奏でた音色が繋いだモノ(作:仲遥悠)
不思議な猫との出会いには驚いたものの、だからと言って学校が無くなる訳ではないので私は聖繍女学院高校の制服に袖を通してから、朝の食卓に着いていた。
家の中にお父さんとお母さんの姿は無い。 二人共朝から仕事で忙しいんだ。 だけど、「成長期だからね」とお母さんが毎日欠かさず朝食を作ってくれるから、私も欠かさず食べないといけない。 こう言うと何か変な言い方になっちゃうけど、人間食事欠かさずべからず。 朝食昼食間食夕食夜食ちゃんと食べないと、その…男の子にモテないかなぁ…って思ってるんだ。
「だからね、食べる時は食べて、動く時は動かないと、人間成長が出来ないんだって」
「うーん、かなり余分があるような気がするけどそういうものかな?」
「そういうものそういうもの」
昨日からうちに住み着いた黄色い猫も、さっきから家で自由にしていて、今はメロンパンの耳をちびちびと食べてる。 私としては毛が抜けないかどうか心配だったんだけど、今はそんな時期じゃないんだとか。
…ファンタジー生物だからかな?
「どう? 願い事決まりそう?」
「もう、そんな昨日今日で思い付くようなものじゃないよ。 せっかちだなぁ」
願い事については勿論、ずっと考えてる。 寝る前も考えて、起きてからもずっと考えてる。 昨日も昨日でぐっすり眠れたけど考えているんだ。
「ごちそうさま…っと。 洗い物洗い物…」
綺麗に完食してから食器を洗って時計を見…ると……
「ち、遅刻だぁぁぁぁっ!?!?」
大急ぎで靴を履いて外に出て、鍵を閉めようと…あ、
「か、鍵ぃぃぃっ!!」
ひ、ひぃぃっ! ど、どどどどうしようっ! 鍵どこにしまったっけ!?
も、もうダッシュしないと間に合わないのにっ!
「鍵ならここだよ!」
大慌てで家に上がろうとしたところで、玄関の絨毯の上に何かが置かれた。 家の鍵だ。
あぁ猫ちゃん、君天使だよっ!!
「ありがとうっ、行ってきます!!」
「行ってらっしゃーい!」
家の鍵を閉めてから門を出て、そこから通学路を猛ダッシュする。
私これでも無遅刻無欠席で頑張ろうと思ってるんだ。 だから遅刻は絶対NG。 一年生なんだからもっとNG!!
「遅刻遅刻ーっ!?」
これで、曲がり角でぶつかれば少女コミックだけど悲しいかな、そんなことは起こらない。 起こったら大変大変。
でもそれでイケメンとお近付きになりたい私が居るんだよ。 どうせ、彼氏居ない歴=年齢ですよーだっ…悲しいよ。
…なんて考えてる間にも始業時間はどんどん迫ってくるから、校門を潜ってからも超特急で階段を駆け上がる…ってチャイム鳴った!? 急げぇぇぇっ!!
「はぁ、はぁ、はぁ…っ!」
「おっと、ギリギリだな一条。 早く席に着け」
先生(女の人だよ)に促されて自分の席へ行って、座ると同時に突っ伏する。
ほ、本当に間に合わないかと思ったけど良かった…っ。
「ねぇねぇ、うみちゃん」
満足感と疲労感という二つの感覚に身体を支配されていた私に、隣の席のクラスメイトが声を掛けてくれた。
この子の名前は二階堂かよちゃん。 保育園の頃からずっと仲良しな、私の大親友。
高校一年での最初の幸せは彼女と隣の席になれたことと言っても過言ではない。
「…どうしたの、かよちゃん」
「次、移動教室だって」
「あ、そっか英語だったね。 ありがと」
いつの間にかホームルームは終わっていて、皆移動を始めていたので私もそれに倣う。
「今日は寝坊したの? 窓から砂煙り上げて走っている姿が見えたよ」
「うーん、寝坊って訳じゃないんだけど…うーん…そうだな、うん、うん」
「うん?」
「ホーホケキョ」
「ホケキョ?」
…何言ってるんだろ、私。
「ううん、何でもなーい」
「ふふ、変なうみちゃん」
そんな会話をしながら別の教室に移動したんだけど、そこでもやっぱり私とかよちゃんはお隣。 ちょっと運命的なものを考えちゃうよね。
「はいじゃあ、授業を始めるよー」
そして今日の授業が始まった。
でも私の頭の中は“願い事”のことで一杯だった。
願い事を叶えることが出来る。 それは大歓迎で、ウェルカームだよ。 だけど問題はその、代償。
一、願いを叶えるのは紙に書いたもの一つだけとする。 書かれた願いは何らかの形で、書いた本人のその時の希望に沿う形で必ず実現する。
二、この紙を他人に譲り渡すことはできない。 また他人にこの紙の存在を知られてはならない。
三、この紙と願いが叶えられる事を他人に知られてはならない。 もし誰かに知られた場合、願いを叶える力を失い、この紙に関することすべての記憶を失ってしまう。
四、この願いを叶えたならば、その事に対して興味を失ってしまう。
…一つ一つ思い出してみたけど、やっぱり興味を失ってしまうのがどうしても困ってしまう。
願い事。 人間生きてれば一つか二つは普通にあるものだけど…叶えたところで興味を無くしてしまったら世話無いと言うか意味無いと言うか…願うことに意味があるのか謎になってくる。
あの黄色い猫も謎。
いきなり私の部屋に現れたと思ったら、あんなよく分からない話をして…何が目的なんだろうか。
夢じゃないのは昨日何度も確かめている。 たくさん頬をつねって痛い思いをしたし、タンスの角に小指をぶつけてもみた。 あの激痛が夢の産物であるとは思いたくない。
そう言えばどうして体毛が黄色なんだろう? 幸せを運ぶから? そんなハンカチじゃあるまいし…
でも幸せって言えるのかな。
うーん…難しい。
何を叶えたら良いんだろう…何も叶えないってことでも良いんだよね。 でも折角だし、何か願わないと損な気がするんだよね……
「‘考え事?’」
私の様子を見てか、かよちゃんがひそひそと話し掛けてきた。
うーん…顔に出易いのかな私。
「‘そんなところ’」
「‘私で良ければ相談に乗るよ?’」
うん、相談してみるのが一番だよね……なんだけど、大丈夫かな? 相談することによって、知られたと解釈されたら駄目だし…学校終わったら訊いてみよっか。
「‘ごめん、ちょっと整理中’」
「‘そっか’」
…。 そろそろ頭を切り換えよっかな。 授業も終わり際だし…ノート取らないと。
「ただいまー」
鍵を開けて家の中に入ると、黄色い影が階段を駆け上がっていくのが見えた。 これがもしお父さんやお母さんだったら確実にバレてるよ。 て言うか黒猫にならないの?
