妖は視えますが変態は見えません
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・・・」
「山査子か?」
「あぁ、之を飴に混ぜて、凛名にあげるんだ」
着物の袖に山査子を零れるほど入れながら、嬉しそうに話している。
彼を問うた人は、その様子を目を細めて眺めていた。
「また妖狐が出た。あまり深入りをするな」
「彼女が妖狐なわけじゃないだろ?なら問題ない」
山査子を頬張りながら自信満々の笑みを向けられ、顰めていた表情を緩ませる。
「帰ろう。今夜は雪になる」
寒空に差し出した白魚のような指に、今しがた振り出した雪片が泡沫のように消える。
――――ピピピピピピピピピピピ
アラームの音が鳴り響き、はっと息をのんで目を覚ます。
「まただ・・・・」
人間は寝れば夢を見る。だが、こんなに鮮明に見るものなのだろうかと全世界に聞いてみたい。
漢方のような匂いと土のにおいが混じった空気と風は、寝起きでも思い出せる。
これはもはや夢ではなく「体験」に近かった。
ただ【視ている】だけなのにぐったりとした疲労感が頭の中に残っていて、きょうも熟睡した気がしない。けれどなぜか爽快感はあってそれが毎回不思議でならない。
夢の中で山査子を摘んでいた臙脂色の着物の人と、妖狐と口走った萌黄色の着物の人は、ここ数日見続けているわたしの夢のレギュラー登場人物で、あまりにもイケメンなので覚えてしまった。
しかし二人とも名前を名乗らないので、着物と雰囲気でその場で勝手にあだ名をつけている。
二人はいつも一緒なのにどこか距離があって、傍観者のわたしは毎回やきもきしていた。
ドラマだったらはやく次の回を見ないと落ち着かないし、展開があるわけはない日常の会話が多く、いつ「ざまぁ」や「裏切り」があるのか期待しているわたしとしては、夢の展開への刺激に飢えつつもあった。
「あの人たちだれなんだろうな~。先祖とか?でもあんなイケメン居たらわたしも美女じゃないと辻褄あわないしな~」
ごろりと横になり、日課になりつつある「夢メモ」を取る。やけにリアルな夢が続くので、何かのネタにならないかとここ数日の夢は事細かに記録を取ることにしている。きょうの急上昇ワードは妖狐と狐で、今までの夢には登場しなかった言葉だった。
「ようこ、きつね」携帯で検索をかけると、日本の妖怪とでた。
「妖怪ねぇ」
画像検索に出てくるのは九尾の狐とか誘惑する狐とか色気のあるものばかりだ。
流し見に飽きた頃、背伸びをし寝ぼけ眼でベッドサイドの窓を開けると外には雪が降っていた。
「夢と一緒だ」
ボタン雪のような大きな雪片が落ちてくる様は、だれが見ても積もりそうだなぁと思うだろう。
曇り空の中から魔法のように次々と現れる雪をぼんやり眺めていると、白い布がひらりと視界を横切った。
視線で追った先には、白い着物を着た女性が佇んでいた。
この雪空の中ではありえない薄着にここがアパートの上階であることを忘れさせるほどの自然な空中浮遊を見て、【いつものか】と納得する。
「どうも~」
毎回、向こうに聞こえるかはわからないけど挨拶はしてみる。
そして大体の反応は、目をぱちぱちさせて「わたしが視えるんですか?」と言った顔で驚くのだ。
明らかに人ではない青白い顔と薄青の瞳は、わたしの予想通りに驚きつつも笑顔を返してきた。
ふわりと体をくゆらせて傍に寄ってくると、わたしに向かってふぅっと息を吹きかけた。
息の動線上に現われたのはスノーダストで、キラキラと輝きながらわたしの顔を撫でた後、粉砂糖のようにチラチラと落ちていく。
「綺麗な妖さんですね。どこから来たんですか?」
今度はまっすぐ【彼女】の目を見て話しかけると、小さな囁き声が空気の振動に乗るようにわたしの耳に届く。ふむふむと聞き入っていると、彼女はこのアパートの上に在る山の奥から来たと話した。けれど、急に振り出した雪で視界が悪く、山の奥にたどり着けなくて休んでいたという。
