檻の崩壊
「その中にいるのが……」
「クビラ様です、ビカラ様の弟君の」
クロードはユリウスに聞いた話を思い出す。
「二番目……だよな」
「カルラ様がお亡くなりになって、この術にも綻びが出来ておりましょう」
ラドビアスの言葉にクロードはうっと呻いて胸を押さえた。亡くなった――その一言で体の内側の柔らかい所が針でつつかれたように痛む。
「クロード様?」
ラドビアスの声にクロードはあわてて心に蓋をした。
「……何でもない。それよりユリウスがかけた術はすべて消えるの?」
「消えるものと消えないものがありますが禁術は消えると思います……」
――じゃあ、俺がモンドの城でおこなった忘却術はどうなのだろう? もしかしてこのことを予感してユリウスは俺に術をかけさせたのだろうか。
「クロード様?」
度々自分の中に閉じこもってしまうクロードにラドビアスが気遣わしげに名を呼んだ。
「何でもないよ、それにしてもクビラって檻から出して俺たちで何とかなりそうなの?」
ラドビアスは顎に手をやって考えるように歩く。
「そうですね、術はたいしたことはないと思いますが」
「他にたいしたことがありそうだけど?」
クロードにラドビアスが苦笑いする。
「それをあげ足取りと言うのですよ、クロード様」
「後でいう事があるなら、今言っといて欲しいってだけだよ」
クロードが釘を刺すと、しいて言えば……とラドビアスが話し出す。
「体術というか、力が尋常ではありません」
「そういうことを黙ってちゃだめだろ」
クロードはもう、と膨れっ面をした。
「で、それじゃあどうする? 作戦」
「作戦……ですか」
そうですねとラドビアスは生真面目に顔を向ける。
「では、私と魔獣の総力戦にクロード様による奇襲、でどうです?」
「それって別に作戦でも何でも無いじゃないか、そのまんまだろ」
呆れた顔でクロードがラドビアスを見る。
「まあ、そうですね」
あっさりラドビアスも言ってお互いに顔を見合わせて笑った。
「込み入った作戦など要らないと思いますがね、あの方には……」
そう言ってあれを、と指をさした。檻のいたるところにひびが入って中から何かを叩きつける音が響いてくる。
「中でだいぶ暴れているようですね」
ラドビアスが洩らした言葉にクロードの表情が曇る。
「中に入っているの、本当に人なの?」
その間にも一つのひびが大きい亀裂になり、一旦そうなるとそこから四方へ亀裂が走って物凄い音と舞い上がる粉塵や瓦礫を宙に飛ばしながら檻は崩壊していった。
「サウンティトウーダ、アウントゥエン」
クロードの呼ぶ声に二頭の魔獣がクロードの傍らに走り寄った。砂塵の中、ラドビアスが投げたダガーを掴む手が見える。クロードが思っているよりずっと上からクビラの頭が見えて、その全身が現われた。それは思わず、後ずさりしてしまうほどの巨躯だった。
――これがユリウスとバサラの兄のクビラ……?
