結界消滅
ホールの入り口で、先程まで羅漢らと戦っていた魔獣に加勢していたルークとラドビアスが走り込んで来て、目の前に広がる光景に悲痛な声を上げた。
「カルラ様」
「イーヴァルアイ様」
深々と剣の根元まで差し込んでいる為に向かい合うような位置にいるクロードはそのまま体が固まったように動けない。
「ユリウス……嫌だ……こんなの」
自分が刺しているのにまるで自分も一緒に貫かれているような痛みをクロードは感じて、手を離そうとするがその手はユリウスが伸ばした手に掴まれていた。
「ユリウス、離してよっ。俺、ユリウスが死んじゃうなんてやっぱり嫌だ」
嫌々をするように首を振るクロードの口にもう一方の手を当ててユリウスが苦しそうに息を継いだ。
「悪かったな、おまえに嫌な役を頼んで……でもおまえしか頼めなかったんだ。約束を守ってくれて私は嬉しいんだ……おまえはやっぱり頼りになる奴だ……クロード」
クロードの目から流れる涙をユリウスが優しく手で拭ってやる。
やがてがっくりと手を降ろすユリウスに大声でこちらに引き留めようとするようにクロードが叫んだ。
「ユリウス」
ユリウスはにこりと唇をあげた。
「愛しているよ……クロード」
「俺だって、ユリウスのことクライブより、ダリウスより誰より」
――そうだ、俺だって愛していたのだ。失いたくない、家族として。
「ユリウス、愛してる」
クロードの言葉にユリウスの目からも涙が零れた。
「本当に欲していた愛情をかけてくれる者と……やっと出会うことが最後に出来た。クロード、ありがとう……もう、随分と待たせている……人がいるんだ……だから……」
――ヴァイロン、もういいだろう? おまえの言った通りこの国の結界を守っていたが、私にだって五百年は長かったよ。もうおまえを追って行っても怒らないでくれ。
『おまえの為すべきことをしろ』死に際の老いた指が私の顔に触れて、殺してくれと頼んだのにおまえはそう言って一人逝ってしまった。だけどもう、いいだろう? ヴァイロン。
ヴァイロンが大きく頷いたように見えて、ユリウスは安堵に大きく息を吐いた。終わりが来るのをユリウスはどんなに待ち焦がれて来たことか。
やっと……やっと終わる。
ユリウスががくりと上体を倒し、バサラはユリウスを支えている手をはずそうとやっきになる。
「サンテラ、剣を、この剣を抜けっ」
ラドビアスがクロードの背後から手を回して、ゆっくりとクロードの硬く握った指を一つ一つ外していく。全部の指が離れたところでラドビアスが剣を一気に引き抜いた。
「サンテラ、カルラを離せ」
ラドビアスはバサラの組んだ手を潜らせるようにユリウスを動かしてバサラから離して抱きとめる。
「サンテラ、体の半分はここに置いていってやる。早くしろっ」
バサラが大声を出した。剣の触れた場所を切り離せばバサラは助かる。身体の半分なんてまたどこからか見つけてくればいい。
「もう、観念なさいませ、バサラ様」
ラドビアスはバサラに顔も向けずに言うとユリウスを抱いたままその場にしゃがみ込んだ。ラドビアスにとってユリウスのいない世界などどうなってもいい。バサラのことも、もうどうだっていい事だ。
「カルラ様、私もお供させてください」
「くそっ、やられてたまるか」
バサラがよろよろと歩きながらホール中央の割れた床のなかに倒れながらも呪を飛ばした。そのまま水音を立てて落ちていくと水は瞬時に鏡のように凍っていく。見る間にそこは分厚い氷に閉ざされてしまった。
「バサラ様……」
ラドビアスが目を硬く閉じて諦めたように呟いた。バサラが死んだのか、生きているのか。このままユリウスの後を追えるのかだけが気になる。竜印を施した主人が死ねば、僕はそれに殉じるだけ。
――でも、自分はバサラにも印を受けている。
「ラドビアス、バサラが」
クロードがラドビアスの方へ向かおうとする目の前で、ルークの姿が一瞬に消え、砂の山が出来る。クロードが悲鳴のような声を上げた。そして――ラドビアスの腕の中のユリウスが砂で作った人形のように崩れてラドビアスの手から零れていった。
クロードははっとして自分の胸元を引き下げて左胸を見るがそこには何の印もついていなかった。
――竜印が消えた。
ユリウスが、イーヴァルアイが死んだからこの国にかけられていた術が解けたのだ。結界が完全に解けて二百人あまりの魔道師も今、消えて逝った。
それでは、ついにヴァイロンから続いた魔道の国としてのレイモンドールはここに終わりを迎えたのか。皮肉にもボルチモア州のドミニクが口先で言っていた、魔道師の支配しない国が今、誕生したのだ。
「何とか馬を調達してサイトスに戻りましょう、クロード様」
思いを断つように立ち上がったラドビアスをクロードは複雑な思いで見つめた。
「おまえは何で消えてないんだ? バサラもユリウスもいないのに」
――それともバサラは生きているのか。
クロードの問いに答えず、ラドビアスは歩き出す。
「サイトスは大混乱でしょうね」
「……そうだな」
首都サイトスの中枢は魔道師庁だ。主だった官や大臣の職まで魔道師が兼任していたのだ。王の首がどんどん変わっても変わらない政策を続けていたのは魔道師庁が国事を動かしていた事に他ならない。
ドミニクの言っていた事は嘘では無い、国はガリオールら上位の魔道師の意向で動いていた。国が魔道師に牛耳られているのは本当だった。サイトスの国府は今壊滅状態にあるといっていい。
「でも途中、ボルチモアに行かなきゃあ。ベオークから来た奴がまだ一人いる」
「左様でしたね」
ラドビアスが相槌をうつ。クロードはその顔を伺うがラドビアスの胸のうちはクロードには解からない。
「立てますか?」
手を貸そうとするラドビアスを振り払って、クロードは何とかふらふらと立ち上がった。
「俺を……殴ってもいいぞ、お前にはその権利がある」
「いいえ、カルラ様がそう望んでおられるのは解かっておりましたから。私も一緒に逝けなかったのは残念ですが仕方ありません」
「ばか野郎、俺の気持ちが治まらないんだよっ」
落ち着いたラドビアスの声になぜか頭に血が上って大声を出してしまう。ラドビアスに背中を向けたクロードは彼の顔を見たくなかった。いや、見れなかった。
一番悪いのは自分なのにどうして何も言わないんだ。悲しくて泣きたいのに、どうしてこれからのことを普通に話せるんだとクロードは、ラドビアスを前に理不尽な怒りがおさまらなかった。