自爆の印
バサラは、そのまま片手でクロードの全身を引き上げ、腕を掴んだまま魔方陣の外へ連れ出すとすとんと降ろす。
「ユリウスを助けて欲しかったら大人しくね」
バサラはクロードの口に手を触れると印を組んだ。
『閉塞せよ』縫いとめられたように口が動かなくなり、クロードは念じて『鍵』を剣に変えようとするが『縛せよ』とすかさずかけられたバサラの声に体が硬直した。
「大人しくしろって言わなかったか?」
クロードはバサラに腹を蹴られて転がった。
「おまえに説得させるのは止めだ、面白くないからな」
バサラは踵を返すとすたすたと魔方陣のほうへ歩いて行く。膝をついて水の中に深く手を差し入れると、水音を立てて白い手首を掴んで一気にユリウスの体を引き上げて抱き上げた。
「起きろよ、カルラ。おまえがこんなに昼寝好きだとは知らなかったよ」
ぐったりしているユリウスに大きく二回、三回と平手を打って胸元をぐいぐい遠慮無く押す。すると「ぐはっ」と水を吐いてユリウスがげほげほとむせたように息を吹き返した。
「やっと起きたか、おまえには聞くことがある」
そのままずぶ濡れのユリウスを横抱きに抱えて立ち上がると、バサラはクロードを降ろしたほうへすたすたと歩いて行く。
「昔からおまえは甘えん坊だが抱っこばかりしていたら抱き癖がつくというからな、これで止めだ」
バサラはどさりと放るようにユリウスを降ろした。そして横のクロードに人指し指を立てる。
「そこで大人しく待ってろよ、クロード。すぐに相手をしてやる。順番は守らなくっちゃな、おまえはカルラの次だ」
バサラの目がユリウスへと向く。
「おまえが強情なのは解かったからもう遊びは無しだ」
ユリウスのローブの胸倉を掴んで引き寄せると呪を唱える。
『我に寄りて力を貸せ、捕縛、落手、剥縛、おまえの口蓋の主は私だ』
「カルラ、クロードの体に封じている経典を解す方法を言え」
「……」
「カルラ、答えろ」
「……外縛印、外獅子印……被申護身印」
「呪文は?」
『フェフュー ウルズ スリサズ アンスル ラドウィン ハガル ニイド イス』
ユリウスの言葉にバサラの眉間に皺が寄る。
「それは爆する事に関係している呪文だろう。カルラ、おまえって奴は」
吐き捨てるようにバサラが言うと、ユリウスが閉じていた目を開けてにやりと笑った。
「ばれたか、やれば良かったのに。今のは自爆の呪文だ、私だって同じ手を何度もくらうものか。反呪の印をさっき体に焼き付けたからバサラ、おまえの呪は私に効かない」
「くそっ」
ユリウスの胸倉を掴んだまま体を床に打ち付けるようにして離すとバサラは立ち上がった。
「取り出せないならクロードごと消してやる」
「そんな事、護法神がクロードを守るさ」
ユリウスに右から拳をくらわせて黙らせるとバサラは顎に手をあててクロードを見る。護法神はクロードを守っている、ではなく護法神は経典を守っている。
「もし、クロードが自ら死のうとしたらどうなる? 体が残っているなら次の体へ封じられるのをまてばいいが、自爆しようとしたら。護法神は止めるかな、試してみるか。カルラ、おまえはどう思う?」
バサラがクロードに近づく。
「大人しくしていたかい、クロード。順番が回ってきたよ」
『解』解したその手で新たに印を組んでクロードの口に触れ、腕を取る。
『我に寄りて力を貸せ、捕縛、落手、剥縛、おまえの口蓋と両手の主は私だ』
クロードが必死で抵抗しようとするが両手も口も自分のいう事を聞かなくなってしまった。
「外縛印、外獅子印、神申護身印」
バサラの言葉どおりにクロード手がさっきユリウスが言った自爆の印を組む。
「クロード、私の後に続いて唱えろ」
『フェイフュー ウルズ スリサズ……』バサラの後にクロードの声が続く。
「止めろ、バサラ」
ユリウスが耐え切れず声を上げて呪文が途切れた。
「何だ、今大事なところなんだけど」と、バサラが軽い調子で返す。
「クロードから経典を取り出すから……もう止めろ」
苦しそうに吐き出された言葉、それは体が不調な為ではない。諦めたような声だった。
「そうか、へえ、そうなのか」
バサラがゆっくりとユリウスとクロードを交互に見る。
「クロードが大事なんだ。妬けるな、まあヴァイロンに瓜二つだものな、この子供は」
バサラが笑みを浮かべてユリウスの手を取った。
「じゃあクロードもベオークに連れて行こう。おまえが望むなら愛人として一緒に暮らしてもいいさ。私は寛大だからな、ヴァイロンはいくつの時おまえと会ったんだっけ。確か二十歳をいくらも超えてないくらいだったよな。竜印を解してヴァイロンと同じくらいの歳になったらまた竜印を施せばいい」
楽しい計画を披露するように喋るバサラにユリウスは眉根を寄せながらもよろよろ立ち上がった。両足から新たに出血してローブの下から落ちて床に広がる。
「バサラ、私を支えろ」
「了解」
楽しそうに両腕をユリウスの脇の下から差し入れて、バサラが後ろから支えるように立つ。
「クロードにかけた術を解せ、経典の中身が要る」
支えられても辛いのかユリウスの声は細い。それに対してバサラは上機嫌で頷くと印を結んでクロードを自由にした。
『解』
「バサラ、三ばつ耶印、不動根本印、外獅子印」
「クロード、閻王の書閲覧、開示せよ、魔経典第九十一章、第一節」
バサラが素早く印を組んでクロードを見る。黙ったままのクロードを訝しげに見てバサラが怒鳴る。
「呪文を言え、クロード」
そこで、バサラは前にいるユリウスが小さく呪文を唱えているのに気付き、はっと離れようとするが印を組んだ手はそのまま一つになったように離れない。
「この後に及んでまた、謀ったな、カルラ」
悔しそうなバサラにユリウスは薄く笑う。
「経典は九十章で終わりなんだ、その手は離れない、バサラ」
言いながらユリウスは床を指差した。ユリウスの血で描いた魔方陣が二人の足元に広がっている。
「いつの間に」
「さっきの呪文ですよ、さっき倒れていた時に呪をかけて、さっきの印で完成させた」
ユリウスはバサラの組んだ手に自分の手を重ねる。
「バサラ、あなたの弟としてなら一緒にいて差し上げますよ。だから一緒に逝って下さい」
ユリウスがかすれ気味の大声を出す。
「クロード、約束を覚えているか」
クロードがこくりと頭を下げる。
「今が、その時だ、やれ、クロード」
クロードは『鍵』に命じる。『変じよ』『鍵』は剣に姿を変えてクロードの手に収まった。
「俺は、ユリウスを助けようと思って……こんな事するためじゃない」
「私を助けたいのなら殺れ、クロード、私を助けてくれ」
「クロード」ユリウスの懇願する声に、クロードは右手の剣を両手でしっかり握りこむとそのまま二人に剣の切っ先を向けて走り込んだ。そのまま自分の体重をかけてぶつかるように剣を突き刺す。ずぶずぶと肉を貫く音と感触が剣を通してクロードの手に伝わった。
「ぐはっ、このガキ」
バサラが呻いて血を吐いた。