プリムスの路地裏
プリムスはボルチモア州の州都ケスラーに近いかなり大きな町だった。ボルチモア州は良質の石がたくさん採れるが、中でも良質の花崗岩を多く産出している。その石を加工して他州に運ぶ要になっているのがここ、プリムスである。その所為でプリムスのありとあらゆるところで花崗岩が使われていて、街中白っぽい建物が多い。道の石畳まで花崗岩が敷かれ、統一感のある美しい景観を湛えていた。
「宿の手配をして参ります」
デイビットが馬を降りると町並みに紛れて行く。
「俺も馬降りる、尻が痛くて我慢できないよ」
クロードはそう言うと馬から降りて、そのまま自分もプリムスの町を見物しようと歩き出した。
「どこにも行くなよ、クロード」
そのクロードの背中にユリウスがきつい声をかけてきた。
ちえっ、せっかく城から出られたのに……とクロードはむくれた。そして待つこと半刻ほどでデイビットが戻って来る。
「こちらです」
一行が入った宿は、このプリムスでも一番の格式がある宿らしく一見、貴族の館かと思わせる造りになっていた。クロードたちは白い丸い石が敷き詰められた廊下を案内され、他の客室から離れた一角に通された。余ほど金を握らせたのか、何にしても手持ちに金を持っていて良かったとクロードは思った。 昨日の宿に文句を言うつもりはないが、やはり絹張りのクッションの効いた椅子に座るとクロードはほっとした。
ユリウスはクロードの疲れただの尻が痛い、腹減った等々まるで構ってくれなかったが自身も疲れているようで、長椅子に足を投げ出して肘掛に頭をもたれたまま眠ってしまった。
「寝ちゃったの、ユリウス?」
うかがうようにユリウスを見て、クロードはにまりとほくそ笑んだ。
「窓は開いているし、ユリウス寝てるしラドビアスはいないし……」
ぶつぶつ言いながら窓枠にクロードは手をかける。ここは二階だが下には花が植えてある花壇があり、落ちたとしても柔らかい土のおかげで怪我はしないだろう。
窓の横には、装飾的な蔦を模した配管が下まで続いているからこれに掴まれば楽勝だ。クロードは目で降りる算段をつけると、後はためらいも無く後ろ向きになって、窓から跳ぶように離れると、配管を両手で掴んで降りていった。
宿の裏手にある外壁をよじ登って上に立って、今度はそのまま飛び降りる。大きな衝撃に顔を顰めたがそんな事よりクロードは早く町を散策したくて駆け出す。
小さい路地から大きい通りに出るとそのまま賑やかな方へと歩いて行く。活気のある物売りの声が聞こえてきて、それを頼りにどんどん足を進めるクロードは大勢の人ごみに紛れていった。
市が立っているのか良い匂いがしてクロードを誘うが、自分がお金を持っていない事にここで初めて気付いて……心底がっかりした。
まあしかし考えてみれば、クロードは生まれてこのかた、お金を持ったことも使ったことも無かった。州城の敷地から出たことが無かったのだから持っていたとしても使い道も無かっただろう。
「一文無しかよ、俺は」
取りあえず、体のあちこち触って何か金目のものがないか捜していて、自分の服についている釦に目が止まった。
「これって金だよな。これってお金みたいに使えるよな」
釦が付いている服自体、余ほどの上物なのだがクロードにはそんな事は解からない。途端に気分を持ち直してクロードは歩みを進める。その目の先にある店の看板の文字が飛び込んできた。
『換金、宝石、刀剣の鑑定いたします』
「幸先いいや」
クロードはその店のドアを開けた。ドアに付けた金属製の鈴がカランと鳴ったのに気付いて 愛想良く顔を上げた店主の前にいたのは金髪の身なりの良い少年だった。
「何の御用で?」
店主の問いに少年はよっと上着を脱いで店主に放り投げるようによこす。
「これ、釦が金だと思うんだけど換金してくれない?」
落とさないように慌てて受け取ったその上着が事の他上等の物と解かり、店主はそのまま少年を見た。
「盗品じゃないだろうね、それとも家から勝手に持ち出した?」
