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切取線  作者: 本郷透
切り取られた一年間
6/7

狂わせる季節(転)

 帰宅しても、両親は何も言わなかった。門限を破ったのに、咎められる事は無かった。それだけ僕の心を気遣ってくれたのだろう。優しい両親の元に生まれて本当に良かった。

 僕は部屋に閉じこもって、怯えながら再び朝が来るのを待った。

 血の匂いが頭から離れない。大切な友人の、血の匂い。それは本能に焼き付いたかのようにいつでも鮮明に思い出すことが出来る。

 怖いけれどもハルカちゃんをあんな目に遭わせた奴を許せない気持ちもある。大人にはきっと解決できない問題だというのは直感的に分かる。だからと言ってただの子供である僕らに解決出来るだなんて思っていない。けれど、子供だからこそ手に入れられる証拠だってあるはずだ。僕はそれが欲しい。

 ……寝よう。明日もきっと早くから集まるから。


 *


 最近は麻風呂が日課にでもなりそうだ。

 昨日は帰ってきてそのまま寝てしまったから全身汗だくで気持ち悪い。だからぬるま湯に浸かって、身体を目覚めさせてから神社に行こうと思った。

「トウヤ、気をつけてね」

 母はそう言って送り出してくれた。行くな、とは言わない。そして窓から外に出たことについても何も言われなかった。

 僕はお気に入りのスニーカーを履いて外に飛び出した。九時にもなっていないというのに、暑い。太陽、そんなに頑張らなくてもいいよ。雲、君は少し努力しなさい。

 路地裏を抜けて旧市街に入ると、建物が少ないから日陰が無くなる。僕はそんな炎天直下の道のりをしばらく歩き続けないといけないのだった。

 日陰があるのは、桃李神社の石段くらいだ。


 一昨日の事とか、昨日のみんなの様子とか、そんな事を考えているうちにあっという間に石段の下についた。けれども僕は石段を登るのが怖くて────この上に再び残酷な現実が待っているんじゃないかと思って、足が竦んでいた。一人で登るのは怖い。

 僕は一段目に腰掛けて皆を待った。

 けれどもそんなに長い時間待たなくても、全員が揃った。

「トウヤ──行こうぜ」

 ランに手を引かれて歩みを進める。日陰はひんやりとしていて、肌寒い程に涼しく感じた。

 石段を登りきれば暑い日差しが待っていると思っていた。けれどもその予想は裏切られた。石段を登りきると、影の中よりももっとずっと寒かった。震えが止まらない。

「あ……あ……」

「……トウヤ……どうしたの?」

 僕は思わず膝を着いた。腕を抱え、ブルブルと震える。

 その様子を異常だと思ったマリは、僕にそっと近づいた。

「トウヤ──どうしたの……」

 低くしっかりとした声でゆっくりと語りかけるマリの声は、普段なら心強いものだけれど、今の僕には何の効果ももたらさなかった。

「ここ……すごく嫌な感じがする……早く──早く、帰った方が良い……」

 途切れ途切れに、言いたい事も上手く纏まらないままに僕は言葉を紡いだ。

「それってどういうことなんだ?」

 ランは何も分からないままに訊ねる。

「──何にせよ、トウヤがそんな状態なら調査は無理だ。帰って休んだほうがいいだろう」

「……トウヤ、大丈夫?」

「ダメだ──」

 その時レオが何かを呟いた。

「どういうこと」

 マリは鋭い視線をレオに向ける。

「この神社からは──出れない……」

 レオは僕らに背を向けて、最後の鳥居のあたりに手を添える。

「見えない壁みたいなものがあるんだ。ここに」

 そう言って見えない壁を撫でる。マリも無言で手を触れる。

「──どういうことなの……」

 驚きを悟られないようにと感情を殺した声を発するが、隠し切れない動揺が声と共に漏れる。

「石段が通れなくても、周りの林から必ず出られると思うぜ」

「そうね。早くここから立ち去りましょう」

 理解できない現象を目の前に、最善の手段が逃げることだと判断したマリは多分正しい。

「これから先、何が起こるかはアタシには予測できない。だからそれぞれ、細心の注意を払って。自分を守れるのは自分だけよ。じゃあ、行きましょう」

 膝が笑って立てなかった僕の手を引いて、レオが立ち上がらせてくれる。そしてそのまま一緒に走った。雑木林の中に飛び込んで、一気に坂を下る。太陽の光があまり届かない場所だから、地面も湿っていて、滑る。