「そういうことなら、うちで【雪宿り】していってください。わたしは出かけてしまうんですけど、悪戯しないって約束してくれるなら、雪が止むまでいてもいいですよ」
わたしの提案に、彼女はありがとうのお礼を込めたのか空を宙返りしながら感謝を伝えてくれた。そのまま部屋の隅に入り込むと、安心したような顔で体を丸める。
ご察しの通り。わたし、桜月三弦は人ならざる者、つまり妖が見える。
【視える】ようになったのは小学校に上がる前からで、小さい鬼だとか、狐の顔をした人だとか、空を飛び回る天狗だとかを視るだけだったのが、次第に自分から話掛けてコミュニケーションまでとれるようになった。
彼らは自然の妖だったので人間嫌いなものが多かったけど、妖が視えるようになったわたしは【勘】が鋭くなり、彼らとの距離感や関わり方、そして本当に近づいてはいけない妖などの見分けがつくようになっていった。幼いわたしからしたらぬいぐるみやお人形と大差はなくて、彼らに対しての恐怖心が一切なかったのが逆に良かったのかもしれない。
そんなわたしでも、毎日現れる得体のしれないものに最初は怯えていた。
友達や先生、両親に訴えても冗談だと相手にされなかったし、虚言を言っているのではという人まで現れて、いつしかわたしは【視える】こと自体を他人に話すのをやめた。
わたしが視えることは事実なわけだし、これは一生付き合っていくものなのだから、他人が解決できることではないからだ。
そして、20歳を超えた頃からのわたしは達観の境地に達する。
人間だっていつか死ぬ。 妖怪だっていつか死んだ人間なのかもしれない。
そうおもうと、みんな仲間人類皆兄弟。
そんな考えに替えてから、彼らを特異な目で見るのを辞め、同じ人間だと考える事にした。
その方が自分が楽になる、という処世術を編み出してからはこっちのもの。
幸いなことに悪どい妖に遭遇したことはないから一概には言えないけれど、少なくとも彼らは悪いものではないとおもっている。
だから、【妖怪】なんて書いてあることに検索しながらおもわず笑ってしまった。
妖しくも怪奇でもなんでもない。彼らはわたしの【友達】だからだ。
湿度は70%、温度はマイナス0の表示。 その横には、1月1日の文字。
わたしはその表示に身震いしながら、近くにあった多毛のセーターを引っ張り上げ、エアコンの暖房のスイッチをいれた。
シャワーを済ませ一通りのスキンケアを終わらせて出かける支度を始める。
日本人と日本人の間で生まれた、the日本人顔なのになぜか茶色の瞳にコンタクトを入れる。
年末に美容院で切り揃えたセミロングの髪をアイロンで整え、ワードローブから最近買ったばかりのグレージュのワンピースを卸す。 雪の日に新品を卸すなんてどうかしてるとどこか他人事のように自嘲しながら、きらりと光る石が付いたバレッタで髪を結ぶ。
すると、後ろからするりと腕が伸びてきた。着物を着た妖が、わたしのおくれ毛をせっせとバレッタに収めているのだ。
「ありがとうございます。助かります」
わたしの言葉に嬉しそうな笑顔を見せつつ綺麗におくれ毛を収め、行ってらっしゃいとばかりに手を振った。
「行ってきます」
彼女に手を振り返してから外に出て、確認した携帯が表示している時刻は午後3時。 今日のミッションは、一人カフェ、一人ディナー、一人お参り。 まずは、1月1日にやっているという、ありがた~く稀有なお店で、贅沢に過ごす予定だ。
外に出てすぐにマイナス0度の洗礼を受け、顔面から一気に体温が奪われ手の先が冷たくなった。こんな寒い日になにしてんだか‥‥という自虐をしている場合ではない。今日は大事な大事な日なのだ。
かじかむ指で携帯のお気に入りソシャゲアプリを起動させるとイケボが話しかけてくる。
「誕生日おめでとう。きみにとって幸せな日でありますように」
「くぅぅ‥‥沁みます‥‥っっ」
推しからのお祝いの言葉に悶絶するわたしは、そう!誕生日なのだ!