「ないない」
少年は顔の前でひらひらと手を振る。
「で、いくらになるの?」
興味津々の顔を見せる。
店主は途端に商売人の顔になると金庫から金貨を三枚取り出して少年をうかがうように見た。
「これが精一杯だな」
「ふーん、じゃあ貰っていくよ」
少年はあっけらかんと金貨を受け取ると店を出て行った。最近まれに見る上物が手に入った。これが金貨三枚のあろうはずが無い。店主は笑いながら少年の置いていった上着を撫でた。この手触りは絹、しかも大陸の東、ハオタイという国で採れる天繭から作られた恐ろしい程、稀少な絹で織られている。
艶のあるエメラルド色は繭の色で、この絹は染色を寄せ付けないのだ。釦を指差して金と言っていたが確かに釦も美しい彫金細工を施してある。にんまりともう一度笑うと今度は急いで店じまいの札を表に出そうと店の外に出た店主に男の声がかかった。
「ちょっと見せて貰いたい物があるんだが……もう、店じまいか」
「今日は済まないね、明日にしてくれ」
店主の胸倉を掴んだ男はにこりと笑ってそのまま店に店主を引きずって入って行った。
一方、店主の思いなど関係なく、クロードは手に入れたばかりの金貨を握り締めて市の中心へと歩いて行く。串に刺した肉をあぶり焼きにしている屋台に行くとたまらず店番の大柄な女に声をかけた。
「おばさん、一本くれないか」
「はいよ」
串と引き換えに渡された手の中の金貨に屋台の女が固まる。早くも串に口をつけている少年に女が大声を出す。
「ちょいと、あんた困るじゃないか」
「えっ、足りなかった?」
「何言ってるんだい、この子は」
屋台の女の大声に周りにいた何人かが注目する中クロードは困惑して立ち尽くす。
「あんたねえ、こんな大金を出されちゃあお釣りをだせないだろうって言ってんだよ」
女は喚くように言う。
「営業妨害だよ、まったく」
「じゃあ釣りはいいよ」
「へっ?」
女はそのまま口を開けてそのまま暫く突っ立っていたが、思いついたように金貨を齧ってみて手の中の金貨を確認する。それから屋台に来る客を猛然と追っ払い、片付けると早足で屋台を押して姿を消した。
クロードはほっとして肉を頬張りながら歩き出す。その一部始終を見ていた先程質屋の店からつけている男がクロードの歩いていた後をゆっくり追う。しかし後をつけていたのはその男だけでは無かった。
たくさんの人々が行き交う中、人の流れにそって歩いていたクロードは、いつの間にか風体の悪い屈強そうな男たちが集まって来たことに気付いて反対側に行こうと向きを変えた……。
「おい坊主、金の使いっぷりが良いじゃねえか」
頬に刀傷のある男が臭い息と共に言って、その横の男がクロードの背中に短刀を当てた。
「小父さんたち何の用?」
金持ちの子供だったらびびって泣き出すと思いきや、普通に聞く少年に男はクロードの腕を掴むと路地裏に引っ張り込んだ。
「すかしてんじゃあねえぞ、坊主。今持っている金全部出しな。生きて父ちゃん、母ちゃんに会いたいだろうが」
凄みを利かせて言った言葉に少年が言い返す。
「そんな事言ってはなから生かして返すつもりなんて無いんじゃないの?」
生意気な言葉に背中に短刀を当てていた男が短刀を振り上げた。
「じゃあ死ねよ、坊主」
振り下ろされた短刀はしかし、横から飛び出して来た男に蹴り飛ばされて宙に舞った。
「誰だ?」
男が問う間にもその男は体勢を低くして手を付き、足で円を描くように広げて男達を蹴り飛ばす。そして逆立ち状態からひょいと飛び上がるとくるりと一回転して今度は起き上がった男達の顎を手っ甲をはめた手で次々と砕いていった。その間いくらの時間も経っていない。口から血を流しながらほうほうの体で逃げていく無頼の男たちを見送り男がクロードに向いた。
「大事ありませんか」
「大丈夫、ありがとう」
仰ぎ見るクロードは、その男の姿に目を見張った。顔つきが違うのだ。どういう風に違うかと言えば、大陸の東に住んでいるというハオ族の顔、もしくはそこら辺りの国の人に見えた。