 ハァ、ハァ……。

 不安定な足元に気を遣いながら走るという慣れない行動は、僕たちの体力を簡単に削っていった。

 僕たちの中でも一番体力の無いキキョウは、既に遅れ始めている。

「一度──休みましょう」

 そんなキキョウの様子を気遣って、マリは休憩を提案した。

 足を止めた刹那、マリの身体がグラリと傾いた。そしてそのまま────。


 地面を転げ落ちて──大きな岩に、頭をぶつけた。


 僕たちはその様子を、スローモーションでも見ているかのように、ゆっくりと視界に捕らえていた。目の前で起こっていることが理解できなくて、呆然と立ち尽くしていた。

「マリ!!」

 ランは僕たちの誰よりも早く我に返り、坂道を駆け下りていく。サルみたいに機敏な動きですぐにマリの元に辿り着くと、ぐったりした小さな身体を抱き起こす。

「マリ! マリっ!!」

 何度名前を呼んでも返事は無い。それでもランは何度も何度も名前を呼ぶ。

「マリっ! ──マリっ!!」

 泣きそうな声で、現実を突きつけられながら、何度も何度も呼ぶ。

「──ラン──マリは……も、うッ……!」

 シンイチローの声が不自然に途切れた。マリに釘付けだった目を、後ろに居るシンイチローに向ける。

 異様な光景だった。シンイチローのお腹に、大きな穴が開いていた。シンイチローは、何があったか分からない、とでも言いたいかの様に目を見開いて立ち尽くしている。

「し……シンイチロー!!」

 キキョウが聞いた事無いほどの大きな声を出して、シンイチローに駆け寄った。キキョウが辿り着くまでのその短い時間で、シンイチローは地面に倒れ伏した。体内からは(おびただ)しい量の血が流れている。既にシンイチローの目に生きて居る時の様な輝きはなかった。

「おい! 逃げるぞ!」

 その場から動くことが出来なかった僕の手をレオが引っ張る。僕はそうして我に返ると、キキョウの手を引っ張る。レオもマリからランを引き離して走り始める。僕は恐怖で動かない足を無理矢理動かしてキキョウをその場から離す。

「待って! シンイチローが……!」

「シンイチローを連れてはいけないよ!」

 僕はキキョウの言っていることを無視して走る。言葉に耳を貸したら、僕まで引き返したくなってしまうから。でもそんな事をしたら……どうなるかは分かっている。だから、ただひたすらにその場から逃れるように走った。

「……シンイチロー……シンイチロー……うぅっ……」

 キキョウは走りながら嗚咽を零す。目の前で人の身体に大きな空洞が出来るのを見てしまったのだから無理も無いかもしれない。

「うぅ……うっ……あっ……!」

 小さな驚きの声に振り向くのと同時に、身体が後ろに引っ張られた。また何か嫌な事が起こったのかと思いきや、キキョウが足をもつれさせて転んだだけだった。

「……痛……」

 キキョウの膝には擦り傷が出来ていた。よく見れば他にも、小さな木の枝で出来たと思える、無数の新しい切り傷があった。

「レオ、少し休もう。キキョウがもう、限界だよ」

「わかった」

 レオは少しだけこちらに戻ってくると、キキョウを見た。

「大丈夫か? キキョウ。まだ走れるか?」

「……少し休めば……また走れる……かも」

 キキョウは曖昧な返答を返す。元々体力に自信のないキキョウがこの後どれだけ走れるのかは、大体察しがつく。それと正反対な、走ることが大好きなレオはどこまででも逃げられるだろう。

 僕は不安に駆られた。このまま逃げ切ることが出来るのだろかと。再び両親の顔を見ることが出来るのだろうか、そんな事を思った。

「オレ、見張りしてくる」

 僕の不安そうな表情を見たのか、ランはそんな事を言い出した。

「き、気をつけてね」

「おう。分かってる」

 ランは先ほどマリに駆け寄った時みたいにひょいひょいと木を登り、あっという間に高い所まで辿り着いた。

 さっきあんなにショックを受けていたのにもうあんなに動けるなんて、ランはなんて強いんだろう。僕も見習いたい。

 視線をキキョウに戻す。蹲って動かない。泣いているというのは何となく察しがついた。

 キキョウと友達になってから何度も泣いているのを見た事はあるけれども、ここまで悲しんでいるのを見るのは初めてだ。というのも、キキョウは怖がりで引っ込み思案だからよく一人で泣いていた。そんなキキョウに声を掛けたのがシンイチローで、それがキッカケで僕たちも出会った。だからシンイチローには、僕たちとは少し違う思い入れもあったのかもしれない。そんな人があんな目に遭ったら、悲しみを通り越した感情を抱いてしまうのも無理は無いと思う。

