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はじまり

「これは……」


 薄暗い廟の祭檀の上、焚いていた炎が何の前触れも無く灰色の煙を細く上げて消えた。


 ――王に異変が?

「ルーク様、祭壇の火が」

 周りの魔道師たちが怯えたように最上位の魔道師であるルークに目を向けた。机の上に足を置いて寝こけていたのが嘘のようにルークは素早く立ち上がった。

「んがっ……解かっている、リチャード付いておいで。サイトスに行く」

「ルーク、口に涎がついてるぞ」

 リチャードと呼ばれた魔道師がやや呆れたように注意する。ルークはこの国の廟を統括する総廟長なのだが、やや緊張感に欠けるのだ。

「え? 涎?」

 急いでローブの袖で口を拭うと、ルークは今の出来事など無かったかのように青灰色のローブの裾を翻し、直ちに印を素早く結み呪文を唱えた。

『アルベルト、ルーファス、サイロス、解せよ、サイトスへ通せ』

 その声に応えて人一人が通れるくらいの漆黒の闇がぱっくりと口を開けた。

「分かっていると思うけどこの事は口外しないように」そう言ってルークはリチャードと呼んだ魔道師を連れてその闇に沈む。するとその闇は忽然(こつぜん)と姿を消した。

 (びょう)の内部のように薄暗い石畳の洞窟然とした道を進むこと一ザンと少し。二人の目の前に双頭の竜を象った彫金が細工されている扉が姿を見せた。ルークが手前に引いて開けると、そこはうって変わって眩しい光が差す大きな部屋だった。

 そこは先程いた廟と同じく、たくさんの魔道師たちがいたが、室の様子は廟とはまるで違って明るい庁舎のようだった。

「ルークか」

 そう言って書類の山に埋もれるように座っていた茶色の髪の魔道師が顔を上げる。

「祭壇の火が消えた。『鍵』に変化があったのではないかと来てみたんだけど……」

 ルークの言葉に茶色の髪の男は慌てて立ち上がった。

「朝は何も変わったところは無かったが……ルーク、王の執務室へ行こう」

 首都サイトスの主城内の廊下を三人の魔道師が足早に王の元に急ぐ。

「今度の王はまだほんのひよっこだろう? その子供はまだ殻つきほどの雛だ。大丈夫なのか?」

 赤毛で巻き毛の魔道師が横の灰色の髪の魔道師、ルークをつついた。

「四十一歳をひよっこ扱いとはおまえも爺になったもんだよねえ、リチャード」

 ルークが笑いながらリチャードと呼んだ赤毛の魔道師に、お返しとばかりに背中をぱしりと叩く。それをきっかけに身体をぶつけ合ったりする二人に、前を行く茶色の髪の魔道師が振り返って厳しく咎めた。

「お前達、ここはゴートの廟じゃないのだ。そんな軽口を誰かに聞かれでもしたらどうする」

「はいはい、爺とは言い過ぎました。お年寄りですね、ガリオール」

「ルーク、そういうことじゃない」

 冷たい視線を受けながらも肩を竦めるルークに、茶色い髪の魔道師――ガリオールは溜息をつく。その三人はまだ二十代の若者に見えるが見かけと実年齢には大きな隔たりがある。

「ゴートの廟長としての仕事にルークを専念させてリチャード、おまえがもっとしっかりしてくれなくてはならないと言うのに。いつまでもそんなでは亡きレイモンドール国創始の王、ヴァイロン様もお嘆きになられよう」

「もっと大人になれ、という事だ。リチャード……これ以上大人になるのは大変だな。なんせ四百年かかってそんなもんなんだからさ」

 ルークが真面目くさった顔で頭を横に振った。

「ルーク、おまえに王の半身を教育させるのを止めたほうがいいな。私の一番の失策だ。」

 苦い顔をしてガリオールはまた溜息をつく。

「心配なく、ガリオール、せっせと立派な上位の魔道師を量産中だから。期待してね」

 苦りきったガリオールの横でルークが笑いながら言った。






 レイモンドール国の王は即位の時に魔道と契約を交わし、正式に王となる。その即位以降、王は魔道の加護を受けて国政に携わるがその在任中外見の歳は変わらない。つまり不老となる。

