序 アンナとリエナと【勇者ヒイロ】
戦火から逃れて彼女らが移り住んだその村には、まさに山猿の如き野生児がいた。
それは初めて村に移ったその日の夜、彼女らが父親を想って泣き濡れる――その前に現れて、静かにおっぱいを揉んで去っていった。
その日から度々――、その困ったエロ山猿は彼女らの前に現れて――、ひたすらセクハラ行為をしては、彼女らに蹴られるという状況が日常になっていった。
――そのうち、彼女らは何故か涙を――、悲しみを忘れている自分たちに気がつく。
その山猿の父親が――彼女らの父親の古い友人である事を知ったのはその少し後の話であった。
――そして、思春期に至った彼女らは、――同時に――困った事に、あの山猿に恋をしてしまう。
――そして、いつも冗談とセクハラばかりの山猿に――、意を決してどちらかを恋人にして欲しいと告白した。
その結果は――、
流石、エロ山猿である――、二人とも恋人にしたいとホザイて彼女らの蹴りの乱打を喰らうことになった。
しかし――、それでも山猿は言った。
「俺はアンナもリエナ好きなんだ……!! 選ばなかった方が――どっかの誰かに取られるなんて絶対に嫌だ!!」
――エロ山猿はやはりエロ山猿であった。
――彼女らの大好きなエロ山猿であった。
そして彼女ら――双児姉妹・アンナとリエナは、そのエロ山猿――ヒイロにこう言って手を差し伸べる。
「……どっちかの手を離したら……、もう一人も消えちゃうからね?」
そして――、アンナとリエナは二人揃ってヒイロの恋人になり、それを喜んで調子に乗ったヒイロが「じゃあ早速おっぱいもませて!」とホザイたのを、――二人仲良く蹴りまくったのだった。
◆◇◆
山脈を通る山道を人型の魔物の一団が進んでゆく。
時の魔王ハザンは比較的人類圏への当たりが少なく、それゆえに人類vs魔族の戦争も長らく無かったが――、ここに来てのこれである。
(……獣人系魔物……、その一団を率いるのはハザン王配下の、いわゆる雑号将軍――、この先の都市国家ランドルフを攻略するための牙獣人将軍……だね)
そう心のなかで考えながら、その山道を望む崖上から――、フード付きの野暮ったい衣服を身に着けて、その手に分厚い本を手にした茶髪ボブヘアの少女・アンナは、山道を進む一団のその戦力を正しく分析していった。
知能がそれほど高くはない魔物、それを遥か後方に軍馬に乗って率いるのは同じ獣人系魔物に見えなくもない【牙獣人族】と呼ばれる魔族。――わかりにくいかも知れないが【魔族】と【魔物】は明確に違う存在である。
魔族とは人類種を起源とする魔源への強い影響で変質した種族、それに対して、魔物とは野生動物が魔源の影響を受けて変質した種族である。
その一番の違いは――、魔族は人類種と同じ仕組みの【星神加護】を持つ後々クラスLvアップが可能な存在であり、魔物はその簡易的な限定クラス――、一種族共通のクラスとクラスLvを持つだけのクラスLvアップ不可能な存在なのである。
そのために、こういった戦争などで【魔物】が運用される場合、その種族ごとに運用法を決めてまとめて自律する兵器として扱うのである。
これは、【魔族】の軍団とは違い、【魔物】の集団は指揮官である【魔族】がいなくなったらマトモな指揮運用が不可能であることを示している。
「……すなわち、かの魔王軍――、獣魔戦士戦団一個中隊を壊滅させることは十分可能……」
――私たち三人だけで……。
そう言って、背後から歩いてくる妹――、その手に魔法文字が刻まれた短剣を持った戦術魔法士・リエナの方を振り返った。
リエナは崖から見える魔物の軍団を眺めて楽しげに言う。
「おおおお!! なかなかの大部隊だね姉さん……」
「大丈夫よ……、所詮、自律するだけの兵器群とその使役者ってだけだし……」
「うん! 了解!!」
アンナの前に進み出て切り立った崖のすぐ傍で、見える大部隊に向かって右手で短剣の切先を向けるリエナ。その左手には【なにか】を握っている。
同時に、アンナはその手に持つ分厚い本のページを捲って、正しい項目を開くと右手中指にはめた【収魔の指輪】――、すなわちリエナの短剣と同じ、【魔法補助具】を起動させたのである。
リエナの短剣に光が宿り――、アンナの指輪の光が本に書かれた文字列をなぞってゆく。
――リエナが唱える。
「軍勢は我が前にあって軍を進む――、なれば我が言の葉は其を打ち砕く嚆矢とならん――、紅蓮の龍炎をもって破軍を成さん――」
――直線型広範囲戦術魔法【龍炎火砲】!
