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ジェンダーバイアス

 私は会社の同僚の篠原紗実さんという女性の事を尊敬していた。彼女はとても優秀で、はっきり言ってその辺の男性社員よりもよっぽど仕事ができる。それに性格も明るく、明確に自己主張するところも気持ちが良い。男性中心の社内にあって、険悪にならないように工夫しながら、物怖じせずそれに抗っている姿勢もかっこ良かった。

 彼女に対する上司達の評価は高くはなかったのだが、それは確実にジェンダーバイアスの所為だろう。少なくとも私は篠原さんへの評価は不当だと感じていた。

 ところがだ。ある時から、そんな彼女がすっかり大人しくなってしまったのだった。それは佐野隆君という男性社員の同僚と彼女が付き合い始めた頃と時期を同じくしていて、それが影響しているのではないかと、思いたくなくてもつい私は思ってしまった。

 先進的で理想的なジェンダーフリーの女性であるように思えた彼女でも、男と付き合い始めればステレオタイプな女に堕してしまうのかと私は非常に残念だった。

 佐野君は人畜無害なタイプで、人が好い点を除けばあまり魅力はない。はっきり言ってしまえば“ヘタレ”だと、そう女性社員達の間では評価されていた。それも残念に感じた一因だった。彼は篠原さんと釣り合っていないように思えたのだ。

 ところが、その彼が最近になって、高く評価され始めた。普段は今までと同じ様に頼りない感じなのだが、企画や資料の作成などでは途端に力を発揮する。まるで、付き合い始めた事で、篠原さんの能力と佐野君の能力が入れ替わってしまったようだった。

 そして、佐野君の企画した内容が成功を収め、彼への評価が盤石になった辺りで、篠原さんと佐野君は結婚をしたのだった。篠原さんは会社を辞めこそしなかったが、時間の自由がきくからか、自ら希望して閑職に就いた。社内の老年中年の男共は、その事実にとても満足していた。男が仕事で成功をし、女は主に家庭でそれを支える。彼らの好ましい展開になったからだ。

 「君も随分と頼もしくなった。あの篠原くんを女房に迎えるとは、実に大したものだ」

 などとお偉いさんの一人が、佐野君に言っているのを耳にした時もある。私はそれを聞いて、とても悔しくなった。篠原さんだって、ジェンダーバイアスさえなければ、充分なチャンスを得て高く評価されていたはずなのだ。

 ところが、篠原さん自身は、それをほとんど気にしていないようなのだった。久しぶりに二人で飲んで、そんな話をしたのだが、彼女は実にのほほんとしていた。

 

 「ところで、今日は家事は大丈夫なの?」

 

 気が付くとそれなりに遅い時間になってしまっていて、私は少しばかり心配になって、篠原さんにそう尋ねた。あの人の好さそうな佐野君が怒るところは想像できないが、家では豹変するのかもしれない。すると彼女は、平然とした様子でこう答えた。

 「大丈夫よ。家事は、彼がやってくれるから」

 それに私は「そうよね。偶には、男が家事をやれってんだ」とそう返した。ところが、それに彼女はこう言うのだ。

 「違うわよ。基本的に、家事は彼の役割って決まっているの。もちろん、私もやるけど、彼の方が割合は多いわ」

 私はそれに少し驚いた。“共働きでも女性ばかりが家事をやっている”という話はよく耳にするが、その逆は珍しい。それに篠原さんの仕事は楽で彼の仕事は大変なのだ。これは流石にいくらなんでも酷いのじゃないか。だからそう言ってみたら、彼女は軽く微笑んで、こう言うのだった。

 「そうでもないと私は思うわよ。だって、私は代わりに彼が会社に提出する重要な企画書とか資料を作っているのだもの」

 私はその言葉に目を丸くした。

 「それ、どういう事?」

 すると彼女は、こんな説明をし始めたのだった。

 

 随分と前の事だけど、私は自分の仕事のことでとても悩んでいたのよ。良い仕事をしているつもりなのに、それが思うように評価されない。絶対、私が女だから差別を受けているんだって思ってた。でも、それに抗う為に自己主張しても却って逆効果になっちゃうのよね。“女はもっと慎ましくしろ!”とでも言いたげな視線をよく受けていたわ。

 ただ、それでも私は、自分が自信を持った仕事を仕上げられれば、それで充分だとも思っていた。

 はっきり言って、出世になんか興味はないし、付き合いとか面倒くさいし。

 だけど、ある時仕事でヘマをして、ふと不安になったのよ。

 それは、上司から叱られて、それも私が女だから不当に叱られているんだって、ついそう思っちゃったからなんだけどね。その件についてはどう考えても私が悪かったのに。

 なら、もしかしたら、他もそれと同じで、ジェンダーバイアスの所為なんかじゃなくて、本当に私の仕事は大したものじゃないのかもしれない。

 その悩みを私は飲み会の席で、佐野君に打ち明けたの。酔っ払って、ついね。そうしたら彼、こんな事を言うのよ。

 「僕は君の仕事は凄いって思うよ。もしも、それでも自信が持てないのなら、ちょっと試してみないか?」

 

 私はそれを聞き終えると、「まさか」と呟いた。篠原さんは悪戯っぽく笑いながら「そのまさかよ」とそう答える。

 つまり篠原さんは、佐野君の仕事という事にして、自分の仕事を会社に評価させていたのだ。だから、佐野君と付き合い始めてから、彼女は大人しくなり、そして、佐野君の仕事の評価は上がったのだ。

 「佐野君はしばらく経ったら全てを打ち明けようって言ってくれたわ。私の手柄だと示して、男の上司達の鼻を明かしてやろうって。でも私は、それは断ったの。さっきも言ったけど、私は出世には興味ないし、自分の仕事が高い質だって証明できれば、それで満足だったから。

 ……それに、彼にも悪いしね」

 私はそれを聞くと、少し考えてからこう尋ねた。

 「自分の仕事で、佐野君が高く評価されているのを見るのは悔しくない?」

 それに篠原さんはこう答えるのだった。

 「悔しくないわ。だって、彼はよく私の仕事をサポートしてくれているもの。それに、彼の役割を認めないのだったら、家庭を支えてくれている女性達を軽視している男どもと同じになっちゃうじゃない」

 私はそれに「なるほど。それもそうか」と返しながら、男性中心主義の連中が、それと知らずにまったく逆の性役割を担う彼女達を高く評価している皮肉を、少しばかり小気味良く思ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 佐野君が家事をほとんどしているというところで、お?とおもいました。 [一言] 篠原さんの気持ちわかります。 でも佐野君はそれでいいのかなあ。
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