人外の者
「もう、死にそう」
込み上げる吐き気と戦いながらクロードは竜門を閉じる。よろよろとユリウスの小宮から自分の部屋まで戻るがハイキングコースなんて言ってた自分を呪いたくなる。長い道のりを這うように戻って、やっと自分の部屋の寝台に倒れこんだ。
「俺って天才かも……」
体はきついが達成感は十二分にあって、クロードは青い顔をにまりとさせた。この場合、もし呪文を間違えて竜門から出られなくなったら。あるいは、まったく違う場所に出てしまったらとか、ちらりとも考えない。
クライブ、あいつ、思ったよりいい奴そうだった。あいつのびっくりした顔ときたら……とにやにや笑っていると「楽しそうだな、クロード」ユリウスの声がした。
「げっ」
さっきまでの事がばれたかと冷や汗が流れる。
「べっ、別に楽しくなんてないけど……」
「隠れて何してた?」
「いっ、いや何にも」
だめだと思うが口がうまくまわらない。
「そんな理由無いだろう、そんな格好でペンダントつけて魔道師ごっこかい?」
――そうだった。
あまりの気分の悪さに着替えるのを忘れて、ユリウスの小宮に置いてきてしまったのだ。我ながら馬鹿だと思うが今更遅い。
あっという間も無く、クロードはユリウスに胸倉を掴まれてずいっと持ち上げられた。
「魔道師姿を他の者に見られたらどうするつもりだったのか、意見を伺いたいな」
ユリウスが冷たく言うが、意見を聞きたいわけじゃないのはクロードにも解かるので無言でユリウスを見上げた。
「今度、勝手なことをすると術の贄にしてやる。解かったか」
小さい声でそれだけ言うと、ユリウスは手を離してクロードを寝台に落とす。
「明日、出した宿題をみせてもらう」
言うだけ言って、ユリウスがクロードの忘れていった服を床に投げつけるように放った。ユリウスが部屋を出て行った後、クロードは暫く身動きができなかった。大きく息を吐いて、息をするのも忘れていた自分にびっくりする。いつもの軽口にごまかされていると大きな怪我をする。あいつは五百年以上生きている人外の生き物なのだとクロードは思い出した。
竜門を使ってすぐまたサイトスへ行ってやろうと思っていた浮き立った気持ちがぺしゃんと萎む。つまんないと声に出したクロードは、そのまま寝台へ潜り込んだ。
ユリウスの前にラドビアスがお茶を入れた茶器を置く。
「私達がいない間にクロードが何をしたと思う?」
ユリウスの問いにラドビアスは首を傾げる。
「さて? 何かされたんですか」
「竜門を勝手に開いてどこかへ行ったらしい」
え? と驚いた顔をラドビアスはユリウスに向けた。
「それは、かなり筋がよろしいのでは」
今度は片眉を上げてユリウスがラドビアスを見る。
「それはそうだが気にするのはそこじゃあ無いだろう、ラドビアス。それに竜印を持っているか、ペンダントをつけているなら竜門を開けるのはそう難度の高い術じゃない」
「どちらへ行かれたか、ですか。調べますか」
「おまえねえ」
ユリウスの声に明らかに怒気が混じっているのにラドビアスはそ知らぬ顔をした。
「では、クロード様に廟から誰か呼んで付けさせますか」
「どこへ行ったかなんて、竜門の番人のルーファスかサイロスにでも聞けば解かる。それより勝手をしないようにクロードをこの城に連れ込んじゃうか……」
「それはお止めになったほうがいいですよ」
「あの親父には私から言うよ」
「そうでは無くて」
ラドビアスの手がユリウスの手を押さえる。
「クロード様のお気持ちの事ですよ、問題は」
「あれは、私の僕になるべく生まれた子だ。どうしようと私の勝手だ」
ユリウスは乱暴にラドビアスの手を払っていまいましそうに睨んだ。
「でもクロード様にも心の準備がいるでしょう? 無理やりこちらに連れてこられて反感を買ってもよろしいんですか、嫌われても?」