…絨毯が熱を持ってるから多分、ずっとここで寝ていたんだとは思うけど、少し寛ぎ過ぎかなとは思った。
これは一言物申さねばと思って階段を上がり、私の名前がネームプレートに書かれた扉を開ける。
「訊きたいことあるんだけど、良い?」
ビクッと毛を逆立たせる、ベッドの下からはみ出た黄色い尻尾。 頭隠して尻隠さずここに極まれりで、吹き出してしまう。
それを不審に思ってか、身体の向きを変えて黄色い猫が顔を覗かせた。
「訊きたいこと? なになに?」
「願い事についてなんだけど…」
「決まったの?」
「違う違う。 他の人に相談しても良いかどうか気になって」
首を傾げて思案する様子を見せると、瞳を閉じて尻尾を左右に動かし始めた。
…何往復したかな。 やがて頷いた猫は、「バレなければ良いと思うよ」と回答してくれた。
これで明日かよちゃんに相談が出来るけど…どう話したものかな。
…止め止めっ! 深く考えてたら夜眠れなくなっちゃう。
…あ、でも気になることがあった。
「もう一つ、良い?」
「良いよー」
「私以外にも居たの? その願い事を叶える権利を与えられた人って」
「うーん、居ないこともないけど…それを知ってどうするの?」
やっぱり居たんだ、先人さん。
「その人達ってどうしたのかなぁって気になって。 願い事を叶えた後どうしたのかとか」
「昨日僕が言った通りだよ。 願い事叶えた人は叶えた事への興味を失った。 願い事を願わなかった人は…今のところ居ないよ」
「なら私がその最初の人になるかもね」
「それはそれで良いと思うよ。 これは一つの機会。 機会を使うか、使わないかは君次第なんだもの、うみちゃん」
うーん、なんかな。 こう、ケロっとされていると肩透かし感があると言うか…もう少しリアクションを取ってほしかったと言うか…ちょっと掴みにくい猫だね。
…いつまでも猫って呼ぶのもおかしいよね。
「猫さん、何か…名前って無いの?」
「名前? えーと、君が呼びたいように呼んでくれれば良いよ」
呼びたいようにって…それ一番困る返し方なんだけど。
「じゃあ…チュパカブラ」
「…呼びたいようにって言った手前悪いけど、もう少しまともなのをお願い」
「じゃあ…團十郎」
「…凄い名前負けしそうだけど…」
もう…注文の多い猫さんだよ。 私これでも考えてるんだけど。
「ポチ」
「それは犬だよね。 僕猫」
「ド○ミ!」
「なんで名前に変な音が入っているように聴こえるのか分からないんだけど…曰く付きの名前?」
…ドラ○も駄目みたい。 名前を付けるのって難しいね。
「猫さんでお願いします」
「…上げて落とされた気分だよ僕」
猫さん…うん、下手な名前よりはピッタシだと思うよ。
「僕猫さん…猫さん…あはは」
気に入ってもらえたみたい。 わざわざ反芻してくれてるんだから。
ーーーただいまー…
と、そんなことしている内にお母さん達が帰って来たから降りなきゃ。
「猫さん良い? 私以外の人が家に居る場合は部屋を出ちゃ駄目だからね。 分かった?」
「猫さん…猫…さん…」
ーーーうみー?
「はーい!」
猫さんを残して階段を降りた私は、リビングの机に仲良く突っ伏する両親を見つけて吹き出してしまった。 今日二度目なんだけど、我が親ながら今日もその仲は円満みたい。
「お風呂って…沸いてる? …ってお父さん起きて、眼を閉じちゃ駄目よ…」
因みに今日私はお風呂を沸かしてなどいない。
いつも変えると同時に洗うんだけど…今日は猫さんとお話ししている内にこんな時間になっちゃった。
勿論洗ってないものは洗っていないので、正直に話すしかない。
「ごめん、洗い忘れてた!」
「…世界の終わりよ、世界の終わりだわ…ぁぁ…綺麗な川…♡」
「zzZ…」
お母さんもお父さんも、机に突っ伏したまま喋らなくなった。
お風呂がすぐに入れないと分かった二人は、疲れの余りこうして寝てしまう。 娘の私が言うのもなんだけど、面白い人達。
…って、私もお風呂入っていないんだった。 急いで洗ってこよっと。
「すぐ洗ってくる」
「「…いってらっしゃい」」
この様子だと夜ご飯は二十時ぐらいになりそうかな。 今日は一段と疲れているみたいだし…大人って大変そう。
…そうだ、ご飯の時お父さんとお母さんにも相談してみよっかな。 何かアドバイスをくれると思うんだよね。 なんたってお父さん昔、“患ってた”時期があったそうだから。 男の人って皆そういう時期があったのかな。 あまり同年代の男の子との接点無いんだよね、女学院だもの。
うーん…結婚とかも今一つ分からないんだよね。 最低結婚年齢には達してるんだから出来るそうなんだけど…そんな自分が全然想像出来ない。 若い内に何でも経験すべきって先生とかも言ってるけど…どうなんだろ?
