お題/願BOW失(作:紫生サラ)
「……」
「あっ、おかえりなさい!」
私は一端開いたドアを一先ず閉めた。
「……?」
間違えた?
私は目の前のドアを見た。
ドアには「うみ」とお手製のネームプレートが掛けられている。うみ、とは間違いなく私の名前だ。まあ、どこにでもありそうな、キラキラでも何でもない至ってシンプルな平仮名表記。
そしてここは、玄関を入ってすぐの階段を上がり、右手側にある最初の部屋。そう、つまり私の部屋。
というか間違いなく私の部屋だ。
「……うーん?」
家を間違えた? いやいや、そんなはずはない。そもそもいつもの通り、鍵を開けて入ってきたのだから、そんな事あるはずがない。
私は深呼吸をすると、もう一度部屋のドアを開けた。
「おかえりなさい!」
……。
猫だ。なんて事だ、猫が迎えてくれている。
デスクの上で猫が両手を振っている。しかも、何かの錯覚か、人間の言葉で話しかけられたような気がする。
それだけじゃない大きさは子猫ほどのその猫の色がそもそもおかしい。
「……黄色い猫?」
「待ってたよ! どうしたの? なんで部屋に入らないの?」
猫は両手を広げて私に手招きする。
確かにここは私の部屋なんだから、部屋に帰ることに何を躊躇することがあるだろう?
私は警戒しつつ、そろりそろりとギャグ漫画に出て来る泥棒のように自分の部屋に足を踏み入れた。壁を背にしながらゆっくりと鞄を置く。すぐにでも部屋から逃げる事ができるようにドアのそばでその猫をジッと観察した。
「君、一条うみさんでしょう?」
黄色い猫が可愛らしく小首を傾げる。
猫が口にした名前は、私の名前だった。私は一瞬「人違いよ」と言おうとしたが、それは無駄なような気がして黙っていた。
「あ、そっか、同姓同名かもしれないもんね。えっと、聖繍女学院高校一年、十六歳、一条うみ、所属している部活は吹奏楽部と手芸部のどちらにしようか迷った結果、吹奏楽部に入部。つい三日目、前髪が気に入らなくて自分切ったら失敗して……」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は思わず自分の前髪を片手で抑えながら、猫の言葉を止めた。
「えっ? もしかして間違ってた?」
「……いや、合ってるけど」
「よかった、あのねあのね……」
黄色い猫がパッと顔を輝かせ、デスクから降りようとしたが、下をのぞき込んで足踏みをする。
どうやら飛び下りることができないらしい。
……そんなに高くないと思うけど。
黄色い猫は覚悟を決めきらなかったのか、私にお尻を向け、後ろ脚から降りようとしている。引き出しの把手に足を掛けたいようだが、見つけられずに足はむなしく宙を蹴っている。
私は助けていいものなのかわからずに手をこまねいていると、間もなく、猫の手が滑り、それほど高くもないデスクから落ちて腰を打った。
「み、みゃぁ!?」
「だ、大丈夫?」
「う、うん、えっと、えっとね……」
猫が私を見上げた瞬間、今度は猫のお腹が盛大に鳴った。
「あっ……」
私と猫の間に沈黙が流れる。
「……もしかして、お腹空いているの?」
「う、うん……」猫は申し訳なさそうに頷くとその場にヘタリと座った。
「もう三日も、何も食べてなくて……」
近くで見る黄色い猫は思ったよりもさらに小さい。一生懸命警戒していた私は何だか馬鹿らしくなった。
「ちょっと待ってね、確か……ああ、あった、これ食べていいよ」
私は鞄の中を探りあてたものを猫に差し出した。昼に食べようと思って買っていたものの残りだ。
「何それ?」
「メロンパンよ」
「メロンパン?」
「そう、黄色の猫と言ったら好物はメロンパン、嫌いな物はゴキブリって相場が決まっているでしょう?」
自信満々に言ったが、猫には伝わっていなかったらしい。私の顔を見ながらポカンとしている。
「確かにゴキブリは嫌いだけど……」
「いらないの?」
「わわっ! いるいる!」
私はメロンパンと印刷された袋の口を開けると猫の前に置いてやった。猫は袋に頭を突っ込むと、もふもふとパンを食べ始めた。よほどお腹が空いていたのか、頬袋に食べ物をつめたリスのように頬張りながら食べている。
「……で、あんた、何者なの?」
「うん……あのね……僕は……」
猫はうまくしゃべれなかった。今のは私が悪い。反省した。
私は猫が落ち着くまで猫の前で正座して待った。猫はメロンパンを半分ほど食べた所で、袋から顔を出した。
「ああ、落ち着いた。あのねあのね、君の机の上を見てほしいんだ」
「机の上?」
私は言われるままに自分の机の上を見た。帰ってくる前はペンや学校からのプリント類が前衛現代アート的な芸術性を持って配置されていたのに、今は見事に整理されていた。
机がしっかりと机と機能するほどに片付けられたその真ん中に、見慣れない紙とペンが置かれていた。
「これは……?」
紙は羊皮紙という奴だろうか、妙に厚手の紙と何か生き物な印象を与えるような不気味なデザインの赤黒いペン。
