置いていかれる者
「一体どうしたの?」
「わ、私、あのね、クロード……」
「足がもつれたのでしょう。長い事、狭い所においでだったのですから」
アリスローザの話は、ラドビアスが姿を見せたために続かなかった。
「これからスノーフォーク候の馬車の所まで案内させるよ。長い間、不自由な所に閉じ込めていたけど、許してくれよ」
州候の子供同士という立場から大きく身分が変わったというのに、クロードは少しも変わらない。
「クロード、ありがとう」
抱きつかれて距離が近い上に、にっこりと可愛い笑顔で言われてクロードは赤くなって、しまったという顔をする。
「んーもう、いつも俺はアリスローザにいいようにされているみたいだ。あのさ、元気で。俺またボルチモアに行くから。いつになるか解からないけど覚えていて、俺のこと」
「クロード?」
ここを出て行くのは自分の方なのに、遠くに今にも行ってしまいそうなクロードの言葉にアリスローザは切羽詰った気持ちになってそのままクロードに口付た。
「アリスローザ様お急ぎください、案内の者が来ております」
ラドビアスの声にぱっと離れたアリスローザの手をクロードが掴んで引き寄せるともう一方の手に丸くて平たい物をのせた。
「これを預かっていてよ、俺の大切な物なんだ。また、会うときまで君に持っていてもらいたいんだ」
「クロード?」
アリスローザは自分の手にのせられた竜を型どったペンダントを見つめる。
「俺っていつも君にはやられっぱなしだったけど、別れる時くらい俺にいい所を作らせてよ」
言って素早くクロードは、さっきのお返しとアリスローザに口付けた。
「クロード様」
ラドビアスが案内の従者からその様子を隠すように立ち塞がって、僅かに咎めるように名前を呼ぶ。
「じゃあ、またねクロード。すぐ会いに来てね」
顔を赤くして名残を惜しむように後ろを振り返りながら、アリスローザは去って行った。
――俺が選べなかった人生……。 州候の子供としての人生をアリスローザの中に見ているのかもしれない。 だから強く頑張って生きて欲しいと思う。 魔道師としての俺の人生も頑張るから。
そして別の感情もあると……。 アリスローザのことを思うとき、会っているとき、苦しくて嬉しい。 この感じはユリウスに感じていた愛とはまた違うものだということは、クロードにも解かっていた。 だけど今は無理やりにでも心の隅に追いやっておかなくてはと思う。 クロードはアリスローザの立ち去った方を長い事見ていた。
そして、むっつりと黙って歩くラドビアスに気付く。
「何か、怒ってるのか、ラドビアス?」
「いいえ……ですが、あれはカルラ様から頂かれた物です」
「やっぱり怒っているんじゃないか」
憮然とした顔のラドビアスにクロードは困ったように見上げる。
「俺にとって大事な物ってあれくらいしか思い付かなかったんだよ、許せラドビアス」
「別に私は怒っておりません」
そういう割にはラドビアスはクロードに歩調を合わせず背中を向けた。
「だからクロード様が私に謝る必要などありません」
即位式の後は少しずつラドビアスは政務から離れるようになり、午後は毎日つきっきりで剣術、体術、魔術をクロードに教えるようになった。
――嬉しいんだけど一日くらい休みたいかも……。
しかし勉強をラドビアスに教えてもらうようになって、ぐんと自分でも術が上手くなったと思う。 ラドビアスの教え方は論理的かつ解かり易く、以前の師であるユリウスがいかに先生として、はちゃめちゃだったかという事も、良く解かった。
ユリウスはほとんど独学であれ程の魔術を収め、あらゆる国の言語に通じていたのには今さらながら尊敬するが、天才は優秀な教師にはなり得ない。 なぜなら自分が一読して解かってしまうことが、どうして解からないかが解からないから……だ。
取っ組み合って喧嘩して楽しかった。
――そう、楽しかったんだ。 もっと一緒にいたかったんだ、ユリウス。
しばらくクロードは思い出に足を取られて動けなかった。
ある昼過ぎ、クロードは前方から宰相のハーコート公と話ながら歩いて来るクライブが目に入った。 この所、朝食も自室に運ばせてラドビアスと食べているクロードは忙しいクライブと顔を合わすことも無い。
「クロード、久し振りだな」
「あ、陛下、お久し振りです」
そのクロードらしくない挨拶にクライブは、ほころばせていた顔を曇らせる。
「悪いが先に執務室へ戻っていてくれ、すぐ行くから」
ハーコート公と従者まで追い払うと、クライブは廊下に突き出たバルコニーにクロードを誘う。
「最近私を避けているのか、クロード?」
「いや別に」
向かい合った体勢になった途端、クロードがあーっと大声を上げた。 その声にクライブが驚いて後ずさる。 はあーと今度は大きなため息。
「どうした?」
クライブが今度はクロードに歩み寄る。 クロードは目の前に立っているクライブと目線を合わそうとすると、やや上を向かなくてはならなかったのだ。
「背が……伸びたな」
クロードの声に思わず自分の頭にクライブは手をやった。
「そうかな、伸びてないことはないと思うけど」
そう言うクライブは前は鏡のように似ていたのに、顔の輪郭が、肩から腕にかけての線が、細い少年の体からの脱却を始めていた。 男の子が一番変わっていく時期に差し掛かっているのだ。 男の子から子と言う文字が取れていく過程の時期。 たったの一年ですっかり変わってしまう。
――俺はこの先どんどん置いていかれる。
「クロード?」
自分を見て黙り込むクロードに居心地の悪さを覚えてクライブが呼びかけた。
「ごめん、クライブ。また……ね」
うな垂れてクロードは部屋に帰った。 肩を落として部屋に戻ったクロードをラドビアスが迎える。
「何か、ございましたか」
「あのさ、俺って経典を取り出さない限り死ぬまでこのままの姿だよね」
「そう――ですが?」
ラドビアスはクロードが何を言いたいのか計りかねて首を傾げた。
「もし俺が五十歳で経典を出したら俺は、十四歳からいきなり五十歳だよね」
「そうなりますね」
ラドビアスの淡々とした物言いにクロードが大声を出す。
「うわーっ、嫌だ! 俺は今すぐ出発したい」
「クロード様?」
寝台に飛び込んでじたばた暴れるクロードの両肩を掴んでラドビアスが寝台に腰掛ける。
「一体、どうなされたのです? 私に解かるように説明してください」
その言葉にクロードの動きが止まる。
「解からないの?」
「はい、解かりません」