恋人…欲しいとか思ったこと無いなぁ。
願い事に書いてみる? 「恋人が欲しい」って……でも興味無くしちゃうんだからなぁ。 別れるのが関の山と言うか。 でもそうしたら何のために願ったのか分からなくなっちゃう。
意味がある願い事をしても、意味が無くなってしまう……何か、試されてる気分になる。
あ、もしかして…猫さんって私のこと試してるのかも。 …むぅ、どうなんだろ?
「よし、終わりっと♪」
考え事をしながらでも日々の日課として、頭にインプットされている風呂洗いはきちんと出来る。 後は栓をして、自動湯張りのボタンを押せば終了で、これで終了。 ポチッとなってね♪
「終わったよー」
「「Zzz…」」
どうしてお風呂の用意をしないといけないのかと言うと、仕事から帰って来てから風呂に入らないと、この親達は陸に上がった魚のように無気力だからだ。
後は放っておいても湯張り完了のメロディーで眼が覚めるはずだから、それまで私は部屋に戻って宿題をやることにした。
「みゃぁっ!?」
そして階段を上って右側手前、自分の部屋の前に辿り着いたところで、扉を開けたらなんと、猫さんが転がって部屋の中から出て来た。 どうやら扉に凭れて寝ていたみたいなんだけど、一体どれだけ爆睡していたのか。 なんとまぁ無様と言うか情けないと言うか。 階段を上がる音で気付いてくれれば良かったのに、虐めているような気がして嫌な気分。
「なんか…ごめんね」
「良いよ良いよ…痛た…僕の寝ていた位置が悪いんだからさ」
部屋の中に入って来た猫さんは、強にぶつけたらしい頭頂部を両手で押さえながらそう言ってくれる。 うん、嫌な気分は晴れた! よし勉強だ。
「勉強…だぁ…」
嫌だよっ! 出来れば勉強なんかせずにかよちゃんと遊びたいよ!
でもテストが…学校の悪魔が襲ってくる限り勉強はしなきゃいけないんだよねぇ……
…。 勉強?
「猫さん猫さん」
「何だい何だい?」
「天才になるって…どうかなどうかな!?」
そうすれば勉強なんかしなくてもテストで百点満点♪ 学校生活順風満帆意気揚々、気分上々だ!
「天才になって、うみちゃんは何がしたいの?」
「えぇっと…JKライフ満喫? あ」
「それで良かったら書いてごらん。 不思議な力がババーンッと叶えてくれるよ」
…JKライフに興味が無くなるんだよね、つまり。 引き篭もり真っしぐらって言うのは…あぁ、後悔するかも。
でも猫さんって親切なんだねぇ。 悪徳商法の人だったら取り敢えず書かせると思うんだけど…良い猫だ。
「一度きりの願いなんだから、選択は後悔の無いようにしないとね」
うーむ深い言葉。
そんな猫さんには……♪
「良く言ったぞ、メロンパンを贈呈しよう」
学校鞄からコンビニで購入したメロンパンを差し出す。
「戴くよ」
ちょこんと座ったかと思うと開封して、粕を零さないよう丁寧に食べている猫さん。 相変わらずファンタジー感満載だ。 学会に報告したら世紀の大発見だよね。 そしたら一躍有名人に…なぁんて、無理か。
「メロンパン気に入ってくれたんだ…良かった♪」
ふふ、やっぱり黄色の猫さんにはメロンパンって相場が決まってたんだね。 ここで今、一つの事実が判明した…って大袈裟か。
「あはは…まぁ、食べ物は美味しいからね」
うん、食べ物は美味しい。
宿題は……
「美味しくなーい…ぅぅっ」
泣いても喚いても宿題は減らない。 明日までにやらないと居残りをさせられんだから、やらないといけない…でも手に付かない。 でもやらないと…でも…でも……でも……
ーーーご飯よーっ!!
ご飯が優先!
「はーいっ!!」
「はぁぁ…」
食事終了宿題再開。
一応最終手段はあるんだけど、それまでは責めて、全力を尽くして事に当たらなきゃ。
事…宿題。
宿題なんて消えてしまえぇ…って言っても無くならないものは無くならないし、願ったとしても結局代償は一緒。 生活自体に興味が無くなると言う自殺一歩手前の状態。
なりたくないんだけど…そう思えてしまえる程には宿題嫌なんだよね。
どうしよう……
「あ、これはここを、こう…して、こうすれば解けるよ」
「え? あ、うん…ここを、こうして…こうする…あれ?」
解けた。
解けてしまいましたよ。
解けてしまったんですけどもっ!?
「あはは…随分と簡単な問題に手こずり過ぎてるみたいだったから…にゃぁっ!? そ、そんな怖い顔で見ないで…っ」
随分と簡単な問題…えぇそうでしょうねぇ。 分かる人からすれば分かるんだろうけど私、馬鹿ですから。 分からないんですよねぇ…!?