 ランも同じなんじゃないかと思う。一人ぼっちで本を読んでいたマリに声を掛けたのは他でもない、ランだ。多分初めて自分から声を掛けたんじゃないかと思う。ランもあまり人に積極的に声を掛けるような性格ではなかった。僕たちの前では楽しそうにしているけれども、それ以外の場所ではあまり笑顔を見ない。特にマリが居るとランはよく笑うと思う。

 ランは本当に強いな……。僕なんて、ハルカちゃんが居なくなった時にはもうどうしていいか分からなかったのに、ランはもう自分に出来る事を見つけて自分から動いてる。

 この状況で僕に出来ることは何だろう……。


 ドサリ。


 何かが地面に落下する音がした。落ちるもの、といえば考えたくないけれどもどうしてもこの状況なら頭を過ぎってしまうものがある。

 僕はそんなマイナス思考を払拭する為に音のした方を見る。僕は否定したかったんだ、自分の嫌になるほどのネガティブな思考を。

 でも、それは、どうしてか望まない結果を確認したに過ぎなかった。どうして、今日はこんなに嫌な予感が的中するんだろう。そんな事をうっすらと思ってしまう位に、不運が連続した。

 落ちていたのは、ランの身体だった。足を滑らせたのだろうか。いや、それはない。運動神経が下手したらレオよりも良いランが、木から落ちるなんてそんな事は有り得ない。

 じゃあ、何故?

「……ラン?」

「…………」

 返事は案の定無かった。

 僕は近寄ってランに触れる。けれどもそこから生きているという感覚は得られなかった。

「キャアアアア!!」

 動かないランの身体に動揺していた所に、キキョウの悲鳴が響き渡る。振り向くとそこには右腕の肘から下が無くなったキキョウが蹲っていた。

「ッ!! トウヤッ、逃げるぞッ!」

 レオは呆然と立ち尽くす僕の手を引っ張ってその場を離れる。

「は、離してよ! キキョウはまだ──」

「助かるわけないだろ! 何が起こってるのかも分からないんだぞ! 次はおれたちの番かもしれない。おれはお前に慎で欲しくないんだよ!」

「でも……でもっ!」

 僕はキキョウたちからそんなに離れないうちにレオの手を振りほどいた。

 レオは足を止める。

「生きていられる筈なのに、見捨てるなんて僕には出来ないよ……。これ以上友達を失いたくない……みんなで一緒に帰りたいんだ……」

「トウヤ……」

 レオも苦虫を噛み潰したような顔をしている。レオだって同じだったのかもしれない。でも、ここから生きて帰る為には非情にならなければいけない。非情になりきれない僕に代わって、レオはここまで僕を引っ張ってきてくれた。

「キキョウは──言っちゃ悪いがもう足手まといにしかならない……」

「……分かってる。でも……納得は出来ないんだ……」

「おれだって……同じだ……でも、おれはお前にも生きていて欲しいんだ。助かる見込みが高い方を助けたい」

「僕たちがもし帰れなかったら……」

「やめろよ。そんな事考え始めたらキリがない。おれたちは帰る事だけを考えれば良い」

「うん……そうだね……」

 レオの言ってることが理解できないわけじゃない。でもそれで割り切れるほど僕は大人でもない。

「なあ、トウヤ」

「どうしたの?」

「おれ、あんなこと言ったけど、怖くて仕方無いんだ。ホラ見ろよ。震えてる。今まで我慢してきたけど、もう、限界だ。なあ、トウヤ……おれら、本当に帰れるのかな……生き残れるのかな……。自信がないんだ。ここから逃げ切って、お前たちと築く未来が想像できないんだよ……」

 レオの心は完全に恐怖に支配されたみたいだった。震えはやがて手だけでなく全身に回り、立っていられなくなったレオはその場に膝を着いた。

「な……何言ってるの……レオ……? まだ大丈夫でしょ? ねえ、早く逃げようよ。──ねえっ!」

「──悪いな、トウヤ……。一人でも……逃げて、生き延びてくれよ……」


 ドサリ。


 信じたくなかった。最後の一人になるなんて、考えたくもなかった。僕はこれから、どうしたら良いんだ……!

 一人ぼっちで遺されて、どうしたら良いんだ……!!

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