――アンナが唱える。
「陣鐘は鳴り戦の時はきた――、その身は千軍となって戦陣を砕かん――、進め! 進め!! 突貫せよ!!」
――精神魔法【進撃戦歌】!
その瞬間、リエナの左手の【なにか】が輝きとともに消滅し、そして二人の背後からゆっくりと歩み出てくる長身の男性――、ヒイロに対軍団戦闘用の精神機能拡張バフが付与された。
山道を進む魔物の軍勢が紅蓮の炎の帯に巻かれて、まとめて消し炭へと変わってゆく。
それを見たヒイロはニヤリと笑って、右手に持った装飾のない【幅広片手剣】の重さを確かめ、同時にその左腕を覆う魔力が宿った籠手を握った。
「……じゃあ……行ってくる……」
そういう彼女らの夫ヒイロに――、ヒイロの愛妻であるアンナとリエナは、その彼が遥か彼方の敵将軍へ向かって一騎駆しようとするのを、――笑顔で送り出した。
「「早く帰ってきてね……ヒイロ……」」
「……おう!」
ヒイロが崖から飛翔して山道へと降りる、そして脇目も振らず、――そして人間離れした凄まじい速度で一直線に壊滅しつつある軍勢へと突貫していった。
「――あれは?! 勇者ヒイロ?!」
敵将軍が憎々しげに男を睨む。
その視線の先では逃げ惑う魔物をその速度で弾き飛ばしながら、光弾の如き速度で勇者ヒイロが駆け抜けて迫ってくる。
もはや留められぬ事を悟った、獅子型獣人である魔将軍は【長柄戦斧】を構えて軍馬を奔らせる。
軍馬が戦場を駆けてゆき、軍勢を突破した勇者ヒイロへと迫ってゆく。
「おおおおおおおおおおおおお!!」
そして魔将軍は、その【長柄戦斧】を下方で横薙ぎにしつつ、勇者ヒイロの真横を駆け抜けた。
ギン!!
軽い金属音とともに、長柄戦斧の斧部分が宙を舞って地面に落下する。
勇者ヒイロの手にした【何の変哲もない装飾もない幅広片手剣】によって、その【長柄戦斧】を叩き切られた事実を知って、苦々しい表情で腰の予備両刃長剣の柄を握りながら、勇者ヒイロの姿を探す魔将軍。
――不意にその視界が反転してその身が宙を舞った事を理解した。
「……失礼」
そう呟きながら、その籠手に覆われた左手で、その魔将軍の重装鎧の襟元を掴んで――、力任せに横薙ぎに彼を振り回す勇者ヒイロ。
指揮官である魔将軍を救うべく群がってきていた魔物を、それでまたたく間に跳ね飛ばしながら――、
ガシャ!!
振り回された時の力に耐えられずに魔将軍の鎧が弾け飛んで、そのまま数十メートルふっ飛ばされて、魔物たちを巻き込んでその場に突っ伏した。
「ぐ、が……」
それでも流石は魔将軍――、何とか歯を食いしばって立ち上がろうともがくが……。
「!!」
空から――、先程の場所からジャンプした勇者ヒイロが両足を揃えて落下してきた。
グシャ!
魔将軍の胴が――勇者ヒイロの両足を受けて砕ける。
そして――、
ヒュ……!
その右手の片手剣が一閃されて――魔将軍は首を狩られて絶命した。
ヒュンヒュンヒュン……!!
