魔獣召喚
『閻王の書、閲覧、開示せよ』その言葉の後ユリウスはクロードを見る。
「魔経典、第五十章、第三節だ、クロード」
――俺?
ユリウスの声に驚く間にも、頭の中でぱらぱらと勝手にページが捲られるイメージにクロードは飲み込まれる。そしてクロードの口をついて古の言葉が流れ、最後にある名前を叫んでいた。
『アウントゥエン』
大きな声で言っておきながら何の意味か解からない。とまどうクロードの足元近くの床がぼこぼこ泡だって解けた溶岩のように変わる。むっとするほど周りの空気が暑くなり、クロードはその場所から飛び退いた。
そこから赤い塊がどろりと姿を現すと、ぶるぶると体を震わせたため、そこらじゅうに溶けた石が飛び散る。 慌ててクロードは、ユリウスを抱いたまま出来うる限り距離を取った。
姿を現したのは、大型の狼のような姿だった。背には大きな翼を持ち、床を打ち付ける尾は鞭のようだ。
「おまえが……アウントゥエン?」
クロードの呼びかけに小さく炎を吹いてアウントゥエンが応える。
「行け、おまえの主に仇名す者を始末しろ」
クロードの開けたドアを一回り大きく破りアウントゥエンが走り出て行く。大きな衝突音がしてその後獣の吼え声が反響した。
「あいつらは放っておいてクロード、私達はバサラを捜すぞ」
「うん、だけどユリウス、経典の中身全部覚えてるの?」
「まさか、どこに何が書いてあるかぐらいしか覚えてない」
――ぐらいってそれって凄い事じゃないか。
クロードはユリウスの頭の良さに改めて舌を巻く。
「とにかくクロードの体に経典が封じられているのは好都合だ。今までは私の自由に中をのぞくこともままならなかったからな」
ユリウスはにやりと笑う。
と、いう事は結界術も何も護法神が追いかけてくる前に納めた以降、ユリウスは何百年というもの経典を開いていないのだ。
そんな天才に凡人の勉強の悩みはこの先解かることはないだろう。クロードの緊張感の無い思いなどユリウスは気にもかけず、次の呪文を唱える。
『閻王の書、閲覧、開示せよ』
「クロード、魔経典第三十八章、第十五節」
またもやクロードの頭の中でページが捲られる。続いてクロードの口から名前らしき言葉が飛び出した。
『サウンティトゥーダ』
クロードの声に応えて敷かれた石板を突き破って勢い良く姿を見せたのは、先程と違って黒い塊だった。それは大きく伸びをして体を伸ばす。その大きさに驚くが、その姿もクロードには珍しいものに映っる。
大陸の南に棲むと言われているワニのような顔。その頭には立派な角が二本あり、体は硬そうな鱗がびっしりと生えている。四肢には蹄では無く鋭い爪が石板にくいこんでいた。 鱗に覆われている尾の先には鋭い棘があり、なんとも恐ろしい外見だが前足をニ、三回かいて大人しくサウンティトゥーダは伏せの姿勢を取った。
「クロード、乗れ、ルーク、私をクロードの後ろに乗せろ」
もっとつるつる、ぬるぬるしているのかと思ったがサウンティトゥーダの背中は以外にすべらかで安定していた。
「クロード、首にしっかりつかまれ」
ユリウスはそう言ってクロードの腰にしがみ付くが、痛むのかうっと小さく呻いた。
「大丈夫、ユリウス?」
「うるさい、それよりサウンティトゥーダの体のどこかに逆鱗があるらしいから気をつけろ」
――え?
「それって具体的にどこら辺?」
「……知らない」
「ええっ?」
「私はアウントゥエンもサウンティトゥーダも今迄召喚した事など無い」
きっぱりとユリウスが言う。
「行くぞ」
ユリウスが懐から一本の髪の毛を取り出すと「サウンティトゥーダ、この髪の持ち主を探せ」と命じる。突き出された亜麻色の髪をぱくりとサウンティトゥーダは飲み込むと立ち上がり、クロードは逆鱗に触れないか恐々首に両手を回した。
「ラドビアス、ルーク後から来い」
クロードは自分の腰に回されたユリウスの腕に巻かれている綿布に血が新たに滲んでいるのに気付いて気を引き締める。元気そうに装っている割にはあまり時間はかけられない。
しかしクロードの気がかりも何も、サウンティトゥーダが走り出したことでクロードの頭から消え去った。今も戦っている雷公羅漢とアウントゥエンを避ける為に、廊下の壁を激走している所為だ。
廟の一階の大きい吹き抜けになっているホールにサウンティトゥーダが降りたときには天地がどうなっているのか暫く定かではなかった。
「凄い物を出してくれるじゃないか、カルラ。じゃあ、私ももう一体出そう」
低いハスキーな声が響く。ホールの最奥で印を組みながらバサラが立っていた。
『我召喚する者成り招魂、招請、招来、風公羅漢』
あっという間もなく竜巻がホール中央に出現し、あまりの暴風にクロードが目を閉じた後、がちゃりと金属が床に当たる音がしてクロードは目を開けた。
そこには髪を逆立てたこれまた雷公羅漢と同じような甲冑を身に着けた大男が鎖鎌を携えてまさに仁王立ちしていた。
「そこのトカゲを排斥せよ」バサラが命じると思いの外、素早い動きで鎖鎌が飛び、サウンティトゥーダの首にぐるりと巻きついた。
対するサウンティトゥーダが唸りをあげながら風公羅漢につっこんで行く。クロードはユリウスに腰を掴まれたままサウンティトゥーダから転がるように落ちた。
「痛っ」
落ちた衝撃に顔を歪めるユリウスに手をかけて大丈夫かと言おうとしたクロードは、床の石に描かれている模様に気付く。
――俺達は大きな魔方陣の中にいる。
『変化、変質、変転せよ、石岩、遡及し水をたたえよ』
バサラの声にクロードとユリウスがいる敷石の床が、ぐずぐずと崩れて水が溢れたと思う間にユリウスを飲み込んだ。
「ユリウス」
クロードが腰まで水に浸かったところにバサラが水から少し上あたりを歩いて、クロードの前で止まるとぐいとクロードの手を掴んだ。
「羅漢出した後、お前達が隠れている間に何も仕掛けてないとでも思っていた?」
バサラが楽しそうにクロードに笑いかけた。
「助けてやるからカルラに降伏するようにおまえから言ってくれないかな」
「そんなことするもんか」
「そんな事言っていいの? 手を離しちゃうよ。それにカルラももう引き上げないと、いくら私達がしぶとくても術を使わずに水の中に長時間いたら死んじゃうよ。傷も開くしね」
言いながらバサラは満面の笑みを浮かべた。こんな時の顔もバサラはユリウスに本当に似ている。クロードは悔しそうに唇を噛んだ。