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異世界恋愛(要素を含む)の短編

悪役令嬢(予定)、聖女ガチャでSSRを引く

作者: 有沢楓

「それで義姉ねえさん、何でこんな物騒なものを持っているの?」


 義弟マイロ・オルブライトは義姉・カサンドラに氷点下の微笑を向ける。先ほどまで彼女の机にあった、薄いノートを手にしたまま。

 舞踏会や国の式典では王族の護衛でありながら、殿下たちに負けず劣らず女性の視線をさらっていく秀麗な顔立ちと微笑みだが、今やそこに愛想など一切ない。


(どうにか切り抜けなければ――破滅だわ)


 予言されたシナリオにはない「フラグ」が立ったことを自覚し、カサンドラの首筋が汗ばむ。


(大丈夫、未来は変わった。ここでヘマをしても、彼はもう誰も殺しはしないはず)


 彼女はせめてと背筋を伸ばし、後ろめたいことなど何もないというふうに、返せと言うように手を差し出す。


「これは聖女様より直々に、私が託されたもの。我が伯爵家の次期当主、そして救国の英雄のひとりが盗み見など、恥ずべき行いです」

「視線が合ってないよ、義姉さん。この表紙にある『攻略本』って、どんな意味なの? 説明してくれる?」


 いっそ、おかしな遊びか妄想だと一笑に付してくれれば良かったのに。

 マイロの背後に吹雪が見えた気がして、カサンドラの強がりはあっけなく吹き飛ばされてしまう。


「……そ、それは……人生の荒波を乗り越える攻略本……」

「じゃあフラグとか好感度って、なんのこと?

 ほら、『トゥルーエンドの条件は、攻略対象全員の好感度を最大にし、謎の手がかりを集めた上で王城の扉を開く』。……これって聖女が帰る直前に消滅させた、魔王の亡霊のことだよね?」


 ――聖女ヒマリは几帳面な上に親切だったから。

 何も知らないカサンドラが一から十まで理解できるよう、破滅から逃れられるよう、この「ゲーム世界」の分岐を書いて残していった。


「義姉さんは僕のことを騙してたのかな? 聖女も一緒になって?」

「ち、違います。いえ、黙っていたことは悪いと思っていますけど……これは国が救われ……貴方も私も生き延びるために、必要なことだったの!」

「それはそうだろうね。二人が悪意を持ってやったとは思ってないよ」


 あっさり頷かれてほっとしかけたカサンドラだったが、すぐに後悔した。


「だけど、それが家族に黙って出ていこうとしたことと、どんな関係があるの?」


 ずい、とマイロが一歩踏み出した足取りに迷いはない。

 小さかった頭は見上げるような位置にあり、狭かった肩にも胸板も筋肉が付いて、簡単に抵抗できそうにない。

 カサンドラの、自業自得だ。

 あれだけ食事や睡眠に気を遣ったから。暇に飽かせて、今まで学んでこなかった栄養学も健康科学を、彼が生き延びるために、そして自分が断罪されないために、実践してきたから。


「最初から、僕の運命を勝手に決めたくせに、責任も取らずに逃げるつもりだったの? 残念だけど甘過ぎる見通しだったね」


 マイロはベッドの端に置かれた大きな革トランクを一瞥すると、笑みを深める。

 ノートをバサリと机に放れば、まさしくマイロの『エンディング』についてびっしりと書かれたページが開かれた。


「ま、まさか、逃げるだなんて。ただ単に、王都から領地に帰るだけで……事情は後で手紙で……」

「――だけど一番気に入らないのはね、これだけやり遂げた義姉さんが、カサンドラが、僕のことをちっとも理解していないことなんだ」



***



 名門伯爵家の一人娘カサンドラ・オルブライトといえば、父親譲りの威厳に満ちた態度と声音、母親譲りの美貌と教養を誇る、小さな淑女であった――そう、10歳になる歳までは。

 義理の弟・マイロがやってくるまでは。


「今日からカサンドラの家族になるマイロだ。まずは弟と思ってもらっていい、仲良くしてやってくれ」

「よ、よろしく……お願いします……」


 3つ年下だというマイロは、カサンドラとは正反対の存在だった。

 プラチナブロンドの髪に青い瞳をした少年と、豊かな黒い髪を巻いて赤みを帯びた瞳をした少女。

 おどおどと周囲を見回す態度に、物怖じせず見据える姿。

 しかし、それは違和感こそあれ些細なこと。


 彼女にとって一番耐えかねたのは、(当然だが)自分と相対した父の、その影に隠れるようにして挨拶してきたこと。

 お父様の隣はカサンドラの場所だったのに!