クリスマスが誕生日の人はお祝い事と誕生日を一緒くたにされると聞いたことがあるが、正月が誕生日のわたしも例外ではなく、大体お年玉が誕生日プレゼントのような扱いを受けるし、友達と会いたくても家族と過ごすことを優先されるため、誕生日パーティーなどもできない。
大人になってもその感じは変わることもなくて、今年も無事にロンリーぼっちで誕生日を迎えた。
吐く息すら凍るのではないかとおもう寒空からはぽつぽつと雪が降り注いでいて、道は既に雪の水で薄い氷が出来上がりつつあった。
家を出てすぐの坂道は上から眺めただけでもわかる程のつるつるコーティング具合で、速足などしたら滑るであろう!慎重に行けよ!と俄かに警告する雰囲気すら出ている。
わたしは慎重に一歩一歩を踏みしめつつ坂道を下ることにした。
傘に降り注ぐ雪はたまにボタリと重めの音を含んでいて、その音にぎくりと驚きつつ順調に歩を進める中、密に真後ろで何かを踏みしめる音がした‥‥気がしただけなので、そのまま進む。
「おい」
真後ろから男の人の声が聞こえた気がした。
けど、わたしではないだろう。(彼氏いないし)そう思って無視して進んだ。
「おい。君」
「きみ」と呼ばれたのは上司か幹部と言われる普段会わない偉そうなおじさんくらいで、久方ぶりにきみと呼ばれたことにひやりと背中が冷えた。
さっきまで人の気配などないこの坂道で正月の昼間に、「おい」と男の声が女を呼び止めるシチュエーションほど怖いものはなくて、一瞬足が止まりかけたが、恐怖心からか歩く速度を上げつつ先を急ぐ方を体が勝手に選んでいた。
「いつまで僕を無視するつもりなんだ?」
その声は怒気を含みつつ完全にわたしに向かって放たれたものだとわかった途端、わたしの良心が作動し、ぴたりと立ち止まってしまう。
(変態じゃありませんように‥‥)
祈りながら後ろを振り向くと、そこいたのは妙齢の男性だった。
瞳は薄い青色で、長い黒髪を一つくくりに結っている。
顔は美形で整っているが、服の上からわかる程に鍛えられた筋肉は、格闘家なのか筋肉オタクなのかと勘繰ってしまうほど立派なもので、この体に組み敷かれたらひとたまりもないだろうなと想像してしまう。
変態ではなさそう‥‥な気がしたので、「なにか?」と小声で伺いを立ててみる。
「この周辺に神社はいくつあるんだ?」
「じ‥‥神社?えーっと‥‥4つくらい、ですかね」
「一番近い神社はなんという神社だ?」
「柊天神社ですけど‥‥」
「そこには何が祀られている?」
「確か‥‥石、だと思いますけど」
「きみはよく行くのか?」
「‥‥え?」
「なんだその変態を見るみたいな目は?僕は変態じゃない」
「あー‥‥すいません。行きます。神主さんが良い人なので‥‥」
「そうか。わかった。ありがとう」
何が分かったんだろうかという疑問を投げる暇もなく、彼は踵を返してしまう。
この後襲ってくるわけでもなかろうと、わたしも先を急ぐことにした。
歩き始めると、「あっ」と、先ほどの男の声で感嘆詞が漏れたことに体がびくりと反応する。
「【オレ】の名前は、【逍摩 】だから。覚えといて。三弦ちゃん」
その言葉の衝撃でわたしの心臓がどくりと波打つ。
荒くなる呼吸を抑えつつ考えに考えて考え抜いた結果、後ろを振り返ることを決意した。
「‥‥いや!やっぱり変態じゃん!!」
わたしのツッコミも空しく、言い放った先には彼の姿はない。
ただただ雪のちらつく坂道が続いているだけだ。
妖だったのだろうかと考えたが、妖に対してのわたしの勘はそう言っていない。
けれど、残った残り香には乳香のような香りが仄かに残っていて、それが心をざわつかせていたが、これから行く先を思い出し、プルプルと顔を振る。
「今日は幸せになりなさいって推しが言ってるんで!!!」
坂道の両際には一軒家がずらりと建ち並んでいるが、お構いなく大きく宣言する。
そうです、誕生日無双に変態攻撃は効きません。
凍った道も何のそのわたしは残りの坂道を速足で下り切った。