「わ、分かった! 僕で良ければ手伝うっ! 手伝うからっ!」
「うん♪ ありがと♡」
翌日、ちゃんと宿題は提出出来ました。
☆ ☆ ☆
あれから時間ばかりが過ぎていって、気付けば猫さんが来てから十日が経過していた。
私は未だ願いを決められずに居て悩みに悩まされているんだけど、かよちゃんの言葉のお陰で、何とか次のステップへと踏み出せているような感じがした。
「そんなの…出来るのかなって」
「出来るよ。 だってうみちゃんなんだもん」
「そうかなぁ…」
今は放課後。
私は音楽室でかよちゃんと一緒にコンクールに向けた練習をしている。 実は、私が迷った末にこの吹奏楽部を選択したのは、かよちゃんの勧めに依るところが大きい。 やっぱり部活で、やりたいことをやりたいんだったら友達と一緒にやるのが一番だしね。 だから、私とかよちゃんは二人共フルート。
人数構成がどうとか大変らしいけど、折角入ったんだからかよちゃんと一緒が良くて…競争率が低かったフルートを二人で希望したらなんとか希望通りに任された。 コンクールでも二人でフルートを担当する。
それで、他の部員の皆は今日お休みなんだ。 理由? もっちろん♪
「でも兎に角、テスト勉強しないと」
「言わないでぇぇぇ…っ」
そう、今はテスト週間。
本来ならば部の活動は禁止なんだけど、部室での勉強と称してこうしてこっそり練習をしてるんだ。
「大体! どうしてテスト明け一週間でコンクールに臨まなければいけないの!? こんなの絶対おかしいよ!」
「おかしくなくない。 テスト週間に入る前、ずっと練習したでしょ? 一週間あれば十分間に合うよ」
「間ーにー合ーわーなーいーっ!!」
「赤点になったら危ないよ? コンクールだって参加出来ないし…」
笑顔で痛いところを突いてくる。
「でも勉強してもどーせ…」
中間考査ギリギリだったし……
それに比べてかよちゃんときたら、学年一位だよ学年一位。 私が遊びに誘っても断らないのに、いつ勉強してるんだろ。
はぁ…いつの間に私達は、こんなに遠くなってしまったんだろう……
「やってらんないよ…ぅぅ」
「やらない後悔より、やった後悔の方が良いよ。 月並みな言葉だけどね」
「うぅ…でもぉ…」
「私はーうみちゃんと一緒に演奏、したいなー」
「うん、私もしたいなー」
「え? 勉強を?」
「うん、したいー…え?」
流れで言ってしまってふと気付く。
ニコニコ笑顔で嬉しそうなかよちゃんは、合わせた両手と反対側に小首を傾げて、「じゃあやりましょう」と死の宣告を突き付けてきた。
「はい、まずはうみちゃんが苦手な英語から。 赤点ギリギリだったでしょ?」
英語…どうして日本人なのに英語を覚えないといけないんだろ。 数学にしたって、日常生活で有効活用出来る分には十分過ぎる程に学習した。 漢字もそれなりに書けるから大丈夫。
…大人になって使うのかなぁ。
いやかよちゃんの教え方は分かり易いんだけど…勉強することの意義に謎を感じる。
まぁそれでも、テストが終われば後はコンクールと、冬休みっ!
良いこと尽くめだね。
…でも、その前に願い事をどうするか、決めないとなぁ…
「うみちゃん、訊いてる?」
「ふぇっ、あ、うん…ん?」
かよちゃんの声に逃避思考を中断したら、視界の隅に黒いモノが二つ見えた。 あれ…猫だ。
「うーみーちゃーん?」
「ごめんごめん集中する…あれ?」
一瞬しか視線を外していないはずなのに、二匹の猫らしき黒いモノの姿は消えていた。
「もう十日経っひゃんだね…」
勉強する私の傍で欠伸を噛み殺している、黒猫さんは眠たそう。 いつも寝てばかりの印象があるけど、珍しい。
私以外にこの家誰も居ないのに、黒猫になっているってのも、珍しい。
「願い事決まった?」
「全然。 このままだと決まらなそう」
「そっか…」
このやり取りも何度やったか分からない程、繰り返してる。
どんな願い事が良いんだろう…?
「でも、まだ時間はあるからゆっくり悩むと良いよ。 本当に叶えたい願い事ってすぐ、決まっちゃうものだから」
本当に叶えたい願い事ねぇ……
「ゆっくりゆっくり…そう、時間はまだ、あるんだから…」
この日の猫さんは、妙に含みのある言葉ばかりを話していた。
「あ、後でブラッシングしてくれると嬉しいな♡」
「うん、するー」
☆ ☆ ☆
そして向かえたテストは無事に全部解答枠を埋めることが出来た。
かよちゃんのお陰で何とか乗り切れそう…なんだけど……
「先生!」
「一条か。 どうした?」
テスト明けの翌日。
始業のチャイムが鳴り響く中、私の隣の席は空席だった。
「かよちゃん…二階堂さんはどうして今日学校に来ていないのですか?」
先生(三十七歳)に訊いてみたんだけど、何とも言えない顔をされた。 多分連絡が来ていないのかな……
「…一条は二階堂の幼馴染だったな。 何も訊いてないのか?」
違う。 連絡が来ていない訳じゃないんだ。
「え? かよちゃんに何かあったんですか?」