「うるさいっ、おまえゴートの廟へ帰れ。代わりにルークを寄こしてくれ。あいつはおまえと違って主に逆らったり意地悪なことを言ったりしないからな」
指を突きつけられたラドビアスがぴしゃりと言い返す。
「半年後の結界の張り直しに向けてサイトスのガリオールと私、王に付いているクロード以外竜印を持っている者はすべて準備にかかりきりです。残念でしょうが私の代わりはいません」
十年前に州公の子供になると言って廟から出てきた主は、前々から子供っぽい所はありはしたが、この所それが前面に出てきて内心、ラドビアスも驚いていた。
最近のクロードとのやりとりなどは本気でやり合っているとしか思えない。あんな主を見たのは五百年以上も昔、ベオークの朝陽宮に居た頃のまだほんとにお小さい頃くらいか……。
「じゃあ」ラドビアスは主の声に物思いから引き戻されて顔を向ける。
「結界を張る時クロードも連れて行く」
「それはどうかと……魔道師の中にも術に巻き込まれて精神を病むものがおります。竜印が成ってからでよろしいのでは。百年後の次回になさっては」
「うるさい、反対ばかりするな。この国の結界がどうやって張られているのか知ることは重要だし、いい勉強になる。あいつは次王の半身なんだ」
話は終わりとユリウスは茶器を指差した。
「お茶が冷めたから入れ直せ」
「はい」
ラドビアスはそっと息を吐くが、これ以上は何も言えないことも承知していた。
「頭が痛い」
ずきずきする頭を押さえながらクロードは目を開けた。 ユリウスが帰ってその後、そのまま寝台で寝てしまったのだ。 クロードは西に傾いた太陽の光が斜めに長く差し込んできているのに気付いて、思ったより自分が長時間眠りこけていたことを知った。
そうだ、服、着替えなくちゃと寝台の中でもごもごとローブを脱いで衣装部屋に行こうと寝台から降りる。 大きく開かれたバルコニーに面する掃き出しになっている窓から下を見ると、たくさんの灯が庭に灯され何やら賑やかな音楽まで聞こえてくる。
――今日何かあったっけ? そういえば何か言われていたような……。
暫くのうちにクロードは思い出してげっと唸った。 エスペラントのお披露目のパーティが近々あるって……今日だった?
この国では誕生日を特別に祝う習慣が無い。 大陸側の国の中にはそんな事をする国もあるらしいのだが。
しかし、何も無いわけでもなくて節目、節目にはお祝いもする。 しかし、その年の都合の良い時で日にちはあまり関係ない。 ダリウスは春の生まれだが成人のお祝いは夏ごろやっていた。 エスペラントは冬の生まれだが、この国で冬にパーティをやっても招待されたほうが大迷惑だろう。
この国の冬は深く厳しいのだ。 一番は成人のお祝いで男子は十八歳、女子は十五歳で大人として扱われる。
貧しい者も豊かな者もそれなりにお祝いするが貴族階級の女の子は十三歳がその歳になる。 と、いってもすぐに嫁入りするわけではなく、社交界へのデビューの意味合いが強い。 だがもちろん、その歳から結婚話がまいこんでくることもある。
貴族の子女の結婚は政略のためなのだ。 多少、歳が離れていようとも、相手が十代を超えたばかりだろうと関係ないといえばそうだ。
とにかく、貴族の女の子にとって十三歳のパーティは特別なのだ。 早いところ服を着替えて下に行かないとダリウス兄様に大目玉をくらう。
クロードは急いで衣装部屋に駆け込む。 豪快に中をあさって、目についた黒の裾の長い上着と対の細めのズボンを取る。 上着の下にはリボンがついたドレスシャツを着込んで。 慌てながら同色の靴をひっかけるように履いた。
ついで、鏡を見る間も惜しんで引き出しから黒のリボンを見つけ出すと、髪に何とか結び付けて階下に下りて行った。
階段の途中で大広間にかなりの人数がすでに集まっているのが見える。 しまったと思いながらクロードは兄、ダリウスを捜した。