二人の仲
地下室から何とか元の部屋に戻り、クロードは不本意ながらユリウスに手伝って貰い、来た時の服に着替えると長椅子に寝転がった。
「気分が悪いなら寝室で横になればいいのに」
「そんな事危なくてできないよ」
ユリウスの言うことなんてクロードを気遣って言ってるとはとても思えない。なので、とりあえずそういう甘言は当然断る。
「ああそう」
どこまでも人の弱っている所を見るのが好きな性分のユリウスは、にやりと唇の片端を吊り上げた。
二人が『何気無く』をどうにか装った頃合を見計らったように、ラドビアスの声が来客を告げる。
「ダリウス様がお見えです」
ダリウスは、今日は従者を一人しか伴わないでかなり急ぎで来たのか肩で息をしていた。
「どうしました兄上、何かご用でも?」
いつの間に用意したのか、八重の花を模した華奢な茶器に入れたお茶を美味しそうに飲んでいるユリウスは今までバタバタと動いていたとはとても思えない。
とにかくここではいつの間に、という事がそこらじゅうにあるらしいとクロードは痛む頭で考えていた。
ダリウスは眉間に皺を寄せ、つかつかとユリウスに歩み寄るといきなり両肩を掴み、そのまま椅子に押さえつけた。
「何をするんです、兄上」
「ガリオールは何をしにこの州城にやって来たんだ?」
茶器をそっとテーブルに戻し、訝しげに見上げるユリウスに強い口調でダリウスが問う。
「そんな事、父上に聞けばいいじゃありませんか」
自分の肩を掴んだ手をまるで埃を払うように退ける。そこで、ユリウスがニタリと笑ったのを見て、ダリウスの右眉がぴくりと動く。
「父上は何も教えて下さらない」
言いたく無かったものを絞り出すようにダリウスが言った。
「へー、それでなんで私が知っていると思っていらっしゃるんですか。兄上が知らないのに」
しれっと言うユリウスにダリウスはを自分抑えられなくなる。矜持の高いダリウスが人に請うような態度を取ったのは、それでも答えを知りたかったためだ。それをあっさりユリウスに切り捨てられて、彼の何かがぷつんと切れた。
ガターンと、テーブルにダリウスの拳が叩きつけて、その勢いでテーブルに置かれていた茶器が受け皿ごと盛大な音と共に床に落ちて割れる。
「おまえ、父上とクロードの部屋で密談していたろっ」
青筋をたてているが、それでも何とか声を抑えようとしているために語尾がわずかに震え、両の手は硬く握り締められていた。
「あーっ、この茶器、私のお気に入りでしたのに」
ユリウスが場違いな溜息をつく。
「ラドビアス、直ぐに片付けて。絨毯にしみが残ったら大変だ」
言いながら、お茶が自分の服に跳ねてないか点検するようにあちこち引っ張って見る。そこへ、ラドビアスが掃除道具を手にやって来てしゃがみ込んだ。
自分を無視された会話がダリウスの怒りに油を注ぐ。膝をついて片付けているラドビアスの頭ごしに、ダリウスの伸ばした手がユリウスの胸倉を掴んで引き上げた。
「私を馬鹿にするなよ、ユリウス、どういうつもりだ。私は……私だけ何も知らないなんて事は許せないし、そんな状態は好きではない」
「いた……痛いですよ」
ユリウスが抗議の声を上げるが、ダリウスは力を緩めようとしない。
「何も知らないって……あなたが知らない事なんて山ほどありますよ。今まで全部知っていると思って暮らしていられたなんて、何て幸せ者だったんだか」
ますます、自分を窮地に追い込むような馬鹿にした口調にダリウスの自制心も吹っ飛ぶ。しゃがんでいるラドビアスを避けて、横にユリウスの胸倉を掴んだまま引きずっていった。
「何を父上と話していたのか全部喋ってもらうぞ、ユリウス」
「解かりましたよ、苦しいから離して貰っていいですか。それにクロードが心配そうに見ていますよ、兄上」
――心配なのはユリウスの言動だよ。
クロードはこっそりとため息をつく。話をますます混乱させているのは、ユリウスの人をバカにしたようなもの言いだと思う。一方、ユリウスの言葉にはっとして部屋を見回したダリウスの目に、長椅子から身を乗り出して心配そうに見ているクロードが映った。
「クロード、なんでここに?」
毒気を抜かれたのか、ダリウスの手がユリウスから離れ、片付ける手を休めて見ていたラドビアスが片付けに戻る。
「別に密談なんてしていませんよ」
逆にユリウスからダリウスに近づいてダリウスの肩に手を置く。
「大げさなことじゃ無いんですよ、兄上。魔道師長のガリオールに挨拶にも行かなかったのを クロードの部屋に居るところで見つかって説教されていたんですよ」
クスリと笑ってダリウスを見上げる。
「あんまり兄上が必死なんで、ちょっとからかいたくなりまして……申し訳ありません」
「かっ、からかうなどと」
ダリウスが憮然とするのを幼い子か、はたまた恋人がするようにユリウスが腕を絡ませ、上目使いでダリウスを見る。
「私は兄上を敬愛しておりますよ、信じていただけませんか?」
「おまえはどこまで信用していいのか……。ともかくそういう事ならもう、良い、帰る」
絡められた腕を慌てて振り解いて、ダリウスは城の外に待たせていた従者を連れて逃げるように帰って行った。
一体、二人の関係はどうなっているの? 弟に腕をとられて顔を赤くしている兄さんって? 変なの。そう思ったすぐ後に、さっきユリウスの着替え見て自分も顔を赤くしていたんだとクロードも思い出して青くなる。
「あはははは……ダリウス、あいつ、何しに来たんだ、変な奴」
お腹を押さえて笑い転げているユリウスはしごく満足げだった。こいつと関わるととにかく自然なことが不自然になるとクロードは笑いが収まらないユリウスから目を逸らせた。
「あんたの方がよっぽど変だ」
なんだか面白くなくて、思いっきり冷たくクロードは言ってやる。
「おや、気分が良くなってきたのだろう、クロード? 明日からは少しは実のある時間を過ごさないと王の即位に間に合いやしない。いいかい、クロード。明日からはサクサクいくからね。吐いてる場合じゃないよ」
クロードのおでこを人指し指で弾いてユリウスが言った。
「わかったよ」
サクサクってなんだよ。いろいろ言いたかったが、吐いて一刻以上寝ていたのは本当だったので 大人しくクロードは返事を返す。
「今日は体も慣れていないし、もうお帰り」
「はい」
何が何だか何も身には付いていないが、恐ろしい程自分が昨日までの境遇と違う事、それだけは実感出来た一日だった。