先生(独身)からその言葉を訊かされた瞬間、私の頭は……
「二階堂は…事故に遭って病院に搬送された」
真っ白になった。
「かよちゃんっ!!」
放課後すぐに病室に向かった私を迎えたのは……
「ーーーッ!!!!」
「酸素」と書かれた突起(供給バルブと言うらしい)に入れられてるチューブから繋がった酸素マスクを付けてベッドで寝かされてるかよちゃん……医療ドラマであるような光景だった。
「うみちゃん…来てくれたのか」
入口から背を向けている形で座っている男の人がゆっくりと私の方を見る。
二階堂総一さん。 この病院に勤めているお医者さんで、かよちゃんのお父さん。
病気で亡くなったお母さんの代わりに男手一つで彼女を育てた凄い人。
…かよちゃんの家にお泊まりしにお邪魔したとき、お仕事で疲れているのにいつも優しく笑っていた総一おじさんは、眼を赤く腫らして必死に涙を堪えているみたいだった。
「おじさん…かよちゃんは…」
交通事故。
それが、私が訊かされた、かよちゃんが今日学校に来れなかった理由。
…私は朝、かよちゃんと一緒に学校に行くことが多い。 時間までに来なかったら先に行くと言う約束をしていたんだけど、かよちゃんはいつも私より先に集合場所に居た。 遅刻するのはいつも私の方で、かよちゃんが私より先に行くことはあったけど、逆は一度足りとも無かった。 今までずっと、ずっと、一度足りとも。
私は今日、いつもより早く起きることが出来た。 理由は分からない。
でもこれはチャンスって、珍しいものを見るような眼で見送ってくれたお父さんお母さんに、「行ってきます」って、挨拶してから、大急ぎで集合場所に向かったんだ。
…確かに、人が集まっている場所があったような気がする。 だけどそれより、かよちゃんを驚かせることの方が大切だったから…気にせずに急いだ。
来ると思ってた。
驚いた顔をするかよちゃんに向かって、どんなしたり顔をしようかって、考えてたんだ。
…だけど、来なかった。 何度も時間を確認した。 だけど…来なかったんだ。
珍しいことだけど、かよちゃんが寝坊したんだなって考えに至って学校に行った。
だけど、来なかった。
だから、訊いた。
そして、知った。
それが交通事故。
向こうの不注意が原因だって言ってた。 飲酒運転だって。
かよちゃんは、赤信号を無視したトラックに撥ねられたんだ……
「…。 かよは今、遠い所に行くか行かないか、迷ってる状態だ」
「遠い所…え、それって…」
「うみちゃんも…かよに呼び掛けてやってくれないか? 『いかないで』…って」
生死の境を彷徨っている…そうおじさんは言ってるんだ。
おじさんが診断を間違えるはずがない。 まして、自分の娘なんだから。 きっと何度も何度も確かめたはず…それでそう、結論付けたんだ。
「…おじさんは席を外すよ。 だから、お願い。 放置しっぱなしだった駄目なお父さんよりも、ずっと一緒に居てくれたうみちゃんの呼び掛けだったら、答えてくれるかもしれない…」
頷くしかなかった。
おじさんの肩の震えは眼に見えて大きくなって、そこに普段の大きな背中はなかったのだから。
「ありがとう…」
短く言って、早足で部屋を後にしたおじさんの足音が遠去かると、私はかよちゃんの手を握った。
「ピッ…ピッ…」と、無機質な心電図の音が支配する病室の中、その手はどんどん冷たくなっているような気がした。
どうして…どうしてかよちゃんなんだろ。
「神様…こんなの、あんまりだよ。
テスト終わって、これからコンクールなんだよ。 かよちゃんは私と一緒に、フルートを吹くの。 綺麗な音色でハーモニー奏でて…精一杯楽しみたいのに…こんなの、ないよぉ…っ!!」
一杯練習した。
二人で任されたんだって、お母さん達に言ったし、お母さんも、お父さんも、総一おじさんもコンクールを楽しみにしてるって言ってくれてたのに…嫌だよ、嫌、嫌…っ!!
「かよちゃん、帰って来てっ、お願い! 一緒に演奏しようよっ、ねぇっ!!」
「植物状態…だね」
「っ!?」
いつの間にか、窓際に置かれた花瓶の側に黄色い猫が座っていた。
「残念だけど…助からないよ、その子」
「どうして、どうしてそんなことが分かるの!? まだ可能性はあるよ、まだ…っ」
「僕の言ったことを信じるか信じないか。 そんなことは問題じゃないよ。 でも、どうやってもコンクールに間に合わないってことぐらいは分かるはずだ」
…っ!!
なに…良い猫ぶって、結局はそうなの?
願い事が何でも叶うって、そりゃあ胡散臭いとは思ってたよ…だけどさ、信じたかったよ。 そんな悪徳商法の権化みたいな白い悪魔じゃないんだから……
でも……っ、
「紙とペンはは持って来てるんだよね。 出してよ」
「本当に書きたい願い事ってすぐ、決まっちゃうものだから」…そうだよ、書くしかないよ…っ、命には代えられないんだから。 まして、それが一番の友達の命なら……ッ!!
