても、リアルな世界だ。わがままかもしれないが、同じ轍は踏んでほしくはない。
意を決して口を開いた。
「……他分野のやり方でも良いと思ったものはまな」
「それでも。
その矜持がより素晴らしい糸を織り出す邪魔をするのであれば、それは矜持とは言えないでしょう。……わかりました。その案を受け入れましょう」
でも、すぐにその技を学び、自分の物にします。そう目が言っている。
そう言ってもらえると、言葉を断ち切られた不快感も解消されてうれしい。
喜んでいたら、シュラナ・サラーニナの手が俺の両肩を捉える。
「サロは皆さんに声をかけて、集めてください。ここで集中して作業をしましょう。
アロが苦労している新しい手法についても、お互いが協力して知恵を出し合いましょう。師を超える良い機会です」
「そうで」
「ギーストさんは、手伝ってくださいね」
「……もちろん。できることがあ」
「はい。神の祝福がある貴方には、私達の技術を学んでいただきます」
それはありがたい。俺がこの話を受けた目的の一つに、アイディアを出すだけでなく、今回の技術をおぼろげでも良いから学び、最終的には自分一人で作って見ること。つまり、このゲームにおいて最初の目標となる成果物を手に入れることだから。
でも、それなら別に、こんなに強く肩をつかまなくても良くね?顔が近いので、嬉しいやら怖いやらでちょっと困るんだが。
そろそろアロの様子も聞きたいし、ちょっと放してくれないかな。
「貴方であれば大丈夫です。何があっても神殿で復活できます」
「えーっと」
きな臭い、と言うか一線を越えてる一言。
「アロと違い、寝なくても大丈夫です。学ぶたびに休んでいては時間が足りませんから」
接続時間制限があるから無理っす。
「……いやいや。神による時間制限があるので」
「チッ」
「今の舌打ちですか?いや、あーっと、アロは寝てるんですね?」
彼女の表情が怖いので、話を変える。サロが視界にいないが、とっとと他の人を呼びに出てったようだ。状況判断が速いわ。
「……ええ。彼は体力に自信があったはずですが、今回はこまめに睡眠を取ってますね」
「ああ、それは俺が。無理するよりもこまめに休憩を入れてもらった方が効率が良いですから」
「休憩くらいは私達も取ってますが、寝ることはあまり……」
……あれ?なんか引っかかるな?
睡眠と疲労について……なんだったっけ?