「あのね、そこに君の願い事を書いてほしいんだ」
「願い事?」
「うん、そこに願いを書くと、書かれた願いを叶えることができるんだよ」
「ふーん……って、えっ!? 願い事が叶う!?」
「うん」
猫はメロンパンのかけらを両手で押さえながら大事そうに食べている。
何? そんな悪戯? 願いが叶うとか、そんなファンタジーな事が起きるはずが……。
……いや、えっと、でも、ちょっと待てよ……。
私は不思議色のしゃべる猫をもう一度見た。
こんなファンタジー生物が部屋に突然いる時点で……。
私は一人頬をつねってみた。
痛い。
一応、他の手や腿もつねってみる。
やっぱり痛い。この方法が合っているのかどうかはわからないが、どうやら夢ではないらしい。
「それって、どんな願いでも?」
「うん」
「絶対叶うの?」
「もちろん! 不思議な力でババーンだよ!」
ババーン? 何そのヒーローの名前みたいな効果音。
とはいえ、さすがに私ももう十六歳。
分別もわきまえ、人生の酸いも甘いもかみ分けた高校生だ。
いくら何でもそんな美味しい話があるわけないという事ぐらいわかる。
大体、願いが叶うと言ったら、魂と何かの引換とか、世界に散らばる不思議ボールを七つ集めたりとかしなければならないはず。
「お金がほしいとか、友達がほしいとか、恋人がほしいとか、とにかく何でも平気なの。そのかわり一つだけだから、よく考えてね」
「……本当に何でも?」
いや、でも……ちょっと待ってよ? そんな事あるわけないはずだけど……もしかして、って事はあるわよね。
私はメロンペンを手に持ったままの猫を両手で掴むとその体を調べた。
「わっ!? 何々!? くすぐったいよっ、あははっ!」
笑い転げる猫の背中にもお腹にもチャックのようなものはない。むしろ毛並は柔らかくフニフニしている。
色としゃべること以外はどう考えても普通の子猫だ。
何か仕掛けがあるわけじゃない。この猫は本当にファンタジー生物だ。
「もう、なんでいきなりくすぐるのさ! 食べたメロンパンが出ちゃうところだったよ!」
「ああ、ごめんごめん」
私は適当に謝りながら、考えを巡らせた。
これはひょっとして、ひょっとするかも……。不思議猫に不思議アイテム、と来れば、不思議現象が起きてもおかしくない。
「でもね、いくつかルールがあるんだ」
「……ルール?」
「うん、えっと、えっと、確かお姉ちゃんが言ってたのは……まず……」
猫は何かを思い出すように首を傾げ、願いを叶えるためのルールを語り始めた。
一、願い叶えるのは紙に書いたもの一つだけとする。書かれた願いは何らかの形で、書いた本人のその時の希望に沿う形で必ず実現する。
二、この紙を他人に譲り渡すことはできない。また他人にこの紙の存在を知られてはならない。
三、この紙と願いが叶えられる事を他人に知られてはならない。もし誰かに知られた場合、願いを叶える力を失い、この紙に関することすべての記憶を失ってしまう。
四、この願いを叶えたならば、その事に対して興味を失ってしまう。
「あと、期限は一か月間で、その間僕はここに……」
「ちょ、ちょっと待って!」
「えっ? あ、心配しなくても、居候する間、僕は黒猫になるし、あたかも元々飼われていた猫のように……」
「えっ、黒猫に? って、そうじゃない! 願いが叶ったらその事の興味を失うってどういうことよ?」
「興味を失うって言うのは、関心がなくなるんだ。お金がほしいと書けば、お金が手に入るけど、お金への関心はなくなる。恋人がほしいと書けば、誰かと恋人になるけど、その人への興味を失ってしまうんだ」
「……」
「でもねでもね、そのかわり、どんな願い事もババーンだから!」
猫は大きく手を広げ、謎のヒーローのような名前の効果音をつけた。
興味を失う……?
けど、魂を取られるわけでもなく、不思議ボールを集めなくてもいい?
つまり、興味や関心を失ってしまう事が代償って事ね。
魂を取られるよりも、ハチャメチャな冒険をするよりもずっといい。
関心はなくなっても、命はなくならないし、冒険みたいな危険をおかすこともない。
「ち、ちなみにだけど、これ、もし、願いを書かない場合はどうなるの?」
「書かない場合? 何も起きないで、一か月後にこの事を忘れてしまうよ」
……つまり、何も書かなくてもリスクはない、という事?
何もしなくても、リスクはなく。願を叶えても、その事に興味を失うだけ。
「そして、どんな願いでも叶う」
手を舐めている黄色い猫と謎の紙との間で視線を往復させながら、その場で腕組み考えた。
これは……よくわかんないけど、凄いチャンスよね……。
願い事は叶うけど、その事に興味がなくなる。逆に言えばその事に興味がなくなるだけ、願いは叶う。
ただ、問題は、どんな願いをここに書くのか……という事だ。
ただ、普通叶えたい願いは興味がある事。その興味が失われたら嫌だし。何かうまい事、願いを考えないと。
期限は一カ月もあるのだから。