「…はい。 良いの? その願いで」
猫さんが退くと、そこにはあの、羊皮紙と、まるで悪魔が宿っているかのような不気味なデザインの赤黒いペンがあった。
「散々煽っておいて、まだ私を悩ませる気? 良かったね、全部思い通りなんでしょ? 良いよ、どうせ代償は吹奏楽への興味だもん。 そんなの、かよちゃんの命に比べたら安いものだから!」
握ったペンの先を紙に付けると、人の血のようなインクがそこに吸い込まれていく。 まるで悪魔の契約書みたいで趣味が悪い。
「…っ!!」
でもそこからペンが動かない。
分かってる…吹奏楽への興味が代償な訳ない。 私はかよちゃんを助けようとしてる…つまり、代償は『かよちゃんへの興味』になるんだから……
「…何か喋ってよ」
返事は無い、けどその双眸はまっすぐ私を射抜いている。 まるでそれ以上私に干渉しないみたいに……
…この願いを書いからと言って、私が命を落とすんだとか、そんな物騒な話じゃない。
ただ、二階堂かよという私の大切な幼馴染が助かって、私が彼女への興味を失うだけ。 そう、言うなればそれだけの話だ。
だけどね…やっぱりそれなりの逡巡はあるよ。 得体の知れないことをしようとしてるんだから、勇気が要る。
…。 良いよ、こうなればヤケ。 一か八か、裏か表か、鬼が出るか蛇が出るか、兎に角やるしかない。
興味なんか要らない、ただ、かよちゃんが生きられるのならそれで……
「それで、良いのよッ!!」
それに私は、一つの可能性に賭けてるんだから……
☆ ☆ ☆
総一は娘の病室に戻り、ただ項垂れていた。
うみの姿はいつの間にか消えていたがその代わりに一条夫妻が彼と娘の下を訪れている。
彼は父であることに努めた。
だが、それと同程度で医者であることにも努めたのだ。
ーーー彼は、自分の両親を安心させるため、将来自分の妻となってくれる人に、経済面で苦労させたくなくて医者になった。
彼の妻二階堂志織、旧姓八島志織は実の父母から虐待されていた。
成人してから逃げるようにして親元を離れたという話を以前彼は訊いたことがある。
雨の中泊まる宿のアテもなく彷徨い歩いていた彼女を拾った日を彼は、昨日のことのように覚えているのだ。
ーーー最初は捨て猫を拾った気分だった。 だが共に過ごす内にそれは、恋愛感情へと変わっていった。
彼女も受け入れてくれた。 愛に飢えていた部分もあったのだろうが、生活していて、愛されているという実感がある、充実した毎日を送っていた。
しかしそんなある日、彼の両親が事故に遭い、帰らぬ人となった。
「子どもの顔を見たい」と会う度に言っていた両親であったが、彼女のことも娘のように可愛がってくれて、彼としても彼女としても嬉しかったのだ。 ーーーだからその報せを聞いた時、二人して泣きながら夜を過ごした記憶があった。
やがて、子どもが出来た。 この頃病院で居合わせたことから一条夫妻との付き合いも始まった。
「かよ」と名付けたのは志織の案だ。 「よい」と言う言葉を彼女が住んでいた地域では「よか」と言うそうで、「災い転じて福となすんだから、福を転じさせればもっと、福になると思うの」と言ったのがその内容だ。
ーーーそこから三年は平和だった。
同い年同士と言うことで、一条夫妻には懇意にしてもらっていたそんな時に、事件が起きた。
また、交通事故だ。
今度は志織が帰らぬ人となった。
彼はまた泣いた。 娘に見つからないように、ひっそりと。
悩んだ。 「どうすれば良いのか」と。
そこに二つの選択肢があった。 父としてか、医者としてか。
幸いして、かよは保育園に預けることが可能な年齢になっており、彼は娘に苦労をさせたくない一心で働いた。 その際には夫妻を頼り、「遠くの親戚より近くの他人」と言う、志織お得意の月並みな言葉が聞こえてきそうであった。
ーーー思えば、間違いだったのだ。
医者としてではなく、やはり父親としてあり続けるべきだったのだ。
「居たことで救われた命がある」と、同僚達は囃し立てたものだが、彼がそう思ったことは一度も無い。
ただ「娘を犠牲にした人でなし」と、彼は自分のことを評していたのだ。
しかし、幸いなことにかよは、母親似の良い子に育ってくれた。
働くしか能の無い父のことを支え、励ましてくれたのだ。
「…まだ物心付いていない時に去ってしまったから覚えていないはずなのに、本当に良く似たんだ…変に格言を使う所、器量好しで世話焼きな所…瓜二つだったよ。 知ってるか? かよの料理の味付けって、志織の味なんだ…舌って覚えてるものなんだな…っ」
「もう良い総一。 かよちゃんは俺達が見ておくからお前は休め…疲れてるんだ…」
自分勝手な選択の犠牲となっていた娘の世話を焼いてくれた二人に、彼は今、愚痴のような、願いをを口に出していた。
かよの味付けが志織に似ているーーー否、そのままであることは二人にとっても既知の事実であった。
しかし、本人の味を一番良く知っている彼から訊かされると、中々、涙腺にくるものがあった。
「また事故だ! 何なんだよ! 交通事故ってやつはどうして俺の家族を奪っていくんだ……あんまりだろぉ…っ!!」
病室の床を濡らすものと、慟哭は彼の心情全てを語っていた。
愛してくれた両親が、愛し合った妻が、愛した娘が全て、交通事故によってその命を奪われたのだ。
「「総一(二階堂さん)」」
「…すまない」
現実から眼を背けるように、いや、助けとなってくれる夫妻を信頼している証のように、ゆっくりと扉に手を掛けた総一の手がその途中で、止まった。
「…ぁ、ぁぁ…っ!!」
「ピッピッピッ」と、心電図がリズム良く鼓動の音を報せ始めたその時、彼は自分の誤診を心から喜び、雫を溢れさせるのだったーーー
☆ ☆ ☆
「行ってきまーす!!」
待ってましたと言わんばかりに家を飛び出した私が向かっているのは、学校。
休日なんだけど、今日は特別な日だから登校しないといけない。
そう、何を隠そう今日はコンクール当日! 待ちに待ったその日なんだ!!
「ふっふふ〜んふっふふ〜ん♪」
登校する際私はちょっと、遠回りをする。 何故かは分からないんだけど、そうしないといけない気がするからだ。
ーーーあ、おはよう。
「ふっふふ〜んふっふふ〜ん♪」
本当に楽しみだったんだぁ♪
テスト終わってからの五日間、今日この日のために一生懸命フルートのパート練習したんだから、緊張するけど楽しみで仕方が無い。
ーーーぁ、待って。
さぁて、学校見えたし、駆け足進め!!
