ユリウスとの約束
「どうして? 間諜の呪か使い魔でも呼び出して見張らせたほうがいいのじゃないの?」
「ここで我らが魔道師だとバレたら台無しなんだよ。いいかい、おまえも余計な事をするなよ」
ユリウスに厳しい目を向けられてますますクロードはわけが解からなくなる。そのクロードの顔を見て、ユリウスが軽く息を吐く。
「いいかい、トラシュも好意だけで私をボルチモアへ招待したわけじゃない、たぶん。まあトラシュの思惑はともかく。州候のドミニクは息子にどう言ったかはわからないが、奴は私を別の理由からボルチモアに呼んだと思ってる」
「……そうなの?」
「それもこれも織り込み済みで行くんだ。何を企んでいるのか確かめるために今は奴の手に引っかかったふりをしてやろうじゃあないか。解かったな、クロード」
「解かった」
すうっとユリウスの口の端が上がった。
「それとおまえはあのトラシュの妹、なんていったか……あの娘が関わっているレジスタンスどもの動向を娘に近づいて探ってくれ」
「そんな事やりたくない」
アリスローザをスパイするなんてと断った途端、がしっとユリウスに肩を掴まれてユリウスの右手がクロードの頬に飛び、パンと乾いた音がした。
「てっ、何だよ」
頬を押さえて椅子から立ち上がろうとするが肩を掴まれているのでそれも出来ない。
「おまえ魔道師になるんだろう。好き嫌いに関わらずそういう運命に足を突っ込んでいるくせに青臭いことを言うのはやめろ。魔道師を排そうとしている輩を放っておくのは自分の首を絞めることと一緒だ」
尚も頬を張ろうとするユリウスの右手をラドビアスが掴んで止める。
「おやめ下さい」
掴まれた右手はそのままに、クロードの肩から手を離した左手でユリウスはラドビアスの頬を張る。今度は大きな音がして、クロードは自分が叩かれたように首をひそめた。見るとクロードの時より明らかに手加減しなかったのだろう、ラドビアスの頬に手形がくっきり残った。
「お静かに、下の者たちが何事かと思いますよ」
ラドビアスがユリウスの右手を掴んだまま小さく言うのに、ユリウスがラドビアスの手を振り払って噛み付くように言った。
「二人とも出て行け」
追い出されるように部屋から出てきたラドビアスとクロードが顔を見合す。
「あんな凶悪な奴に仕えんの、止めたら?」
クロードが憮然として言う。
「そうですね、首になったらクロード様に拾っていただきます」
ラドビアスが笑いながら言った。
朝、集落は濃い霧に包まれていたが、時が経つにつれて日差しが筋状に射し込むとあっという間にいいお天気になった。馬車の中では、ユリウスは黙々と書物に目を通し、クロードを無視している。重苦しい沈黙が支配してクロードは息苦しくなる。そこで、決死の覚悟でクロードはユリウスに声をかけた。
「あの、ユリウス?」
あくまでも知らん振りを決め込むつもりか下を向いているユリウスにむかっ腹が立つ。
「子供みたいに無視すんな、俺はまだ十四歳なんだよ」
ユリウスの広げた本の上に手を乱暴に置く。
「まだまだ青臭いことだって言うし、言える歳だよ、解かってる?」
ユリウスがやっと顔を上げた。
「それは、私に反することがあると言っているのか」
「……解かんないよ。だけど俺は竜印で縛られているんだから分が悪いよ」
「だったら……私を殺すんだな、クロード」
えっ?
「私を殺せば竜印は消える。但し、前にも言ったが王が契約した『鍵』の剣でなくてはだめだ」
殺すなんてそんなつもりで言ったのではないとユリウスを見たクロードは、ユリウスの目にそれを望むような色が浮かんでいるのを見つけてしまってぎくりと青ざめた。
「私が死ねば竜印はすべて消えて竜門も開く事はない」
「それじゃあ竜印を受けている魔道師たちは……」
「本来の姿に戻る」
クロードの後をユリウスが続け、クロードはごくりと唾を飲み込んだ。王の剣なんておいそれとが持ち出せるわけが無い。もし持ち出せたとして、それを使ってユリウスを殺せば国中にいる二百人あまりの魔道師が一瞬にして全員骨になるのだ。そうだ、ラドビアスだっていなくなるってことだ。
それをユリウスは望んでいるのかと言葉も無い。さっきとは別の沈黙が馬車の中を流れた。そこへ、ユリウスがずいっとクロードの近くに寄る。
「約束してくれクロード、もし私が頼んだら……そんなチャンスがあったら逃すなよ」
「なっ何の事だよ、頼むって」
後ろに後ずさって逃れようとするクロードの顔を、両手で挟み込むようにしてユリウスが拘束する。
「絶対だ、クロード」
睨むような懇願するようなユリウスの顔に「……そうして欲しいの?」クロードはやっとそれだけ口にする。
暫くの沈黙の後、やっといつもの笑みを浮かべたユリウスはクロードの頬から手を離した。
「チャンスがあれば、だよ」
窓の外を眺めながらユリウスがつぶやく。
「長いこと待たせているからな……」
「えっ、誰を?」
クロードの問いに答える事もなく、外を見ているユリウスはどこを見ているのか。誰のことを考えているのか、クロードには見当もつかなかった。
小高い峠に馬車はさしかかり視界が開けてそこに馬車は停車した。
「この峠を越えるとボルチモア州に入ります」
窓からクロードがラドビアスの指し示す方を見ると、小さな砦のある関所の建物が見える。
「あそこで一休みいたしましょう」
そこでラドビアスがクロードとユリウスの間に流れる空気に気付く。
「どうかなさいましたか」
窓から中をうかがうが「何も無い」ユリウスはそっけなく言って本を読み続けた。
「クロード様?」
実は竜印のある魔道師皆殺し計画について頼まれて困っちゃたよ、あははは……とか言えるわけも無く。
「何でもないって」クロードはへへっと間抜けな笑いをラドビアスに返した。
関所に着いた一行はハーコート公爵の書簡のおかげで何事も無く関所を通り、その関所を統べる官の館で休む。長々と続く官の挨拶をそっとかわして、クロードは部屋を出て行くと他の従者と別れて一人歩いて行くラドビアスを見つけて後を追った。
名前を呼ぼうとしてクロードは立ち止まる。柱の影になってよく見えないが誰かと話をしているらしい。
――黒っぽい服の男……道中で見かけた奴、まさかね。
そこへいきなりラドビアスが振り向いて、クロードは顔を背ける暇もなくまともにラドビアスと向かい合った。