 挨拶の後は家族で夕食をとった。席順こそカサンドラの下であったが、いままでずっと3人で囲んでいた場に、見知らぬ他人がいると思うと居心地が悪かった。


 父親はマイロが、魔物の討伐で命を落とした亡き親友の息子で――カサンドラは、彼が度々父が自慢していたかつて救国の「勇者」であることは知っていた――何かあったら責任を持って面倒を見ると約束していたのだ、と告げた。


「そしてこれは当然、国王陛下の許可を得たものだ」


 ならばこの家の爵位は亡き勇者への褒美で、マイロを国に縛り付けるために、利用されたのではないのか。

 マナー違反は承知の上で、その場でカサンドラは尋ねた。


「……お父様、私が爵位を継ぐという話は……」


 一縷の望みをかけて返ってきた答えは、否定。


 この国では女でも爵位を継げる。両親にたいそう愛され、後継にと望まれて育ったカサンドラは、だから将来のためにと同じくらい厳しく育てられた。

 淑女のマナーから始まり、一般教養、領地経営、地理歴史などなど。カサンドラは清潔で便利な都会を好んだが、将来のためとあれば田舎にある豊かな穀倉地帯を馬で駆けることもあった。

 努力し成果を上げてきた自負があった――努力など一瞬で意味がなくなってしまうものだとは、思わずに。





「こんなの、やってられませんわ!」


 カサンドラは今まで被っていた猫を、天蓋付きのふかふかベッドやら床に放り捨てる。

 マイロがやってきてからひと月、毎日嫌になるほど晴天だ。心情を汲んで雨を降らせてくれたっていいのになんて悪態をつく。


 最近はすっかり、午前11時のお茶(イレブンジズ)が定番になった。

 両親はそれぞれ空いた時間はマイロにかかりきりだ。家族中で一番歳も小さければ背丈も彼女より頭一つは低い、親のない子どもが新しい家に馴染めるようにひどく気を遣っていた。

 それから彼が屋敷に少し慣れたと見るや、幾人もの高名な教師を付けた。その中にはカサンドラの教師もおり、彼女の勉強の時間も内容も緩くなった。

 つまり、お茶の時間を追加できるくらい暇になったのだ。

 お気に入りのレース模様の皿からお菓子を摘まめば、コルセットがきしんだ音を立てた気がした。


「……うっ」

「ですからお嬢様、コルセットを締めすぎでは? まだお若いのですし、最近の流行に合わせる必要はありませんよ」


 思わずお腹を押さえると、紅茶のお替わりを淹れながら、二十歳前後の黒ドレスに華やかなエプロンの女性――侍女のディアナが忠告してくる。


「本当?」

「本当です」


 鳶色の目をじっと見つめれば真剣な眼差しが返ってくる。初めての侍女で、数年来の付き合い。自身も十分裕福な商家の娘でずっと世慣れた彼女を、カサンドラは心底信頼していた。


「……じゃあ、いいわ。極限まで緩くして、外出の準備をしてちょうだい。お行儀良くして、素敵な旦那様を迎える必要なんてなくなったんだもの!」

「どちらにです?」

「まずはこの残酷な運命を与えた女神様に文句を言いに行くのよ!」


 国教の主神でもある女神フローラに、令嬢が文句を言うなど、犯罪でないにしろとんでもないマナー違反だった。

 それを、陰口よりいいでしょとカサンドラは直接本人に届けるべくさっさと神殿に行く手はずを付けて、馬車に乗り込んだ――買い物に町に出るのと違って、敬虔なフリをしておけばまず反対されないのをいいことに。


