朝の出来事
「本とか持ってくれば良かったかなあ」
部屋に竜門が開いて姿を見せる前にクロードの声がする。
「大声を出すな、クロード」
「いってえ」
耳を引っ張られながらクロードが竜門から出て、ユリウスが竜門を解した途端に扉を叩かれてデイビットの声がした。
「何かございましたか」
ほら、見ろとユリウスがクロードを見る。
「何も無い、ラドビアスが戻ったらおまえもお休み。私もクロードも、もう休ませて貰う」
「畏まりました」
従者の立ち去る足音が消えるのを待ってからユリウスがクロードに話しかける。
「ペンダントはこれからいつも服の下に付けておけ」
髪を掻きあげながら持ってきた香炉や巻物を手早く検分してしまっていくユリウスを見ながら、クロードは、やはりユリウスは十七歳の女の子に見えると思った。しかし体が成熟するまで性別が決まらないなんて、ふしぎな種族だ。でもユリウスは本当はどっちになりたいんだろう。
「やっぱり、女の子になるのは嫌なの?」
つい、言ってしまって速攻後悔してその場から逃げようとしたクロードの足に『縛』と声がかかる。足をひっかけられたようにクロードは顔から倒れこみながら、咄嗟にユリウスに向かってレーン文字の『イサ』を描いた。その上で宝瓶印を結ぶと左右の手の間から息を吐く。
すると、息は『イサ』の文字により氷化してつららとなりユリウスに向かって飛んだ。しかし、ユリウスはあっさりそれに範字を描いてつららを溶かして消す。二人の間に水蒸気が上がり、クロードの抵抗もそれまでだった。足を縛されているクロードにユリウスが一本だけ溶かさず持っていたつららを顔の真横に突き立てた。
「ひえっ」
「女になるのは……なんだって? よく、聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「いや、もういいです。好きに生きて下さい。わーお助け」
「クロード様、ユリウス様、もうお休みの時間でしょう。小さなご兄弟みたいに遊ぶのもいい加減になさって下さい」
大きくは無いが、よく通る声が二人の騒ぎを止める。
「ラドビアス」
ユリウスの悔しそうな声とクロードの嬉しそうな声が同時に重なった。
「ユリウス様、今晩は特にそのような格好をなさっておられますのに。夜着が破れますよ」
クロードに跨っていたユリウスの夜着は太腿のところまで捲くれ上がっていて、容易く破れそうだ。大きく聞こえるように舌打ちして立ち上がったユリウスは、さっさと寝台に入ると二人に背を向けた。
「もう、寝る」
やれやれとクロードは立ち上がろうとして……こけた。
――そうだ、足を縛されていたのだ。
クロードは印を組み『解』と唱える。あせらず先に解しておけば良かったかと頭をかく。
「おやすみ、ラドビアス」
「お休みなさいませ、クロード様」
ラドビアスの声を背中で受け、クロードは自分の部屋に戻り、はあと息をついて、ユリウスが咄嗟に押し付けてきた巻物や香炉やらを弛んでぶかぶかの袂から出して寝台の下に隠した。寝台に寝転がってユリウスの話を思い出す。
自分にとってもショックな話だった。どうやら俺は子供を作れないらしい。結婚と一緒で今は子供なんて欲しいとも思っていない。でも持てないのと持たないのとは違う。王の半身として生まれて何か得なことはないのだろうか。自分が貧乏くじを引かされたように思えて仕方ない。うーんと唸ってクロードは寝返りをうった。
次の朝早くトラシュが朝食を一緒にとやって来る。アリスローザに昨晩の様子を聞き及んで、一目見ようと思ってのことだと見え見えだったのでクロードは関係ないと掛け布を頭に被った。
「クロード様もお召し替えは宜しいのでご一緒にと言われております」
そう言う声で渋々起きる。
そりゃあお召し替えはしない方がいいだろうさ。特にユリウスは。
