最終章Ⅱ
不安に苛まれていても仕方がない。クラウは大丈夫だと言っているのだ。折角、二人きりにしてくれた、皆の気配りも大事にしなくてはいけない。
こうして二人きりで穏やかな時間を過ごすのはいつぶりだろう。酷く懐かしい感じがする。
そうだ。あの湖の畔で二人で過ごして以来だ。愛おしくて、私の肩をクラウの身体に預ける。
「ミユ」
「何?」
「あの日、何をお願いしたの?」
「あの日?」
何の事を言っているのだろうと、記憶を探す──程でもなかった。願い事をしたとすれば、湖の畔で一番星を見た時くらいだ。
「う〜んとね〜」
「えへへ……」と笑ってはみるものの、熱を上げる頬を隠せてはいないだろう。
「この幸せが……永遠に続きますように、だよ」
この願いが叶うなんて思ってもいなかった。戦いが終わっても私が生きている保障なんて、どこにもなかったのだから。全部、全部クラウのお陰だ。
「クラウは?」
「俺は……前に言ったじゃん?」
「あれ、噓でしょ」
私の勘がそう言っている。クラウは唸り声を上げ、困り顔で小首を傾げた。
「いや、怒らない?」
「何で?」
「だってさ」
クラウは頭を掻き、こちらの様子を窺う。
はっきりと言って、もうこれ以上驚く事はないだろう。
「私、何を言われても、もう大丈夫だよ」
「そっか。それなら」
クラウは「ふぅ……」と息を吐き、目を細める。
「生きて……ミユの未来を見続けられますように」
この頃には、クラウは自分が死んでしまう事を覚悟していたなんて。驚かないなんて思ったけれど、そんなことを言われると泣けてくる。
「いつから私の為に、死ぬことを……考えてたの?」
「えっ?」
クラウは少し考えた後、声にならない声を発し始めた。
「もしかして……あの手紙、読んだ?」
「私、スティアの文字が読めなかったから、カイルに読んでもらったの」
「アレクに預けるんじゃなかった……! ホント、アレクって分かってない!」
クラウはすっかり膨れてしまったようだ。目を吊り上げ、頬は赤くなっている。
それも束の間、クラウは顔をしかめた。
「痛た……」
「大丈夫!?」
クラウが胸を押さえるので、心配になってしまう。痣のこともあるし、心臓発作に倒れた前世のこともあるからだ。
しかし、クラウはにこっと笑う。
「ミユは大袈裟だなぁ。いつかって聞かれたら……アレクに殴られた時、だよ」
アレクに殴られた時とは、確か魔法の特訓をする前だった筈だ。そんなに前から、私と同様に、ずっと死の恐怖と戦っていたのだ。
胸がキュッと締めつけられる感覚に陥るとともに、ドアが勢い良く開かれた。
「オマエら、飯食うぞ! ちょっと早ぇけどな!」
タイミングが悪過ぎる。預けていた肩を直し、ピンと背筋が伸びた。顔が熱を上げる。
「ミユ、行こうか」
「……うん!」
差し出された手を取り、廊下へと駆け出した。ダイヤの廊下を手を繋いで歩くなんて久しぶりだ。こんな些細な事が幸せで堪らない。
クラウの左手を両手で包み込む。クラウは振り返って一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐににっこりと微笑んでくれた。
会議室の扉を開けると、そこはまるでパーティー会場だった。小さな花火がそこらかしこに打ち上がっている。犯人はフレアだ。
「待ってたよ」
「ふふっ」と笑うと、フレアは自分の指定席の前に立つ。
「三人とも、早くしないと料理が冷めちゃうよ」
「うん!」
クラウとアレクを急かし、私も指定席に座る。目の前のテーブルには所狭しと料理が並んでいる。私の好きなケーキ、クラウの大好物のポテトサラダ、フレアの好きな真っ赤な唐辛子のスープ、アレクの好物のステーキ、魚料理やグラタン、スパゲッティ、他にも数えきれない数の料理の量だ。
「よし! 食うか!」
「うん! いただきます」
食事の最初は野菜から、と言うから、ポテトサラダから食べてみよう。器に手を伸ばすと、アレクに制止された。
「ミユは、まずこれだな!」
何故かアレクはテリーヌを差し出してくる。アレクの料理はどれも美味しいから、別に良いのだけれど。
テリーヌを頬張ると、口の中いっぱいにほんのりと甘い、爽やかな味が広がった。美味しすぎる。
「これ、美味しいよ〜」
クラウにも勧めてみたものの、既にポテトサラダを口に入れていた。みるみるうちにクラウの顔が赤くなっていく。
「辛っ! 赤くないのに辛いよ! 何さ、これ! ポテトサラダじゃないじゃん!」
「えっ!?」
「緑の唐辛子もあるの、知らねーのか?」
アレクは意地悪そうにニッと笑う。
「『タダじゃ済まさねーからな』」
瞬間、クラウの胸の方からほんのりと黒色の靄のようなものを感じたような――気がした。
【第二部へ続く】