 王都には幾つか神殿があり、淑女の姿もちらほら見られる。数少ない社交場でもあるのだ。

 気持ちばかり地味なペールピンクのドレスの裾を揺らし、白い円柱が立ち並ぶ中を進むと、女性の集まっている一角があった。この奥では、花占いが行われている。


 王国の主神にして、女性と花の守護神であり未来と予言を司る神でもあるフローラは、未成年の女性に一回と成人してから一回、有益な予言を与えてくれる。

 カサンドラはまだ受けたことがない。

 多くの貴族令嬢は婚約者を決める時期に受けるからだ。母が父と結婚した決め手となったのもこの占いだったと何度も聞かせられた。


「準備が整いました。ここからはお一人でお願いいたします」


 神殿に仕える女性神官に促され、ディアナを待たせて奥の部屋に入る。白い小部屋の中央には小さなテーブルと椅子だけが置かれていた。

 入り口で留まる神官に促され、カサンドラはテーブルの上の水盤をのぞき込んだ。

 水面に散らされた色とりどりの花に彩られた自身の顔が写る。


 小さな顎にふっくらしたピンク色の頬と花のように可憐な唇。少々吊り上がっているが、形のいい黒く長い睫毛に縁取られた赤みがかった目に、バランスの取れた鼻。


(お母様ほどではないけど、そこそこ美しいと思うわ。良かったわ、その方が女性の社交でも、伯爵として生きるにも有利ですもの――)


 そこでカサンドラはその未来が途絶えたことと、本来の目的を思い出した。

 予言を与えてくれるということは、神様が一番自分を見てくれている瞬間ということだ。

 神官には聞こえない小声で、だがはっきりと言う。


「女神フローラ様、どうして私にこんな仕打ちをなさるんですの!」


 声で花弁が揺れ、一枚水盤から飛んで行く。

 とたんに、水盤が手でかき乱したように波打つ。

 女神様の怒りを買ったかと若干後悔したとき、自分の顔が消え――女神様の顔が映った。

 それと分かったのは王都や神殿のあちこちに建つ彫像と同じだったからだ。

 ひょっとすると母親や王妃様よりも美しいかもしれない、神々しい面差しに息を呑む。

 けれど一瞬後、女神様がいやににっこり笑いかけ、頭の中に親しげな声が響いたので、神々しさは何処かに飛んで行った。


「おめでとうございます! あなたはこの世界の聖女ガチャでSSRを引きました」

「……え? ……は?」


 おめでとうございます、しか理解できなかったカサンドラは、かつてない間抜けな顔で間抜けな声を上げてしまった。


「いえねえ、わたくし、常々思っていたんです。転生するほうはガチャを引くけれど、世界の方には転生者を選ぶ権利がないなーって」

「……め、女神様? こどもには難しいですわ」

「大丈夫です、大人でも分かりませんから」

「なお悪いですわ」


 女神様はにこにことしているので口を挟みづらい。


(いえっ、こんなことでは未来の女伯爵になる資格などありませんわ!)


「こどもにも分かりやすく説明してくださいませ!」

「えーと、ではかみ砕いて説明しますね。この世界で10年後、魔王が復活します。それに伴って魔物と魔獣たちの活動が活発化し、国々に危機が訪れます」

「え、ええっ!?」

「同時期に、異世界から訪れた聖女が現れ、勇者たちと共に世界を救おうとします」


 確かに、カサンドラも聞いたことがある。

 魔王が復活したとき、異世界から聖女が現れて国の危機を救う――このサイクルが何度か繰り返されているのだと。

 聖女は救国した後元の世界に帰る者もいれば、この世界に留まった者もいると。そしてその一人が、若くして世を去った先代勇者の母――つまりマイロの実母。


「そんな大事な予言を私なんかにしても、誰も信じてくれませんわよ!?」

「この辺りは国の上層部にはしてあるから大丈夫です。ここまでは世界設定なので」

「設定……?」

「大事なのはここからです。あなたはこのままだと、破滅します」


 カサンドラはまた息を呑んだ。


 ――女神様のお言葉によると。

 魔物が増え世界が闇に呑み込まれんとするとき、異世界から一人の女性が現れる――それが聖女。彼女らは、この世界の魔を払う力とそれを振るうための膨大な魔力を持っている。

