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その男、竜眼につき




「彼女は、育ての親を亡くしたばかりなんです。ご配慮ください」

「ぬるま湯に漬けるばかりが優しさではないだろ?」

「お戯れは‥‥勘弁して頂きたい」


 葵の顔色に忿怒が差す。暫く滾るだろうと察したのか、鴇宜はお道化た様子でお猪口から酒を啜った。


「今瀬でも師匠ズラかい?はぁ‥‥いつまで引きずってるんだか」

「‥‥おまえは‥‥いびる暇がある身分か?」

「三弦。こっちにおいで?ぼくと仲よくしよう」


 鴇宜の口から取ってつけた様な甘い声で名前を呼ばれ、ぞわりと背筋が凍る。三弦は、ここまで言われて行くとしたら、猛獣に食べられに行く兎くらい愚かだと思い、ふるふると顔を振って抵抗する。その様子を見た鴇宜の口からため息が漏れた。


「‥‥彼女に嫌われてしまった‥‥」

「初対面で死んでほしいとか言うからだろ。どんなコミュ症だよ」

「これがぼくのやり方なんだ。葵は知っているだろ?」

「‥‥慣れるまでが地獄だったけどね」


 いつの間にか立ち位置が入れ替わり、鴇宜と葵はお互い酌をし合いながら飲み始めていた。その背中を見ながら、三弦は2人の間に漂う睦まじい雰囲気にほっと和んでいた。


 すると、廊下の遥か向こうから、小さな足音が走ってくるのが聞こえてくる。


「鴇宜様!おつまみをお持ちしました!」


 鈴を鳴らしたような可愛らしい声が廊下中に響き渡り、ぱたぱたと走り寄る音の先を眺めていると、現れたのは、銀色の髪の毛に蒼い瞳を輝かせた着物姿の男の子だった。


「走らなくていいよ、柳生りゅうせい


 鴇宜に声掛けられながらたどり着き、男の子は三人の前に膝つき正座した。


「ワサビは摺りたてが美味ですから!早く食べて頂きたくて!」

「ありがとう」


 声色に優しさが滲んでいる。鴇宜から掛けられた労う言葉に照れながら、柳生が丁寧に差し出したのは竹の筒の中に綺麗に切りそろえられた蒲鉾だった。添えられているわさびの山からは良い香りが漂ってくる。


「ぼくの思業式神カルダ名を柳生(りゅうせい)と言う」


 深々とお辞儀をされ、三弦は慌てて頭を下げる。その横で温かい視線を向けながら、葵が柳生の頭を撫であげた。


「大きくなったね、柳生」

「はいっ!」

「彼の家に仕えてどれくらい経つ?」

「四半世紀でございます!」


 元気よく返したその言葉に驚いた三弦が思わず顔を上げた。


「し‥‥四半世紀?!」


 現代人で例えれば小学生、声だけならもっと幼く聞こえた彼の口から放たれた言葉を鸚鵡返しする三弦に対し、柳生は不思議な顔をしていた。


「思業式神は、陰陽師が従えることのできる式神のことだ。一人前の陰陽師の証でもある」

「あぁ‥‥式神‥‥」


 早計だった。三弦はほっと胸をなでおろし、落ち着いたところで、式神としての彼を見据える。


「梅さんと同じ‥‥人間の姿なんですね」

「そう。人間型に天顕することを式顕化と言うんだけど、上位の陰陽師にしかできない高階術なんだ。四神を冠に持つ彼らは、式顕化をはじめとする高度な術を網羅して習得し操ることができる」


 そう言われて初めて感じられた。白銀色の髪がノーブルな雰囲気を醸し出し、柳生から発せられる気自体、主である鴇宜に似ているようにも感じられた。


「あなたが春日野家末裔の三弦様ですね!攫われたと聞いておりましたが、お元気そうでよかった!」


 溌溂とした勢いで肯定された三弦は、柳生の思いもよらない言葉に固まった。


「知っているんですね、わたしの‥‥」

「はいっ!もちろん!」

「なんか‥‥お騒がせしました‥‥」


 思わずぺこりと頭を下げる。三弦の姿に柳生が右往左往しながら慌てた。


「春日野の方!頭をお上げください!」

「いや‥‥とりあえず‥‥申し訳なくて‥‥」

「式神ごときにそのような作法は不相応です!」

「でも‥‥攫われていた間も、家名がご迷惑かけてたみたいなんで‥‥」

「そうだねぇ。零落しつつあるとはいっても、春日野の名は一応、ぼくたち四神の神威と並んでも遜色がないほど濃く強い血脈ではあるからね。きみたち一家の不祥や禍根には、ぼくたちも胸を痛めはしたよ」


