ガリオールの訪問
「大変です」
ガリオールが自ら竜門を使ってサイトスから離れるのは、クロードに竜印を刻みに来た時以来かもしれない。
「王に異変が?」
ユリウスの問いにガリオールは頷いて一旦竜門を閉じた。
「しかしあまりにも早いな、普通はニ、三年は持つものだが……」
そう言いながらユリウスは、ヴァイロンの死期も慌ただしかったのを思い出していた。
「朝、剣が鍵のすがたに一刻ほど戻っておりました」
「それで王の容態は?」
「それは今までとお変わりありませんが」
「夏至の日まで持つかな」
ガリオールにユリウスが声を低くして問う。
「なんとも、どちらとも言いかねます。初代の王、ヴァイロン陛下の時と御容態はよく似ておられます」
ガリオールも思い出していたらしくヴァイロンの名を出して目を細めた。暫くの間の沈黙をユリウスが破る。
「ここの結界は私とルークとクロードに任せておまえはリチャードとサイトスに残れ」
「クロード様ですか」
「王の崩御が近いのだ、おまえはサイトスから離れるべきではない」
「主がそう仰せならば従います」
ガリオールは深く頭を垂れる。ガリオールにとっての主イーヴァルアイの言葉は絶対だ。自分がレイモンドールの魔道教の魔道師を養成する廟の学生だった頃から尊敬し、崇拝していた。その主に認められて竜印を頂いたときの誇らしい気持ちは忘れる事が無い。
その為に、時に主に意見し、軽んずることを口にするラドビアスに我慢が出来ない。それを態度や顔に出すガリオールではないが、主の一番の僕は自分であると自負している。
我らは主によって不死の力を与えられているのだ。ラドビアスとは違う。ガリオールにとってレイモンドール国の魔道教による支配、今の状況の他を考えることなどあり得ないことだった。そこがイーヴァルアイ自身のことしかみていないラドビアスとの違いなのだということは、ガリオールにはわからない。
ラドビアスにとってイーヴァルアイ、いやカルラの身が無事ならば、いる場所はどこでもいいとさえ言える。いわんや生きていたならその場所がベオーク自治国のバサラの寝所であってさえも。
「変わった事があればすぐに知らせてくれ」
「畏まりました」
ガリオールが竜門に消えてクロードがすかさず声を上げた。
「ガリオールの抜けたあとに俺って」
「ふん、結界を張るくらい本当は私一人で出来る。寝小便を見つかったときみたいな顔をするなクロード」
「寝小便なんかするかっ」
「ついこの間までしてたくせに、覚えているぞ」
怒るクロードにユリウスがからかい口調になる。
「それよりこれからモンドの城に帰ってこの書状を父上に」
そう言ってからぷっと吹き出した。
「おまえと私の間で父上はないよな、ハーコートに渡してくれ」
「解かった」
「モンドの城内の人間から私達の記憶を消すことにした。クロード、しっかりやれよ。術式はおまえがかけるのだ」
まるめられた書状とユリウスを交互に問うように見る。クロードはこの十四年間の生活と唐突に別れることになるのを悟った。この騒ぎが収まっても俺はモンドの城の三男坊じゃなくなっているのだ。こんなことならもう少しダリウス兄様の言うことを聞いて、エスペラントを馬に乗せてやれば良かった。
無為に過ごしてきたと思っていた日々がただ懐かしく感じられた。
「ユリウスはどうだった?」
「何が?」
「十七年間モンドにいたんだろう?」
「ああそのことか、私が居たのは十年間だけだ」
「十年間って……あ、それに美人のお母様っていうのは?」
「あれは術で過去を捏造したのさ、あの絵は勿論私だ」
――やっぱり……そりゃあユリウスが本当の公子で無いのだから母親も違うだろうけど。今迄お母様似なら良かったのにと言われ続けていたエスペラントに、クロードは哀切の情を禁じ得なかった。 が、それも今日で終わる。
「ハーコートの正妃は州城から離れた所にいるが、そのことでハーコートはずいぶん私を嫌っていたようだな」
ユリウスとハーコートとの確執はここから来ているのかと気づく。州宰として来るはずの魔道師が自分の子供として入り込んで、妻を城から出すことになってさぞかし腹の煮える思いだったろう。
「その書状を開いて見てごらん、クロード」
ユリウスに言われるままにクロードが書状を開く。そこにはかなり複雑な魔方陣が描いてあるがクロードが読みやすいように中にかながふってあった。その上、印を組む順番と何を組むかが範字の上に書かれている。
「レーン文字はこの印から左回りに読むんだ。いいな」
ユリウスが書状をもう一度くるくると巻いて封印をかけてクロードに渡した。
「もう、モンドの城に帰ることはないんだね」
クロードはしんみりと言う。
「お家に帰りたくなったのか、クロード。ガキだな」
小ばかにしたようにユリウスがふふんと鼻をならした。
「うるせー、行って来る」
竜門に飛び込むように出て行くクロードを見ながら「私はこの十年、とても楽しかった」と、ユリウスが呟やいた。