「到着!」
全員の点呼を取っている最中の先生(婚活中)が丁度数え終わったのか、私を数えて名簿を閉じる。
「おっと、一条と…大丈夫か二階堂」
「おはようございます」
ーーーはい、大丈夫です。
「おうおはよう。 よし、じゃあお前ら楽器は持ってるな? …よし、バス停行くぞー!」
ザッと見てみたけど、先輩も同級生の子も皆緊張してみたい。 …少しだけ勝った気分になれたから、練習して良かったなぁ。
そして本番直前の舞台袖。
「やれるだけやってこい。 自分達の音楽、ちゃんと聴かせるんだぞ」
先生(好みは歳下)に背中を押された私達吹奏楽部は、決められた通りの配置に並んで楽器を構える。
そして、
『〜〜〜〜♪』
演奏が始まった。
楽譜に散りばめられた音符と言う点をなぞって、自分なりの線…音楽を作っていく。 後はそれを吹くだけ。 …難しいようだけど、凄く簡単に思えてくるのはやっぱり、練習の成果だろうか。
一つ一つの楽器が集まってパートを奏で、ハーモニーを奏でるパートが曲となる。
…他の人のは分からないけど、演奏したフルートのパートは今までで一番の出来だったかもしれない。 それ程にやりきった感が凄かった。
ーーーやったねうみちゃん♪
拍手の中舞台が暗転する、その間に後退しないといけないんだけど、皆ヒソヒソとお話をしている。 その表情は晴れやかだった。
…そう言えば、お母さんとお父さんと総一おじさんが来てくれるって言ってたけど…ちゃんと聴いてくれたのかな。
後で感想訊かないと。
「良くやったぞお前ら! それぞれ良かったとは思うが……」
先生(欲しい子どもは男女一人ずつ)が、パート毎に順番で感想を言うと、言われたパートの人達が顔を輝きを増した。
フルートはどうだったんだろう? 私的には一番の完成度だったけど……
「最後にフルート。 音程、リズム、タイミングも完璧で良く練習しているのが伝わってきた。 思うに全パートの中で一番旋律の完成度が高かった」
「おぉ…」と感嘆の声が発されるのを聞きながら、続きの言葉を待つ。 まだあるんですか先生(ランドセルの男子小学生に萌える)…どこが良かったんですか…!!
「だが…つまらなかった」
「「え…?」」
私と、誰かの声が重なった。
「二階堂は良い。 だが一条、お前の演奏がつまらなかった。 それこそ、二階堂の良さを潰してしまう程にな」
「そ、それはどういう意味ですか! 私ちゃんと…」
「それはな。 …あー、お前ら取り敢えず席戻っていてくれ」
髪を掻きながらの先生(ガサツっぽく見えるけど料理が上手い)の言葉に先輩達始め他の部員が席に戻っていく。
私…何がいけなかったの?
「んー…結果発表までは時間があるからまぁ良い。 そんで一条、良く分からないって顔してるな」
「はい。 正直、納得いきません」
これまで一緒にやってきた時間を無駄の一言で一蹴されたような気がするから、絶対に納得出来る訳ない……あれ、一緒? 誰と…いや、そんなことよりも、納得いかない。
「一条、お前の演奏はな。 まるで機械が演奏しているかのようにあたしの耳には届いたんだよ。 楽譜の通りに演奏しているだけの、独り善がりな演奏だった。 …フルートのパートはお前だけじゃないんだぞ」
私の隣に立っている女の子と視線が合った。
名前は……名前…あれ、こんな子吹奏楽部に居たっけ?
「二階堂を凄いと評したのは他でもない。 そんな機械の演奏に見事、付いていってかつ、見事に合わせているからだ。 あんなもん一朝一夕で出来る芸当じゃない。 相手の癖や、演奏法を完全に知り尽くしていなければンなこと出来ないんだわ。 これを病み上がり、ぶっつけ本番で出来るんだからな、これは才能だ。 だが」
また言葉を切ると、私に向けていた厳しい視線から一転、困ったような視線を隣の女の子に向けた。
「二階堂は二階堂で、自分らしさがあまり感じられない。 もっとも、それは一条に引きずられているからだとは思うが…まぁあんなもんに合わせてまともな旋律に仕上げられるだけで十分だから、あまり気にすんな」
「で、ですがうみちゃ…一条さんは悪くないんです! 悪いのは全部私で…っ!!」
「卑下すんな…っと、結果発表だ。 戻るぞ」
「え、ちょっと先生!!」
「あ、待ってうみちゃん…」
その後結果発表で、私達の学校が呼ばれることはなかった。
悔しかった。 その責が私にあるのかと思うと、尚更。
…起こったことは仕方が無い。 後はそこからどうするかなんだ。
私に足らないもの…それは、協調性ということ。
…またコンクールはある。 それまでの私の課題は…
「…ま、待って…はぁ、はぁ…」
この人と、二人の演奏をすること…だよね。
「ごめんっ!!」
だから全力で頭を下げた。
先生(実は有名な音楽一家の一人娘)の言うことが本当だと思った。 だって自分でも分からない程に、私は彼女のことを意識していなかったのだから。
…どうしてこんなにも気にならなかったのだろうか。 同じパートの人なら協力して当たり前のはずなのに。 彼女に対して興味が無かった…の一言では片付けられないような気がした。
訊けば、彼女は私と幼馴染の関係で、お父さんとお母さんとも知り合いだそうだ。 「二階堂」って呼ばれてたからまさかだとは思ったけど、総一おじさんの娘だとか。
…普通だったら凄く仲の良い友達になっていたとしてもおかしくないはず。 学校の席だって隣らしいから…どうして? 「どうでも良いこと」って思ってる私が居るような気がする。