 しかし、不死では無いため寿命は只人と変わらないと言われている。だが、外に漏れてくる話はどこまで本当か嘘なのかはわからない。

 秘密めいた国レイモンドール。

 その実は他国はおろかレイモンドール国の国民さえ解かってはいない。



 「ううっ、寒いっ」

 肌を海峡から吹く冷たい風が駆け抜けてクロードは首を竦めた。

 もうレイモンドール国の首都サイトスでは国花である白霧花が咲き始め、春の賑わいを見せる頃合だ。

 しかし、北部に位置するここバルザクト・ロイス・ヴァン・ハーコート公爵が治めるモンド州の州都エリアルはまだ冬の名残を色濃くのこしていた。

 だいたいがレイモンドール国自体が温暖な国ではない。

 一年の大半は冷たい海からの風が吹く寒々しい季節が続き、春が来たと思うと一斉に花が咲き乱れ短い夏を迎える。

「クロード、父上がお呼びだぞ。おまえはすぐに供も付けずに居なくなるから、捜すのに骨が折れる」

 州城は海を見下ろす小高い丘に造られていた。クロードと呼ばれた少年はその海を望む城壁の上に立っていた。

 城壁に立ったところで見えるのは海岸線から僅かに覗く青い色だけ。直ぐ目の前にある海は国境に巡らされている結界のために一年中、濃い霧が晴れる事がない。

「ダリウス兄様、春はまだ遠いな」

 従者を後ろに控えさせて髪を押さえながらこちらを仰ぎ見ている兄に向けて、クロードは呑気に答えた。

 ――お供っていったって、俺には端から決まった従者なんていないじゃないか。

 心の中でそう悪態をついたが、クロードは何も言わず兄の方へ向かう。ダリウスはやって来た弟の姿を認めると主城に向けて歩き出した。

「先ほど、首都サイトスから父上にお客様が来たのだ。高位の魔道師らしいけど……父上に何の御用かな」

 レイモンドール国は三十ほどの州に分かれていて、それぞれ州候が自治を任されている。

 その州候を補佐する者として多くの州が魔道師の州宰を置いているが、ここモンド州は魔道師の州宰がいないため高位の魔道師という存在自体が珍しいものだった。



 先を行く兄、ダリウスの漆黒の長くてまっすぐな髪が白いマントの上で揺れている。

 ――俺と兄様って似てないよな、やっぱり。

 こっそりとクロードはつぶやいた。クロードの父、バルザクト・ロイス・ヴァン・ハーコートは公爵の地位にある。

 現国王コーラルの兄であるからなのだが、なぜ弟が王位を継ぎ、公爵である彼がこのような辺境の地に州公として居るのかクロードには解からなかった。

 しかし、このモンド州の山からは良質の金や銀が採れる。大半は国の直轄地になっているがその差配は州公に任されていた。

 それゆえこの土地は国にとって重要で、それが理由の一つなのかもしれない。そしてもう一つ、この州の半分を有するゴート山脈には国教の魔道教の本山がある為、ともいえる。

 ハーコート公は逞しい体躯に釣り合う四角くがっしりした顎に強い意志を秘めた黒曜石のような瞳を持つ。

しっかりした鼻梁を持つ高い鼻、情に厚そうなふっくらとした唇。顎には豊かに髭が蓄えられていてなかなかに堂々としている。

 長男のダリウスはその父親の特質を一人で持ち逃げしたかのようによく似ていて、男らしい風貌と闊達な性格により彼の評判は近隣では天井知らずだった。

 次兄のユリウスはダリウスと二つ違いの十七歳。母親似で亜麻色の髪に薄い水色の瞳を持つ、線の細い女性と見紛う美形だ。

 ところがニヤリと時々つり上がったように笑う口元のせいで酷薄な印象を与えていて、クロードはこの次兄が苦手だった。

 なんにおいても顔に出るダリウスと違い、ユリウスはいつも突然現れて謀るような顔してクロードにちょっかいを出す。そして、しれっとした態度で立ち去っていくのだ。


 ――さっきもそうだ。

 ダリウスがやって来る一刻も前、クロードは自分の部屋で長椅子に寝ころがって読書をしていた。いや、していたつもりだったがいつの間にか掲げるように持っていた本は垂らされ、今は床に伏せられていた。

 何か柔らかいものが頬に触れてきて――。

「――ん?」クロードは眠りから覚めて薄目を明けた。

「うわわっ、ユリウス兄様」

 目覚めた視界一杯にユウリウスの顔があることに驚いて飛び起きようとして、クロードは自分の顔にひたとユリウスの両手がかかっているのを知り、もう一つ動揺した。

 ――こういう奴だった。いつも人の不意をつくのだ。

 ユリウスの軽くウェーヴのかかった髪が流れてまるでカーテンのようにユリウスとクロードの周りを囲んでいる。

「よく眠っておいでだったね、クロード。もしかしたらおまえの一大事だっていうのにさ」

 ユリウスの唇の右端がニッと上がる。

「何のことです、ユリウス兄様、一大事って何です?」

 今度はユリウスの目がすっと細くなった。

 ――普通なら笑顔ってことになるのだろうが、この兄がやると何でこんなに酷薄な顔になるんだ?

 クロードの思いなど関知するはずもなくユリウスはずいぶんと楽しそうだった。

「サイトスから客が来てる」

「だから?」

「その客はおまえに用があるのさ」

「なんでそんな事、ユリウス兄様が知っている……」

 クロードの言葉はユリウスの手がクロードの口を塞いだ為続かなかった。

「……なんだよっ……」

 暴れる弟の両腕を掴んで動きを封じると彼はその耳元にささやいた。

「少し静かにしないと教えてやらないよ」と。


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