最後の悪あがきというように、一部の魔物が所持する短弓の矢が勇者ヒイロに向けて放たれる。
それを勇者ヒイロは――、
「……む?」
全て視認した状態で籠手の機能を起動した。
――その瞬間、左腕が消え去る。いや、見えなくなるほどの速度で動いたのである。
トントントン……!
放たれた矢がそのまま反転して帰ってきて、魔物の脳天へと突き刺さってゆく。
それはまさしく――、
「おし……命中……」
全ての矢を掴んで反転して投げ返したのである。
もはや軍勢を維持できる状態ではなかった、すべての魔物が散り散りになって潰走する。
それを見届けた勇者ヒイロは――、
「ランドルフ王からの依頼は完了だな……、あとは王国正規軍の仕事だ……」
逃げ惑う魔物を眺めがなら勇者は思う。
(……ここまでに至る争いの種を巻いた奴が……、絶対何処かで見ているよな?)
それは――、かつて、愛妻二人の故郷である、ある貴族の領地への他国からの戦端を招いた切っ掛けを生んだ存在。
ここ最近頻発している戦争や紛争を裏で操っている影。もともと仲が良くなかったとはいえ、その争いを加速させようとする悪しき意図。
ヒイロを【特異加護:勇者】へとクラスチェンジさせた原因。
(かの魔王ハザンは――他の人類圏国家と同じように、ただ外敵による害へ対応しているだけだ)
――それは【世界の救済システムである勇者】が打倒する相手ではない。
過去の無数の勇者に関する情報がそれを示している。
――ならば……?
それこそが今ヒイロが、愛妻アンナとリエナをつれて旅を続ける理由であり。
――正しく、愛する二人の願いを叶えるための旅であった。
そして勇者ヒイロは――、遥か崖の上で笑顔で手を振る愛妻たちを見つめる。
「……さあ……帰るか……」
――そう呟いて勇者ヒイロはその場を後にした。
◆◇◆
ヒイロの母親は病弱で――、父親の採取する薬草と、その取引を利用して手に入る薬品で命を永らえていた。
その表情は病気の悪化につれて笑顔がなくなってゆき――、悲しみに濡れるようになってゆき――、それをヒイロは悲しく思っていた。
――でも、母親がその悲しみを消す瞬間があった。
ヒイロが馬鹿をすれば――、彼女は笑ったり、怒ったり、その時だけ悲しみが消えていた。
だからひたすらヒイロは馬鹿を演じた。
――彼女がその息を引き取るその日まで。
――ある日――、
父親に――、友人が戦火で亡くなり、生き残りの母親と共に二人の双子姉妹が自分たちの住む村に越してくる――と聞かされた。
その父に「齢が近いからその娘たちの友達になってやれ」と言われ、好奇心のままにその姿を覗き見しようとして……、ただ月下の夜に泣き濡れる二人の少女を見たのである。
――ヒイロは自然と衣服の胸を握っていた。
彼女らの涙――、それを見るのが辛かった。
でも、ヒイロは馬鹿なのでどうすれば止められるのか分からなかった。
――そしてふとあの母親の顔を思い出す。
自分では彼女らを笑顔にできないかも知れない。
――そんな粋な事もできない馬鹿だから。
ならば――、馬鹿は馬鹿なりに、彼女らの涙を止められるはずだ。
――そして、ヒイロはアンナとリエナの前に降り立つ。
そのふたりの表情が驚きに変わるが――、涙は消えてはいない……。
――そして、ヒイロは思いつく限りの馬鹿をやった。
その手が思わずアンナとリエナの胸に触れてしまった。
内心、ドギマギするヒイロの前で――、
その二人の顔から涙が消えて――、怒りに変わった。
――ああ……よかった……。
泣きながら苦しげにする二人より、――怒りに燃える二人のほうが断然――可愛く見えた。
――そんな姿にヒイロは初恋をした。
――そして……そのままヒイロは逃げ去る。
アンナとリエナは怒りのままに追いかける。
そうして――その日から、ただの野生児だった少年は――、彼女らに悪戯をするエロ山猿となった。
それこそが――、ヒイロと、アンナ、リエナの始まりだった。
――そしていつしか三人は……、常識からズレた三人の夫婦になった。
そして勇者ヒイロの物語は幕を上げる。