そう聞いても半分は血が繋がっているとは思えないほどかの二人とは似ていない。
ユリウスはともかくバサラは細身ながらも背が高かったが、クビラの体躯の大きさは人の範疇の限界だろう。体の筋肉量が半端ではないのだ。古代の剣闘士のような猪首から背中、胸まわりその全てが筋肉の鎧でまもられている。
バサラやインダラと同じ服を着ているのにも係わらず、まったく違う印象を受けた。そのクビラにアウントゥエンが火を吹いて攻撃する。あっと言う間に黒焦げになるかと思われたがクビラは水の盾を使ってアウントゥエンを逆に追い立てている。
出来が良くないと言ってもそのレベルは高い基準においてのことで、決して低いわけでは無いのだ。さらに横からサウンティトゥーダが長い棘のある尻尾を振ってクビラのシャムシールと渡り合っていた。 クビラは硬い鱗に守られたサウンティトゥーダと剣を合わしながらアウントゥエンの炎を避けているため印が組めないでいるらしい。
「くそっ、厄介な」
クビラがその体にまるで合わない素早い動きで、サウンティトゥーダの頭を抱きこむように押さえながらアウントゥエンに向かってダガーを投げた。ダガーは過たず、アウントゥエンの右目に刺さり、アウントゥエンが痛みのために大きく吠えて転がった。
「ざまあみろ、おまえは首をこのまま捻って殺してやるっ」
もの凄い力でサウンティトゥーダの首をぎりぎりと締め上げるのをサウンティトゥーダも体をくるくる回して逃れようとする。しかしクビラの両腕はさらに力を入れて血管が浮き上がった。ばりばりとクビラの腕が当たっているところの鱗が音を立ててサウンティトゥーダの首が折れるかと思った時……。
瓦礫の影からクロードが走り込んで来てクビラの背中に深々と剣を突き刺した。
「この、卑怯者のくそがきめ」
クビラがサウンティトゥーダを離して片手だけでクロードを剣ごと跳ね飛ばした。壁まで飛ばされて背中を盛大に壁に打ちつけてクロードはげふっと血を吐いて意識を飛ばした。
「痛いじゃないか」
体を中心まで剣で刺されたというのにクビラの歩みに少しの揺らぎも無い。投げられていた自分の得物を拾い上げて、確かめるように大きくニ、三回振ってみる。上段にシャムシールを構えて大股でクロードの元へ歩くのを見てラドビアスが呪を飛ばした。
『辺幅、変調、変転、王の前に防壁を築け』
その声が終わる間も無く床の石板が激しい音と共に形を変え、倒れ込んでいるクロードの前に分厚い壁が出来た。
「ちっ、サンテラ、よくもやりやがったな」
踵を返してクビラがラドビアスに向かってシャムシールを振り下ろす。金属を打ち付ける音がしてラドビアスが何とかダガーでシャムシールを受け止める。だがクビラが力を込めて振り下ろした大型の剣を短剣で受けている為長いことは持ちそうに無い。
「苦しそうだな、サンテラ……諦めろ」
不敵にクビラが笑う。
ラドビアスが自分の頭上で何とかクビラの剣を受けながらクビラに言う。
「気付いていらっしゃらないのでお教えしますけど……ご自分の腹に大穴が空いてますよ」
「――腹?」
ラドビアスの声に自分の腹を見ようと気を逸らせた刹那、ラドビアスがクビラの剣を右に流して後ろに飛び退いた。
「なんだ、これは? 俺の腹が」
自分の腹を触ろうとしてぼこりと音を立てて自分の手が腹に出来た穴に収まるのを見てクビラが驚きの声を上げる。
「さっきのがきの剣は護法神だったのか」
――言われるまで気付かないとは……やっぱりばかだ、という言葉をラドビアスは口にしないが顔にははっきりと表れていた。
「死ぬのか、おれは……」
充血した目を虚ろに開けて口から涎を垂らしながらクビラが縋るようにラドビアスに近づく。
「早晩そうなりましょうね」
ラドビアスは素っ気無く言ってクロードの方へ足を向ける。それを追いかけようとしたクビラが足を縺れさせて倒れた。どうっという音と共に倒れたクビラが立ち上がろうとして手を付く。
ところが倒れた衝撃でクビラの体は腹から上下に分かれて間が砕け散って起き上がることは不可能な体になっていた。
「どうにかしろ、サンテラ! どこだ、サンテラ」
目が霞んできたのかラドビアスの名を呼びながら手を使って、上半身だけがうろうろと床を這いずっていく。
その目の前に黒い鱗覆われた脚がたんっと止まる。
「何だ?」
顔を上げるクビラにサウンティトゥーダが顔を下げて前脚でひょいとクビラをひっくり返した。
「止めろ、この蜥蜴めっ」
クビラの大声など気にする様子も無くサウンテイトゥーダがその大きな口を開けてバクリ……とクビラを飲み込んだ。