 扇を煽り、酒で火照った頬に風を送りつつ、三弦を横目に見ながら言い放った。鴇宜の言葉は最もだった。調べればわかること。学べば理解できること。今思えば、思い出の端々に見えていた疑問や違和感をそのままに、放置してきたのは自分。本来、自分の体が置かれるはずの家が、自分が無知だったばかりに没落しかかっている。これは紛れもない事実だ。三弦は、胸に渦巻く後悔と罪の意識にさいなまれた。


 そんな三弦を煽るかのように、鴇宜が話し続ける。


「春日野の当主が亡くなり、零落させるか否かの沙汰を下そうと手がかかったとき。葵は以前にもましてきみに執着するようになった。あろうことか、香茂家の祖流を踏襲し、きみを育て上げると言いだした時には、四神陰陽師全員で反対してね。それはもう宮中てんてこ舞いだったよ。そんなこと、できるわけがないからね」


 お猪口の口を葵の杯へと流し込む。受けながらも葵の視線は、射貫くように鴇宜へとむけられていた。


「できるかできないかは、ぼくの腕次第だろう?」

「ほら、まだ理解できていない。香茂重延(かも・しげのぶ)と師資関係を結んだのは平安時代の話だ。それ以降、香茂が弟子をとった記録はない。恣意的なものである上、葵は重延様と同等の人徳を積んでいるという自覚すらあるようだ」


 笑みを深める鴇宜からの嘲弄を一身に受けながら、葵が静かに炎を滾らせてるのは誰の目にも瞭然だった。その気配を感じてもなお、鴇宜は続ける。


「香茂家と四神は、平安以来の旧知の縁だ。見逃してあげることもできるけど、この女がここで自害しないのであれば、どうするつもりで邸に上げたのか、理由をつけてもらわないとね。この邸に宮やぼくたちの息がかかっている以上、正当な権利と力がない者を結界内に入れることは重罪に値する」

「存じております」

「最近のきみの愚行は目に余る。女に現を抜かす暇があったら、さっさと高位を辞すと言え」


 柔和な雰囲気を漂わせていた葵の空気が一瞬にして鋭敏になったことに、その場にいた全員が感じ取った。その矛先は、鴇宜へと向いている。怯むことなく、むしろ葵から注がれる視線すら肴にするように、鴇宜がゆっくりと杯を仰いでみせる。


「ぼくが怖くなった?」


 酒で濡れた唇は饒舌だ。端正な顔から放たれる甘い声色、とろりとした視線に掴まれた三弦は、緊張で強張った体のまま発することなく、ごくりと喉を鳴らす。


「きみの先祖は、ぼくのように奸智に長けた男たちの手綱を引き従え、実威を持って陰陽寮の大家と成って大衆を率いていたという。これくらいで気圧されているようではやっていけないよ?姫君」


 姫君と言うのは嫌味だ。その意味をまざまざと思い知らされていた。三弦が、鴇宜の目を見据える。


「わたしの師匠を、バカにしないでください」

「あはははっ、師匠ときたか。葵に手なずけられたね、姫君」

「わたしは姫じゃありません。ただの契約社員です」

「そう。なら、そのただの契約社員さんは、格式ある閾を跨げるほど高尚なお勤めなのかな?」

「‥・・・職業差別はいけないとおもいます!!」

「そうだね。もっともだ。ならば、こう言って差し上げよう。餞民は下水に還れ。わたしが施した美しい結界の中で護られる資格は、おまえにはない」


 美しい顔が凄んだ。滲んでいるのは怒り、差別、そして怨嗟だ。奥歯を噛みしめる様からは、憎しみすら感じられる。そんな主人の変わり様に、柳生が慌てた様子で立ち上がった。


「‥‥ぼく、用事を思い出したなぁ?!とっ‥‥鴇宜様の朝餉の下ごしらえをしなくては!では!失礼いたします!」

「朝餉は海鮮粥にしてー針生姜はたっぷりねー」


 三弦を睨みつけたまま鴇宜が優しげな声色で声掛けるが、背後からかかる主の声も何のその。来た道を速足で走って去ってしまう。柳生の姿にあけっけにとられつつ、三弦は今しがた告げられた言葉を食むように咀嚼し、返しを考える――――と、その時、背後から三弦の肩を何かがこつこつと叩いてきた。


「すいません。邪魔です」

「えっ‥‥あ‥‥すいません」


 低い声に促されて体を起こし、三弦が背後を見やると、佇んでいたのは背の高い男だった。紺色の着流しに青髪の男の人は、気怠そうに体をよじる。


「腹‥‥減った」


長い睫毛下にある薄いブルーの瞳が三弦を見詰めている。海のように深い瞳の色に見入っていた三弦の体が、すっぽりと彼の体の中に納まっていることに気が付くのに時間はかからなかった。


「好き‥‥だ」

「‥‥はい?」


 突然の告白に、その場にいた全員が硬直した。


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