「遅いぞクロード」
クロードが食堂に入るとすかさず、先に来ていたユリウスが冷たく言う。
「すみません兄様」
「本当にこう言っては何ですが、国中の美姫も霞みますよ」
トラシュはユリウスの真正面に陣取って嬉しそうだ。やっぱり俺なんて関係ないじゃないかとクロードはパンに齧りつく。
「お世辞は嬉しいですが女性の服でトラシュ様にお会いするのは恥ずかしい限りです」
今朝は髪を一まとめにして高いところで結んでいるので、どこから見ても女性にしか見えないユリウスが白々しく恥ずかしそうに笑う。
「良く言うよ、昨日の夜に俺が女になる? って聞いただけで殺そうとしたくせに」
ぶつぶつ言うクロードの皿に乗っているパンにナイフが刺さった。
「いっ」
「ナイフいるだろ、取ってあげたよ」
「あ、ありがとう兄様」
ナイフなら自分のがあると言いたかったがぐっと堪える。まったく年寄りなくせに凶暴で地獄耳な奴だ。
姿の見えないラドビアスは既に出かけていていないようだった。
「午後には私の従者も戻りましょう。その後トラシュ様のサロンにお邪魔しても宜しいですか」
「勿論、クロードも来るかい?」
トラシュの誘いにちらっとユリウスをうかがうとユリウスはわずかに眉をひそめた。
「いえ、私は難しい話はちょっと……遠慮します」
「では、お昼に」
上機嫌で帰るトラシュを見送る。すると朝から酒を飲もうとするユリウスに気が付いてクロードはラドビアスがいない今、止められるのは俺しかいないとユリウスから杯を取り上げた。
「いいだろう、少しくらい」
「やめろ、この酔っ払い」
「このくらいで酔うものか」
「あのねえ、酔っ払っている人は自分のことを酔っ払いだとは思ってないの」
あーそうとクロードから酒の入った杯を取り戻そうとしたユリウスの目の前で、クロードが杯に口をつけてごくごくと一気に飲み干した。
「これで良し」
クロードはそう言った途端に倒れた。
「クロード」
ユリウスが抱き起こすがクロードは目を開けない。
「何がこれでよしだっ、お前にはいろいろやってもらう事があるのに」
ユリウスが、がくがくと乱暴にクロードを揺らす。
「起きろ、クロード起きろ」
僅かにクロードは薄目を開けた。
「クロード、起きたか」
「き、気持ち、悪い」
「えっ、ちょっちょっと待てクロード、あーっ」
ユリウスのガウンはクロードの吐しゃ物をまともにうけてしまう。
「おい、クロード、これ借り物なのにどうするんだよ。私に二回もこんな事して」
当の本人は吐いてすっきりしたらしく、ガウンを脱いだユリウスの膝の上ですうすう寝ている。
「デイビット、来てくれ」
ユリウスがダリウスから借りてただ一人残った従者の名を呼んだ。
「いかがされました。あっ」
薄い女物を着たユリウスが膝の上にクロードを乗せているを見てデイビットが固まる。
「何ぼさっとしている。こいつを寝台に運んで女官を呼んでガウンをきれいにしてくれ」
ユリウスの声にはっとして、デイビットはてきぱきと動きだした。飲んだ量もたいしたことが無かったせいで半刻もした頃、クロードはぱっちりと目を覚ました。
見ると、寝台の横でユリウスが巻物にさらさらと書き付けている。
「……ユリウス、何だってそんな薄着でいるのさ」
クロードの問いに柳眉を上げてユリウスがこちらを見た。
「目を覚ましたのか、そんな薄着でとはよくいってくれたな。まあいい、こき使ってやる。昨日の服に着替えてこれを届けてこい」
ユリウスはくるくると巻物を巻いてクロードに渡す。
「うん、解かった」
クロードは、何で頭がずきずきするのかと思いながら竜門を開けてサイトスへ向かう。ユリウスのいや、もといアリスローザの新調したてのガウンに吐いてしまったのを思い出した。どう言い訳しようかと考えながらサイトスの魔道師庁の扉を開けた。