 聖女は国の支援を得て、武勇や魔術、知略に優れた有望な若者を伴い、魔王を倒すため旅に出かける。魔王は出不精だから。これが俗に言う聖女一行、あるいは勇者パーティーだ。


「それが私とどんな関係が……?」

「次の勇者パーティーの一人に、あなたの義理の弟、マイロが選ばれます」


 彼は勇者と聖女の血を引くだけあって、成長著しく騎士団で華々しい活躍をするようになる。

 しかし、義姉であるカサンドラは、自身の伯爵の地位と両親の愛情を奪われたと思い込み、長年にわたる様々ないじめと妨害を続けた結果、マイロにトラウマを植え付けてしまっていた。


「そ、そんなこと、私はしな……! い、いえ、しそうですわ……」


 否定しかけたカサンドラは黙り込んだ。じゅうぶん、あり得そうなことだ。

 伯爵の地位も両親の注目も、教師も奪われたカサンドラは初対面からしばらく口をきいていなかった。それどころか両親以外に対しては、最初の顔合わせ以外では「弟」と認めるような発言は一度もしたことがない。

 特に自分の妄想は膨らむばかりで――確かに昨日も、マイロのベッドに何とかしてミミズを置いたり、目の前で彼の好物をお替わりして、見せつけてやろうと考えていた。


「マイロは聖女である母親、それに勇者の父親を早くに失っています。この苦しみの上に、両親が揃っているという恵まれた義姉から受けた執拗な嫌がらせに、世界への信頼を失っていくのです」

「……!」


 カサンドラはちょっぴりだけ反省した。両親が揃っている幸せを、軽視していたことを。


「ノーマルルートですと、マイロは聖女一行の恵まれた育ちによるキラキラな雰囲気についていけず、また聖女に抱いた思慕を拒否されることで魔王に寝返ります。そして聖女たちに殺された上」


 カサンドラはごくりと喉を鳴らした。


「あなたや伯爵家が、国からその責任を問われます」

「……ひっ」

「ただもし、マイロと聖女との間に信頼関係が育てば」

「育てば……?」

「世界を救い伯爵位を継いだ後、あなたを実家から追放し悪評――事実を周囲に公表します。そうて逆恨みをしたあなたは、マイロに襲いかかり、返り討ちに――」

「どっちにしても詰んでるじゃありませんの! お父様とお母様が無事なだけましですが……!」


 女神様は信者の抗議に、手を合わせてにっこり微笑んだ。


「ですが、安心してください。

 そんな詰んでる可哀想なあなたに、先ほど、ガチャを引くチャンスを差し上げました。あなたが引いたのは歴戦のSSR聖女です。

 あなたが今日ここで義弟に対して改心すれば、SSRの聖女が全部何とかしてくれます。

 ……いいですか、これからは素直になって、よく人の話を聞くのですよ?

 それではまた、12年後の春、ここで“無事に”お会いできることを願っていますよ」


 無事じゃないときは、死んでいるときだ。

 

(というより何ですの、12年後の春という具体的な数字は。それまでお会いできないんですの)


 女神様の顔が水盤から消える。カサンドラはあまりの予言に足をふらつかせ――水盤に顔を突っ込んで、気絶した。



 カサンドラは気を失っている間に、神殿の丁重な看病を受けた末に伯爵家に知らぬ間に送り届けられた。

 そして目を開けたときに心配して目に涙をためている両親がベッド脇に屈んでいるのを見て、十分愛されているのだと満足した。


 それに壁際にディアナと、俯いているマイロの姿を見て安心した。

 ディアナは自分の失敗で理不尽にクビにならなくて良かった。

 輪に入らず遠慮しているマイロには、やはり家族が必要だったのだと――できるだけ良い姉であろうと誓った。

 そう律しなければ、自分がいつまた黒い考えに取り憑かれるとも限らない。

 何より、死ぬのは怖い。

 きっと斬られるのは鼻に入った聖水より、ずっと痛いだろう。



***



 ――それから10年後。女神様の予言通り、異世界のニホンという国からヒマリと名乗る成人女性がやってきた。

 異世界の高速で動く乗り物にひかれたと言った彼女は、昏睡中に女神様に会い、この世界を救えば、死ぬはずだった人々の命を少しずつ得て元の世界に戻れると説明されたという。


