いつかきっとの願い
誕生日最初のアクシデントが顔の良い変態との遭遇だったこともすっかり忘れるほどのウキウキ気分で脳内を満たしつつ電車に乗り込み、三つ目の駅で降り立つと目の前には海が広がっていた。冬空を落としこんだような暗色の海色に潮の匂いが充満してる。
改札を出て五分足らずで着いたのは、蔦の絡まった芸術的な外観のカフェで、いかにも古民家!隠れ家!な雰囲気を醸し出している。 アンティーク調のドアノブを引くと、じんわりとした温かさが頬を包んだ。
「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」
「あ・・・・あの、予約した桜月ですけど・・・・」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
店員さんに連れられ窓際の席に座った目の前には、牡丹の木や桜の木、たわわに実った南天の木がきれいに剪定された姿でまるで絵のように佇んでいて、この光景諸共、わたしがこのカフェを気に入っている理由でもあった。
「ご注文お伺いします」
「えーっと、オランジェショコラとクロワッサン下さい」
「お客様ラッキーですね!きょうラス1です!」
「え!まじですか!やった!」
「少々お待ちください」
「はーい!」
店員さんとキャッキャしつつ注文を終える。ここのオランジェショコラとクロワッサンは絶品で、このお店のメニューは全種類食べたことがあるけど、栄えあるわたしに選ばれたのはこの二つだ。
おいしい精鋭部隊の到着を待つ間、手持ち無沙汰で携帯を見るとメッセージが一見入っていて、それは両親からだった。 文面には、「誕生日おめでとう。おまえはわたしたちの天使だよ。いつか、また会おう」 と書かれてある。
「いつかって大げさだなぁ」
思わず笑みがこぼれた。わたしの父と母は、教師をしている。 お堅い職業なのに、夫婦揃って天然な性格はいつまでも変わらなくて、二人とは正反対のアパレル店員(契約社員)を選んだわたしから見ると、一言一言が大仰に聞こえた。定年退職するまで教師を続け、いつか二人でお店をやりたい。
「いつか」の未来の話をする二人は幸せそうで、わたしもいつかこんな夫婦になりたい。そう思えるくらい、揃って幸せそうなのだ。
お恥ずかしながら、わたしは実家に帰る前に風邪をひき一昨日まで寝込んでいて、もうすっかり成人のわたしのために両親がプレゼントを用意しくれていたことを思い出しメッセージを読みつつ胸が痛む。
「お待たせいたしました」
差し出されたお皿から立ち上る湯気と共にショコラの香りとバターの香りが鬩ぎ合いながら鼻腔に入ってくるこの幸せをかみしめる正月、午後4時!
「いただきます~」
心の中で小躍りしながら手を合わせ、まずはオランジェショコラを味わう。 濃厚なカカオ味のショコラドリンクに、散らされた削りたてのオレンジの清涼感が絶妙!と、心の中の美食家談義が花開いていく。注文を受けてから温めてくれるクロワッサンも、ぱりぱりと音が鳴るくらい香ばしく焼き上がっている。 一口食べるたびに、心の中で唸り心の中で叫び倒し、食べきった。
「ありがとうございました」
食べ終えるとそそくさと店を出る。ひとりごはんは秒単位というセオリーは無視できない。美味しいものを食べるためには、恥も外聞も捨て手段を択ばない。
(それが独り飯の極意。ふっ‥‥決まった‥‥)
この後の予定であるディナーを予約したのは、ここから程遠くない場所に在るカジュアルフレンチのお店。この店も外観だけでは飲食店だとは想像できない。 無機質なドアを開けると、いらっしゃいませと声がかかる。 お店には先客がいて遠目から見ただけでもわかる。
(見えます‥‥あれは相当のイケメンである‥‥)
数本のワインのエチケットを並べ見ながら飲み比べつつ食事を摘まむ紳士から放たれる自発光した存在感は、独身の曇った目には眩しくて思わず目を閉じた。 ――――そして閃く。 誰が呼んだか、彼のあだ名は、「美食家王子」この瞬間、わたしがつけた。