どうでも良い訳ないのに。 どうして私は、この…えーと、二階堂さんに対して何とも思えないんだろ。 まるで心に蓋をされているような……
…。 良く分からないけどどうしてか、この衝動に負けてはならないような気がする。
この、興味が無いと覚えさせる衝動に、絶対にだ。
「…『興味を無くされたのなら、改めて興味を持つよう努力してみれば良いんだよ。 月並みな言葉だけど』」
ふと、そんな言葉が浮かんで思わず、口に出していた。
教科書か、ネットで見た誰かの名言かな。 なんか凄く最近に訊いたような気がする。
「そんなの…出来るのかな」
「出来るよ。 だってうみちゃんなんだもん」
「え…」
顔を上げた私を正面から見つめて、二階堂さんが私の呟きを肯定してくれた。
そのやり取りにふと、懐かしいような、当たり前かのような安心感を覚えて思わず笑っていた。
すると、彼女も微笑み返してくれて…それがどうしてか、本当に嬉しくて感極まってしまった。
「ほら、行こうよ」
差し出された手。
普通ならフレンドリー過ぎて少し困っちゃうんだけど…変に抵抗が無かった。 まるでそれが、やっぱり当たり前だったかのような気がして、握っていた。
「うん!」
今回は駄目だったけど、次のコンクールでは確実に、凄い二重奏が奏でられると思う。
それは確実な未来への予感。
踏み出した一歩は、明日への福音。
私と彼女はきっと、良い友達になれる。 そう、根拠は無いけど断言出来る。
さっき先生が「病み上がり」って言ってたけど、彼女は昨日退院したばかりらしい。
なんでも、一週間前に交通事故に遭って、奇跡的に助かったみたい。 それで、どうしても今日のコンクールに参加したくて無理を押して来てくれたらしい。
一時は帰らぬ人となる可能性すらあったそうだけど、助かってくれて本当に良かったと思う。
もし彼女が命を落としているようなことがあれば、私はきっと後悔していた。 どうしてかは分からないけど。
そうそう。 今日、変わった動物を見たんだ。 なんと、黄色い猫さん! メロンパンが好物で、ゴキブリが嫌いな猫型ロボットみたいだけど突然変異かな? あれ写真撮りたかったな。 黄色いハンカチならぬ幸せを呼ぶ黄色い猫さんって感じで。
もしかしたら、二階堂さん…ううん、かよちゃんを助けてくれたのはその猫さんかもしれない。
もしそうなら、ありがとうって言いたいし、そうでなくても、ありがとうって言いたい…はおかしいかな。
でも、そんな気分だった。
浮かれてるのかな…うん、きっとそう。 浮かれてるんだ。
私は今、兎に角嬉しい。
まるで願いが叶ったような感覚が、そうさせるんだ。
ーーーそれが君の選択なんだね。
「…?」
突然、そんな声が聞こえたような気がして足を止めて振り返ると、視線の先に黄色の影が映ったような気がした。
☆ ☆ ☆
物陰からそんな二人の様子を見つめていた黄色い猫は喉を鳴らすと、背後を振り返った。
「来てたんだ、お姉ちゃん」
「えぇ。 あなたが見つけた人の選択の結果、私も気になって」
そこに居たのは青い猫だった。
黄色の猫と、青色の猫ーーーそれだけで何か、「ウフフフフ」な、変な想像が浮かんでしまうが、それは置いておく。
「随分とお節介を焼いたようね。 記憶を消さないといけない人間を、四人も残して」
「僕はお姉ちゃんみたいなことは出来ないよ。 それに、彼女にはそのこと、伝え忘れてたから」
あっけらかんとした答えに、青い猫は双眸を細める。
「『五、願いを叶えた後は紙と、願いの対象に関することすべての記憶を自他例外無く失ってしまう』…随分と都合の良い伝え忘れね。 メロンパンで餌付けされたのかしら」
「あはは…出来が悪くてごめんね。 でもキャットフードや、栗や生クリームみたいな余分な物が入ったどら焼きより美味しかったよ、普通のカリカリモフモフなメロンパン」
視線を姉から外して彼方にやったその脳裏に、『興味を無くされたのなら、改めて興味を持つよう努力してみれば良いんだよ。 月並みな言葉の受け売りだけど』という、手元に置いてある羊皮紙に願いを書いた人物の言葉が浮かんだ。
「あら、言ってくれるわ」
思わぬ皮肉に眼を瞬かせ、「仕方無いじゃない、好きなんだから」と拗ねたように口を尖らせた姉に、黄色の猫は「最近八十度以上のお湯で淹れたお茶を平気で飲めるようになったよね」とからかう。
「…何が言いたいのかしら」
「凄いなって。 僕、猫舌だからそんなの熱過ぎて、冷えてないと飲めないから」
「そう。 どうやら私、あなたにお仕置きをしないといけないみたいだわ…♪」
「ごめんなさい許してください」
完全な主従関係の図である、猫なのに。
「あら、そうやって頭を下げられて、私が許したことがあったかしら」
「みゃ、みゃぁ…」
爪を立てて見せるとガタガタと震え始めた姿を横眼に、青い猫は踵を返した。
「でもまぁ、良いわ。 あの女の子の覚悟に免じて許してあげる」
「本当!?」
「…と、思った?」
尻尾が強く床を打つ。
「みゃ…」「冗談よ」
からかわれたと黄色い猫が気付いた時、姉である青い猫は闇の中に消えていた。
「…これからも、頑張ってね。 うみちゃん」
願いの代償を物ともせず、新たな関係を始めようとしている少女に応援の言葉を送って、黄色い猫もまた、闇に消えるのだった。 (終)
テーマ創作に引き続き、今回空想の翼では、紫生副会長の『誰も知らない勇者の去る日』より青い猫をお借りしたので、この場を借りて謝辞の言葉を。 副会長、ありがとうございました♪」