 カサンドラが勇者候補の義姉という立場を利用して会いに行き、何とか女神様の予言といきさつを説明したところ、丸い目をした黒髪の聖女は自分が何とかすると胸を叩いて請け負ってくれた。

 カサンドラは、この自分より幼く見える聖女に、ずっと一人で抱いていた秘密を打ち明け、信じてもらった安心に涙をこぼしてしまった。


「大丈夫よ、勇者と先代聖女の息子・マイロと意地悪な義姉のカサンドラ……『白鳥の乙女と聖華の勇者』なら、縛りプレイしながら全台詞回収したくらいやり込んだから。私もいつまでも病院で寝てたら復帰が遅れるし」


 彼女は、この世界が、乙女ゲーム――主人公と主に素敵な異性との恋愛をストーリーの中心に据えた、音声付き分岐式紙芝居というゲームにそっくりだと話した。


「ストーリーはライトなのに、分岐が細かくてマルチエンディングなの。攻略対象の育成がメインだけど、イベントのフラグはステ管理が重要で……そうなるとイベント起こす時期と、好感度の調整……カサンドラがマイロとうまくいくようにするには……」


 早速何かデータを書き留め始めた彼女は頼もしく、そうしてカサンドラは聖女と友人になった。

 同時に、マイロに対する助言を得て、一層姉として相応しくあろうと努力した。

 マイロが聖女と信頼関係を育めるようにお茶会の場を用意したし、万が一にでも旅で倒れたり寝返ったりしないよう、今まで以上に、心身共に強く健やかに育つよう頭を捻った。

 後顧の憂いがないようにと、将来の貴族夫人としての仕事ばかりになっていた自身に、領主としての仕事も一部預けてもらえるよう頼んだ。


 国と聖女に認められた英雄たちが、旅立つ日だってそうだ。

 それぞれ女神様に祈りを捧げた勇者たちが、女神様直々に祝福の花――せっかくの聖華を授かったのにマイロがそれを無下にしてカサンドラに寄越すから、女神様に謝罪と祈りを込めて、帰還まで育てて温室で増やした。

 なんと言っても、女神様から貴方が授けられた花が――聖華の花言葉が、他の勇者は『情熱』や『誠実』なのに、マイロの花言葉は『嫉妬』。いつ聖女の言う「闇堕ちフラグ」が立つか分からない。できるだけのことはしたかった。



***



「――マイロ」


 カサンドラは半ば観念しながら、彼と一歩間合いをとる。

 それから「今日は逃げません」と告げてから、投げ捨てられたノートを机から取り上げ、皺を伸ばす。


「聖女は……ヒマリは私との約束通り、勇者全ての信頼と愛情を勝ち得て魔王を完全に消滅させ――難しい状況からこの国も貴方も、私も救ってくれました。

 どのように言われようともこれは事実です。

 私への責めは甘んじて受けます。でも、彼女への想いが届かなかったからといって、その腹いせに彼女の努力を踏みにじるのはやめて」


 神殿で彼女の旅立ちを見送ったのは先月のこと。

 王族や彼女を思慕する勇者たちに引き留められていたが、まだまだしたいことがあるからと元の世界に帰っていった。

 マイロが切ない瞳で見つめていたことをカサンドラは知っている。


 同時に、これで平穏な未来が約束されたのだとほっとしている自分もいた。

 カサンドラが彼に襲いかからなければ――今やそんな気持ちはさっぱり持っていなかった――最悪、こじれたって追放で済む。

 でも、それでは両親を悲しませ、離れなければならないので、先に適切な距離を取ろうとしたのだ。


「聖女への、僕の想いね。はあ、それも『攻略本』に書いてあったんでしょ?」

「ええ。聖女と『攻略対象者たち』が愛情で結びつくって――」


 カサンドラはノートをめくった。

 最終的に好感度を最大値に上げるのは、魔王の亡霊の存在に気付くトゥルーエンドに必須だと、ヒマリは言っていた。ただ途中のイベントをどう起こすかは好みにもよるし、と……。

 そこで、指に厚いページが触った。端っこが糊か何かで貼り付いていたのだ。


「あら?」


 剥がしてみると、そこには――。


「『好感度の意味』……友情イベントと、親友エンディング?

