ボルチモアの外国人
細い顔だがこちらの人間と比べてのっぺりした印象。鼻は高いが細く眉も細い。薄い唇はやや口角が下がっている。
そして一番目を引くのが一重のつり上がった切れ長の目だ。こんな目を持つ者をクロードは今まで見たことが無い。その黒曜石の瞳がこちらを見ている。
「私の顔が珍しいですか?」
クロードの胸の内を読んだように男は笑いながら言う。そうすると頭の上できつく結っている量は少ないが、腰の辺まであるリボンのような真っ直ぐな絹糸じみた黒い髪が揺れた。
「綺麗な目と髪だね」
「ありがとうございます」
男はクロードに近づくと、どこから取り出したのかクロードの上着を着せ掛けた。
「あ、これ俺のだ、どうして?」
「こんな高価な物を金貨三枚きりで手放してはだめですよ。それと屋台で金貨を使うのもだめです。変な者を呼びますからね」
「そうだな、俺って世間知らずなんだよ。ところであなたは関所の所でラドビアスと会っていた人じゃない?」
クロードはなぜ大陸の人間とラドビアスが知り合いなのか。それに俺の名前を知っているのはどうしてなのかと目の前の男をうかがうように見上げた。
「立ち話も何ですからお食事でもしながら話をしませんか」
「いいよ」
男たちにからまれたあたりからクロードは男が見ているのに気付いていた。それでさっきの余裕発言だったのだ。男について茶屋に入ると男は主人に金を握らせて二階へクロードを誘うと鍵をかけた。
「ここは密会に使われるところです。こうして鍵をかければ邪魔が入りません」
「密会って……」
その意味に気付いてクロードはぱっと頬を染めた。
「それにしてもレイモンドールに外国人がいるなんて知らなかったよ」
「ああ、そうですね、首都サイトスには少数ながらいるようですよ」
「ふうん」
そりゃあサイトスにはいるかもしれないがここはレイモンドールの北部のボルチモアじゃないか。結界で隔てられているこの国の首都以外にいる外国人とはどんな存在なのかクロードにはわけが解からない。
「あなたはハオタイの人なの? ……にしては普通にこちらの言葉をしゃべっているよね」
男は薄っすらと笑う。
「私にはこちらの血も混じっておりますので、小さい時から教えられていました」
それが本当のことかどうか解かりはしない。
「名前は?」
「はい、インダラと申します、クロード様」
男は言いながら水の入った杯を傾けて水を少量木のテーブルに零すと指先でなぞって何かを書き付けた。
「その文字は範字だよな」
「はいさようですよ、クロード様」
「おまえは魔道師……?」
思わず席から立ち上がるクロードの手をインダラが掴んで座らせる。
「そうですね、私は魔道師ですがレイモンドール国の魔道師ではありません」
「じゃあ大陸の、ハオタイの魔道師なの?」
クロードの質問にインダラは答えず、自分の着ている立て襟の合わせが肩のほうにある上着とシャツをさらりと腰まであたりまで脱いで背中を向けた。
「なっ何?」
慌てて何が始まるのかと冷や汗をかくクロードにインダラが言う。
「背中を見てください、クロード様」
言われてクロードがインダラの背中を見ると、その黄みがかった陶磁器のような白い背中の左側上部に黒い龍の彫り物に見える物があった。
「これって……竜印?」
クロードやラドビアスにあるものとは似ているが違う。赤紫のクロードのそれに比べて濃い紫とも黒ともつかない色の大きな角のある蛇のような姿に五本爪の足がついている。
「爪が五本あるね」
思わず手で触れるとわずかにその部分が隆起している。
「五本爪の龍は一番徳が高いと言われております。サンテラにもある筈ですが見てませんか?」
「サンテラって?」
「ラドビアスのことです」
「ラドビアスがサンテラってどういうことだ。きみと同じ黒い竜印を持っているってどういう……。だってラドビアスはユリウスの僕の筈だよね。だって俺はラドビアスの左胸にある竜印を見たのに」
クロードは筋の通らない話に唖然と椅子にもたれた。
「驚かれたようですね」
インダラは世間話をしているように淡々と言って脱いだ服を直す。
「インダラ、一体何をしにレイモンドールに来たの?」
「いきなり核心をつきますね」
インダラは少し考えるように窓の外を見た。
「罪人の捕縛と送還……奪取された物の回収ですかね」
「それは俺にも関係あることなの?」
インダラはクロードのほうへ向き直る。
「それは……あるにはありますね、カルラ様の事ですから」
言いながらインダラは立ち上がって戸の鍵をはずすと戸を開けた。そこにはラドビアスが憮然とした表情で立っていた。
「お迎えが来たようですよ」
「クロード様、勝手をなさっては困ります」
前に立っているインダラを無視してラドビアスは奥のクロードに声をかけた。
「まあまあサンテラ、許してやれよ。ちょっとした冒険さ、何も無かったんだし」
「その名を呼ぶな、インダラ」
とりなすように言ったインダラに、ラドビアスがきつく言い返してクロードの方へ歩く。
「宿に戻りましょう。主が……」
ラドビアスはそこでちらっとインダラを見た。
「ユリウス様がお待ちです」
「解かった」
クロードは部屋を出て行きながら頭を下げたインダラを見ながらカルラって誰だ? と胸の内でつぶやいた。宿に戻る途中の道すがら前を歩くラドビアスの背中にクロードが言い放つ。
「知り合いって外国の魔道師だろ。おまえは外国の魔道師なのか」
クロードの言葉にひたと歩みを止めてラドビアスが振り返った。
「インダラはカルラっていう者を捕らえる為に来たと言っていた。そしておまえは別の名前を持っているのだろう?」
「そんな事までしゃべったんですか」
ラドビアスが長く息を吐いた。
「インダラの背中には黒い竜印があったよ。ラドビアスにもあるって言ってたけど」
ラドビアスにクロードが掴みかかる。
「ユリウスを裏切っているの? カルラってユリウスの事だろ」
ラドビアスは遥か昔、同じ事を同じような髪で同じような瞳の青年に言われた事を思い出してニ、三歩後ずさる。
――あの時私はヴァイロン様に何と答えたのだったか。
「私は主の僕でございますよ」
ラドビアスのかすれ気味の声にヴァイロンの面差しを持った少年は、かつての青年とは違う言葉を継ぐ。
「じゃあおまえの本当の主って誰なんだっ」
真っ直ぐに向かってくる瞳の力強さにラドビアスは怯んで顔を背けた。そのまま無言で宿まで帰り、クロードはユリウスの部屋の前に立つ。
「あのクロードだけど……入っていい?」
「入れ」
戸をそっと開けるとユリウスは酒の入った杯を片手に本を読んでいた。
「楽しかったか?」
ユリウスが本から目を上げずに言った。
「え……あの……ごめんなさい」
ここで楽しかったですなどと答えるべきでない事はクロードにも解かる。
「じゃあ悪いことだとは思ってるんだ」
ユリウスが本から顔を上げてじろりと見た。