献杯イケメン
「予約した、桜月です」
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、美食家王子のすぐ傍の席で飲食店にしては広い店内で、席数も二十席くらいはある.
なのに、なぜここを選んだのかと疑心の目で店員を見ても、ニコニコと定型笑顔で返すのみ。 迷っているのも失礼だし、違う席に行きたいといまさら言うのも失礼か。 素直に案内された席に座り、ナプキンを膝に敷く。
清潔なテーブルクロスに、小さなキャンドルが添えるように置かれていて「いかにも」な演出すらもいまは心の底から楽しめる余裕があった。失礼と思いながらちらりと隣を窺い見ると、美食家王子は相変わらずワイングラスを薫らせつつ湿らせるほどの量を飲み、肉皿と思しいお皿から丁寧に肉を口に運びながら嗜むように食事を楽しんでいる。
近くで見ると、よくわかるイケメン度合いには日本の血だけでは形成できない貴公子のような骨格に焦げ茶の瞳、柔らかそうな栗色の髪の毛。手足も長く、肩幅もあって、格好も明らかに日本人離れしている。 ザギン辺りで仕立てたであろう、高級そうなスーツを着ていて、この風貌で生まれたら、人生ウハウハでたのしいだろうなぁ、などと不埒なことを考えていると、ふいに、彼がわたしを一瞥した。
キャンドルの灯りが射しこみ、光の加減で、彼の焦げ茶の瞳に透度が増すその瞳を見た瞬間、わたしの胸がどくんと波打った。 だってあまりにも綺麗だから。
「あけましておめでとうございます」
低く甘さも孕んだ声で彼がわたしに向かって言葉を発したその事実すら頭の中で処理しきれず、わかりやすく狼狽える。
「あっえぁ・・・・あけましておめでとうございます!」
「ご旅行ですか?」
「い、いいえ・・・・」
「そうですか」
零すような言葉と共に、彼は、グラスに目を戻す。
( 話しかけられた・・・・・)
店内にはわたしと彼だけで、ほかにお客さんはいない。 ワインも飲んでいる。―――何種類も。
少し口寂しくなっただけだろう、そう、それはわたしだから話しかけたのではない。 言い聞かせ、早鐘を打つ胸を落ち着かせようと試みる。
「このお店には、よく来られるんですか?」
(また話しかけてきたぁぁぁあぁ!!! )
「いぇ・・・・・あー・・・・たまに?」
(検索していたら出てきた程よいお値段のフレンチだったから、なんて言えない・・・・。)
「そうなんですね。ぼくは特別な日に、ここに来ることにしているんですよ」
「へぇ・・・・お、お誕生日・・・・とか?ですか?」
それは自分だろ、という心のツッコミを入れつつも、それ以外の言葉が思いつかなかった。 彼ほどのイケメンだったら、記念日だったら彼女とくるだろう。特別な日にはたくさんの人に囲まれて祝いそう。
そう考えると消去法で誕生日が妥当。
(いや、待って。誕生日も大勢に囲まれていそうだけど!?でも、モテる人ほど、「誕生日は、一人で静かに自分と向き合う日にしているんだ」って考えかもしれない)
「陽キャ側」の人のことは、わたしの憶測の域を出ない。 だからこれ以外の言葉は踏み込みすぎ。これがわたしの脳内倫理部隊が頑張って出した結果だ。
「今夜は献杯なんです」
その言葉に、母音の驚きすら出せなかった。 献杯は、亡くなった人を偲ぶこと。 美食家王子の大切な人が亡くなったんだ。 その証拠に焦げ茶の瞳の色がこっくりと濃さを増している。目の奥に揺れるのは愁いで、なにかへの自嘲のように薄く微笑みを浮かべている。
「初対面なのに不躾にすいません」
「あ・・・・いえ、わたしこそすいません」
「謝らないで。・・・・ありがとう」
大切なものを真綿に包んだようなやさしい声が読み上げたのはたった五文字。なのに、告げた彼の声音の余韻が耳から消えてしまうことが惜しくなる。睫毛を伏せ、ワイングラスに映りこむ彼の顔が深痛の表情なことに心臓が跳ねた。
「失礼いたします」
わたしの乙女心を他所に店員が間を図って現われ、頭を下げる。
「桜月様。本日は、アニバーサリーコースでよろしかったでしょうか?」
満面の笑みで店員が告げた言葉が、頭の中をこだまする。 その次に、電光掲示板のごとく流れてきたのはこうだ。
(――――いま、それ言います~?!??! )
店員のまぁまぁな声量。そして淀みない活舌のよさ。 わたしがこの店の店長ならば、こう言うだろう。
(接客業の鑑のような声だね!うん!きみ、あしたから社員!)
そう推薦したくなるほど、一語一句が二人しかお客がいない店内中に響き渡っていた。 美食家王子はワイングラスを煽ったまま、わたしを凝視している。 というか、固まっている。
――――もうなんでもいい。 「はい」と呟く様に返すと店員は、失礼いたしますと告げ、その場を後にする。ほんとうだよ・・・・と、心の中でやさぐれる。初めて来るお店だし、まぁ、そんなものか。そう自分を丸め込むにはまだ材料は足りない。
世が世なら、隣席に美食家王子がいるだけで拝んでお店に感謝したくなる人もいるだろう。ならば、こう考えるしか道はない。神様!これから、身分不相応な言葉で己を丸め込むわたしの罪をお許しください。今年の誕生日プレゼントはこの王子様と二人きりの空間。そう、王子の隣に座るわたしは姫。 きょうだけ、姫なのだ。