 ……ええと、『あくまで恋愛はしない、友情を貫きたいというプレイヤーのために用意されているルートです……恋愛イベントと三角関係が発生しなくなるため、トゥルーエンド到達の難易度が低く……』」


 ふと影がノートに落ちて見上げれば、呆れたような顔がすぐそこにあった。


「ほらね。そんなことじゃないかと思ってたんだ。

 聖女が最初から最後まで、元の世界に帰るつもりだって言って、誰とでも平等に接してたことは義姉さんだって知ってただろう? 僕がいつ聖女のことを女性として愛してるなんて言った? 大切な友人ではあったけどね」

「……マイロ?」

「……で、僕がやっと魔王を倒してこの家に帰ってきたっていうのに避けられたのも、町歩きに誘って断られたのも、プレゼントをことごとく突き返されたのも、ここに書いてあるような『恋愛イベント』とやらを避けるためだったからってわけ?」

「だって、余計なことはしてはダメだから……せっかくヒマリが『マイロとうまくいくように』と考えてくれたんだもの……!」

「聖女の言葉がいくら神聖だからって、断られ続ける僕の気持ちを考えたことはあったの? ――いや、でも待てよ」


 マイロは呟く。その声音に徐々に温度が戻ってきて、やがて口角がほくそ笑むように上がったとき、カサンドラは嫌な予感がした。


「聖女の言葉は絶対だ。だから義姉さんも信じた。

 ……ああ、それで彼女は、聖華を義姉さんに渡すように言ったんだ。何の意味があるのかと思ってたんだけど……運命が変わったから」

「……え? 聖華?」


 聖華。せっかく女神様が祝福にとマイロにくれたのに、何故か旅立ちの時に渡された黄色い薔薇。


「いい機会だから全部教えてあげるよ。温室に行こう」


 マイロはエスコートするようにカサンドラの手を取り、腰に手を添える。傍目にはさりげなく見えるが、実は絶妙に押さえられていて彼女は運ばれるがままだ。


「……義姉さんが僕から逃げたのは、僕がひどいことをするかもしれないって信じているからだね。恐怖が消えない気持ちも理解できなくもないけど、その未来は来ないよ。だから逃げる必要はない」

「な、何でそんなことが……」

「未来が変わったのはもっと前の時点だから」


 何の話を、と問う前にマイロは説明を続ける――使用人たちが二人がぴったりくっついている姿に驚いているのも、平然と無視して。


「女神は未来と予言を司る。義姉さんが聖女ヒマリを信じた時点で確定した未来を、それ以前の女神が予言してもおかしくない」


(確定した未来というなら、女神の予言と自分が聖女ガチャを引いた時点ではないかしら)


 カサンドラは思ったが、ややこしくなりそうだったので口出ししなかった。


「そのノートの自分の欄には、一番大事な情報が書いてなかった。女神が先代の聖女に伝えていたのに、ヒマリは知らなかった――」


(ゲームの情報ではなかった……ということ?)


「――僕に婚約者がいるってことがね」


 今、舌打ちが聞こえたような。

 カサンドラは問い返す。


「……婚約者? マイロに婚約者が決まったの?」

「何言ってるの? 義姉さんのことでしょ?」

「え? ……私、婚約した覚えはないけど」

「まあ、正式に式を執り行ってはないけど――もしかして、その年齢まで縁談が来なかった意味を考えてなかった? 初対面の時、義父さんが言ってたでしょ」


 ――いいですか、よく人の話を聞くのですよ?


 何故かカサンドラの脳裏に、ずっと昔に聞いた女神様の言葉が響いた。

 カサンドラは思い出そうとする。父は少々、言葉が足りないところがある人だから慎重に。

「『今日からカサンドラの『家族』になるマイロだ』」

「そう、家族。『まずは弟と思ってもらっていい』って」

「家族? まずは、弟……?」


 見返せば、マイロはほんの一瞬だけ照れたように目をそらして、


「家族って、そういうことだよ。先代聖女だった母さんが、死ぬ間際に女神の予言を受けたんだ。この国と僕のためにどうかそうしてくれって。他の家よりも父の友人……義父さんの方が、信用できるから」


 唖然としているうちにカサンドラは庭に出され、ガラス張りの温室に連れてこられた。様々な花が咲き誇る中、一角はあの黄色の花弁で満ちている。  


「……癪だけど義姉さんは僕より『攻略本』を信じるだろうから、あえて来てもらったけど。これちょっと見せて……あった」


 マイロはカサンドラの手から攻略本を取り上げると、パラパラとめくる。


「ほらここに小さく、攻略対象の好感度に応じて、「画面」――何のことか分からないけど、画面に聖華が咲きますって」

「……誰の、誰に対する好感度が……?」


 カサンドラはもう呆けるしかない。心当たりがなさ過ぎる。


「僕から、義姉さんへの。聖華に対応した英雄の、彼を育てた人に対する好感度が」


 何故か恥ずかしげに目を伏せた彼の唇から、そっと言葉が零れたとき、カサンドラはえ、と見上げた目をぱちぱちと瞬いた。

 嘘を言っている顔ではない。初めて見た義弟の、恋する男の顔。


 ――育てた人。ステ管理がどうとか、確かヒマリは言っていたなと思い出す。


(……長期にわたってステータス管理……健康管理してたのって……もしかして、聖女じゃなくて私……!?)


 気が付けばカサンドラの顔から血の気が引き、みるみる青くなっていく。

 ヒマリが残してくれた、四角い枠に収められたプレイ画面の綺麗なイラスト。「メッセージウィンドウ」を囲むように満開の花が咲いている。

 そしてああ、目の前の薔薇は確実にこのイラストよりも咲き誇っていた。


「いつから、いつまで……」

「僕の誘いを断っただけで安心したんだろうけど。この本が正しかったら、そもそも好感度が上がらなければ、誘われることすらないって気付かなかったの?」


 ふらつく体を、大丈夫? と支えてくる手の力はますます強くて、カサンドラは大丈夫じゃないと返しながら、逃れられる気がしない。


「え、待って『12年後の春』――ちょうど、今の時期に神殿に来てって、女神様が……」

「……義姉さんにはまだ色々秘密がありそうだね……あっ、本当に大丈夫? 義姉さん? カサンドラ!?」


 結婚前と結婚後に一度、それぞれ予言をくれる女神フローラ。

 あのガチャを引いた時点で既に、女神様はここまでお見通しだったのか。


(だから説明してって言ったのに)


 体を抱く腕の力が強くなる。さっきまで冷たかったくせに温かい。

 焦るマイロの声と顔は、昔神殿で気を失ったときよりずっと心地いい。

 予言の女神様お墨付きなのだ、きっともう、ここから逃げられない。

 そう思ったら、カサンドラの意識はショックに、急速に遠のいていった。


 ――気を失う直前に脳裏に浮かんだのは、跡を濁して旅立った白鳥の聖女の笑顔だった。

お読み頂きありがとうございました。


以下、余談です。

・聖女……マイロがカサンドラに好意を持っているのを知っていて、「カサンドラがマイロとうまくいくようにするには……」をあれからずっと考え続けていた。

 薔薇で好感度分かるようにすればカサンドラが安心かもと思い、また大事なもので親愛を伝えなさいと、祝福の黄色の薔薇を贈るようにマイロに助言する。

 しかしカサンドラはマイロが罰当たりだとしか思ってなかった。


・カサンドラ……へっぽこ悪役令嬢(予定)。根はそこまで悪人ではなく、状況と環境によってひねくれて悪の道に進んでしまったため、女神によってまっとうな? 人生を過ごせるようになった。

 他人からは義弟を溺愛しているようにも、距離をとっているようにも(つまり妙な態度だと)見られていたかもしれない。


・マイロ……両親があまり国に大事にされていなかったような気がしており、子供の頃から斜に構えている。

 国より伯爵家に恩を感じているのは確かだが、両親たちの思惑で「自分と結婚させられる」かもしれない義姉に、厳しく優しく管理されるうちに絆されてしまう。周囲からは生暖かく見守られていたかも。

 薄々、カサンドラが鈍いことには気付いていた。恋愛についてはやや臆病でやや腹黒。

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